第百話 =戦いの日々=
第百話です。よろしくお願いいたします。
「はぁ、よかった。何とか間に合いそうだ……」
「お疲れだねー。そんなんで会議大丈夫なの?」
「誰のせいだと思ってんのさ……」
夕日に照らされる廊下を、未だ言い争いを止めない和也と芽衣が歩いていく。あの後、言いあっていては本当に会議に間に合わなくなると判断した芽衣は、こうなってしまえばさっさと終わらせようと黒板消しに着手し、和也と二人で何とか時間までに終える事が出来た。
「でも、確かにあの黒板おっきいからねー……一人でやったらしんどいのも分かるけどさ」
「水瀬先生の講義、板書の量が異常だから尚更だね」
まぁ、それに関しては内容が内容なので仕方がないのだが。
そんな事を考えていれば、急に芽衣の目の前に何かが飛び出してきて、彼女は足を止めた。缶ジュースだ。それも自分が最近好んで飲んでいるもので違いない。
差出人は、当然和也。芽衣はそのすまし顔を、キョトンとした表情で見つめた。
「ん、あげる」
「え、いいの?」
「要らないなら良いけど」
「……ううん、ありがと」
珍しいこともあるものだと思いながらも、芽衣はそれを受け取ると大事そうに両手で抱えた。
冷たいはずなのに、なぜか身体が温かくなっていく感覚に包まれた理由は、今の芽衣に分かりそうもない。
「まぁ、手伝ってくれたことには感謝してるからね。ありがと、会長」
「へぇー、辻上君もお礼言えるんだね! 私、初めて言われた気がするよ!」
そう言って、芽衣は笑った。
全く、本当に素直じゃない男だと呆れるが、それでいてどこか愛おしい。
優次郎の事を言えない様な、不思議で独特な子だ、そう感じながら。
その笑顔を受けた和也は――――――――顔を顰めてしまった。
「ねぇ、会長」
「んー? 何?」
「…………旅行の時、何かあった?」
芽衣の足が止まった。
笑顔も消え、目は見開かれ、和也を凝視する。彼はそんな芽衣を見つめながら、顔を顰めたままだ。
それは怒っているようにも、悲しんでいるようにも、憐れんでいるようにも見える。ただ一つ確かなのは、芽衣に関して良い感情は抱いていない、そんな表情だという事だけ。
「な、何で……?」
「その反応、やっぱ何かあったんだね」
疑念が確信へと変われば、和也ははぁ、と一つ息をついた。
「別に何があったかは言わなくても良いよ。ただ……笑顔が下手になったなって思っただけ」
和也の言葉が、ズブリと芽衣の心を抉った。
この子は魔術学院に入ったばかりの、あの頃の自分を知らない筈なのに、何故そんな事が言えるのだろうか。
戸惑い、哀しみ、焦り、そして――――――和也に指摘されてしまった事への、名の分からぬ感情。
「……あ、ついたね」
「え……」
言われて顔を上げれば、『第三会議室』の文字が目に映る。
「じゃあ、俺は此処で。会議頑張ってね」
「……つ、辻上君待って!」
「来ちゃダメだ」
「っ!」
思わず、芽衣の足が止まった。
それだけ和也の声は重く、視線は鋭かった。まるで、敵を見るような――――そんな、睨みつけるような眼差しに、刺されてしまった。
「……会長が会議に遅れちゃダメでしょ。学園祭まで日がないんだからさ。いきなりこんな事言って悪かったね」
じゃあね。
そう言って去っていく和也の後ろ姿を、芽衣はただ見つめるしか出来なかった。
一体、和也には自分の何が見えているのか。何故、あんな目で自分を見るのか。
もしかしたら――――――和也に嫌われてしまっているのでは無いか。
(べ、別にいいよね。辻上君に嫌われたって、平穏になるだけなんだし……)
「あ、会長! 遅かったじゃないですかー!」
物思いにふけってしまっていれば。後ろから自分を呼ぶ声が聞こえ、振り返る。
会議室から一人の女生徒がこちらを見ていた。
「もう会議まで時間無いですよー? 副会長は今日欠席だし、会長いなかったら色々と決められないんですから!」
「……ご、ごめん! 今行くね!」
「お願いしま……か、会長? どうしたんですか?」
「え?」
「どこか痛むんですか!? 医務室行きます!?」
「ちょ、ちょっと落ち着きなよ! 別にどこも痛くないから!」
「え、そうなんですか? じゃあ……何で、泣いてるんです?」
言われて、ようやく芽衣も気付く。視界が歪み、目頭が熱くなってしまっている事に。
何故、泣いている? そんな事、自分が聞きたいくらいだ。
強引に腕で涙をぬぐい、芽衣は笑顔を向ける。
「っ……あ、アハハ! 何でもないよ! ごめんね、心配かけちゃって! 会議始めよ!」
「は、はぁ……」
未だ戸惑いを隠せずにいる女生徒の背中を押しながら、会議室へ入っていく芽衣の脳裏には、
(今の私……ちゃんと笑えてるのかな……)
そんな不安が、気味悪くこびりついていた。
時を同じくして、瞳は医務室へ到着していた。
検診は、これで五度目。検診日以外でも毎日の様に玲央や美沙子と顔を合わせている為、此処を歩くのも日常になったなと感じながら扉を開ければ、
「こんにちは、ヒトミちゃん」
「お疲れ様。今日もよろしく」
「はい、よろしくお願いします」
出迎えた二人に頭を下げ、瞳は慣れた足取りで歩を進め、椅子へ座った。
「先週と比べてどう? 体調は変化ない?」
「特には……学園祭の準備が重なって少し眠たいくらいです」
「そう言えば、瞳は生徒会副会長か。大変だな」
「でも、自分で望んだ立場なので。文句を言う権利はないですよ」
苦笑して見せれば、玲央と美沙子も微笑みを浮かべる。
見る限り普通に会話出来ているし、他の生徒達も特に瞳に対して違和感は覚えていない様だ。大したものだなと思う。あんな治療を受けていると言うのによ、素直に感心した。
「さて、と。ヒトミちゃん……準備は、いいかな?」
「…………はい」
無意識に、身体が強張るのが分かる。だが、これも自分の選んだ道だと気持ちを入れ直し、玲央と向かい合った。
「じゃあまず、大きく深呼吸をして。ゆっくりゆっくり、四秒程かけて吸って、四秒程かけて吐いてごらん」
言われた通り、深呼吸を繰り返す。三度ほど繰り返せば、「もういいよ」と言われ止める。
「なら、今日は左手にしようかな。問題ないかい?」
「はい」
言われるがまま左手を差し出し、手を仰げる。これで、準備は整った。
「よし、じゃあ始めよっか。ミサコちゃん、よろしく」
「あぁ」
美沙子が自分の隣に立ち、左手を背中に添え、右手は瞳の左手を支える形でおかれた。腕には無数の切り傷が見える。瞳の心がズキリと痛むのが分かった。
「じゃあ、魔術を行使してみて。ゆっくりと、無理をせず。徐々に大きくしていくイメージで。魔術の種類は何でも良いよ」
瞳は目を閉じ、集中する。彼女の左手から浮かぶのは、小さな小さな炎。玲央が言う通り、少しずつ火力を上げていく様に。
玲央はじっとその炎を見つめながら、右手をその炎へ向けて翳した。
そして、ある程度の大きさになった時。
「行くよ」
目を閉じ、その右手を思い切り握りこんだ。
それが―――――合図。
「っ‼ あぐッ‼‼」
この世のものとは思えないような苦しみが、瞳を襲った。
全身から汗が吹き出し、身体は痙攣し、視界が歪む。
「あっ、ん……は……あ……ぐッ……ッ‼」
口から苦悶の声が漏れる。心臓が潰されている様な苦しみに、一瞬死んでしまった方が楽なのでは無いか、と考えてしまう程だ。
身体は自分の意思に反して暴れまわろうとするが、美沙子がそれを止める。身体をがっちりと支え、コントロールを失いそうな瞳の魔力を魔術によって抑えつけ、無理やり安定させている状態だった。
もし、美沙子がそれをしなければ。瞳の魔術は暴走をはじめるだろう。
玲央がやっている事は、それほど危険な治療だ。
「あっ、は……がぁ……あ―――――ッ!」
「ッ‼」
思わず舌を噛みちぎりそうになった時、美沙子が自身の左腕を口へ投げ込み、阻止する。加減を忘れた瞳の歯は易々と美沙子の腕にめり込んでいき、美沙子の顔が歪んでいく。
瞳にとって永遠にも感じられる様な、死を間近に感じる時間。それは。
「……もういいかな。お疲れ様」
玲央の右手が開かれる事で終わりを告げた。
美沙子も魔術を解き、炎はやっとかと言うように一瞬で消え去ってしまった。同時に、瞳の腕もだらんと力なく落ちる。
「んっ……はぁ……はぁ……あ………」
ようやく解放され、荒い息を漏らす瞳の目は色を失い、力は抜けきってしまっている。全身の汗は未だ止まらず、口からも唾液の線が一本流れだしていた。
まるで拷問にでもあったかの様な瞳を、美沙子はただ黙って、両手で抱きしめ続けた。
玲央はと言えば、そんな二人を横目にカルテの中でペンを走らせる。いつもの事、そういう様に。
「ッ……はぁ……あ……すみ、だ……先生……?」
ようやく戻り始めた視界に映る女医の姿に、安心感が瞳を包み始めた。
「お疲れ様。今日も良く頑張ったな」
美沙子が微笑めば、瞳も一つ頷いた。
だが、すぐに美沙子は険しい表情へ戻し、カルテと睨めっこする玲央へ視線を向ける。
「玲央、どうだ?」
「検査結果を見て、かな……でも、あんまり期待しない方が良いと思う。まだ一か月だし、それで改善する程、魔力障がいは甘い病じゃないって事、二人とも知ってるでしょ? 」
ただ、と付け加え、玲央はカルテから目を離し、瞳へと視線を向けた。穏やかな、いつもの笑顔で。
「『暴走』に関して言えば、学院長からの指導の効果が出てると思うよ。先週までと比べると、自力でコントロール出来てる魔力も微量だけど増えてるみたいだし」
「そうですか……でも、良かった……私、ちゃんと成長出来てるんですね」
魔力障がいは治療が出来ない。それは覚悟していた。
だが『暴走』に関して言えば、瞳の成長によって自力での抑制は可能だ。自分にも少しずつだが、力がついて来ていると分かれば、それだけでも瞳の心は少し安らいだ気がした。
「でも、油断はいけないよ。ただでさえコントロールが難しい『暴走』の危険がある魔力に加えて、まだ魔力も未発達なんだから。いつ何が起きてもおかしくない身体だって事に変わりは無いからね」
「はい……気を付けます」
「ん、よろしい!」
玲央がガラリと音を立てて立ち上がり、カルテを手に美沙子へ視線を移す。彼の視線を確認し、美沙子も頷いた。後は任せておけ、と言うように。
玲央も笑い、彼女らに背を向けた。
「じゃあ、検査結果確認してくるね」
玲央が一度退室した事を確認すると、次は美沙子が瞳の前に立つ。
「よし、なら疲れている所悪いが、後は清拭とバイタルチェックで終わりだ。私に捕まって、ベッドまで歩いてみようか。ゆっくりでいいからな」
「お願い……します……」
未だ覚束ない足取りの瞳を美沙子が支え、ベッドへと歩いていく。
ゆっくりと腰かけると、美沙子がカーテンを勢いよく閉めた。
「道具をとって来るが、服は自分で脱げるか? 脱げない様なら、すぐに戻って来るから休んでてくれていい」
「大、丈夫です……」
「なら、少し待っていてくれ」
美沙子が退室する中、瞳はポーっとする中で服を脱ぎ、下着姿となった。夥しい汗の量が、検診の辛さを物語っている。
再びカーテンが開けられ、カラカラと台車を引いた美沙子が入ってくる頃には、ようやく息も整い始め、視界もはっきりしてきた。
「身体を拭いていくから、もし冷たかったりしたらすぐに言ってくれ」
そう言い、まだ思うように動かない瞳の身体を丁寧に拭いていく。心地よい、あたたかな感触に身を委ねる中、瞳の視界に映るのは美沙子の端正な顔立ちと、そして―――――――彼女の腕へ新たに刻まれた傷跡。
「澄田先生」
「何だ?」
「その……いつも、すみません。怪我をさせてしまって……」
美沙子の腕についた無数の傷は、全て瞳が付けてしまったものだ。想像を絶する苦しみに、隣にいる美沙子の腕に爪を突き立て、歯を突き刺し、最初の検診の時は殴りつけたりしてしまった事もある。薄くなってきているが、美沙子の腕についた痣がそれを物語っていた。
まだ二十代の女性だと言うのに。せっかく綺麗な肌を持っているのに。
そんな瞳の考えを見透かしたように、美沙子は笑った。
「だから何度も言ってるだろう? 気にするな」
「でも……」
「戦場医師をしていた頃、こんな事は日常茶飯事だったし、これ以上の傷を何度も受けてきた。今更だ、そんな事は」
それに、と言葉を繋げ、美沙子は清拭を終え、瞳を見つめて微笑んだ。優しく、それでいて強く。
「瞳の夢、一緒に叶えると約束したじゃないか。私も玲央も、瞳と一緒に戦う覚悟は出来てる。それに学院長や、他の先生方もな。だから……もう、そんな顔するな」
「はい……ありがとうございます」
「あぁ、それでいい。次謝ったら、三木さんに頼んでしばらく学食使えなくしてもらうぞ?」
「そ、それはちょっと……」
声を出して笑う美沙子を見て、瞳は思う。さほど年の変わらない美沙子に対して失礼なのでは無いかと思うような、それでいて本心から湧き上がるもの。
(お母さんって、こういう人だったのかしら……そうだったら、良いな)
玲央も早くしないと、横取りされてしまいそうだ。
柄にもなく、そんな事も考えていた。
医務室の隣にある倉庫にて、玲央は検査結果と睨めっこをしていた。
医師以外の人間が見ても全く理解できないであろう英単語や数字の羅列を、一つ一つ丁寧に追っていく。
これで五度目。毎週のように検診を行い、瞳にも苦しい想いをさせてしまっているのだ。少しでも進展があって欲しいものだが――――――やはり、魔力障がいはそんな甘い症状ではない。
「変わらない、か……」
数値上、特に変化は見られなかった。
だが、落胆は無い。焦りもまた、感じない。魔力障がいとはそういうものだと自分に言い聞かせる。
だが、それでも。わずかでも突破口が無いものかと再び数字を追ってしまう自分もいた。
「やっぱり、お前も根っからの医者だな」
玲央の姿にそう声をかけたのは、美沙子だった。
「お疲れ。ヒトミちゃんは?」
「今、全部終わって帰ったよ。学院長には連絡済みだ」
「了解、ありがとね」
笑顔で言えば、再び玲央は数字へ目線を戻した。
その横へ歩いていけば、美沙子もそれを覗き込む。
「どうだ……まぁ、変化は無いか」
「そうだね。今週から左手で検査してみたけど、今のところは特にって感じかな」
美沙子もまた、玲央と同じ様な反応を示す。仕方がない、と言うような。
「お前も言っていたが、まだ検診を初めて一か月だ。流石にデータ不足だな」
「そうだね。まぁ気長に行くしかないかな。幸い、今のところ魔力障がいの初期症状も診られてないし、『暴走』も抑えられてる。焦ると碌な事が無いし」
(全く、どの口が言っているんだか……)
そう言いつつも数値との睨めっこを止めようとしない玲央を見て、美沙子はそう感じていた。
戦場で見ていた玲央の事を思い出す。この子は、やっぱり変わっていない。底抜けに優しく、自分を顧みず、どんどん無茶な方向へと歩いて行こうとする。患者の為に、自らを投げ捨てる。
これこそ黒岩玲央だと思っているが――――。
『お姉さんは、間違えちゃダメだよ!』
このままでは、あの時と変わらない。
「玲央」
「何? って……何してるの?」
戸惑いを隠せない玲央に、美沙子は噴き出した。
「分からないのか? 後ろから抱き着いている」
「いや分かるけどさ……何でそうなっちゃったかな?」
「別に大した理由はない。ただ……このままだと、お前が倒れてしまいそうだと思ってな」
「……僕はそんなにやわじゃないよ」
「だから無理をしていい、という理由にはならないだろう?」
耳元で聞こえる美沙子の声がこそばゆい。だが、それでいて何処か心地いい。
何とも不思議な感覚に包まれながらも、玲央はその手を振りほどこうとはしなかった。
「お前は確かに優秀だ。戦場医師として見てきたお前より、技術的にも精神的にも大きくなっていると思う。だが……このまま一人で無茶しても、あの頃と一緒だ」
「っ」
痛いところを突かれた。
そんな表情を浮かべているのが分かり、美沙子も変わらないなと微笑んだ。
「玲央、言った筈だ。私はお前の隣にいたい。そして――――――支えたい。護りたい。共に、戦いたい。
どうか、一人で無茶はしないでくれ……私にも、一緒に戦わせて欲しい。護られるだけは、もう……もう、あの戦場で懲りたんだから」
本当に、この人は……。
玲央はデータから目を離し、はぁーと大きなため息をついた。
「敵わないね、ミサコちゃんには」
「ようやく気付いたか? だったら、今後は無理するな。もっと周りを頼ってくれ。いいな?」
「……分かりました、先生」
おどけて言えば、美沙子も笑った。
今回もありがとうございました!
何だかんだで、遂に百話……色々ありましたが、よく続いたもんだと思います。でも、物語的にはまだまだ書きたい事たくさんあるので、もっと頑張ります。これからもよろしくお願いします。
そんな感じで、第百話です。
芽衣ちゃんと和也に、瞳の戦いの日々。そんな中で始まる学園祭の準備。
ストーリーはどんどんシリアスな方向へ向かっていますが、もう少ししたらほのぼの日常回行きたいですね。ここの所ずっとシリアス書いてたので、私自身も気が重くなってしまって……。
では今回はこの辺で
また次回もよろしくお願いします!




