11.セスティアの感情
セスティアの言葉に、ユーバスは疑わしそうだ。
別の場所で魔物と遭遇し、今と同じことがあったとして。その近くに泉があるというのなら、泉はそのたびに移動することになってしまうのではないか。
「行ってみる価値はあるわ」
確かに、魔物の血がかかっただけ、かも知れない。だが、聞いていた話に近い状態を無視するなんて、もったいない話だ。ここまで来たのだから、確かめなくては。
セスティアは、一番濃く染まった茂みの方へと入って行った。信用しきれない顔をしつつ、二人もセスティアの後をついて来る。
少し歩くと、かすかに水の匂いが鼻先をかすめた。微妙だが、湿った空気が漂っているような。
はやる気持ちを抑え、セスティアは歩調を速めて先を行く。茂みをかき分けて一歩進んだ時、目の前がぱっと開けた。
「あったっ。泉っ」
人一人がどうにか入れそうな大きさの泉があり、透明な水をたたえていた。
透明度は高く、底にある石もよく見える。そんなに深くはなさそうだ。
セスティアは近付いて、手を伸ばす。
「大丈夫か、セスティア。魔物の近くにあった泉なんだろう。不用意に手を入れない方がいいんじゃないのか」
ユーバスの心配も、もっともだ。
キトラウザも泉の存在はわかっていたようだし、あの魔物がこの泉に何かしている、ということは十分に考えられる。
セスティアは、小指の先でさっと水面に触れてみた。ただれたり、痛みが出るような感覚はない。
水に触れる指を少しずつ増やし、それでも自分の手が無事であることを確認すると、今度こそ泉に手を入れた。
痛みが起きることはなく、水の心地いい冷たさが伝わってくる。痛みどころか、ほっとするような感覚が広がった。
魔物との戦いで熱くなっていたので、その冷たさが気持ちいい。
大胆になったセスティアは、水を少し口に含む。舌に異常を感じることもなく、ほんのり甘いようにさえ思えた。
確かに、これは癒しの泉だ。
「ディスト、この水を傷口につけて。そうすれば、傷が治るから」
「え……ああ、わかった」
ディストは半信半疑だったが、それでも泉の前に来る。
治るかどうかはともかく、傷口を清潔にしておいて悪いことはないだろう。
姉に言われるまま、左手の傷を水にひたした。
「うわああっ」
水につけた途端、ディストが悲鳴をあげた。
慌てて水から出した手の傷口からは、細かい泡があふれ出ている。さらには、傷口から細い煙が立ち上っていた。
「セスティア……これは」
あっけにとられて見ていたユーバスに、セスティアが怒鳴る。
「ユーバス、ディストを押さえてっ。逃げないように」
「あ、ああ」
ユーバスが言われた通り、ディストを掴まえると羽交い締めにする。
「うわっ、バカ、やめろっ。ユーバス、放せよっ」
ディストがいくらもがいても、自分より体格のいいユーバスからは簡単に逃れられない。
セスティアは出掛けに持って来た水筒に泉の水を入れると、ディストの手首を掴んで傷にかけた。
「姉貴っ、やめろーっ」
いくら弟が怒鳴っても、セスティアは構わずに水をかけ続けた。その間、ディストはわめき続ける。
「セスティア、どういうことなんだ。そんなものをかけて、本当に大丈夫なんだろうな」
ユーバスはディストの異常な程のわめきぶりに、心配になってきた。
さっき、セスティアは泉の水を口に含んだ。時間が経った今でも、彼女に何の問題も起きていない。
だが、大の男がここまで声をあげるというのは、相当な痛みだからだろう。もしかしてこれは「癒しの泉」などではなく、やはり毒なのではないか、という疑いが頭をもたげてきたのだ。
「水が魔物の毒を追い出してるのよ。傷付いてまだ間がないから、すぐにこの泡も消えるわ」
セスティアがそう言っているそばから、傷口から出る泡が見ている間に急激に減り出し、消えた。
その途端、ディストの身体ががくっと崩れる。
「おっと」
ユーバスが慌てて、その身体を支えた。セスティアはほっとして、水をかけるのをやめる。
「痛みで気を失ったのね。大丈夫よ、すぐに気が付くわ」
セスティアが頬をぱたぱたとはたくと、ディストはすぐに意識を取り戻した。
「よく我慢したわね。偉い偉い」
幼い頃からのくせで、セスティアは弟の頭を軽く抱き締めてぽんぽんと叩いた。
「よ、よせよ。ガキじゃないって」
ディストは照れて、姉の手をどけた。横で、ユーバスが笑っている。
セスティアは気を悪することもなく、また水筒に泉の水を入れ始めた。
「その傷は普通に治療すれば、すぐに治るはずよ。帰ってから、父さんに薬を塗ってもらいなさい」
ユーバスとディストが傷口を見ると、出血は止まり、普通の切り傷のような傷があるだけだ。さっきのとんでもない痛みは、嘘のように消えてしまっている。
「姉貴、ケイジェスにも、その水をかけるのか?」
「そのために、今まで探してたんでしょ」
「そりゃそうだけどさ……大丈夫かな」
「……」
ディストの言いたいことは、セスティアにもわかっている。
痛みのために、ディストがあれだけ声をあげたのだ。彼よりもひどい傷のケイジェスにこの水をかけたら、どうなるか。
痛みのためにショックが大きく、かえって死を招くことにもなりかねない。この水も天使の水ではなく、魔を消すための魔の水なのだ。人の死のことまでは考えてくれない。
この水を探すことも賭だったが、これからのことも賭だ。
「あたしは信じる」
セスティアはそう言って、あふれるまで水筒に水を入れた。
☆☆☆
結局、ユーバスの馬に積んであった水筒も使い、セスティア達は二本の水筒に水を入れて戻った。
キト山にいる魔物はあのキトラウザだけだったらしい。帰り道には何も出くわさなかった。
実際はどうであれ、邪魔が現れないのはありがたい。馬を飛ばせるだけ飛ばして、三人はふもとへと駆け下りて行く。
戻る間、この水を本当にケイジェスに使っていいものなのか、セスティアは悩んでいた。
二人には「信じる」と言ったものの、実際セスティアは恐かった。
傷付いて間もないディストが、あれだけ苦しんだ。痛み止めが全く効かなくなってしまったケイジェスには、かなり奥まで魔物の毒が入り込んでいるのだろう。
それを消すのに、どれだけの時間が必要になるのか。その分、痛みだって尋常ではないはずだ。
何度も同じことを考えているうちに、教会が見え始めた。早く着いてほしいような、着いてほしくないような、複雑な気持ちになる。
けれど、ここでためらっていては、危険を冒してまで山へ入った意味がない。ケイジェスを助ける方法は、他にないのだ。
教会の前に着くと、セスティアは気持ちを引き締め、水筒を持って中へ入った。
ためらっちゃいけない。あたしのためらいさえも、きっと治療に影響する。
セスティアは、少しずつわかってきた。王の言葉の意味と、自分の感情と剣の関係が。
守ろうという気持ちを持ってほしい
さっき、なかなか魔物との勝負に決着がつけられなかったのは、どこかにあの魔物に対して恐れに似た感情があったからだ。
それが、ディストが傷付けられた怒りで、そんなものは吹き飛んだ。ケイジェスの時と一緒だ。
つまり、セスティアは魔物に対して恐怖や不安という感情を持ってはいけない。そうでないと、剣の力にすぐに影響してしまう。
さっきのことで、それがよくわかった。
これからすることも、魔物と対決するようなものだ。それなら、恐怖心は捨てなければ。
信じること。守りたい、助けたいと思うこと。それだけを考える。
セスティアは自分にそう言い聞かせて、ケイジェスのそばへ寄った。
さっきよりも、さらに顔色が悪くなっているように思える。それを見ると、心が揺らぎそうだ。
「父さん、ケイジェスの傷口の包帯を取って。それから、腕の下にシーツを少し多めに敷いて。それから……舌をかむとまずいから、何か口にくわえさせるもの」
「セスティア、何をする気だ?」
尋ねながらも、シストは言われた通りに準備を整える。
「魔の毒を消すのよ。簡単じゃないけど……何もしないで手をこまねいているよりいいわ」





