第九話 =デジャヴ=
次回から、戦闘パート? と言うか事件パートに移ります。
タグにもありますが、少々残酷な描写をする可能性がありますが、常識の範囲内で過激になり過ぎぬよう善処します。もしやり過ぎだと感じられた方がいらっしゃったならば、お申し付けください。
今回は、その事件パートへの転換地点です。
どうぞよろしくお願いします。
睡眠とは、いつの時代でも人間にとって必要不可欠なものだ。十分な睡眠がとっていなければ、脳も身体も通常以下の働きしか出来ない。だが、逆に睡眠を必要以上に取ってしまった場合も、身体がだるくなってしまうと言うのだから、人間とは不思議なものだ。
つまる所、月城雪菜は現在、絶賛寝不足中である。
理由は言うまでもない。昨日の綾瀬川姉妹との会話だ。
瞳は言った。「アナタは水瀬優次郎を何も分かっていない」と。
叶は言った。「彼は常に操る側の人間である」と。
そして二人とも言った。「雪菜の持つ夢。それ自体は素晴らしいものだ」と。
二人と別れ、晩御飯と入浴を終えた雪菜は、その言葉について一晩考えていた。
瞳が言いたかった事は、何となくのご都合解釈ではあるが分かった様な気がする。
彼女が優次郎に並々ならぬ好意を抱いているという事は、雪菜が見ても一目瞭然だ。そんな瞳にとって、彼の一面しか見えていなかった自分が、優次郎の事をさも全てしったかの様に語ったのが気に入らなかったのだろう。
何も知らないのに、知った気になって夢を捨てるなど馬鹿げている。愚かなんて言葉でも生ぬるい。
雪菜の勝手な解釈でしか無いが、きっと瞳はそう言いたかったのだろうと思う事にした。「アナタはまだ何も知らない。それなのに夢を捨てるのは早すぎる」と。
だが、叶はどうだろうか?
叶は言った。「雪菜が語った一面も、確かに水瀬優次郎と言う人間の一部である」と。「アナタはいつか優次郎の全てを知り、本当の意味で彼を癒せる」と。
だが、同時に彼女はこうも言っていた。「優次郎は常に操り手であり、誰にも操られない」。
それはつまり、「断固たる自己を持っている」という事だ。誰にも縛られず、ただ自分の意思を優先して行動する。そしてその結果、相手の意思や行動を自在に操り、最後には勝利を手にする。それが水瀬優次郎だという事。
ならば、何故彼女は雪菜に「優次郎を癒せる」と言ったのだろうか?
優次郎が叶の言う通り、本当に誰にも操る事が出来ないものなのだとしたら、それは難しい事だ。「癒す」という行為は、つまり相手の心に直接干渉するという事。だといたら、優次郎の様に鉄壁の意思を持った人間を癒すのは非常に険しい道のりだ。そして叶がそう言ったという事は、彼女は認めている事になる。「自分では、優次郎を完全に癒す事は出来ない」。「優次郎は、まだ誰も癒やせていない」という事をだ。
長い間傍に寄り添ってきた叶や瞳、更に優次郎が言った「学生時代の親友」でも癒せなかった彼を、何故自分なら癒せると言ったのか。しかも、まるでその未来が視えているかの様な言い方をしたのか。
一晩考えても、答えは出なかった。優次郎に会ってから考え事ばかりしていると、雪菜は思う。そして同時に、その思考はいつも答えが出ないまま終わってしまう。
確かに瞳の言う通りなのだろう。自分は優次郎をまだ何も知らない。だからこそ、考えても考えても答えは出ない。
本当に叶が言う様に、優次郎の事を全て知る日は来るのだろうか。今の雪菜には疑問でならない。
そんな時だ。魔術学院の門をくぐった直後、彼と、一生徒の会話が聞こえて来た。
「あ、先生! おはようございます! どこ行くんですか?」
「あぁーおはよ! ちょっと朝ごはんを買いにね」
「じゃあ、またすぐ帰って来るんですよね?」
「うーん。ちょっとこの後野暮用があってね。午後には帰って来ると思うけど」
「そうなんですか? 実は昨日、授業の復習してたらちょっと疑問点が残っちゃって。後で聞きにいきたいなーと思ってたんです」
「そうなの? 午後なら丸々空いてるから、悪いけど午後でもいい?」
「じゃあ私四講義目が無いんで、その時研究室にお邪魔しますね!」
「分かった、覚えておくよ」
何気ない朝の一幕。だが今の雪菜に、彼の声が脳に直接響いて来るのは、きっと寝不足のせいだけでは無いのだろう。
今は彼――――優次郎が話す一つ一つ、彼の表情一つ一つが、全て重くのしかかって来る様に感じる。
「――――――――あ、雪菜ちゃん!」
だが、当然そんな雪菜の状況が優次郎に伝わる筈も無く、彼はいつも通り、無邪気な笑顔で雪菜に声をかけた。
「あっ……おはようございます、先生」
「おはよ! どしたの? 目の下に隈出来ちゃってるよ?」
昨日、寝てないの? と素直な疑問を口にする優次郎。その表情からは、本気で彼女を心配しているのが見て取れた。
雪菜は質問に答えず、じっと優次郎の顔を見つめてみる。
ボサボサの白髪。人の事を言えない様な隈が目立つ赤い瞳。死人のように白い肌。ヨレヨレのカッターシャツに白いジーンズ。
改めて見ると、本当に真っ白な人だ。雪の様に、などと綺麗な比喩は出来ない。それはまるで、あの世に旅立つ前の死人の様だった。
まだ23歳の青年だと言うのに。生い先長い人生だと言うのに。何故こんな雰囲気を纏っているのだろう。こうなるまで、一体彼の人生の中で何があったというのだろう。
…………やはり、答えは出ない。出る筈も無い。彼と自分とでは、過ごしてきた環境が違い過ぎる。
「――――――――――雪菜ちゃん?」
「っ!!」
気が付けば、目の前の青年は本気で心配そうな表情を浮かべ、雪菜を見つめていた。
「本当に大丈夫? 今日は休んだ方がいいんじゃない?」
「い、いえ……大丈夫です。心配をおかけしてすみません。では」
早口でそう言い、雪菜は失礼します、と捨てる様に告げてその場を後にした。意識を向けなくても小走りになってしまう。とにかく今は、優次郎から離れたかった。今のまま彼の傍にいては、また分からなくなってしまいそうだった。
せわしなく去っていく雪菜の背中を、優次郎は何とも言えぬ表情で見つめる。
だがすぐにそれを校門へと戻し、朝食を買うために、そして野暮用とやらを済ませるために、学院の外へと向かって歩き出すのだった。
「はぁ……はぁ……」
優次郎と別れた雪菜は、そのまま人のいない屋上へと駆けこみ、壁に寄りかかって息を整える。
失礼な事をしてしまったと自分でも思う。後で謝らなければ。
だが、今はこれ以外の最善手など思い浮かばない。優次郎から離れなければ、自分の脳はパンクしてしまう。ただでさえ寝不足で動きが鈍っているのだ。
今日会った優次郎は、全く変わっていない。この二週間見続けて来たままだ。新たな一面を垣間見た事も無ければ、言動が変わったりもしていない。
だが……いや、だからこそ。
「もう……わかんないよ……」
優次郎は、何故「狂人」と呼ばれる人間になってしまったのだろう。
彼は言った。「何人もの人間を殺した」と。
だが、こうも言っていた。「最初に人を殺した時、『つまらない』と思った」と。
つまらないと感じたにも関わらず、彼は殺した。何人も、何十人も、何百人も…………。何かに取り憑かれていたのか? いや、それはない。叶が言っていたのだ。「ユー君は誰にも操れない」と。
叶は数年前に後輩であった優次郎と対峙し、そして捕らえた。
それにより優次郎は「狂気の魔術師」の称号を得て拘置所へ送られ、叶は若くして「天才魔術師」の称号を得て日本魔術学院の学院長に就任した。この時代の人間ならば、誰もが知っている事実だ。
その叶が言ったのだから間違いない。優次郎は操られてなどいないのだ。自分の意思で、星の数ほどの人間を殺した。
だが、それは雪菜にとっては、あくまで人伝に聞いた話でしかない。彼女にとっては、それがいかに事実であろうと、自分で視たものではない限り、「噂話」と何ら変わりないのだ。
雪菜の知る優次郎は、子供の様で、笑顔が眩しく、そして自分たち生徒に優しい教師。その姿はとても愛らしく、愛しい。
―――――――彼が「狂人」である事など忘れてしまいそうなほどに。
(綾瀬川先輩が言うのも当然だよね…………これじゃあ)
瞳に言われた事は正しい。自分はまだ、水瀬優次郎という人間のつま先ほどしか見えていない。
だが見上げてみても、その全体像は一向に見えてこない。
(考えても……仕方ないか)
瞳に言われた事を反省し、もっと彼自身を知っていかなければ。でなければ、雪菜の「夢」は本当に叶わぬものになってしまうだろう。
(とにかく、今日の放課後にでも、一度先生の所に行ってみようかな)
少なくとも今よりは、優次郎の事を知れる筈だ。
そう思い、とりあえず今は授業に向かう事にした雪菜は、壁から背を離し、扉へと手を掛け―――――ようとして止まった。
視界が、揺れる。足がおぼつかない。
(あ、れ…………どう、しよう……)
先ほどまでは無かった、強烈な眠気に襲われた雪菜。きっと寝不足のせいだろう。我慢しなければならないと思っていても、瞼は彼女の意思に反して、少しずつ、だが確実に閉じられていく。
(あ……もう……限、界……)
そこで、雪菜の意識は途切れた。
その様子を、上から除いていた人影が一つ。ソイツはうつ伏せに倒れた雪菜を見ると、ニヤリと怪しい笑みを光らせた。
■ □ ■ □
綾瀬川瞳は憂鬱である。
理由は二つほど挙げられるが、その一つは雪菜と同じく寝不足である。人一倍自他に厳しい瞳が、この様な事態に陥るのは非常に稀だ。
そしてもう一つ。彼女の憂鬱の起爆剤となった出来事は何か。
それは…………
「聞いたよー瞳っち! 学院長と喧嘩したんだって?」
昼休み。学食にて。
隅の机に1人座し、窓の外を力なく見つめていた瞳に声を掛けたのは、彼女の親友である芽衣だ。
瞳はその姿を一瞥すると、深いため息を吐いてまた目線を逸らした。
「ありゃー……こりゃ相当落ち込んでるみたいだね。ショボーンオーラ全開だよ?」
「まぁ、ね」
苦笑を浮かべる芽衣に答える声も、いつもの覇気がない。
そうなのだ。瞳は昨夜、姉であり学院長であり世界中の魔術師の憧れでもある綾瀬川叶と喧嘩をしたのだ。
芽衣はその話を叶から聞いた時、この事実を疑った。
理由は二つある。一つは、叶と瞳が喧嘩は非常に仲睦まじい姉妹関係にあるという事。数年前までは喧嘩も多かったらしいが、「ある日」を境にお互いがお互いを知り、自然と喧嘩も無くなっていったそうだ。そんな二人が喧嘩を、しかも聞いた限りではかなり熾烈な喧嘩を行ったと耳にすれば、疑いもするだろう。
そしてもう一つの理由。それは、叶の話だ。
叶からの話を聞いた芽衣が、まず第一に感じた事。それは、これは喧嘩などでは無いという事だった。これは喧嘩では無く、姉が妹を叱っただけ。そう感じてならない。
瞳が雪菜に対して何を言ったのかは、芽衣も聞いている。そして、その非は瞳にあるという事も分かる。彼女が優次郎を好く事に対しては、自分がどうこう言える話ではない。だが、いくらそうだったとしても、他人に対して言って良い事と悪い事の区別くらいは、判断出来なければならない。瞳ももう19歳なのだ。それくらいの判断はできて当然だろうし、普段の彼女を見ていても、冷静でさえあれば分かる事だろうとも容易に想像できる。
(恋は盲目、なんて言うけど……瞳っちほどそれを体現してる人はいないね)
呆れ半分と言った様子で、芽衣は思う。
「まぁ、他人の私がどうこう言える立場じゃないのは、百も承知だけどさ。でも私が聞いても、雪菜ちゃんに対して言い過ぎだと思うよ?」
「分かってるわよ……そんな事」
分かっている。あの時の自分は冷静じゃなかった。
自分がずっと追いかけていた背中を、会って一ヶ月も経たない人間が掴んだ気になっているのを見て、思考がぐちゃぐちゃにかき混ぜられてしまった。
これでは、今度から優次郎の事で冷やかされても言い返せやしない。芽衣や叶の言う通り、自分はこれほどまでに優次郎を好いているのだと改めて自覚すれば、乾いた笑みがこぼれた。
「滑稽も良い所ね。これじゃ道化師にお腹を抱えて笑われたって、文句も言えないわ」
「あぁー、うん。そうだよね、瞳っちはそういうタイプだよね」
つまり、瞳は姉と喧嘩したことで落ち込んでいるわけでは無い。少し考えれば分かる事だったのかも知れないと、芽衣は思う。
瞳は真面目な人間だ。だが、真面目過ぎる人間でもあるのだ。
自分が他人にたいして心ない言葉を口にしたと言う事実を、冷静になって自覚した時、真面目な人間は自分を卑下し、頭を抱える。今の彼女は、正にその状態なのだ。
「とにかく、雪菜ちゃんには謝んなきゃダメだよ? あの子も、多分だいぶ落ち込んでると思うし。
まぁ、学院長がフォローはしたみたいだけど」
「えぇ、そのつもりよ。ただ、今日あの子を学校で見てないのよね」
もう昼休みにもなるというのに、だ。
日本魔術学院は、授業選択による単位制度を採用している。そのため、卒業までに必要な単位を取得するために、自分だけの時間割を考えられるのだ。簡単に言えば、大学と同じ制度だ。
特に一回生は、多くの基礎知識を最初に学ばなければならないため、授業は毎日の様にある。現に瞳や芽衣も、水曜日に雪菜が学校に来ているのを何度も見かけているし、登校途中に雪菜を見たという生徒もいる。
「月城さんは真面目だし、授業をサボる事はないと思うのだけど……もしかして風邪でも引いたのかしら?」
瞳の言葉に、芽衣は答えなかった。
見れば、思考を巡らせている様に俯いている。
「どうしたの? 芽衣」
「いや、もしかしたら何だけど……」
そういうと、彼女にしては珍しく真剣な表情で瞳を見つめた。
「雪菜ちゃん、何か悪い事に巻き込まれてるかも」
「え……?」
突然の一言に、瞳は目を見開いた。
「あくまで可能性の話だよ。さっき学院長室に呼ばれてさ、そこで今の喧嘩の話も聞いたんだけど……そんな話をするために、学院長が私を呼ぶわけないじゃん?」
「……回りくどい説明は良いわ」
目を細めてせかす瞳に、芽衣はあーはいはい、と適当に答える。
「まぁ単刀直入に言えば、猪丸君の話だったんだ」
「猪丸君……?」
「そう。彼が旧館で謹慎させられてた事は、瞳も知ってるでしょ?
その猪丸君なんだけどさ……昨日から姿がみえないんだって」
脳に直接与えられた様な衝撃に、瞳は思わず体を前に倒す。
「姿が、見えない?」
「うん。昨日、警備員さんが夕食を持っていったらしいんだけど、その時にはもうもぬけの殻だったんだって。今朝も先生たちが旧館内をくまなく探したんだけど、どこにもいなかったらしいんだ」
「脱出方法は?」
瞳の問いに、芽衣は首を横に振る。
「分かったら苦労しないよ、こんな事は前代未聞なんだから。ただ、脱走したっていうのは紛れも無い事実って事だけは分かる」
芽衣はそういうと、瞳に目線を合わせる。
「猪丸君の脱走、そして雪菜ちゃんの不在……あくまでの推測でしかないけど、もしこの二つが同じ原因で起きているとしたら……最悪の事態かも知れないよ」
言葉を切り、瞳の見開かれた目を覗き込む芽衣。
そして、告げた。
「猪丸君なら、『例の件』で優ちゃん先生に恨みを持ってても不思議じゃないし……人質を取るくらいの事、アイツなら平気でしかねないよ?」
言い終わるのと、瞳が何処かへと駆けだすのは、ほぼ同時だった。




