第二十三話 =天才の涙と凡才の決意=
第二十三話です。よろしくお願いします。
日はすっかり沈んでいき、空は星たちが命を燃やしている。その中で一際目立っているのは、やはり大きな大きな満月だろうか。
月は古くから、鏡に例えられる事も多かったと聞く。だが、今の自分の心は、こんなに燦燦としていない。苛立ちを主成分とする陰の気持ちでいっぱいだ。
しかしそう言った意味では、なるほど月は鏡なのだろう。自分の姿を真逆に映すあべこべで分かりずらい鏡だが。
医務室の前、窓に上体を預けて空を見上げる優次郎は、ふとそんな事を考える。
考えたところで何かあるわけでも、ましてや答えを求めているわけでも無い。ただ、感じただけ。それだけだ。
屋上と並んで、これも優次郎の癖だ。
いつだったか教え子の1人に、よく自分の世界にトリップして周りが見えなくなるんだね、なんて言った事があった様に思うが、彼も人の事を言えた義理では無い。
そして彼も、自分の世界から現実へと引き戻す声によって目覚めた。
「ユー君」
たった一言。されど安心感を覚える言葉。そんな言霊の持ち主は、彼にとって1人しかいない。
そちらを見れば、やはり予想道理の見知った顔があった。優次郎はニコリと笑う。
「やぁ、叶さん。随分疲れてるみたいだね、大丈夫?」
自分の前に佇んでいた叶に、優次郎は言う。その言葉通りと言うべきか、話しかければいつも浮かべてくれる柔和な微笑はなりを潜めており、今は真剣かつ神妙な面持ちだった。走ってきたのか少し息が上がっており、肩が規則正しく上下していて、額にはうっすらと汗をかいていた。
「椎名さんは?」
優次郎の言葉には答えず、彼女は用件を伝えた。
らしくない。叶が優次郎に対して、こんな態度を取るなど珍しい。
だが、それも当然だ。学会の途中で、叶の元に届いた通知は、玲央からのものだった。
「天ヶ崎玲奈及び楠木隆盛によって学院が襲撃を受けたが、優次郎が撃退」
「しかし食堂従業員の三木椎名が重傷を負い、更に生徒である古谷境子が連れていかれてしまった」
おおまかな内容は、この二つだ。そしてこれは、叶を即座に学院に向かわせるには十分すぎるものだった。椎名は大切な友人の1人だし、境子も面識はあまり無いとはいえ、自身が責任を持つ学院の生徒である事に変わりはない。その2人が狙われたのだ。焦るのも無理は無い。いかに天才と言えど、距離と時間はどうにもならないのだ。
優次郎はその滅多に見られない表情をしばし見つめると、医務室の扉へと目をむけた。
「今、玲央先輩が治療してくれています。それから連絡は無いので、まだ何とも」
「そう……古谷さんは?」
「聞いた通り、玲奈に連れていかれました。ただ、境子ちゃんを殺す意思は無いみたいでしたから、今はまだ安全だと思いますよ。少なくともしーちゃんよりは」
優次郎の報告を受け、もう一度「そう」、と呟く。
その表情は、どことなく暗い。
本当に、らしくないな。優次郎はそう思い、その顔をじっと見つめた。
それに気づいたのか、叶が言葉を漏らし始めた。
「ねぇ、ユー君」
「何ですか?」
「間違えたのね、私は」
それは「天才」である叶にとって、初めての言葉だ。初めての――――。
優次郎は黙ったまま、その言葉を受け入れる。
「私たちだけの問題にしたのは、間違いだったのよ……よく考えれば分かる事だったわ。アナタの講義は人気だし、アナタの講義を受けている生徒が狙われるかもしれないなんて事は。
でも……私は甘く見ていたのかもしれない。玲奈ちゃんの事だから、私たちの様にユー君との付き合いが長い人間をターゲットにするだろうって、勝手に憶測してたの。
でも、それが間違いだったのね…………玲奈ちゃんに気を取られ過ぎて、楠木先生が狙うであろう人物なんて考えようともしなかった」
冷たい廊下に、温かい雫がぽたりと落ちるのが、優次郎の目に映った。
「私たちはある程度の経験も積んでいるし、まだ対処できる。でも、もし生徒が狙われたら……十分な対処は出来ない。だからこそ、生徒たちが狙われる可能性だって十分にあり得る。
そんな目の前に転がっていた簡単で稚拙な答えを、私は見落とした。遠くを見過ぎて躓いた。私の責任だわ。私は…………いつも遅すぎる」
思わず、優次郎は目を剥いた。
走ってきた疲れとは別に、叶の身体が再び震えだす。それが何を意味するのかは、流石に優次郎にも分かる。本当に――――――――姉妹そろって真面目過ぎる。
「叶さん」
「え――――っ」
一言の後、叶はゆっくりと目を見開く。
頭にふわりと降り立った、温かい感触の不意打ちを食らったから。
そう――――とても温かく、優しい感触。
その正体を見れば、目の前に立つ後輩の右手だった。彼は相変わらず、ニコニコと笑っている。
「ユー……君?」
涙目になってこちらを見つめる叶に、優次郎は。
「お疲れ様です、叶さん」
一言。たった一言、そう零した。
「1人でよく頑張りましたね」
限界だった。全てが。
叶は吸い寄せられる様に優次郎の胸にトン、と額を押し付ける。
彼が自分に放った言葉は、労いの言葉だった。間違えた自分を責めるわけでも、それを自分に分けろと言う訳でもない。ただ、自分を労い、称えてくれた。
それが、叶にとって救いだった。責められても受け入れようと思っていた。自分に分けてほしいと言われても、きっとそれはそれで嬉しかっただろう。
でも、それよりも。今の彼の言葉は叶の身に染みわたっていった。
叶は静かに泣いた。優次郎の胸で。
優次郎は静かに笑った。叶を優しく包み、頭を撫でながら。
そして―――――――玲央がそれを気まずそうに見ていた。
「ん? あぁ、玲央先輩」
「あっはは……いやーどうもー……」
「っ! れ、玲央君!?」
優次郎が玲央に気づき、声を掛けた。
玲央は苦笑を添えて、それに答えた。
叶は勢いよく飛びのき、頬を染めた。
「何ていうか……うん、やっぱりなんでもないや」
「? どしたの?」
「いやー何かデジャヴを感じちゃったりしちゃったもんでさ」
優次郎は首を傾げたが、おそらく雪菜と瞳の抱擁シーンを目の当たりにした時の事だろう。
やっぱり姉妹だな、なんて考える玲央の前で、叶はゴホンと一つ咳をつく。
「それで玲央君、椎名さんはどうなったの?」
そういう所も、やっぱり姉妹だな。玲央はそう思いながら、優しく笑んだ。
「もう大丈夫だったりしちゃいますよ、学院長。とりあえず百聞は一見に如かずって事で、中に入っちゃったりしちゃって下さい。ほら、ミナセ君も」
玲央に手招きされ、2人は医務室へと入る。
その奥の右側に設置されているベッドの前につけば、安らかな顔で眠っている椎名が目に映った。あれだけ酷かった外傷が、嘘のように綺麗さっぱり無くなっている。
いくら治癒魔術師とはいえ、普通傷口ぐらいは残っているものだし、しかもあれだけの量の傷を治すとなれば、魔力もかなり必要な筈なのだが……改めて、伝説と呼ばれる治癒魔術師の技術を実感した。
「見ての通り外傷も無くなったし、そもそも傷ついてたのは身体だけだったりしちゃってたしね。臓器へのダメージは殆ど無かったし、幸いな事に心臓も無事だったしね。
魔力を司る器官も傷は無かったりしちゃったし、これなら後遺症の心配も無いよ」
「良かった……」
胸をなでおろし、叶は微笑んだ。
その顔を見て、玲央も安心したように笑う。
しかし優次郎は、じっとベッドで眠る椎名を見つめていた。
外傷しか無かった。臓器や魔力器官へのダメージは無かった。
その言葉が引っ掛かったのだ。
確かに椎名の傷は大量にあったものの、そこまで深くは無かった。だが、果たしてそんな事が有り得るだろうか?
偶然にしては出来過ぎている。隆盛は結界魔術に特化した魔術師だが、講師と言う職に就いている以上、いざと言う時の違法魔術師への対処法も心得ていた筈だ。
彼なら、椎名の心臓や魔力器官を狙う事が出来ても不思議では無かった。
だが蓋を開けてみれば、目立ったのは大量の外傷と出血のみ。
おそらく――――――。
優次郎の脳裏に一つの考えがよぎった。
そしてそれは玲央も、叶も行き着いているであろう事も、優次郎は理解する。
「まぁ、流石はシーナちゃんと言った所かな、これは。腕はなまって無かったりしちゃうね」
「えぇ、本当に……流石と言うしかないわね」
「あ、やっぱり2人も気づいてます?」
優次郎の言葉に、2人は当然と言う様に首を縦に振った。
「しかしまぁ、これでとりあえず一つ目の問題は解決かな。あくまで『とりあえず』だけどね」
「そうね。後は椎名さんが目覚めるのを待つしかないわ」
玲央の言葉に、叶も賛同する。
「だったら……次の問題に移行しないとね」
そして、優次郎が3人の心中を代弁する。
「玲奈ちゃんに楠木先生か……アマちゃんは十中八九傍観を決め込んじゃったりしちゃうだろうけど。まぁ―――――」
「ユー君が前に出なければ、の話だけどね」
玲央の言葉を、叶がつないだ。
玲奈は自分から動こうとしないタイプの人間だ。使えると思った人間を自分の玩具にしてしまい、それを使って優次郎と戯れる。それが天ヶ崎玲奈と言う狂人の、主な行動スタイル。
だが、当の優次郎が前に出て来たとなれば話は別だ。
優次郎の事だ。隆盛と再び対峙すれば、またあの狂った姿を曝け出すだろう。惜しみなく、盛大に。
そうなれば玲奈は必ず出て来る。優次郎を殺すために。
今の優先事項は、あくまでも境子の救出。そして隆盛の捕縛と、正当な裁きを加える事。
そこに玲奈が出てきてしまっては、更にややこしい事になってしまう。もし、境子が優次郎と本格的に付き合いのある大事な生徒の1人だと彼女が知ってしまえば、境子を殺して優次郎を狂わせようなんてことも、玲奈は平気でやるだろう。
あの日の飲み会で玲央が言った様に、優次郎に関してのみならば、玲奈は優次郎をも凌ぐ過激派だ。その可能性は多大にある。
それだけは、何としても避けなければならない。
すなわち――――――
「今、ユー君を玲奈ちゃんの前に出すわけにはいかないわ」
「ボクも同感ですね。ボクが楠木先生の前に出たら、本当にあの人を殺しちゃいますもん」
それは正当な裁きでは無い。死では無く、人によって作られた不完全な法で彼を裁かなければ意味がない。殺害が正当な裁きだと言うのなら、今まで積み上げて来たものが一瞬にして崩されてしまう。
「でも、大丈夫ですよ。ボクに考えがあります」
「へぇ……聞いても良いかな? ミナセ君」
玲央の問いに、優次郎は笑った。
「簡単な話ですよ、ボクが前に出なければ良いだけなら、前に出なければ良い。だからボクは、今回の事には裏方に徹しますよ。
そして―――――――――楠木先生を相手取るのに、適任な人材を知っています」
その言葉に、玲央はくすりと笑い、叶は少し心配そうな視線を向けて来た。
2人にも分かっているのだ。優次郎が次に口にする作戦が。
だからこそ思う。
本当に――――――――この青年は面白く、そして危なっかしいと。
■ □ ■ □
時を同じくした某所。
楠木隆盛は激しく動揺し、そして苛立っていた。
「くそ! クソ‼‼ まただ……またアイツが邪魔をしやがった‼‼」
講師として教壇に立っていた彼からは想像も出来ない汚い言葉が飛び出す。
彼は勝てていたのだ。水瀬優次郎に。自分の結界魔術が完璧であると、証明できていたのだ。
だが――――――結果は真逆。
優次郎は結界など無かったかのように、隆盛の前に現れた。
「何故だ……何故あの完璧な結界が破られた? 天ヶ崎の結界も折り重なったあの結界を……何故だ……何故だ………何故だ何故だ何故だ‼‼‼」
頭を掻きむしる隆盛。
その時。
「あーもう煩いな……全然寝れないじゃん、静かにしてよ」
彼と同じく、しかしベクトルの違う苛立った声が、隆盛の耳に届いた。
かきむしる手を止め、隆盛がそちらを見る。そこにいたのは、不満を隠そうともせずに顔を顰めていた玲奈だった。
「大体、その考え自体が甘いんだよね、キミ。もう間違えまくりで、バカだなぁとか間抜けだなぁとか通り越して、もう呆れちゃうよ」
「何だと……?」
イライラ。イライライラ。イライライライラ。
隆盛に更なる苛立ちが積み重なった。
「そもそも前提が間違ってるんだよね。キミのあの結界、本当に優ちゃんが壊したと思ってるの?」
隆盛は目を見開く。
この女は、今なんと言った? 自分のあの結界を壊したのは……水瀬優次郎ではないと言うのか?
「どういう……意味だ?」
それを素直に声に出せば、玲奈はため息を吐いた。
「あーもう、本当に間抜けだね……そんなどうしようもないキミに、優しいレイちゃんが教えてあげるよ。
まず、優ちゃんが壊したのはキミの結界じゃない。私が張った魔力無効化結界の方だよ。
キミの結界は、優ちゃんが手を下すまでも無く破られてたってわけ」
「ふざけるな!」
隆盛は叫ぶ。
「だったら誰が破ったと言うのだ‼ あの結界は完璧だ‼ 敗れるものなど―――――」
言い終わる前に、本格的に苛立ってきた玲奈は舌打ちをして答えた。
「そんなの決まってるでしょ? キミの結界を壊したのは―――――――シーナちゃんだよ」
「!?」
意味が分からなかった。
あの結界を。自分の長年の研究と鍛錬の集合体である技術を打ち破ったのが……三木椎名だと言うのだ。
「何を……言っている……」
「何をって、事実だよ。キミが攻撃を加える瞬間、シーナちゃんも魔術を発動してたじゃん。それはキミでも分かったでしょ?
キミはそれを相殺魔術だと思い込んでるみたいだけど…………違うよ。シーナちゃんが魔術を打ったのは、キミに対してじゃない。キミの結界魔術に対してだったんだよ。
シーナちゃんは最初からキミを見ていなかった。見ていたのは結界の方。
キミの結界は一夜城みたいなものだったんだ。外からは確かに目くらましにはなるけど、内側からの衝撃にはめっぽう弱い。
シーナちゃんはそこに気づいて、心臓や魔力器官の必要最低限の身体の部分だけを守る様にして、他の全魔術を結界の壁に当てたの。そしてそれで、キミの結界は砕けたってわけ」
言葉も出なかった。
確かに玲奈が今言った通り、あの魔術は優次郎とのゲームに勝利するために考案した節がある。
だからこそ、優次郎が迫って来るであろう外側部分に大部分の魔力を注ぎ込み、内側には魔力の供給は少なくしていた。
椎名がそれを狙うとも気づかずに。
「キミって本当に間抜け。よくそれで講師なんて出来たね。
最初っから、キミと優ちゃんは勝負にすらなって無かったんだよ。キミは優ちゃんに負けたんじゃない」
そこで区切り、玲奈は笑った―――――――最大限の嘲笑を。
「優ちゃんにとって、キミはコロシアイをしてくれる玩具にしか過ぎなかった。キミは――――――獲物だと思っていたシーナちゃんに負けたんだよ」
がくり。
力だ抜け、その場に膝をつく隆盛。何て事だ。自分は最初から、ただの間抜けなライオンだったのだ。弱点をさらけ出し、目の前のウサギに食われていたのだ。
椎名が隆盛が魔術を放つタイミングで結界を攻撃したのは、おそらく相殺魔術だと思わせる事の他に、その時に発生する音で結界魔術が破壊された音をかき消すためだと、今なら想像出来る。しかも自分の身を守りながら。あえて身体を傷つけられる事で、自分を勝った気にさせるために。
向こうには、あの黒岩玲央もいる。重傷を負っても、急所が無事なら治してもらえるだろうと踏んで。
「あ、あ……あぁぁぁあああああぁぁぁぁあアアアアあああ‼」
慟哭する隆盛を横目に、玲奈はうるさいなぁと呟いた。
「まぁ、これでキミも、自分がどれだけ間抜けな存在なのか分かったでしょ?
もう本当に眠いから静かにしてよね、じゃ」
そう言って、玲奈はそこから姿を消した。
しばらく叫んでいた隆盛は、不意に言葉を止める。
「許さん……許さんぞ……この私を散々コケにしやがって……」
そう言って、隆盛は視線を上げる。
そこにいたのは―――――――両手を魔術によって後ろで縛られ、眠っている境子。
「今度こそ……最強の魔術結界を以てして、アイツ等を迎え撃ってやる……私が……私こそがナンバーワンなのだ……」
誰も聞いていない部屋で、隆盛は静かに言い放った。
しーちゃん強い(確信)
そんな感じの二十三話でした。
玲奈も何だかんだ言って教えてあげる辺り、優しいですね。うん優しいです。本当は優しい子なんです(白目)
叶さんも思わず弱音を吐いてしまっていましたが、彼女も人間ですからね。天才と言っても魔術特化型ですし、考え違いもあるでしょう。そんな人間味も出したいと思い、こういったエピソードを盛り込んでみました。無能とか言わないでくださいね(威圧)。
叶さんは察しは良いんですけど、その後の事を考えるのは苦手なのかも……ある意味優次郎と玲央を含めた3人の中で、一番人間やってるかも知れませんね。
個人的なイメージですが、優次郎は万能型、叶は魔術特化型、玲央が頭脳特化型なイメージがあります。この3人で一番頭が良いのは、多分玲央だと思いますね、魔術だけでなく、色んな意味で。
次回からは、境子ちゃん救出の話になって来るかと、優次郎の考えがどんなものなのか、是非楽しみにして頂きたいと思います。後、境子のヒロイン力がマッハです。
では、次回も近日中に投稿しますので、よろしくお願いします。
余談ですが、最近優次郎が主人公に見えなくなって来ました。某吸血鬼漫画の赤い旦那的な(汗)