一、再会、そのあとに(5)
「私が荒人と夫婦に、ということですか?」
「そうだ。荒人はすでに第一級の学位を修め、この若さで官人登用試験にも合格している。知識、品性、家柄、すべてにおいて申し分なく、武術にも秀でている。おまえの夫として、これ以上にふさわしい者はいない」
黎明の隣ではにかむ荒人を見て、これは茶番ではないことを巴慧は理解した。
「お待ちください。私たちは兄妹のようなものです。いきなり夫婦になど」
「兄妹のように育ったが、兄妹ではない」
黎明はぴしゃりと言った。動揺を隠せぬまま、巴慧は父の隣にいる荒人に同意を求めた。
「荒人は良いのですか?私のことは妹のようにしか思っていないでしょう?」
「そんなことはない。そうだろう?荒人」
父は否定したが、巴慧は繰り返した。
「いいえ、妹のようにしか思っていないはずです。幼い頃から実の妹のように可愛がってくださったのですから」
不安げな視線を荒人に向けながら、巴慧は声を震わせた。
「私は、巴慧を妹と思ったことは一度もありません。幼い頃から、いつか巴慧を伴侶にと願っておりました」
凍り付いたように巴慧の体は硬直した。唖然として荒人を見つめていたが、堰を切ったように反論し始めた。
「私にとって荒人は大事な幼馴染であり、実の兄のような存在です。夫になど、できません」
「私は兄ではないし、兄になりたいと思ったこともない」
そう断言する荒人が霞んで見える。そんなはずはない、兄妹だったはずだ。ずっと、一緒に兄弟のように育ったではないか。
「啓史様とお父様の口約束に、荒人が従うことはないわ」
信じられないし、信じたくなかった。これまで繋いできた絆は、男や女といった関係に収まるものではないはずだ。もっと卓越したものだったはずだ。数々の思い出が今も色褪せることなく鮮やかなまま心にある。そういったものが崩れていきそうな危機感を感じて、巴慧は不安を打ち消そうとした。
「私たちは、友達でしょう?何にも代えがたい、大切な友達だわ」
「巴慧」
狼狽える巴慧とは打って変わり、荒人は落ち着き払った様子で想い人の名を呼んだ。
「私は、あなたと夫婦になることを望んでいます。嘘偽りなく、私が望んでいることです。父に言われたからではありません」
真剣そのものである眼差しと表情に、巴慧は言葉を失った。
「婚礼式も出来るだけ早く挙げたいと思っています」
「ちょっと、待ってください。私は、そんな……」
「荒人では不服だと言うのか?」
黎明の厳しい声色に思わず言葉を飲み込んだ。
「……いえ、そういうわけでは」
なんとか、消え入りそうな声を絞り出す。
「突然のことで驚くのも無理はない。だが、案ずることはない。おまえが望む最高の形で祝言を挙げよう」
巴慧は全身の力が抜け落ちていくのを感じた。黎明と荒人が「日取りをいつにするか啓史と相談いたそう」「はい、占術師にも相談して、吉日を選んでいただきましょう」「なにかと慌ただしくなるが、めでたいことだ。みな喜ぶ」といったやり取りをするのを、巴慧は放心状態で聞いていた。あまりに予期せぬことで、頭がついていかない。そして何よりも、自分の意志は尊重されないのだという失望感に打ちのめされていた。
「それでは、私は父に手紙を書いてまいります」
荒人は立ち上がり、恭しく一礼した。そして廊下へ出ると顔をくしゃくしゃにして、大きく息を吸い込んだ。
(とうとう願いが叶う!ようやく、ようやく叶うんだ!)
心の中で叫ぶと、荒人は子供のように走り出した。朝の風がかつてないほど心地いい。飛び立つ雛のように駆ける姿は、はたから見れば酒に酔い、我を忘れて舞っているように見えるかもしれない。だが、そんなことはどうでもいい。巴慧と夫婦になれる、その事実が何よりも嬉しい。巴慧のきょとんとした顔を思い出し、くすりと笑い声を漏らした。よほど驚いたらしい。それも無理のないことだ。顔をほころばせて喜ぶ巴慧と抱擁を交わせなかったのは残念だが、祝言の日には白い花嫁衣裳に身を包み、向日葵のような笑顔を見せてくれるだろう。客室に駆け込むと、急いで机に向かい、次から次へと湧き上がってくる思いを抑えきれないまま筆を走らせた。
その一方で、巴慧は微動だにせずに、手を強く握りしめていた。その表情は重く、口を真一文字に結んでいる。
「巴慧」
父の呼びかけにも答えずに、目の前に置かれた湯呑を凝視している。
「巴慧!」
二度の呼びかけにようやく我に返り、ゆっくりと父の方へ目を向けた。
「どうした、そんなに驚いたか」
黎明の穏やかな声音が、今回ばかりは癪に障る。
「なぜ、相談してくださらなかったのですか」
「相談?」
意に介せぬというように、黎明は首を傾げた。
「私にとって、このように大事なことを…、なぜ、相談してくださらなかったのですか」
「なにが不服だ。おまえにとっても良い話だろう?」
「荒人は兄のようなものです。夫になど」
「良いか、巴慧。まだ理解できないかもしれないが、おまえのことを最も理解し、敬ってくれる者を夫に選ぶべきなのだ。そういう意味では荒人をおいて他にいない。誰よりもおまえを重んじ、愛しんでくれる男だ。違うか?」
「それは」
口ごもる巴慧に追い打ちをかけるように黎明は続けた。




