第十話 =狂人の記憶と聖人の記憶=
今回から事件パートです。本当なら、一気に戦闘パートの入り口までいきたかったのですが、少し長くなったので二つに分けました。
なので今回、少し短めの話になっています。
では、どうぞよろしくお願いします。
数時間前。旧館内。
「やはり、猪丸健二の姿はどこにも見当たりませんでした……それどころか、魔力痕すらも残っていません」
玄関先にて、1人の男性教師が叶へと報告する。
昨夜、警備員から猪丸健二の報を聞いた後も、今日の授業を受け持っていない教師陣によって彼の捜索が町中で行われたが、結局その姿を捉える事が出来なかった。そして仕切り直しとして行われた本日も、結果は同じ。今も教師たちが町中を捜索しているが、彼に関する情報は入っていない。灯台下暗しの可能性を考慮して現在、旧館内の探索も行ったが、結果はごらんのとおりだ。
「そうですか、分かりました」
「そもそも、今回の件は不可解な点が多すぎます。旧館を突破した方法もですが……」
「えぇ。何よりも不可解なのは、魔力痕が全く残っていない事ですね」
魔力痕。
それは、魔術を使用した後に残される残り香の様なものだ。それが無いという事は、つまり魔力を使用していないという事になる。
「魔力を無効化する魔法陣も張っていますが、そもそも魔術を使わずしてこの旧館を突破するなど不可能ですよ。昨晩も警備は万全でした。蟻一匹出入りする事は出来ないほどに」
理解できないと言った様子の男性教師。叶は何も答えず、ただじっと思案していた。
確かに彼の言う通り、この旧館の警備は万全だ。誰も処罰を受けていない時ですらもそうなのだから、猪丸健二がいた昨晩などは、厳重な警備体制を敷いていたのは頷ける。
しかも目の前にいる男性教師は、結界魔術や防御魔術に優れた講師であり、この旧館の警備体制も彼が管理している。
その本人がそういうのなら、間違いなく警備は万全の状態だったのだろうが……。
「…………本当にそうでしょうか?」
叶が呟くと、男性教師は思わず目をむいた。
そして、叶はすっと顔をあげ、真剣な面持ちで彼を凝視する。
「本当に、警備に穴は無かったのですか?」
「なっ、どういう意味ですか!」
無意識に。男性教師は怒鳴った。
「私の警備体制は間違いなく万全です!」
「ですが現に今、こうして猪丸君は脱走に成功しているではありませんか。いくらアナタが、こういった魔術に関するスペシャリストだったとしても、この事実は変えようがありません。
本当に、警備は行き届いていたのですか? 何か……落とし穴があったのでは」
「ふざけるな!! 私は完璧だと言っているじゃないか!」
あぁ、ダメだ。この男は優秀だが、それ故にプライドが高い。
これ以上何を言ったとしても、自分の敷いた警備に穴があったかどうかを再考する事は無いだろう。
その時だった。
「―――――自分がやった事は完璧だ。欠点などない。誰も破ることは不可能である」
不意に、第三者の声がその場に響いた。
二人がそちらを見れば、叶の眼の前にいる男と同じく、この旧館内を捜索していた優次郎が、こちらへと歩み寄っていた。
叶と目があったのを確認すれば、優次郎はニコリと笑う。
「そう言ったプライドが、今のような場合は穴になる。
叶さんが言っているのはそういう事ですよ、先生」
「……何が言いたい、水瀬優次郎」
キッと。敵を見る様な目で優次郎を射抜き、男性教師はうねる様な声で言う。
だが、その視線を軽くいなし、優次郎は口を開き、彼らしい正直な言葉を紡ぐ。
「先生がさっき放った言葉そのものが、この旧館の警備が甘かった証明である。
ボクはそう言ってるんですよ」
「……お疲れ様、ユー君。そっちはどうだった?」
男性教師がかみつく前に、叶が優次郎に声を掛ける。
「ダメでしたよ。猪丸君はどこにもいません。
こりゃ間違いなく、猪丸君は外に出ちゃってますねー」
「おい! 水瀬優次郎!」
能天気な声を発する優次郎に、男性教師はかみついた。
「どういう事だ! 私の言葉が警備の甘い証明だと!? 身の程をしれよ狂人が!!」
「あー……こりゃダメだ。頭が固くていけないや」
やれやれ、と言う様に優次郎はわざとらしく両手を上げる。
「万全も何も、魔術ってもの自体が万全じゃないって事ですよ。
だから先生は気に病む必要無いんです。一応慰めてるつもりなんですけど」
「きさっ……!!」
「落ち着いてください。
……それで、ユー君には彼が脱走した方法が分かるの?」
叶が男性教師をおさえ、優次郎に問う。
さっきから聞いていれば、彼の口ぶりはまるでこの事件の顛末―――――つまりは猪丸健二の脱走方法が分かっている様だ。
優次郎は再びニコリと笑う。
「簡単な話です。魔力痕が無いという事は、魔力を使用していない―――――しいては魔術を使っていないという事。これは分かりますよね?」
「それがどうした」
そう答えたのは、未だ敵意をむき出しにした男性教師だ。
「って事は、考えられる方法は二つあります。
一つは、魔術を使用せずに脱走したという方法。ですが……この旧館には、24時間体制で警備員が見張っているという事でしたし、その警備員に怪我などが無かったという事は、警備員を昏倒させたという可能性も無い。つまり、これで魔術を使用せずに脱出する方法は無くなったと言っていいでしょう。
現に、考えうる全ての出入り口に、警備員をそれぞれ配置させていた様ですしね」
つまり、と優次郎はつづけた。
「ここで考えらるのが、もう一つの方法。それは…………この旧館に張られていた結界を乗っ取るという方法です」
「結界を……乗っ取る?」
思わず聞き返したのは、叶だった。
「そうです。魔術を無効化すると言っても、所詮それは魔術によって生み出された結界の効果にすぎません。つまり、その結界そのものに付加されている魔力を自分の魔力に一時的にすり替え、そして結界を操り、自分が外に出る。その後、自分の魔力を体内に戻すんです」
「一度放出した魔力を、自分の体内に戻す……」
普通は不可能だ。一般的な魔術師からしてみれば、優次郎が言っている事は無茶苦茶だ。
魔力を放つという事は、すなわち魔力を消化するという事につながる。その消化された魔力を再び体内に戻すなど、出来るわけがない。
だが、叶には心当たりがあった。確かにそれは可能かもしれないと思える心当たりが。
…………男性教師は、鼻で笑い飛ばしたが。
「フン! 何を言い出すかと思えば……消化した魔力を体内に戻すなど、出来るわけがない」
「えぇ。消化した魔力ならばそうでしょうね。
ですが今回の場合は、いわばリサイクル法ですよ。結界そのものの魔力を、一時的に自分の魔力で代替えする。そしてその後、もともと結界に備わっていた魔力を戻し、代用していた自分の魔力をひっこめる。
この方法なら、結界魔術をそもそも構成していた魔力があるわけですから、自分の魔力を使う必要は無い。そして自分の魔力も、『消費』ではなく『代用』していただけですから、用がすめば再び戻す事は可能です。
これなら、この場に魔力痕を残さず、結界を打ち破れる」
「理論上は分かったけれど……本当にそんな事は可能なの?」
確認する様に、叶は言った。
魔力の一時的な代用。そんな使用法が行われた実例など一つも無い。果たして本当に可能なのか?
男性教師は、戯言に過ぎないと言った表情を浮かべている。だが叶は、優次郎の言った方法は、おそらく可能なのだろうと言う、確信にも似た感情があった。
優次郎は怪しい笑みを浮かべ、答える。
「えぇ、可能です。実際、ボクはそれをやった事がありますから」
男性教師は目を見開いた。叶は―――――表情を変えなかった。
「いつだったかなぁ……どっかの国のお偉いさんを殺す時でしたよ、確か。
あの時、あの人たちは魔術封じの結界を張っていましたが、ボクは今いった方法で破りました。結界そのものを乗っ取ろうと思ったら魔力はかなり必要ですが、人1人が通れるほどの穴をあければ良いだけなら、さほど魔力を使う必要も無いですしね」
これは、歴史の教科書にだって乗っている事だ。
優次郎は覚えていないらしいが、その事件があったのは4年前の夏。アメリカ合衆国の魔術の権威を、優次郎は殺害した。多くのボディーガード、完璧と言われた結界魔術を打ち破り、優次郎はその権威を殺害したのだ。
もう男性教師には、戯言と言って優次郎の言葉を受け流す事は出来ない。
実例が今、ここにいるのだから。
「まぁ、これには証拠はありませんし、そもそも学生の猪丸君にそれが出来たかと言われれば、正直言って無理でしょうね。
つまり今回の事件、猪丸君には協力者がいるのかも知れません」
「協力者……?」
「えぇ、確証は無いですけどね。
まぁそれも、猪丸君を捕らえれば分かる事ですし……ちょっと行ってきます」
そう言って旧館を出ようとした優次郎を止めたのは、男性教師だった。
「待て、水瀬優次郎……お前には分かると言うのか? 猪丸健二の居場所が」
優次郎は足を止め、男性教師を見る。
その瞬間、男性教師は思わず肩を震わせた。悪寒が背筋を走る。それほど、今の優次郎の表情は……とても愉しそうで、嬉しそうで、狂っていた。
「分かるもなにも……彼の魔力が感じられないのはこの旧館内だけですよ?
外に出て、彼が一度でも魔術を使えば……分からない訳ないじゃないですか」
それはまるで、血の匂いを嗅ぎつけた獰猛な獣の様に、男性教師には思えた。
■ □ ■ □
〝こら雪菜、そんなにテレビに近づかないの! 目が悪くなっちゃうでしょ?〟
〝はーい……〟
〝あっはは! 雪菜は本当にアニメが好きだなぁ〟
〝うん! わたし、大きくなったらこのお兄さんみたいに、たくさんの人を助けてあげるの!〟
〝そうかそうか! それじゃあ、お父さんも頑張って働いて、雪菜の夢が叶う様に、ちゃんと魔術学院に入れるだけのお金を貯めておかないとな!〟
〝アナタ、頑張るのは良いけど、無理はしないでね? アナタが倒れたら元も子もないんだから〟
〝分かってるさ、心配しなくてもいいよ〟
〝ねぇお父さん、お母さん〟
〝ん? なんだ?〟
〝なぁに? 雪菜〟
〝もし、お父さんとお母さんが悪い人に捕まっちゃったら、絶対雪菜が助けてあげるからね!〟
〝雪菜……〟
〝そうか……でもな雪菜〟
〝?〟
〝悪い人もな、最初から悪い人だったわけじゃないんだ。だからお父さん達が悪い人に捕まっても、その人を倒しちゃだめだよ〟
〝倒しちゃダメなの? 悪い人なのに?〟
〝あぁ。勿論、倒さなきゃならない人もいるかも知れないが、それは雪菜がしなくちゃいけない事じゃない。
雪菜の夢は、人を助ける事なんだろう? だったら、その悪い人も助けてあげるんだ〟
〝悪い人も助けるの?〟
〝そうだ。その悪い人の『心』を助けるんだ。お父さんは、雪菜にはそういう優しい子になって欲しいな〟
〝分かった! じゃあ雪菜、悪い人の「心」も助けられる人になるからね!〟
〝あぁ、約束だぞ! 雪菜〟
夢を見ていた。とても遠い遠い、幸せな記憶をたどった夢だ。父と母と自分の三人で笑いあい、愛にあふれた素晴らしい日々。もう戻る事は無いであろう…………雪菜にとって幸せの絶頂期だった頃の記憶。
あぁ、そうだ。思えば、自分が人を救える魔術師を目指した切っ掛けは、あの時からだった。
そんな事を思いながら、雪菜は閉じていた目をゆっくりと開いた。
「う………ん………」
だが、そこにあったのは現実のみ。楽しく幸せな夢は、もう終わったのだ。
うまく頭が働かない。今、自分はどうなっているのだろうか? 確か、優次郎から逃げる様に屋上へ向かい、そして教室へ向かおうとして…………そこで、記憶は途切れていた。
(私、どうなって――――――ッ!?)
だんだんと視界がひらけ、不明瞭だった脳内が働きを取り戻す。
そうして理解できたのは、ここが学院では無いと言う事と、今自分は、両手両足を魔術によって縛られ、壁に貼り付けにされているという事だけだった。
(何、これ……)
鮮明になった思考が、今度は疑問で埋め尽くされた。
どうして、自分は縛られている? その答えを探そうと目を動かしてみる。見れば、どうやらここは古い倉庫の様だ。あちこちに使われていないであろう、錆び付いたパイプなどが乱雑に置かれている。
そして、その隅。壁に寄りかかっている人影が見えた。
少し目を細めてみてみれば、それは雪菜の目を見開かせるには十分なものだった。
「…………あぁ、何だ起きたのか」
そのまま寝てりゃ、まだ楽だったのに。
そう言ってその人影――――――猪丸健二はあからさまに顔をしかめた。




