一、再会、そのあとに(6)
「荒人以上に相応しい男はいない。斎海家の息子だからではない。親友の息子だからでもない。荒人自身を見て、そう確信するに至ったのだ。それともなにか?他に想いを寄せる者がいるのか?」
「……いえ、そのようなことは」
「なら問題あるまい」
このままでは太刀打ちできない。何とかせねばと、巴慧は混乱する頭で必死に考えた。
「私には、もったいない話です。荒人にはもっと相応しい人がおりましょう」
「それは、那祁家のことを分不相応だと言っているのか?」
古来から脈々と続く那祁家は巳玄を統べる一族であり、その身分は最高位である。黎明の声はさらに威厳を増した。
「いえ、そうではなく、本当は妻にと望む方が他にいらっしゃるのでは」
「荒人はそんな不誠実な男ではない。おまえが一番よく知っているだろう。幼い頃からずっと、おまえの夫になることを願っていたと言ったではないか。離れても一途に想い続けていたのだ。これほど誠実な男は滅多にいるものではない」
荒人が誠実だということはよく知っている。けれど、どうしても信じられないのだ。荒人がずっとそんな風に思っていたなんて、想像したことすらなかった。
「突然そのようなことを言われても、その、困ります」
「何が困るというのだ」
「私には早すぎます。縁談など」
「おまえはいくつになった?」
「……十七です」
肩を小さくしながら答える娘を、やれやれといった表情で見ながら黎明はため息をついた。
「夫をもらうのに相応しい年齢だ。早すぎることはない」
「でも、やっぱり、まだ心の準備ができていません。こんな気持ちで夫婦になっても荒人に失礼です」
「巴慧!」
静かな室内に黎明の声が鋭く響いた。
「幼子のように駄々をこねるのはやめなさい。おまえは那祁家の跡継ぎだ。その意味を十分に理解しているはずだろう。しかるべき時がくれば、しかるべき相手を迎えねばならない。私とて、いつまでこの家を守り、国司の役を全うできるか分からないのだよ。優秀で信頼の置ける跡取りが必要なのだ。荒人なら、この家も、おまえのことも、そして巳玄の国も、全身全霊をかけて守ってくれるだろう」
そして、こう付け加えた。
「荒人は、それができる男だ」
巴慧は父の顔を凝視した。ふぅっと息を吐くと、黎明は諭すように言った。
「父の心を理解しておくれ、巴慧」
それ以上は何も言えなかった。黎明に深くお辞儀をしてから無言の内に外へ出た。そのまま自室に戻り、畳の上にうつ伏せに寝そべった。体に力が入らない。歪んだ地面から手が伸びてきて、ずるずると地中に引きずられていくような感覚がした。これが、那祁家に生まれた女の定めだと言うのか。どうしても抗えないと言うのか。体が真っ暗な沼へ落ち、ごぼごぼと口に水が入ってくる。咽ながら、悶え苦しみながら、さらに下へと落ちてゆく。そんな感覚に絶望した。
(お父様、どうしてですか。私の心など、どうでもいいのですか)
常に自由を尊重してくれた父が頑なに訴えを退けた。その事実が巴慧の心をずたずたに切り裂いた。
(縁談だけは、あなたが決めるというのですか)
一度祝言を挙げれば、自由はない。それがしきたりなのだ。妻という役割を演じ続けるという、たったひとつの未来しかない。自分の足で立ち、自由に人生を歩んでいきたい。自分の手で未来を創っていきたい。そんなことは口が裂けても言えない。決して許されない。
「どうしたらいいの」
こぼれた言葉が天井へ登っていき、空しくかき消された。ずっと大切にしていた夢も、思い描いていた未来も、あっという間にかき消されてしまう。そう思うと、非力な自分を呪いたくなった。真っ暗な塀の中に閉じ込められて生きるのはいやだ。惨めな自分を呪いながら生きるのはいやだ。
ゆっくりと体を起こし、襖を開けて外を見た。木の枝に一羽の鳥がとまっている。しばらくそこで休憩しているようだったが、次の瞬間、羽を大きく広げて、空高くへ飛んでいった。巴慧はいつまでもその鳥の姿を目で追った。遥か遠く、空の彼方へ消えても、その姿を追い続けた。




