第二十六話 =空間切離結界=
大変お待たせいたしました。
第二十六話です。よろしくお願いします。
旧校舎内は、思いの外静寂に包まれていた。
現在、引率の玲央を含む生徒たち三人は、旧校舎二階に辿りついていた。だが、ここまで敵の影は無し。それどころか、気配すらも感じられない。
「旧校舎なんて初めて入ったけど…………なるほど、こんな所で謹慎くらっちゃ堪らないね」
そんな事を言ったのは和也だ。
木造建築の内部は荒れ果て、まるでお化け屋敷の様である。今では生徒達専用の懲罰房なんておどろおどろしい施設になっているが、確かに此処で数日も監禁されると思うとゾッとする。
「私と瞳っちは生徒会入る時に連れて来てもらって以来だけど、あの時より荒れてるんじゃない?」
「差し詰め、謹慎を命じられた生徒たちが暴れたんでしょうね。警備の方々から聞いた事あるわ、そういう生徒もいるって」
少し離れて歩く玲央は、そんな三人の会話を黙って聞いていた。
先ほどの優次郎と隆盛の会話を見た限り、立てこもっているのは四階だ。
彼は言っていた。「来れるものなら来い」と。その口ぶりからして、恐らく敵がいるだろうと覚悟していたのだが、実際に入ってみればこの有様だ。
二階に上がった時も気を引き締めて廊下に出たが、やはり人の気配は感じられなかった。
それで、少し拍子抜けして気が楽になったので、こうして会話する余裕が生まれたのだろうと、玲央は推測した。
(でも敵地にいる今の状況じゃ、これは明らかにおかしかったりしちゃうよね…………)
辺りを見渡して、玲央は思う。旧校舎に入った時からあった違和感。それがこの静寂だけでは無い事に、彼だけが感づいていたのだ。
それだけでは無い。隆盛の目論見も、彼がどんな手を打って来るかも、玲央には大体の推測が出来上がっている。
だが、口には出さない。優次郎も言っていたが、彼はあくまで「保険」であり、「引率」でしかない。彼の今の仕事は事件の解決では無いのだ。それもそうだろう。玲央は教師なのだから。
一から十まで答えを教えていても、今彼の前を歩いている三人の成長には繋がらない。彼女らが自分達で気づき、自分達で打開策を練り、自分達で解決しなければ意味が無いのだ。
玲央は分かっているのだ。
自分が、今は一教師――――――さらに言えば、一保険医でしか無い事に。
もう、「戦場専門治癒魔術師」では無い事に。
「――――――――――ねぇ」
そんな中、一人の生徒が声を上げた。
玲央がそちらを見れば、辺りをじっくりと一瞥し、怪訝な表情を浮かべた声の主、瞳の姿が目に映る。
「どしたの? 瞳っち」
首を傾げ、芽衣が問う。
答える前に、瞳は一つの教室へ近づいていき、その中を見つめた。
「この教室…………さっきも見たわ」
ほんの少し、目を細めたのは玲央。そして和也だった。
芽衣は「え?」と声を出し、教室から離れない瞳に並んだ。
「あそこの椅子…………一つだけ窓に引っ付いてるでしょう? それに黒板に、引っかいた様な傷跡がある…………あの椅子もあの傷も、さっき一階を見ていた時にあったの。傷の形も椅子の場所も正確に記憶しているし、間違いないわ」
「でも、廊下の感じはさっきと違うよ? それに、私たちが上がって来た階段だって…………ほら」
芽衣がそう言って、今歩いた道を指さした。
そこには、確かに自分たちが今上って来た階段がある。
「ここは確かに二階で間違いないよ? でも、今の瞳っちの話が本当なら、この教室だけ二階に上がって来たってこと?」
「まさか…………」
芽衣の言葉の後に続いたのは、先ほどから何かを考えていた和也だった。
「…………空間切離結界」
瞳、芽衣、和也の三人が振り返る。
空間切離結界。その単語を発したのは玲央だった。
玲央は三人と一定の距離を保ちつつ、いつもの笑顔で立っている。
「多分、原因はそれだったりしちゃうだろうね」
「空間切離結界…………空間を自在に切り取り、それを別の空間に貼り付けてしまう、結界魔術の中でも最高難易度を誇るものですね」
瞳の言葉に、玲央は頷く。
「うん、その通りだよ。恐らく、リアルタイムで楠木先生が空間を切り貼りしちゃったりしてるんだろうね。結界魔術のスペシャリストの楠木先生なら空間切離結界も行使可能だろうし、それにあの人はここの結界魔術をずっと担当してたから、施設の構造も手に取る様に分かるだろうから」
おそらく。隆盛は他にも、様々な手を用意していたに違いない。
結界魔術の中には、人が通れば自動的に結界が分離し、それが刃となって対象者に襲い掛かる様な攻撃的なものもある。空間切離結界の様な手間もかからないし、その方が断然良い筈だ。
それを行使せず、敢えて空間切離結界を張ったのは、恐らく玲央の存在が大きい。
隆盛はプライドは高い。だがそれは、あくまで自分の専門、結界魔術に関してのみ特化している。専門外である治癒魔術に関していえば、隆盛は玲央をこの上なく評価していると言っていい。
治癒魔術の範囲、大きさ、そして行使までのスピード。
どれをとっても超一流の腕を持っていると感じている。だからこそ、そんな玲央がいる中で攻撃結界を張らなかったのだ。
結界と言うのは、空間と密接な関わりを持つ。そして、この旧校舎の構造を熟知している隆盛は、玲央を含め誰よりも空間を支配していると言っていいだろう。
だからこそ、この空間切離結界の行使した。
なるほど、講師をやっているだけはあり、それなりに戦い方は知っている様だと、玲央は一人思う。
全体では無く一部を切り貼りする手段を選んだのは、この結界に気づくのを遅らせるためだと取れるが……これは玲央自身にも言える事だが、些か『現代の天才』を侮っていたかもしれない。
流石は綾瀬川叶の妹、と言った所か。
「でも、じゃあどうするの? 空間切離結界の概要までは楠木先生の授業で習ってるけど、その打開策までは習ってないし…………うーん」
芽衣はうねった。口には出さないだけで、瞳と和也も同じく悩まされているのが分かる。
空間切離結界は、魔術の中でもかなり専門的な分野に属する。個人的なレッスンであればまだしも、様々な夢や目的を持つ生徒達が集まる「講義」と言う場で説明する事は無いだろう。
第一、あの楠木隆盛がそう安々と結界魔術の粋を他人に教えるとは思えない。
ならば。
これは完全な手詰まりだ。まだまだ学習途上の三人に、この魔術を打開する策は浮かばないだろう。浮かんだとしても、完璧なものが生まれるとは思えない。
だからと言って、このまま先に進んだとしても、歩くたびに空間を歪められたのでは、辿りつく前に疲労が溜まり、そこを隆盛に狙われて殺されるのがオチだ。
「…………空間そのものが歪んでいるんだとしても」
そう感じた玲央は、少しばかり助言をする事にした。
彼には見えている。この結界を打破し、隆盛の元まで辿りつく術が。
「あくまでも、それは人の手が加えられたものに過ぎないよ」
「えっ……」
声を漏らしたのは芽衣だ。
何が言いたいんだろう、と感じているのがその声色から分かる。玲央は彼女と視線を合わせ、ニコリと笑った。
「つまり、どれだけ高位の魔術を使ったとしても、人間が手を加えている以上自然的なものには敵わないって事だよ。
それと―――――――あまり打破に拘らない方が良かったりしちゃんじゃない?」
「人間が手を加えている…………打破に拘らない…………」
そう繰り返すのは瞳だった。
「つまり…………どれだけ壊そうとしても、今の技術では到底無理。ならば、壊さずにそのまま結界を進めばいい…………と言う事ですか?」
「でも、そんな事…………」
瞳の言葉に芽衣が反論しようとした時だった。
「いやー―――――――可能かもしれない」
そんな声を上げたのは、それまで口を挟まなかった和也だった。
三人が、一斉に彼を見る。
その目には、確信めいた何かが見えた。
■ □ ■ □
その頃。二人だけになった優次郎と叶は、木陰で並んで座り、待ちぼうけをくらっていた。
「今頃どの辺かなぁー皆…………」
呑気にもそんな言葉を吐いたのは、優次郎だった。
木に寄りかかり旧校舎を見つめるその目は、正に退屈を絵に描いたものだ。
そのすぐ隣で、叶は優次郎を見つめる。
「玲央君も付いてる事だから、今頃は相手の狙いが分かった頃じゃないかしら?」
「ですかねー。楠木先生も本当に好きだよなー結界魔術。
こんな――――――――――空間切離結界まで使っちゃうなんて」
そう、優次郎も気づいていたのだ。隆盛が空間切離結界を張っている事に。
今までもそうだった様に、優次郎の魔術に対するアンテナは凄まじい。どんな魔術も魔力も、かすかな魔術痕ですら読み取ってしまう。
そんな彼が現場のすぐそばにいるのだ。気づかない訳も無い。
そしてそれは、隣の叶にも言える事だ。
「空間切離結界の打開策は三つ。一つ目は魔力を辿って中心部を特定し、その根源を直接破壊する事。二つ目は魔力の中心部を特定できなかった場合。一つ一つの空間を破壊していく消去法。そしてもう一つは――――――――――」
「『壊さず、ただただ結界に従って歩く』ですね」
それは一見、何の策にもなっていない様にも見える。相手の構築した世界を、ただ歩くだけなのだから、そうとられても仕方は無いだろう。
しかし、だ。
確かにその中に、最強クラスの結界を破る術があるのだ。それは優次郎も叶も分かっているし、今生徒たちと一緒にいる玲央も感づいている筈だから、最悪の事態は免れるだろう。
「まぁユー君の場合、『結界を構築する魔力を操って、逆に相手を術中にはめる』なんて事も平気で出来そうだけど」
「可能ですね」
即答。
「でも面倒だし、時間もかかる事は間違いありませんよ。それに操るにしたって、力の中心部をしっかり特定する必要がありますし、結局は一つ目の打開策とほぼほぼ変わりません」
まぁ、と続ける優次郎。
「操っていたつもりが、逆に操られる…………その時の相手の絶望しきった顔は、結構好きな部類ですけどね」
優次郎はそう言い、嗤った。
それを見て叶は思う。何故、優次郎はこうなってしまったのかと。
思い返されるのは、学生時代。当時の彼に、その兆しはあっただろうか。答えを言うならば『分からない』だ。
前に自分が、彼女に言った言葉を思い出す。
水瀬優次郎は、誰にも操る事が出来ない。
彼の思考回路など、結局は分からないのだ。他人の事を他人が理解するのは非常に難しいとか、そんな有り触れた言葉とは違う。
他の者ならば、完璧な理解は出来ずとも察する事は出来る。だが優次郎の場合は、完全なる闇で覆われている。長い付き合いの叶でも、やはり優次郎を完全につかむ事は出来ないのだ。
分かる事と言えば――――――――――――。
「…………それよりユー君。アナタに言いたい事があるの」
「? 何ですか?」
先ほどまでの狂った嗤い顔はどこへやら、今度は目を丸くして首を傾げた。
そんな彼をしばし見つめ、叶は口を開く。
「……………そのチョーカー、もう必要ないわね」
優次郎の首に付けられている、自作の魔力封じ効果を持つチョーカーを指さす叶。
「えっ、それって…………取っちゃっていいって事ですか?」
「えぇ。もう殆ど二ヶ月経ってるし、あの日から今までのユー君を見る限り、あんなバカな事はもうしそうに無いしね。それに…………
付けていた所で、結局は無意味みたいだし」
それを聞き、優次郎は少しばかり目を細めた。
「どうして、そう思うんです?」
「ユー君、私だってそこまで馬鹿じゃないわ。アナタ、魔術を使ったわよね? そのチョーカーに関係なく………………魔術を使って、楠木隆盛から椎名さん達を助けたのでしょう?」
それは、言われれば誰にだって察しが付く事だ。
魔力を封じられ、魔術を行使出来ない優次郎が、結界魔術を破れる訳がない。そして、彼は魔力が関与しているものであれば、いかなる魔力をも操る事が出来る。
これは叶の推測であり、優次郎を問いただしたところで答えない事だ。
魔力封じのチョーカーとは言っても、結局その効果は魔術によって付与させたものであり、魔力は彼の体内から放出できない、という事に過ぎない。
おそらく彼は、体内の魔力でチョーカーに付与されていた魔力を乗っ取ったのだ。最初からそうしなかった理由は、する必要が無かったから。
だがあの場合は違う。あれは楠木隆盛、そして天ヶ崎玲奈からの明らかな宣戦布告。
優次郎は自身への殺意に非常に敏感であり、その殺意を向けた相手を徹底的に追い求める。言い換えるならば、「売られた喧嘩は買うタイプ」の人間だ。
きっと優次郎は気づいていたのだ。あの時、あの結界の主が隆盛と玲奈によるもので、そしてそもそもの狙いが自分であった事に。だからこそ、チョーカーを無効化してその喧嘩を買った。あくまで推測だが、概ねそんな所だろう。
「あっはは‼ 流石は叶さんだな‼︎ でも馬鹿にしてたわけじゃないですよ? ただ、あれからしーちゃんの容態を確認してたし、それですぐ次の日にはこれだしで、そこまで考えてはいないと思ってたんです。それに叶さんの言う通り、どの道あと数日もすればチョーカーは外れてたわけですから、もう良いかなーって思ってたんですよ」
呆気らかんとした笑みを浮かべ、優次郎は言った。
叶もそれに呆れ気味なため息を吐き、彼の首へと手を伸ばす。
「人が頑張って作ったものをこうもあっさり解かれちゃ、流石に私もショックだわ。ほら、外してあげるから動かないでね」
そう言って、叶は優次郎の首の後ろに手を掛け、解除の魔術を施し始めた。
必然的に叶と優次郎の顔が近くなり、優次郎は叶のその端正な顔をじっと見つめている。
「何? 私の顔に何かついてる?」
「いえ、そう言うわけじゃないですよ? ただ…………」
叶の問いに、優次郎はニコリと笑って答える。
「やっぱり、叶さんって美人ですよね。それに良い匂いだし。学生時代もそうだったけど、やっぱモテるでしょ?」
突然の言葉に、目をパチクリさせる叶だったが、やがて深い息をつく。
「急に何を言い出すかと思えば…………言い寄って来る男性なんて一人もいないわ」
「まったまたー‼ 叶さんが言っても、説得力の欠片も無いですよ?」
「本当よ。大体今は彼氏もいないし」
「? そうなんですか?」
意外だなぁ、と呟く優次郎。叶はその顔をじっと見つめていた。
「嘘言っても仕方ないでしょ? 本当よ、今は好きな人もいないし。それに―――――――」
そう言う叶の頬に、ほんのりと赤みが帯びていたのを優次郎は見逃さなかった。
「好きになった人も付き合った人も、ユー君…………アナタ一人だけよ」
叶のその顔をしばし、無表情に近い表情で見つめる優次郎。
だが、すぐにそれはいつもの笑みへと変わっていった。
「それは光栄だなぁ。そっかぁ、ボクが叶さんの唯一かぁ…………えへへ、何か嬉しいな」
そう言って照れた様に笑う優次郎の頬にも、やはり赤いものが見える。
くすり。満足そうに叶は微笑んだ。
「まぁ、あんな事しでかしてその愛を思いっきり裏切ってくれたのもユー君だけだけどね……ほら、取れたわよ」
皮肉を込めた叶の言葉に、優次郎は苦笑して首元を撫でた。
確かにチョーカーは外れているし、魔力が押し込められている感覚も無くなっている。
「ありがとうございます、叶さん」
「良いわ。それより―――――――もう魔術は出せるんだから、しっかりね」
「えぇ―――――――そうですね」
そう言って、二人は目の前に視線を向ける。
感じ取れるのは、殺気。そしてその殺気は、二人にも覚えがある。
そして目の前には、二人の想像通り――――――もう一人の狂人姿があった。
「ヤッホー‼ 来たよ、優ちゃん‼ ………………ついでに叶ちゃんも」
ニコニコと無邪気な笑みを携えた狂人、天ヶ崎玲奈がそう言った。
前回の投稿から気が付けば四ヶ月近く空いてしまいました…………度々お待たせして、本当に申し訳ありません。
と言うわけで、第二十六話です。
隆盛のプライドは、『魔術師としてのプライド』と言うより『結界魔術専門家としてのプライド』です。今まで優次郎への憎悪が深すぎて周りが見えていなかった感がありましたが、ここに来て玲央の実力を認め、恐れ、今回の策に興じました。そう言った面では、普通にしていれば良い人なのかもしれませんね。まぁ講師としてはアレかもですが…………。
そして優次郎・叶ペアの方でも動きがありましたね。しかも衝撃の事実発覚…………叶と優次郎のカップルとか何それ怖い。喧嘩売る=死を意味しますよこれ。
余談ですが、飲み回での最後の二人のやり取りは、この伏線のつもりです。分かりにかったかな……。
そしてそんなイチャイチャタイムに玲奈襲来…………二章も佳境に入ってきましたね。
今回のこの対決が、どういった結末を迎えるのか。後五話あるか無いかくらいで収まるかなと思ってますので、また是非ご覧ください。
では、今回はこの辺で。また次回もよろしくお願いします。




