第十七話 =一瞬のありふれた幸せ=
十七話です。今回もよろしくお願いします
「いやー境子ちゃんのお陰でホント助かったよ! ありがと!」
どさ、と大きいな音を立ててノートを机に置き、優次郎は笑った。
その真横に立ち、優次郎と肩が触れるほどの距離に陣取った境子は同じくノートを手放す。
「どういたしまして。それにしても、私が手伝おうって言わなかったらどうするつもりだったの?
先生、此処に来るまでに2、3回はコケそうになってたじゃん」
「あっはは……面目ない」
苦笑を浮かべ、優次郎はガシガシと首の後ろをかいた。それを見て、境子は呆れ気味だ。
彼女の言う通り、優次郎は階段や廊下の節目などで躓いた事が何度かあった。その度に焦り顔でノートのバランス維持に努めていたのが少しおかしかったのは秘密だ。
「全く……これが世界政府が束になって敵わなかった『狂気の魔術師』だなんて信じられないね。見た感じ、何か貧弱そうだし、ぶっちゃけ」
「境子ちゃん、ボクにも一応自尊心の欠片はあるんだよ?」
「そんなもん、すぐ捨てちゃいなよ。持ってたって邪魔だし、むしろ無い方が多少はマシになるんじゃない?」
「あーうん、そうだね。うん……もういいや」
素直な子だ。優次郎は思う。
いや、素直過ぎると言った方が良いか。彼女の脳内にはオブラートと言う言葉も、もしかしたら『敬う』という言葉すらも無いのかもしれない。
一応、自分は彼女の先生になるのだが…………。
「それじゃあ、ありがとね境子ちゃん。もう戻って良いよ」
「そうするよ。帰って夕飯の準備しなきゃだし」
「え、今から?」
キョトンとした顔で、優次郎は時計を見た。現在の時刻は午後3時半。夕食にはまだ早い時間帯だ。彼女の家が、ここから離れているのだろうか?
そう境子に問うてみれば、こんな返事が返ってきた。
「別に家はそこまで離れてないんだけどね。ただ家の都合で、弟たちの夕飯は私が作らなきゃいけないし、あいつ等絶賛やんちゃ盛りだから調理中に手を出してきて進まないから、少し早めに作るようにしてんの。
って言っても、まだそれほど急ぐ時間でもないけどね」
「へぇー、大変だね」
「何その棒読み……先生ってさ、興味あるものと無いものが分かりやすいよね」
「? そっかな?」
「そうだよ。魔術とか科学の事は何訊いても答えられるくらい博識なのに、それ以外のものは大抵『へぇー』とか『ふーん』で済ませてるし。私じゃなくても、皆気づいてると思うけど」
「はは‼ それは確かにそうかも! うーん、魔術とか科学は此処の学生になる前から興味あったし、それで色々個人的に調べてたからなぁ……」
思い起こすように、天井を見つめる優次郎。
境子は思う。彼には専門分野が無い。魔術も科学も、大抵の理論は頭の中に叩き込まれている。それ故、生徒たちも――まぁ彼をある程度知っている生徒に限るのだが――質問しやすいのだろう。現に境子自身も、この学院に入学して2年目になるが、これほど毎回質問を受ける講師は見た事が無い。
そう言った意味では、彼ほど講師向きの人間はいないのではないか、とすら思えてくる。
その時、思考する様に泳いでいた境子の視線は、あるところでピタリと止まった。
「先生、それ……」
「え? あーこれか」
それは、部屋の奥に備え付けられたディスクに置かれていたものだった。
薄い四角形の形をしたそれの名を、境子は知らない。だが無理も無い事だ。既にそれは、遺物に成り下がってしまったものなのだから。
話題の四角形を手に取った優次郎は、ニコリと笑う。
「これは『スマートフォン』って言うんだ。『携帯電話』って名前もあるけどね。科学の時代にあった、通信魔術みたいな事が出来る機械だよ」
「何で、そんなものまだ持ってるの?」
「これが無いと、ボクの人脈的に不便なんだよね」
なるほど、と境子は1人納得する。
どうやら優次郎は自分が思っていた以上に交友範囲が広いらしい。まさか科学都市にまで知り合いがいるとは思わなかった。
「…………ねぇ、先生」
「ん? なに?」
だからこそ。
「先生はさ」
境子はこう思わずにはいられなかった。
「本当に、人を殺し続けて来たんだよね?」
「うん、そうだよ」
「――――――――何で?」
何故、この青年は人を殺すのか、と。
「どういう意味かな?」
唐突な質問に、苦笑を浮かべる優次郎。
だが、境子はいたって真剣なまなざしを向けており、冗談や好奇心の類には見えない。
「そのまんまの意味だよ。科学都市にまで知り合いがいるなんて、先生結構友達いるんじゃん。ただの魔術バカで、他人なんて知らないって感じの人だと思ってたけど」
「境子ちゃんってホントに容赦ないよね……」
若干の不満や悲しさと多くの傍観を含んだ言葉が、優次郎の口からこぼれた。
「うるさい。それより話の続きだけど……人を殺してきた人ってさ、周りに興味が無いとか、迫害を受けてたとか、そういう過去があるもんじゃん」
「まぁ、多いかもね」
「でも先生はそうじゃない。食堂の三木さんとか学院長とかと親し気だし、その妹さんとも仲良さそうだし。まぁ今は微妙みたいだけど」
「瞳ちゃんも難しい年頃だからね。でも、しぃちゃんや叶さんとは確かに古い付き合いだからね。それなりに仲もいいのかな? 後は医務室の玲央先輩とか」
「玲央……あぁ、腕は良いけど妙な口調が面倒くさい医療魔術バカの黒岩先生か」
「境子ちゃんのそれ、ボク限定じゃなかったんだね。ちょっと安心したよ」
優次郎は胸をなでおろす。もしかしたら自分はこの子に嫌われている、もしくはなめられているのではと考えていたので、自分以外にもそうだと分かれば安心もするだろう。
そんな優次郎の言葉を無視して、境子は続けた。
「それだけ仲が良い人がいるなら、先生が人を殺すメリットは何なのかなって思ってさ。
正直、先生の事はまだよく知らないし、私が口出す事じゃないのも重々承知なんだけど……ただ、気になっただけ」
そう言うと、境子は優次郎に背を向ける。
「ごめん、いきなり変な話しちゃって。答えはいらないから。じゃあ、また来週もよろしく」
「今度は遅刻しないようにね」
「…………」
「何でそこ無言なのかな? 遅刻しないでね? 頼んだよ? 後が面倒だから」
少し必死な様子の優次郎に答えず、そのまま境子は研究室から姿を消した。
「あの子は大物になりそうだなぁ」
そして、来週もまた遅刻してきそうだな。
〝何で、人を殺したのか〟
境子が訊いてきたのはそういう事だ。
何故人を殺したのか。性格は、人を殺すようには見えない。裏表もなさそうだし、交友関係が広い所から人間関係でそうなったとも思えない。
ならば何故、水瀬優次郎は人を殺したのか。
「何でって言われてもなぁ……」
そんな事を1人呟きながら、優次郎はソファに腰掛けた―――――その時だ。
コンコン。
軽快なノック音が、室内に木霊した。
誰だろうか。瞳か、それとも境子が何か言い忘れでもしたのだろうか。
座ったばかりのソファから立ち上がり、優次郎は扉を開ける。そこにいたのは、
「よう、新入り。仕事には慣れて来たか?」
微笑みを携えた、優次郎もよく知る中年男性だった。
その男を見るや否や、優次郎もパァッという擬音が飛び交いそうな程のまばゆい笑みを浮かべた。
変わってないな。男は思う。
「福原先生! お久しぶりです!」
「久しぶりだな、水瀬」
まるで子供の様だ。こうしていれば、可愛げもあるんだが。
そんな事を思いながら、福原義信はその笑顔を見つめていた。
■ □ ■ □
―――――――違う。
本当に訊きたかったのは、そんな事じゃない。
本当に訊きたかったのは、先生に訊いたって仕方がない事だから。
だが、ついあんな事言ってしまって―――――――。
先生は良い人だ。授業も上手いし面白い。
先生自身も、狂人だなんて思えない程気さくでにこやかで、それでいて少し天然で見てて飽きなくて。
本当に訊きたかったのは、そんな事じゃない。
先生は、何で人を殺したのか。確かにそれも気になる。
でも、違うんだ。本当に訊きたかったのは。口に出したかった言葉は。
「何で……誰も止めてあげられなかったの?」
今さら言っても仕方がない事は、分かってるけど。
■ □ ■ □
「すみません。本当はボクから挨拶に行かなきゃなんなかったのに」
場所を移し、いつもの屋上。
今日はフェンス越しでは無く、入ってすぐにあるベンチに腰掛けた優次郎が、隣の義信に言う。表情は笑っているが、その声は申し訳なさそうだ。
そんな彼を見て、義信は笑った。
「構わないさ。慣れない講師業に、月城や猪丸の1件あったしな。と言うより、お前も大人になったな。気を遣う事を覚えた様で何よりだ」
「失礼だなぁ、ボクももう23歳ですよ? それぐらいは出来ますって」
むっと頬を膨らませる優次郎。
再び、今度は声を出して笑う義信。
「はは、すまんすまん。どうやら独房で学んだのは、時間の浪費だけじゃないみたいだな」
「あー、確かに……ほんっと暇でしたからね、あそこ。まぁ寝床が出来たのは嬉しかったし、ラッキーでしたけどね」
「お前ぐらいだよ。あの隔離施設に入って頭おかしくならない奴は」
「そうですか? うーん……意外と快適だったけどなぁ」
本当にそう思っているらしい。優次郎はキョトンとした顔で義信を見ている。
この子は学生時代からそうだったが、人と論点が少しずれている。通常の人間が見落とす様な事を常識として捉え、逆に通常の人間が常識と捉えている所を見落としている事もある。
いや、ずれているからこそ、あんな授業が出来るのだろう。今の場合は、そのズレが吉と出ている様だ。
だが、だからこそ―――――――この子は危なっかしい。
「……聞いたぞ、水瀬。月城の件、お前も一枚噛んでたんだってな」
「あぁ、そういや福原先生も知ってるって玲央先輩が言ってたっけ………一枚噛んでるどころじゃ無いですよ、丸呑みしたって感じですよ」
「それもそうか……なぁ、水瀬」
「はい?」
優次郎がそちらを見れば、義信は今度は真剣な表情でその赤い瞳を見つめていた。
「お前の事だ、理由を聞いても答えないだろう。だが、聞けばお前は言ったそうじゃないか。
『月城雪菜は危険だ』ってな」
「…………えぇ」
一拍間を置き、答える。
「その月城が抱えてたっていう『危険』……アイツの魔力を奪った事で、それは取り除けたのか?」
数拍間を置き、今度は答えない。
しばし日の落ちかけた空を見つめ、優次郎は口を開く。
「少なくとも、すぐ爆発する様な危険は無くなったかなって思います。でも……まだです。もう1押しが足りません。そして、そのもう1押しを加えるのは、ボクじゃない。ボクが雪菜ちゃんに出来る事は、もう終わりましたから」
「…………そうか」
言い終わった後の優次郎は、笑っていた。
その笑顔の先に、今は何が隠れているのだろうか。比較的付き合いの長い義信だが、まだその笑顔の裏を垣間見る事は出来ていない。
そして彼の言葉を借りるなら、その役目は自分では無いのだろう。
「時に水瀬。突然だが、今晩空いてるか?」
「本当に突然ですね。まぁ空いてますけど……」
「よし。お前の研究室に寄ったのは、実はこれが本題なんだ。
この後、飯食いに行くぞ。勿論、俺のおごりだ」
「え、いいんですか?」
「まぁな。少し遅くなったが、新人歓迎会と行こうじゃないか。面子ももう揃えてある。恐らくもうじきここに来ると―――――」
その時、タイミングを見計らった様に屋上の扉が開かれた。
そこにいたのは、優次郎もよく知る3人だ。それを見て、目を丸くする。
「あら、何をそんなに驚いてるの? ユー君」
口を開いたのは、この学院の学院長であり、優次郎とも旧知の仲である天才魔術師、綾瀬川叶だった。
その後ろにも、良く知る顔が2つある。
叶の同期で優次郎もよく知る保健医の玲央と、学生時代から食堂でお世話になっている椎名だ。
「ミナセ君の歓迎会やるって言われれば、僕も行かない訳にはいかなかったりしちゃうんだよね」
「お前も頑張ってるみたいだしな。食堂でもお前の話題は尽きないし、評判もいいみたいじゃないか。まぁ表向きは、だがな」
「何か棘のある言い方だなぁ……でも、皆はいいの? 叶さんなんて、学院長でしかも他にも色んなところに顔出さなきゃいけない身でしょ?」
そう、叶は天才魔術師だ。この学院だけでなく、様々な、それこそ世界中の魔術機関から引く手あまたの存在なのだ。違法魔術師を取り締まる『違法魔術師取締委員会』にも席を置いているし、呼ばれれば学会や違法魔術師が暴れた時に現場にも行かなければならない。
優次郎の心配をよそに、叶は優しく笑った。
「構わないわよ。取締委員会にも今日は予定があるって話してあるから、呼び出しも無いわ。
それに新人の、それも可愛い可愛い後輩のためだもの。時間は惜しまないわ」
「その可愛い後輩にこんなチョーカー付けて言いますか?」
首元を撫でて苦笑する優次郎に、叶は笑んだままだった。
「それは自業自得だろう。ったく……お前には呆れるよ。人様の魔力盗むなんてな」
「あはは‼ まぁ、ボクにも事情があるんだよ」
ケラケラと笑う優次郎に、横やりを入れた椎名もため息を吐くしかなかった。
それを横で楽しそうに見ているのは、3人だった。
懐かしい。その場にいる全員が、素直にそう思った。
昔もこうして、皆で笑っていた。優次郎の親友も交え、時には瞳や彼女の当時の友人もいた。
もう戻れないと思っていたあの頃に、こうして一瞬だけでも、不完全でも戻る事が出来た事に、皆一様にうれしさを感じていた。
「さて、じゃあ席は取ってあるから、早速行こうか。
転移魔術を使ってもいいが……どうする?」
「歩けば良かったりしちゃうんじゃないですか? そんなに離れてないんでしょ? 今日の店。
っていうか、福原先生の取る店なんて、大体把握しちゃったりしてますし」
笑って言う玲央に、皆賛同するように首をおろした。
確かに義信は此処だと決めた店に足しげく通うタイプで、あまり新しい店を試そうとはしないが、何故かそれを馬鹿にされたようで眉を吊り上げる。
だが、すぐにそれは降ろされた。さほど怒る事でも無いのだし、当然だが。
「じゃあ、行くか。水瀬、お前酒は飲めるんだよな?」
「まぁ、年齢はクリアしてますしね。飲んだことはまだ無いですけど」
「あら、じゃあ今日がお酒デビューね? 楽しみだわ」
「おい水瀬。気を付けろよ? 叶は尋常じゃない程の酒豪だからな」
「え、そうなの?」
「そうそう! 僕も何度潰されたりしちゃった事か」
そんな他愛も無い、しかし幸福な会話は、店に到着するまで続いた。
ほのぼの回です。思えばこんなほのぼのとした会話、この作品始まって以来な気が……。
シリアスばっか書いてても面白くないので、少しギャグも交えようと努めていますが、まだどうもギャグ描写苦手です……。そんな作者を、どうぞ温かく見守ってあげてください。




