第三十話 =戦場の恐怖=
「が……あ……」
和也の言葉通り、地に這いつくばった隆盛は、苦悶の声を上げた。おそらく、もう立ち上がる事は不可能だろう。彼の結界もプライドも、文字通り砕け散ったのだから。
「はぁ……はぁ……」
そして、その張本人である芽衣は息を荒くし、隆盛を見下ろすように立っていた。その目はいつもの彼女の、青く澄み渡ったそれに戻っている。
その様子を見ていた和也は、おもむろに口を開いた。
「外側からの魔術が通用しないなら、内側に魔術をためて身体能力を飛躍的に向上させ、物理的な力によって結界を破壊すればいい。それなら魔力は体内にのみ働いているから外には放出されないし、魔力の無効化は適用されない、か……。
そんな魔術があるなんて聞いたことも無かったけど、綾瀬川さん。もしかして……」
話を振られ、瞳は和也の方へ向き直り、首を縦に振る。
「えぇ。あれは芽衣だけが持っている魔術。一部の人間にしか備わっていない、生まれた時から体内に秘めているものよ」
「先天性魔術……話は聞いてたけど、実際に持ってる人に会ったのは初めてだな」
ふぅ、と和也は息をついた。
先天性魔術。別名を『固有魔術』とも言う。
約千人に一人の確率で、生まれた時から体内に宿している魔術がある。それは一般的に使用される魔術とは違い、持主その人にしか使用する事が許されていないものだ。
まさに『天からの産物』『天才の証明』とも言える代物なのだ。
「えらく自信満々にあんな事言うもんだから、どんな手を使うのかと思ってたけど、まさか『身体能力増強』なんてどえらい先天性魔術を持ってたなんてね」
「流石の辻上君も、観察しきれなかったかしら?」
意地悪く笑う瞳に、和也はバツが悪そうにそっぽを向いた。
「妙に魔術を使いたがらない人だな、とだけはね……そんな言動一切しなかったし、流石にわからないよ、そんなこと」
当の本人は、ふぅ、と一つ息をつき二人の方へ顔を向ける。
そして、満面の笑みを浮かべ、ピースサインを浮かべたのだった。
二人は一瞬目を丸くしたが、やがて瞳はやれやれと言う風に笑い、和也は親指を突き立てた。
「……っ、そうだ! 境子ちゃん! 大丈夫!?」
芽衣は慌てて、隆盛から少し離れた所で倒れている境子へ駆け寄った。
うぅ…とうなりながら、境子は顔を上げ、心配そうにこちらを覗き込む芽衣を見つめる。
「何とかね……会長さん怒らせたらああなるって良い教訓になったよ」
少しだけ笑みを浮かべ、境子は軽口をたたいた。
それが、自分は大丈夫だ、という証明だと察し、芽衣は恥ずかしそうに笑う。
「そんな軽口が叩けるのなら、大丈夫そうね。安心したわ」
声の方向を見ると、瞳と和也がこちらへ歩みよっている。
「まぁ、ね……弟たちの面倒で培った体力が、こんな所で役に立つなんて……っ」
立ち上がろうとした境子だったが、直後苦痛が遅い、崩れ落ちそうになる。
芽衣が慌てて支えたため、大事には至らなかったが。
「境子ちゃん! 無理はだめだよ!」
「はは、面目ない……それより、さ」
境子は三人の顔を一人ずつ見つめ、やがて微笑んだ。
「三人とも、本当にありがとう……助かったよ」
急に礼を言われ、三人は面食らったが、やがて芽衣が笑った。
「なーに言ってんの! 当然だよ! 同じ学校の仲間なんだから!」
「えぇ」
芽衣に同調したのは、瞳だ。
「古谷さん、貴女がどう思っているかはわからないけど、私は貴女に借りがあるの。
貴女のおかげで、私が今やるべき事が分かった……その恩を、少しでも返したかったの」
「……はは」
吹っ切れた様に微笑む瞳に、境子は思わず笑った。
どうやら瞳は、自分の想いに少しだけ素直になれている様だ。背中を押すつもりは無かったが、少しでも手助けができたのなら、嬉しいものだな、と境子は一人思う。
「辻上君も、ありがとね」
「んにゃ、俺はなーんもしなかったよ。結局魔術を使って対抗したのは二人だし。それに、面白そうなゲームだなと思ってノッただけだから。褒められる事も礼を言われる事もしてないさ」
「そんな事は無いわ」
和也の言葉を否定したのは、瞳だった。
「辻上君。貴方の考えを肯定した訳じゃないけど、今回の件で貴方の強さや、本気の想いは痛いほどわかったわ。正直、私たちだけじゃ古谷さんを助けられなかったと思う。貴方が冷静に判断してくれたおかげで、私も芽衣も怪我をせずに済んだ。
だから、私からも言わせてほしい。ありがとう、辻上君」
そう言って頭を下げる瞳に、和也は困惑した様に頭を掻いた。
「ほら、芽衣も」
「うぇっ!? う、うん……」
瞳に促され、境子を瞳に任せて芽衣は和也の前に立った。この中で一番和也に感謝しているのは、芽衣だ。
無謀ともいえる様な自分の提案に賛同してくれ、瞳を説き伏せてくれたこと。そして、自分が死なずに隆盛の結界を破れる様に提案してくれたこと。和也がいなければ、自分は瞳に言いくるめられていただろうし、仮に賛同を得ていても、命を失っていたかもしれない。
もじもじと、顔を赤くしている芽衣。両手は落ち着きなく後ろで動いており、一瞬和也と目が合うも、すぐに逸らしてしまう。
あれだけ和也に嚙みついていたのだ。今更恥ずかしいのだろう。
「……芽衣」
「わ、分かってるよ! えっと、その……辻上君」
名を呼ばれた和也。黙って芽衣の次の言葉を待った。
「その、色々いっちゃってごめんなさい。それに、私の覚悟にノるって言ってくれて、嬉しかったよ。だから…………ありがとう」
「会長……」
更に恥ずかしくなってしまい、芽衣は九十度顔をそむけた。そんな彼女に、和也は――――
「さっきも思ったんだけど、会長ってちゃんと「ごめん」とか「ありがとう」とか言えるんだね」
「なぁっ‼」
予想外の返答に、思わず芽衣は和也を見た。
和也は、ははっと小さく笑う。
「いや、あんだけ人に噛みついてきてたから、てっきり感謝とか反省の言葉を知らない人間かと思って」
「し、失礼だなぁ! 人がせっかく素直にお礼言ってるのに!
っていうか! 噛みついてきてたって何さ! 言っとくけど、感謝してるのは本当だけど、瞳っちと同じで私も辻上君の考えに賛同なんてしてないからね!」
「いや、事実だし。現に今だって噛みついてきてんじゃん」
「それは辻上君が人の気持ちを無碍にしてきたからでしょ!?」
再びわーわーと言い争いが始まった。まるで子供のような二人に、境子と瞳は思わず笑う。
「妹さんもだけど、この二人も大概だね」
「えぇ……そうね」
そんな時だった。
「おい……」
再び、彼の声が四人の耳を打った。
同時に声の方へ振り返ると、そこには
「何を……勝った気に……なっている……」
満身創痍。そんな言葉がぴったりと当てはまる程衰弱しきった隆盛が、目だけは死なずに、怒りの表情で四人を睨みつけた。
「はぁ……まだ立とうとしてくんの?」
心の底から呆れた様に、和也が呟いた言葉を、黙れと一蹴する隆盛。
「大橋に先天性魔術が備わっていたのは驚いたが……勝負はまだ付いていない。
私の魔力は……まだ残っている……」
「呆れますね、アナタには。そんなボロボロになってまで、プライドを優先するのですか?」
「もう諦めなよ。それとも、もう一発入れて欲しいの?」
「五月蠅い‼‼」
瞳と芽衣の言葉も、その叫び声でかき消した。
「私が! この楠木隆盛が! 貴様らに敗北するなど! あってはならないのだ!
今のは大橋に不意を突かれただけだ! もう貴様らに奥の手は残っていない! 綾瀬川の魔力もだ!
古谷は満身創痍! 辻上は実技はからっきし! そんな貴様らに、これ以上の手は残っていない!」
もはや彼を立たせているのは、結界魔術師としてのプライドだけだ。未熟者の半人前に負ける等許されない。あってはならないと、その思いだけが隆盛を立ち上がらせていた。
「大橋の魔術は見切った! 次に私が張る結界を、貴様らが破る術は―――――」
「いい加減にしなよ、楠木隆盛」
ゾクリ。
隆盛は背筋を凍らせ、次の言葉を発する事が出来なかった。今の声は、それだけで相手を殺せる程の強い殺気を持っていた。
そして、その声に恐怖を感じたのは、四人も同様だった。
「黒岩……先生……?」
瞳が呟く。
声の主、黒岩玲央は、いつもの微笑みを携えながら、ゆっくりと隆盛の元へ歩いていく。
え? と境子が声を漏らしたが、誰の耳にも入らなかった。
それすら聞き取れない程に、玲央が放つ殺気は凄まじいものだった。
まるで――――――『戦場』に身を置いていたあの頃の様に。
「アンタの結界は、二度も破られた。それに、フルヤちゃんも既に三人が保護した。
この意味、分かるよね? アンタは負けたんだ。生徒たちに。君の言葉を借りるなら、『半人前』にね」
いつもの玲央では無い。
この人は一体誰なのか。
そんなバカげた錯覚を起こしてしまう程、今の玲央は禍々しいオーラを放っている。
学生四人ですら冷や汗を流しているレベルだ。そのオーラを真正面から受けている隆盛の感じるそれは、比にならないものだった。
恐怖で言葉を発せず、もう先ほどまでの威勢もない。
それに加えて―――――
「っ、なっ! がぁっ……‼‼」
それは突然だった。
突然、隆盛の身体を、今までとは比べ物にならない程の激痛が襲った。
そして、それと比例して
「傷が……消えてく……」
「え?」
隆盛によって痛めつけられた境子の身体から、みるみる内に傷が消えていった。
傷だけではない。疲労も消え失せ、底をつきかけていた体力や気力も元に戻っていく。
これではまるで―――――――隆盛に境子の傷や疲労が移ったみたいではないか。
瞬間、四人は理解した。
玲央だ。玲央が境子身体から傷や疲労を抜き去り、それを隆盛へ移し替えたのだ。
そんな事が可能なのか? と聞かれれば、答えはNoだ。
だが――――――黒岩玲央がやったと言えば、十人に聞けば十人が納得するだろう。
黒岩玲央とは、そういう人間なのだ。
「ミナセ君との約束は、三人がアンタの結界を破ってフルヤちゃんを救出するまで見守る事と、傷付いた時は治療する事。その二つだけだよ。そこから先は、もう約束の範囲外だ。
何事も引き際が肝心だよ。二回目までは大目に見てあげたけど……流石に三度目は無い」
「ひぃっ!」
ひどく情けない声を上げ、隆盛は思わず後ずさった。
玲央は笑っている。いつものように。
だが、まとっているものは普段とは正反対だった。まるで―――獲物を前にした獰猛な獣の様だった。
「もし、まだ勝負を続けるなら……俺が相手になってあげる。なんならその傷全部癒して、万全の状態にしてあげても良い。
その身体に、嫌というほど教えてあげるよ……戦場で医師に逆らうと、どうなるのかを」
ガタガタと震えだす隆盛の身体は、もはや本能的なものだった。
本能が告げている。これ以上はやめろと。お前に勝ち目はないと。
「アンタ、ミナセ君に「戦いを忘れた様だ」って言ってたね。なら、アンタはどうなのかな? 本当の戦いを、戦場を、戦争を――――――殺し合いをどれだけ知ってる?」
玲央の言葉が、隆盛に重くのしかかる。
「いい機会だから、俺の口からハッキリ伝えといてあげる」
ゆっくり。されど確実に。
玲央は隆盛の恐怖に塗れた顔に近づいていく。せめての抵抗か、後ずさりしていく隆盛だったが、既に壁に背中が付いた。
逃げ場は、もうない。
そんな彼に、玲央はハッキリと告げた。
「アンタ、俺が前にいた戦場だったら……今日だけで五十回は死んでるよ」
なんなら、
「本当に――――――――――五十回死んでみる?」
そこが、限界値だった。
ガタガタと震えていた隆盛の身体が、パタリと動かなくなった。だらんと腕は垂れ、顔はがくりと下を向く。
あまりの恐怖に、気を失ってしまった様だ。
「玲央、ちゃん……」
ふり絞るように、芽衣は名を呼ぶ。
その声に呼応するかのように、玲央はゆっくりと四人の方を見据えた。びくりと、反射的に肩が震える。
そして、
「……お疲れ様、四人とも。よく頑張ったりしちゃったね」
いつもの笑顔で、玲央はそう告げた。
それを受け、四人も安堵した様に息をついた。
「そろそろ決着がついた頃かしら」
待ちぼうけの叶がぼそっと呟く。
現在、二人は玲奈を追い払い、木陰で座って休んでいた。優次郎は退屈そうに木に寄りかかっている。
「そうですね~。魔力の気配も消えたし、終わったんじゃないですか?」
欠伸をしながら答える優次郎。全く緊張感が無いその態度に、叶は思わず笑った。
「ユー君って、相変わらず嘘が下手ね」
「……どういう意味です?」
何となくムッとした表情で叶を睨んだ。
だが、叶は臆することなく答える。
「本当は、自分があの子たちに付いてあげたかったんでしょう?」
しばしの沈黙が訪れる。
じっと見つめあう二人。先に逸らしたのは――――――
「……ボクは、玲央先輩を信用してます」
優次郎だった。
「それでも、よ。確かにユー君の言う事は分かるわ。取締委員会に入るのなら、これくらいの事件は今のうちから経験しておかないといけないって。
でも、アナタは行きたかったんでしょう? それで玲奈ちゃんが来るとわかっていても、あの子たちに付いてあげたかったんでしょう? 顔に書いてあるもの。『本当は自分が行きたかった』って」
「仮にそうだとして、なんでそう言い切れるんですか?」
最後の抵抗にも、叶は笑顔で答えた。
「伊達にユー君の恋人だったわけじゃないわ。アナタの性格は、誰よりも知ってると自負してる。
ユー君、アナタ本当は……」
「そこから先は、言っちゃだめですよ叶さん」
叶の言葉を遮るように、優次郎は口を開く。
「言葉にしてしまったら、もう後には引けない。分かってるでしょう?」
「……えぇ、そうね」
叶は笑う。悲しそうに。虚しそうに。
「あっ」
その横に、優次郎は声を上げた。
何事かと彼を見れば、その目は既に校舎の方へ向いていた。
パァっと笑顔を咲かせた彼の視線の先を見て、叶も自然と笑顔を浮かべた。
「終わったみたいですね、本当に」
「えぇ……本当に、無事でよかったわ」
こちらに手を振る玲央に。
満面の笑みでピースサインを作る芽衣に。
いつもの表情の和也に。
微笑みを携えた瞳に。
そして――――――――――いつもの勝気な笑顔を浮かべる境子に。
優次郎は大きく、そして叶は小さく優雅に手を振り返した。




