第十九話 =我儘の行く末=
十九話です。よろしくお願いします。
日付は変わり、水曜日。
2時間目は入れていないため、瞳は現在学食で絶賛昼食中である。2時間目が終われば、生徒たちがいっせいに学食に詰めかけて来て席の確保が難しいため、これが賢いやり方なのだろう。
食べているのはミートスパゲティ。瞳の好物だ。正確に言えば、『学食のミートスパゲティ』が好物なのである。
椎名の作る料理は、多くの生徒を魅了する。料理こそが、彼女が最も得意とする魔術なのではないか、とすら思う程に。そして瞳も、そんな椎名の魔術に魅せられた生徒の一人なのだ。
今日会った時、顔色が悪い様だったため心配していたのだが……味になんの変わりも無い。さすがはプロといった所か。
それはさておき、昨日の優次郎の歓迎会は非常に楽しいものだったらしい。叶が帰ってきたのは深夜11時頃だったのだが、その時の彼女はこれまで見た事が無いほどに上機嫌だった。
姉の酒の強さは人伝に聞いていたが、その姉が頬を染め、少し酔いが回った状態で帰って来たのだ。しかもシャワーに向かう途中、鼻歌なんて歌っていた。普段は見た事がない叶の一面に、目を剥いたのを覚えている。
寝る前に、そんなに楽しかったのかと訊いてみれば、
『えぇ、とーっても楽しかったわ♪ 酔うまでお酒を飲んだのなんて久しぶり…………すごく可愛いユー君も見られたし♪』
25歳には到底見えない、まるで少女時代に戻ったかのような笑顔で、叶はそう言った。
優次郎が可愛かった。
その一言は、瞳の胸に強く残った。
普段から、優次郎はどちらかと言えば無邪気で子供の様な可愛げがある青年だ。姉が学生の頃、優次郎と初めて会った日に、帰って来るなり満面の笑みで『可愛い後輩が出来た』と話していたのを思い出す。思えばあの日から、姉は笑顔が増えていった気がする。確証はないけれど。
(水瀬先生の酔い姿か……)
話を聞く限りでは、興味がある。自分が成人したら、一緒に飲みにでも行ってみたいものだ。
そんな未来へ妄想を巡らせていた時だった。
「―――――ねぇ、此処良いかな?」
どこかで聞いたようなハスキーボイスが、彼女を自分の世界から引きずり出した。
そちらを見れば、そこに立っていたのはロック調の服に身を包み、今はイヤホンを首からぶら下げている、昼食の乗ったお盆を手にした少女だった。
古谷境子。先生を手伝おうとしたあの日、先に声を掛けていた少女。
自分の嫉妬の対象であり、自分に足りないものを持っている少女。
そんな彼女からの問いに、内心瞳は訝しんでいた。周りを見れば、まだ空席は目立っている。なのに何故、わざわざ自分の隣に座ろうとしているのだろうか。
「ダメならいいよ。他の席座るし。ただ、アナタに訊きたい事があるんだけど」
「……そういう事なら、構わないわよ」
別に嫌っているわけでは無いし、断る理由も無い。
瞳の答えに短く礼を言い、境子はその隣に腰掛ける。
「じゃあ早速だけどさ、妹さん」
「妹さんって、私の事かしら」
「他に誰がいるの? 身内以外を下の名前で呼ぶのは、どうも苦手でさ。でも名字だと学院長と被るし、それに長いし……妥協点としての呼び名なんだけど」
「……まぁ良いけど。で、何かしら? 古谷さん」
ほんの少し不機嫌気味に、瞳は問う。
そんな彼女の心境などお構いなし、と言った様子の境子は、こう切り出した。
「水瀬先生の事なんだけどさ」
ズキリ。
瞳の心のどこかが、針で刺された様に感じた。
境子の聞きたい事とは、優次郎に関する事らしい。それは分かる。自分と優次郎の付き合いが長い事は、今となってはあの講義を受けている生徒全員に知られているし、自分に彼の事を聞きに来たのだろうとの予測も簡単にたてられた。
それなのに、何故こんな感覚に襲われるのだろう。
少し疑問に思いながらも、瞳は答える。
「水瀬先生が、どうかしたの?」
「うん、水瀬先生ってさ……」
そこでいったん言葉を切り、境子は瞳に顔を近づける。
端正でありながらも攻撃的な印象を受けるその顔が迫り、瞳は思わず上体を少し後ろにずらした。
そして彼女の口から再び紡がれた言葉に、目を丸くする事になる。
「弱点とかってある?」
「………………は?」
思わず口をついて出た言葉は、自分でも分かるほど間抜けな言葉だった。
いやさ、と呟き、境子は顔を瞳から離してお盆の上に乗った味噌ラーメンに目をやった。
「先生って、使い道はアレだけど魔術師としては超一流じゃん? 世界のトップを相手取って2年間も勝ち続けて来たわけだし。
しかも授業聞いてたら、並みの講師より面白い内容を毎回話してくれるし、考え方も魔術師って言うより魔術学者に近いし。博識で頭が良くてしかも強いってどんだけ高スペックなんだあの人って、何となく思ってさ。
だから、あの人に弱点とかあるのかなーって何となく思っただけ。知って何するわけでも無いけど、気になってさ。それで、先生と古なじみの妹さんに訊いてみたんだけど」
そう言って、境子はラーメンを一口すする。
境子の疑問も最もだろう。優次郎は世界を相手に2年間も人殺しを続け、本気で殺しにかかってきた魔術師たちも1人を除いて全て返り討ちにしている。
それだけでなく、今度は人にものを教えるのも上手く、考え方も奇抜で面白く聞いていて飽きない上に、その方法で魔術の行使が可能であるとしっかり証明されている。
知もあり力もあり、そして性格も、妙な事を口走らなければ優しい人だ。見た目だって、隈や寝癖や使い古された服装が邪魔をしているだけで、きちんとした格好をすればそれなりにカッコいいだろうと言うのも見て分かる。
果たしてそんな男に、弱点が存在するのか。気になると言えば気になる事ではあるのだ。
「水瀬先生の弱点、か……」
瞳は思案する。
思えば、自分も長く優次郎を見ているが、弱点らしい弱点を見た事が無い。たまに抜けていたり、天然な言動をする事もあるが、それは弱点とも言い辛い。第一、ここぞという所ではそういった部分はなりを潜めてしまう。
ならば彼の弱点とは?
「見た事が無いわね、そう言われれば」
「妹さんでも無いんだ。水瀬先生と知り合って何年ぐらいになるの?」
「小学生の頃からだから、もう7年になるかしらね」
「7年も一緒にいてボロ出さないとか……あの人も相当だね」
お互い、少しずつ昼食を食しながら、そんな会話をしていると、
「うわ! 先生どうしたんだよ! 大丈夫か!?」
突然、入り口の方からそんな声が聞こえて来た。
何事かと2人してそちらを見れば――――――
「あーうん、大丈夫……ちょっと頭がふらふらするだけだから」
普段の2割増しで濃い隈を作り、目は少し虚ろになっており、体中から負のオーラをこれでもかとまき散らしている、優次郎の姿があった。
彼に心配の声を掛けた男子生徒も、そんな姿に目を見開いていた。
「いやいや大丈夫じゃないだろ! 隈やばいぜ? それに頭ふらふらするって相当じゃねぇかよ!」
「さっきまで寝てたんだけどね…………でも、本当に大丈夫だよ。原因は分かってるし」
そう言って男子生徒に手を振り、優次郎は厨房の前まで歩み寄っていく。
そこで彼を待ち構えていたのは、同じく顔を青くしている椎名だった。
「あぁ、お前か……ひっどい顔だな」
「おはよ、しーちゃん……しーちゃんも人の事言えないでしょ」
「うるせー、誰のせいだと……お前、昨日の事覚えてるか?」
「あーっと……何となく?」
「そうか……とりあえず、昨日のお前は本当に幼児退行しちまってたよ。
それで、今日はどうする?」
「あんまり食欲は無くてさ……二日酔いに効く料理とかある?」
「水分摂取だな……お粥で良いだろ。後はうちが作った特製ドリンクでも付けといてやる」
「ありがと、それでいいや」
「お前が二日酔い状態で来るだろうとは思ってたし、もうお粥は作ってある……お代はいい」
「はは、ラッキー……」
「いつもの覇気がねぇぞ……ほら、お粥とドリンクだ。お大事にな」
「しーちゃんもね……」
…………かつてこれほどまでにローテンションで会話をする優次郎を見た事があっただろうか。いや、無い。
今の彼のテンションは、地の底にまで落ちている。いや、地の底から更に掘り起こして、その下にテンションをかなぐり捨てたかのようだ。
「……古谷さん」
「……何?」
優次郎から目を離さずに会話をする2人。
「見つけたかもしれないわ……水瀬先生の弱点」
「奇遇だね。私も見つけたみたいだよ」
ああいう事にならない様、成人してもお酒には気を付けようと固く誓う2人に、お粥とウコンドリンクを乗せたお盆を持つ優次郎が目を合わせた。
そして、いつもとは真逆の全く覇気のない笑顔を向けて来る。
「やぁ、瞳ちゃんに境子ちゃん……珍しいね、2人が一緒にいるなんて」
こっちからすれば、そんなテンションのアナタの方が珍しいです。
そんな言葉は、2人とも料理と共に胃の中に放り込んだ。
「大丈夫? 先生……あの世の淵を見て来た様な顔してるよ」
「あー、分かる? 昨日飲み会があったんだけどさ……あぁ、瞳ちゃんは叶さんから聞いてるのかな?」
「え、えぇ、まぁ……」
「あの人、本当にお酒強いね……うん、しばらく叶さんと飲み会は良いかな」
十中八九、叶が飲ませたな。
「とりあえず座りなよ。私らの前の席空いてるし」
「ありがと、悪いね……」
そう言って、優次郎は2人の前に陣取った。
色が薄れた目で、優次郎はゆっくりとお粥にスプーンを伸ばし、息で冷まして口の中に入れていく。
「あー美味しい……お粥がこんなに美味しく感じたのは初めてかも」
「大変ですね、先生も」
「うん……まさか講師としての仕事以外に、こんな敵が潜んでたなんてね……大人の世界って怖いね」
瞳の言葉に答えながら、再びお粥を口に運ぶ優次郎。まるで弱ったハムスターみたいだ。
境子はそれを呆れ半分、同情4分の1、面白がり4分の1くらいに見ていた。
瞳はと言えば、少し複雑な思いでいた。思えば、こうして優次郎とまともに話したのはいつ以来だろうか。
答えはすぐに出て来た。あの屋上以来だ。優次郎が雪菜の……大切な後輩の未来が捻じ曲げられたあの日の屋上の事は、鮮明に覚えている。おそらく生涯忘れる事は無いだろう。それからは疎遠になってしまったが、昨日の午後からはもう一度優次郎と話がしたいと思うようになっていた。そして今、こうして2人きりでは無いとはいえ、話が出来る状況になっている。
だが、今の優次郎は今まで見た事無いほどに弱りきっていた。
今の状態では、まともに話は出来ないだろう。と言うより、時間を取らせては申し訳ない。
しかし、だ。
それでも優次郎と少しでも話がしたいと思う自分もいる。
疎遠だった2ヶ月を埋めたいと思う自分が、だ。優次郎も今こうして普通に話をしてくれるし、優しい彼の事だ。こちらが話しかければ答えてくれるだろう。
だが、出来ない。ここまで弱った優次郎を見ていると、そんな事は出来ない。自分の思いより、彼への心配が優る。
早く部屋に戻って休んでもらいたい。そして元気になってもらいたい。そんな思いが、彼女の中を走り回る。
その2つの自分に惑わされていれば、優次郎はもうお粥を食べ終え、椎名特製のドリンクを飲んでいた。
「あー……少し楽になったかな」
「そう。そりゃよかったね」
それまで黙っていた境子が、優次郎に返答する。
そうするや否や、優次郎はお盆を持ち、椅子を鳴らして立ち上がった。
「さて、じゃあ部屋に戻ってもうひと眠りしようかな。皆から集めたノートの添削もしなきゃだし」
「あのノート添削してんの?」
「まぁね。皆のまとめた内容で解釈が間違っている所とかは、赤ペンで正しい解釈を書くようにしてるんだ」
「へぇ……意外とマメだね、先生って」
「褒め言葉と受け取っておくよ。じゃあね、2人とも」
そう言って、優次郎は2人に背を向けて歩き出す。
あぁ、行ってしまう。せっかく話が出来ると思ったのに。
そんな事を考えていた瞳の耳に、隣からため息を吐く音が聞こえた。
「先生も先生で罪作りだけど、妹さんも大概不器用だね」
「……どういう意味かしら」
「そのままの意味だよ」
そう言い、境子もお盆を持って立ちあがった。
そして去り際に、瞳にこう告げる。
「優しくて気遣いが出来るのは凄いと思うし、尊敬するけどさ。たまには我儘に素直になった方がいいんじゃないの? じゃないと、先生取られちゃうよ」
意味深な笑みを浮かべ、境子は去っていった。
その背中を、瞳はしばらくボーっと見つめていた。
『たまには我儘に素直に』
「そんな事……分かってるわよ、自分でも」
彼女の目から零れる雫に気づいたものは、誰もいなかった。
■ □ ■ □
『彼』は願っていた。
『アイツ』を出し抜きたい。『アイツ』に勝ちたい。『アイツ』より優れている自分を証明したい。
だが、出来ない。それほどまでに、『彼』が受けた傷は深かった。
『彼』は魔術を知っている。だが、『アイツ』は全てを知っている。
魔術も、この世界も、全て―――――――。
そんな『アイツ』に勝つ方法を『彼』は知らなかったのだ。
だからこそ、その手を掴んだのだ。
目の前で誘う様に揺れるその手は、禁断の果実である事は知っていた。分かっていた。
掴んではいけない。触れてはいけない。誘惑に押し負けてはいけない。
だが、拒めなかった。否、拒む術を知らなかった
だから『彼』は掴んだのだ。その手を。
『キミは力を持った。その力で『あの人』に勝てるか、試してみたいと思わない?』
自分にそう囁く『狂った笑み』に、『彼』は魅せられたのだ。
崩壊の足音はもう、すぐ近くにまで迫っていた―――――――――。
最後の部分が誰なのかは、皆さんもお気づきかと思います。
さて、またもや瞳は、優次郎とろくに話もしませんでしたね。
その後に境子と話した事で、瞳になんらかの変化はあったのでしょうか。
瞳には素直じゃないですが、彼女の場合は『自分の感情を押し殺してしまいがち』な気がします。相手を思いやっているからこそ、自分はいつも我慢して妙な態度を取ってしまい、損な役回りになってしまっている様ですね。そんな瞳が、この章でどう変わるのか。それとも変わらないのか。そこも見ていただければ、と思います。
次回からシリアスパートに入っていきます。その頃には、優次郎も二日酔いから復活している事を願って……。
では、次回もよろしくお願いします。




