09.魔の山へ
熱が高いのか、ケイジェスに触れているセスティアの手に熱さが伝わる。こんなに青白い顔をしているのに。
早く何とかしないと、すぐに体力を消耗してしまうだろう。
ひどく傷む時があるのか、顔を歪め、身体がびくっと震える時がある。このままだと、傷の痛みに耐えかねてのショック死だってありえる。
何とかしないと……でも、どうやって? 何をすればいいの? 人間の医学では、これ以上は何もできない。魔法使いには、傷を治すことができる人がいるらしいけど、ここにはいない。魔物を斬る剣だって、傷を治すことは無理だもの。
悔しくて歯を食いしばっていたセスティアは、唐突にツェルマのことを思い出した。
この辺りは、ケイジェスのようにケガをした人ばかりが集められている。それ以外の人は、少し離れた所で休んでいた。
ちゃんと確認していないが、ツェルマはたぶんケイジェスの両親と一緒に教会のどこかにいるだろう。きっと、この状況に不安を抱いているはず。
ケイジェスのことは、彼女達に知らされているだろうか。
安心できるように声をかけてあげたいが、ツェルマの顔を見たら泣いてしまいそうな気がする。だから、今は会うのが怖い。
そんなツェルマはセスティア達が幼い頃、色々なおとぎ話を聞かせてくれたものだった。
なぜか今、何の脈絡もなく、そんな昔のことがセスティアの頭に浮かぶ。
そう言えば……ばあちゃん、時々魔物が出てくる話も聞かせてくれたっけ。そうだ!
セスティアは急にひらめいて、顔を上げた。それからもう一度、ケイジェスに顔を近付けると、頬ずりする。
「ケイジェス、必ず治るようにしてあげる。待ってて」
そう言うと、セスティアは立ち上がった。
「ディスト、馬かりるよ」
言いながら、セスティアは裏口へ向かった。そちらの方が、早く外へ出られる。
「え? おい、ちょっと待て、姉貴。どこへ行く気だよ。すぐに王宮へ戻るはずだろうが」
「少し寄り道するだけよ」
ディストは慌てて、セスティアの後を追った。ユーバスも放っておけず、姉弟の後を追い掛ける。
ディストが外へ出た時には、セスティアはもう馬にむちをくれていた。
☆☆☆
セスティアは教会を飛び出すと、キト山へ向かって走っていた。
キアノーチェスの国民が避難しているウィース山の北隣にある山で、ウィース山よりも低いが木々がうっそうと茂っている。
昔から「この山には魔が潜んでいる」と伝えられているのだ。
はっきりした姿を見た者はいないが、ここへ入って無事に戻って来た者はいない、と言われている。
戻って来た者がいないから、魔物に喰われた、ということになっているようだ。何にしろ、物騒な山だと思われている。
最近でこの山に足を踏み入れた人間は、恐らく皆無だろう。誰だって、命は惜しい。ほとんど人跡未踏になった所へ、わざわざ出向く物好きもいない。危険が転がっているとなれば、なおさらである。
そんな山へ、セスティアは向かっていた。
ツェルマがしてくれたおとぎ話。その中で「魔の棲む近くには、魔の力を癒す水がある」というものがあった。
話の中では「魔の棲む近くに、泉がある」らしい。その泉の水が、癒やしの水、ということなのだろう。
セスティアはそれを思い出し、それに賭けようと思ったのだ。
泉の近くには、紫の草が茂っているらしい。……それ以上に詳しいことを聞いただろうか。思い出せない。何年前に聞いた話だろう。
魔物の種類が違えば、その水も効かないかも知れない。第一、ここに本当に魔物がいるかすらも、わからないのだ。いなければ癒しの泉も存在しない、ということになってしまう。
だが、そんなことに気を取られていても、仕方がない。ほんの少しでも可能性があるなら、やるしかないのだ。
セスティアは、とにかく山頂へと馬を走らせていた。何か目印になるようなものがある訳でもない。道案内だってない。道らしい道さえなかった。
泉の近くへ行けば、魔物に出遭う可能性は高くなる。
だが、今はそれだけが手掛かりだ。ひとかけらの望みでもあれば、それにすがりたい。今はそれだけが頼りだから。
キアノーチェスを守護する神よ、どうかあたしにケイジェスを助けさせてください。お願い。
行く手に生える草や枝で手の甲が切れ、血がにじむ。けれど、セスティアは構わずに走った。
ケイジェスのあの苦しそうな表情を思い出したら、こんなものは傷のうちに入らない。痛みも感じなかった。
走りながら辺りを見回すが、紫の草なんて見当たらない。焦っているから見えないのだろうか。
懸命に落ち着こうとするものの、やはりそれらしいものはなかった。
「セスティアーッ」
後ろから、自分を呼ぶ声がした。振り返ると、ユーバスとディストが追って来ている。
セスティアがディストの馬に乗って来たので、ディストはユーバスの後ろに乗せてもらっていた。
「いきなり飛び出したと思ったら、こんな所へ来やがって。何考えてんだよっ」
追い付くなり、ディストが怒鳴った。ユーバスも、しぶい顔をしている。
「ここがどんな所か、セスティアだって知っているんだろう? なぜこんな所へ来たんだ」
「知ってるわ。だけど」
セスティアは、自分の思い付いたことを話した。
あまりに不確かなものにすがっている、ということは自分でもわかっているつもりだ。話を聞いた二人が、おかしな顔をするのも当然だろう。
けれど、これから敵にしようとしている魔王という相手も、不確かなものなのだ。少なくとも、自分達の生活にはこれまで存在しなかったもの。
「それで、いつまで探すつもりだ?」
ユーバスが、セスティアにとって痛い質問をした。
その泉が見付かるまで、とは言えない。本当ならもう王宮へ戻らなくてはいけない時間だし、ケイジェスだって……あのままだと、そう長くもつとも思えない。
あるかどうかもわからない、というのがセスティアにとって一番つらかった。せめて「あるらしい」と言われていれば。
「お願い、あと少しだけ……時間をちょうだい。もう少し奥まで入って、なさそうだったら……」
あきらめたくない。あのまま放っておいてもケイジェスは……。
「お願いっ」
セスティアはそう叫ぶと、また奥へと分け入って行く。少しの時間も惜しい。さっきよりもスピードを出して、馬を走らせる。
と、急に馬が悲鳴を上げて止まった。何かに怯えているようだ。口の端から泡を吹いているし、セスティアがなだめようとしても聞かない。
とにかく、その場から逃げようとしているのだ。
「どうしたの。落ち着きなさい」
セスは馬から降り、くつわを掴んだ。それにも馬は抵抗しようとする。恐怖の色が、その目に浮かんでいた。
その時、後ろからがさがさという葉の揺れる音が聞こえ、セスティアはそちらを向く。
ディストやユーバスが来たのかと思ったが、音はセスティアが向かって行こうとする方向から聞こえてきているのだ。
音がする方を向きながら、セスティアは身構えた。
何かしら。肉食獣でもいて、それで怖がっているのかな。
セスティアは、手綱を近くの木にくくり付けた。馬が暴走して逃げ、そこを獣に襲われても困る。自分が近くにいれば、どうにか守ってやれるだろう。
葉のこすれ合う音が、次第に近付いて来る。セスはそちらの方向を睨んで、音をさせる何かが現れるのを待った。
「え……」
セスティアは拍子抜けした。
現れたのは、獣でも何でもない。普通の……いや、これまでに見たことのないような美青年だった。
それも抜けるような白い肌と、黒く少しくせのある短い髪をした、セスティアとあまり年の変わらなそうな青年だ。
彼の容姿に、セスティアは少しどきっとなる。キアノーチェスに、こんな美青年はいない。少なくとも、セスティアは会ったことがなかった。
「あなた……誰?」
「私? 私はキトラウザ。この山で暮らしている」
なかなかの美声だ。そんな場合ではないが、あまりに人間ばなれした美しさをもつ青年に、セスは胸の鼓動を止められなかった。
予期せず、自分の想像できる以上の美しいものを見ると、こんなにも戸惑ってしまうものなのか。
しかし、すぐに妙な感覚にとらわれた。





