第三十二話 =しあわせ=
三十二話で。これで第二章は完結となります。
では、今回もよろしくお願いします。
境子と椎名の対話は行われていた頃、優次郎達は学院長室にて諸々の手続きや事務処理を終え、現在屋上に来ていた。
「あぁー……今日はホント疲れたよ」
フェンスに上半身を預けながら、芽衣がそんな事を吐き出した。今まで全くと言い程触れて来なかった『実戦』の世界に、いきなり足を踏み入れたのだから無理もない。
「芽衣、疲れているのは分かるけどはしたないわよ」
「だってさぁー……」
「あっはは‼ 瞳ちゃん、大目にみてあげなよ。突然あんな場所に放り込まれたんだから、しょうがないって‼」
芽衣を窘める瞳に、優次郎は笑う。そんな事を言われれば、芽衣もジト―っと優次郎へ視線を向けた。
「元はと言えば優ちゃん先生が悪いんじゃん。当日にいきなりあんな事言ってさ。せめて前日に連絡くれた時に言ってくれても良かったじゃんか」
「だってそんな事言ったら、あの場所に来ないかもしれないじゃん」
優次郎の正論に、芽衣はそうだけどさ……と口ごもるしかなかった。
彼の言う通り、もし事前に「境子を救うために楠木隆盛と戦って」なんて言われれば、拒否していた可能性が高いだろう。だが、それにしても突然すぎると、芽衣は不貞腐れるしかなかった。
「それに、皆ならきっと上手くやってくれるって信じてたからね! 実際うまくいったわけだし! 終わり良ければ総て良しってね!」
あっけらかんとそんな事を言ってのける優次郎にツッコミたいのは山々だったが、口に出すものはいなかった。
今更彼に言ったところで、変わらないだろうと感じたからだ。
「まぁ、ユー君のやり方は流石に極端すぎると思ったけれど、玲央君もいたしね。
きっと大丈夫だろうという安心感があったから、私も許可したのよ」
「そーいう事! ま、玲央先輩にとっちゃ生温いもんだったろうけどね、あの場所は」
宥める様にいう叶の言葉に、三人はそれぞれ反応を示した。
玲央。黒岩玲央。
その名を聞けば、嫌でも三人の脳裏に今日の光景が思い浮かぶ。あの時の―――隆盛への明確な殺意を剝き出しにしていた、あの玲央の姿を。
「あの時の玲央ちゃん……怖かったな」
「えぇ、そうね。私も初めて見たわ。あんな黒岩先生は」
芽衣の言葉に、瞳も同調する。
和也は言葉を発することは無く、ただじっと校庭を眺めていた。
「……玲央君はこの学院の保健医になる前は、楠木隆盛とは比べ物にならない程の強い殺意を何千何万と受けてきたんだもの。アナタたちには、少し刺激が強かったかもしれないわね」
「なんか……悲しいね、それ」
芽衣が口にしたのは、奇しくも境子と同じ言葉だった。言葉には出さないが、瞳も和也も、その言葉に賛同しているのが表情から分かる。
そんな生徒達を、優次郎と叶は形容しがたい表情で見つめていた。
「今のあなた達には、あの場所にいた人間の心理なんて分からなくて当然だし、受け入れられなくても良いと思うわ。玲央君が元いた『戦場』という場所は、取締委員会の人間でも行きたがらない程危険な場所だから」
「キミ達には将来があるんだし、いずれ受け入れるだけの器が出来れば、その時に色々理解出来ればそれで良いんじゃないかな?」
叶と優次郎の言葉に、三人は頷く。
取締委員会が動く『事件』とは違い、明確な善悪など存在しない。それが戦場だ。それを受け入れるなど、彼女たちには早すぎる。
さすがの優次郎も、今の生徒達にそこまでは求めていないようだった。
「ところで、和也君」
話を変える様に、優次郎は先ほどから言葉を発していない和也に笑顔を向けた。
名を呼ばれた和也は、何事かとそちらへ顔を向けた。
「和也君はどうだった? 今回の事件」
「…………まぁ、それなりかな。取締委員会にとっちゃ、チュートリアルみたいな事件なんだろうけど、うちらは初心者なわけだし。色々得るものもあったから、中々良い経験が出来たクエストだったよ」
「またそんな事いって……どうしてそんな言い方しか出来ないかなぁ」
和也の言葉に怪訝な反応を示したのは芽衣だった。
「仕方ないでしょ。だって俺、ゲーム好きだし」
「そういう問題じゃないと思うんだけど」
「性格だと思って慣れてよ。俺だって会長の噛みつき癖に慣れる様に努力するし」
「っ、だからぁ! そーいう言い方するから私が噛みつく羽目になるんでしょ!?
てかその言い方やめて! なんか私が本当に辻上君に噛みついてるみたいじゃん!」
「いや、噛みつくって今みたいな事だからね? 物理的にじゃないからね? え、会長そんな趣味あんの?」
「いや無いよ!? 何その「うわーマジかぁ」みたいなリアクション!」
「大丈夫。人間千差万別だよ。俺は……会長の味方だから……」
「その切ない顔やめて!? 本当に勘違いされるから!」
「あ、ごめん。それ以上近づかないで。俺の血とか美味しくないよ?」
「吸血鬼か私は‼」
突如始まった二人の言い争いに、三人は思わず笑った。
「あっはは‼ 二人ともすっかり仲良しになったんだね!」
「「いや、仲良くない(から‼)」」
「綺麗に重なったわね」
優次郎の言葉に、二人の言葉が重なる。
絵に描いたようなハモリに、瞳は思わず呟いた。叶も、微笑ましそうに二人を見つめている。和也はバツが悪そうに顔を背け、芽衣は思わず顔を赤らめる。何だかんだ、良いコンビになりそうだ。
「あー、俺も会長に付き合ってたら疲れたよ……もう帰って良いんだよね?」
「いいんじゃない? もう事務処理も全部終わってるし。ね? 叶さん!」
「ええ、かまわないわ。お疲れ様、辻上君」
「……ども。じゃあ、俺はこれで」
「ちょっと待ちなよ! 私に付き合ってたらってどういう事!」
「はぁ……まだ噛みついてくるの? 何? 一緒に帰りたいわけ?」
「なぁんでそうなるんだよぉぉぉ‼‼」
芽衣の叫び声を虚しく響かせながら、二人は屋上を後にした。
「なんか良い感じだね、あの二人」
「えぇ。二人はああ言ってますが、案外気が合うんじゃないですか?」
「そうね……芽衣ちゃんにも、とうとう春がやって来たかしら?」
冗談めかしに言ってのける叶に、二人は笑った。
妹の親友が、妹以外で初めて本当の意味で気の置けない友人が出来た事に、個人としても学院長としても嬉しいものだな、と叶は感じた。
優次郎は二人を見送ると、大きく背伸びをする。
「さぁて、ボクもこれで失礼しよっかな‼ じゃあ二人とも、また明日ね!」
「えぇ、お疲れ様。ユー君」
小さく手を振って見送る叶。その横で―――――瞳は少し下を向いて黙っていた。
今回の事件で、瞳は決めたのだ。優次郎を理解すると。
それはつまり、優次郎から逃げないという事だ。
だからこそ、
「――――――待ってください」
瞳は、優次郎を呼び止めた。
「ん? 何かな?」
足を止め、きょとんとした顔で振り向く優次郎に、瞳はゆっくりと近づいた。
境子が押してくれた背中を、確実に彼へと向けて歩ませていく。もう、迷いはない。
「先生―――――――今日から、私たちと一緒に住みませんか?」
「…………へ?」
思わず間の抜けた返事を返す優次郎を、しっかりと見つめる瞳。その表情から、本気だという事がうかがえる。
「一緒にって……綾瀬川家に?」
「そうです。前に先生の研究室にお邪魔しましたけど、ベッドの一つも無かったですよね?」
「まぁ、置くスペース無かったからね」
「だったら、先生は一体どこで寝ていたんですか?」
「ソ、ソファでだけど……」
ぬっと顔を近づけて来る瞳に、思わず後ずさりしながら答える。
やっぱり姉妹なだけあって、叶さんと顔立ち似てるなぁ、なんて事を頭の片隅で考えてみれば、顔も自然と赤くなっていった。
「そんなの、腰を悪くしてしまいます。今日から私たちの家に一緒に住んでください。部屋は余っていますから困りません」
「で、でも……」
「でもじゃありません。これは決定事項です。そもそも、最初はうちに住む予定だったんですよね」
「ま、まぁ……でも、瞳ちゃんが反対したって聞いたけど……」
「……確かにあの時、私は反対しました」
でも、と言葉をつなぐ瞳の顔は、夕日と見間違える程真っ赤に染まっていた。
「都合がいいかも知れませんが、今は先生と一緒に住みたいと、心の底から思っています。お願いですから、私たちの……私のすぐ近くにいて下さい。じゃないと、私はさみしいです」
今までの瞳からは想像もつかない素直な言葉に、優次郎まで恥ずかしくなってきた。確かにソファは固いし、ものは多いし、流石に研究室は住みづらいなと思っていたし、優次郎にとっても魅力的な提案だ。だが、流石に急すぎた。
それもそうだ。元恋人とその妹、しかもどちらも美しい容姿を持った姉妹二人暮らしの家に、いきなり来いと言われても、迷ってしまう。
優次郎はせめてもの抵抗にと、叶へ視線を向けた。叶はニコニコと楽しそうに笑っている。
「諦めなさい、ユー君。今の瞳は、誰にも止められないわ。もちろん、私は大歓迎よ」
「で、でも流石に急じゃあ……」
「あら、アナタも今日、急にこの子達三人にあんな事言ったんでしょう? なら、これでおあいこよ」
それが決定打だった。
今日の事を持ち出されれば、もう優次郎に反論材料は無い。
はぁ……と諦めた様に息をつき、再度瞳へ向き直る。
「分かったよ、お言葉に甘えて……今日からよろしくね、瞳ちゃん」
「っ! …………はい!」
瞬間、優次郎の顔は今日一番の赤みを帯びた。
(こんな瞳ちゃんの笑顔、久しぶりにみたなぁ)
そのとても綺麗で愛しい笑顔に、思わず見とれた。
だが、すぐにその笑顔はかき消され、いつもの瞳の表情へ戻る。
「そうと決まれば、善は急げです。すぐに行きますよ」
「えぇ!? でも、まだ荷物整理してないし……」
「すぐに使うような荷物なんて、あの場所にあるんですか?」
「…………ないです」
「なら、行きましょう。ほら」
「わー! そんな引っ張らないでよ! 分かった! 逃げないから!」
瞳に引っ張られるように、優次郎は屋上を出ていった。一人残された叶は、未だ嬉しそうに微笑んでいる。
「全く瞳ったら……今まで不器用になってた反動かしらね」
クスクスと可笑しそうに笑う。何はともあれ、妹が成長した事は、姉として嬉しい限りだ。
笑いがおさまると、叶は身体を反転させ、フェンスに身体を預けた。もうすっかり夕方になっており、太陽も眠りにつこうとしているのが見える。
「珍しいですね。学院長がそんな風に黄昏ちゃったりしちゃってるなんて」
しばし、そんな光景をぼーっと見つめていると、後ろから声がした。
振り返れば、そこには笑顔を携えた玲央が立っている。
「お疲れ様、玲央君」
「お疲れ様です、学院長」
返答をBGMに、玲央は叶の隣まで歩み寄ると背中をフェンスへ預けた。叶もまた、夕日へと視線を戻す。
「古谷さんの容態はどう?」
「もう何ともないですよ‼ 今頃はシーナちゃんとお話ししてるんじゃないですかね?」
「そう、よかったわ……ねぇ、玲央君」
「何です?」
叶は顔だけを玲央へ向け、淡い笑みを浮かべた。
「もう仕事は終わってるんだから、敬語はいらないわ」
しばし面食らった後、すぐに笑顔を戻し、
「なら、お言葉に甘えちゃったりしようかな」
玲央は言葉を紡いだ。学院長と保健医ではなく、昔の同級生へ向けた言葉を。
「いやーしっかし、今日はお互い疲れたね‼」
「えぇ、本当に。覚悟はしてたけど、ユー君が赴任してきてから、あの子には振り回されっぱなしだわ」
「ははは‼ それ、さっき福原先生も言ってたよ!」
「福原先生にも、迷惑かけちゃったわね。後で謝っておかなくちゃ」
義信は先の事件の間、学院長不在の中で来賓客への応対などを任せていた。解決した事は通信魔術で伝えたが、まだ直接会えていない。
「先生はなーんも気にしてなかったけどね。でもまぁ、カナエちゃんの性格なら、気にしちゃったりしちゃうよね」
「当然の事よ。学生時代からだけど、先生には迷惑ばっかりかけてきたから」
「実技試験の時、勢い余って壁丸々一枚破壊しちゃった事とか?」
「…………そんな事忘れていいのに」
少し顔を赤くして、叶は玲央を睨んだ。全く迫力がないその表情に、玲央はくすりと笑った。
「なんかさ、こうしてると……昔に戻ったみたいだね」
「……そうね」
少し儚い笑顔を浮かべ、叶は再度外へと視線を戻す。
「ユー君が滅茶苦茶な事言って、それに私と彼が乗っかって一緒にバカな事して……最後の後始末は福原先生や玲央君に泣きついて、それでお詫びに学食おごって、皆で椎名さんのご飯食べて……昔は当たり前だったのにね」
「そうだねぇ……まぁ、ミナセ君の言った事が正しいって証明できるのは、僕ら位しかいなかったから」
「皆その内気付くって、そう思ってた。ユー君は本当は凄い子なんだって……まさか、あんな形で証明するとは思わなかったけど」
そんな言葉を発すれば、自然と玲央の表情も曇る。
「……僕さ、思うんだ。確かに彼がした事は許される事じゃない。狂人なんてレッテル貼られても仕方ないと思うし、擁護するつもりも毛頭ないよ。彼は可愛い後輩だけど、それとこれとは話が違う」
「えぇ……」
「でもさ、だからこそミナセ君には……今、幸せでいて欲しい」
ゆっくりと、自然に。叶は玲央の方へと向き直る。
「過去に巨大な罪を犯した人間でも、幸せになる権利はある。彼にとっての幸せが何なのかは分からないけど、せめてその欠片だけでも掴んでほしいんだ。僕もそうだったからね。毎日毎日薄汚れた戦場で、依頼を受けたからって、ただそれだけの薄っぺらい理由で自分にとって敵なのか味方なのかも分からない人間を治療し続けて……この患者は治療を終えれば、また戦場に駆り出されるってわかってても、やるしかなかった」
「アナタがその人を治療したから、その人に殺されてしまった命が増えていく……そんな事も、きっとあったのね」
「はは、数えきれない程あったよ。だから、きっと僕も罪人なんだ。人殺しの手助けをしたって意味ではね。ただ僕の場合は『戦争』ってものが僕の罪を全部引き受けてくれただけなんだ、きっと。
僕が命を救えば、その救った命がまた別の命を奪っていく。だったら、何のために自分は此処にいるのかって、分からなくなる日もあったよ」
「……大橋さんが言ってたわよ。今日の玲央君、怖かったって」
「ははは‼ ちょっと刺激が強すぎたかな!」
意地悪そうに笑う玲央に、叶は思わず目を細めた。
「でもさ、僕は今、幸せだよ。いろんな生徒に囲まれて、昔馴染みの講師やカナエちゃん、それにミナセ君とまたこうやって笑えてさ。そして、その幸せを手にできたのは……カナエちゃんがあの日、僕を誘ってくれたからなんだよね」
だから、ありがとね。
そう言って笑う玲央の笑顔が、叶には何よりもまぶしかった。
「だから、カナエちゃんが手を差し伸べたミナセ君は、きっと幸せになれると思うんだ。君には、そんな不思議な力があるって、僕は思ってる。それに……彼はカナエちゃんが、一番救いたかった人間でしょ?」
はっとした様に、叶は玲央の笑顔へその顔を向けた。
「だから大丈夫だよ、ミナセ君は。現代最高の魔術師が、本腰入れて救おうとしてるんだから。もっと自分に自信を持ちなよ。それに……」
そういうと、玲央は校舎の下へと視線を向けた。
叶もつられてそちらを見れば、瞳に腕をひかれ、慌てた様子の優次郎が顔を赤くしている光景が目に映る。
「彼を救いたいって思ってるのは、カナエちゃんだけじゃないんだしさ」
「……えぇ、そうね」
叶は思わず、笑顔をこぼした。玲央がこう言ってくれているが、まだ自分は自信が持てないでいるのは確かだ。
だが、だからと言って手をこまねいてはいられない。
もう、あの頃の私じゃない。
「今度こそ……今度こそ、ユー君を助けたい。いえ、必ず助けて見せる」
頼もしい妹と、愛しい後輩の姿を見ながら、叶は一人決心する。
(もう、大丈夫そうかな)
そんな叶の姿を見て、玲央は一人、優しく笑った。
いかがでしたでしょうか? これにて、第二章は完結となります。
大変長らくお待たせしてしまいましたが……何とかここまで来れました。
第二章で、相関図やそれぞれの想い等も少しずつですが明るくなってきましたね。今後彼らがどうなっていくのか、どうぞ楽しみにしていてください!
では、今回はこの辺で。
第三章にて、またお会いしましょう!




