第8話 手袋越しの熱(後編)
心臓の脈が一気に早くなり、気の利いた返しもできないまま硬直していると、一曲目のワルツが終わりを告げた。
「はいそこ!気が抜けてるわよ!」
パンパンッ!と、よく通る甲高い柏手がレッスン場に鳴り響く。
声の主は、芸術科から派遣されてきているダンス教師だ。身振り手振りがやたらと大きく、独特の美学を持つその教師は、フロアの中心でビシッと扇子を突きつけた。
「あんたたち、中等部の頃からステップの練習してきてるんでしょうけど、だからって気抜いたダンスするんじゃないわよ!いい!?ダンスは心!魂のぶつかり合いなのよ!」
その強烈な喝に、私とルーカスの間に流れていた、ほのかに甘い空気がパチンと弾けて消えた。
一旦離れてお辞儀を交わした後、すぐに二曲目の明るい曲調の音楽が流れ始める。
変に意識しちゃダメだ!と私は気を取り直して、今度はしっかりと顔を上げて彼の手を取った。
一曲目は足元ばかり見ていたため気づかなかったが、こうしてステップを踏んでみると、周囲の令嬢たちの熱視線が、吸い寄せられるように目の前の彼に集中しているのがわかった。
もともと人気のある彼だけど、シャンデリアの光を浴びて踊る姿は、どこか現実離れしているほど美しかった。
長身で姿勢が良く、手足が長いからどんな動きも優雅に決まる。それでいて、相手を気遣うリードはとても柔らかい。
改めて見惚れてしまい、ついステップへの意識がおろそかになってしまった。
――グシャッ。
私のヒールが、見事にルーカスの右足の甲を踏み抜く。
「っ!?」
「あ……っ!」
一瞬、彼が微かに目を見開く。
私は一気に青ざめ、令嬢の仮面もかなぐり捨てて小さな悲鳴を上げた。
「ご、ごめんっ!騎士の大事な足なのに……っ!」
「……ふふっ」
慌てふためく私を見て、ルーカスは痛がるどころか、こらえきれないように僅かに吹き出した。
「大丈夫だよ。こういう時のために、足の甲もしっかり鍛えているから気にしないで」
「もう、なにそれ!」
冗談を言う彼に、私は思わず呆れたようにツッコミを入れてしまう。
彼は可笑しそうに肩を揺らし、私もつられて吹き出してしまった。教師や周囲の令嬢に気付かれないように気をつけながら、私たちはお互いにしか聞こえない声で、しばらくクスクスと笑い合っていた。
彼のおかげですっかり緊張がほぐれた私は、その後の何曲かは足を踏むこともなく、心から楽しい雰囲気でダンスレッスンを終えることができたのだった。
♢♢♢
その日の夜、女子寮の自室にて。
私は紅茶を片手に、ベッドの上でクッションを抱える親友の顔を、半ば遠い目をしながら見つめていた。
「でね、殿下ったら『私のステップに曲がついてこれていないな』ですって!絶対にご自分がステップを間違えたのを誤魔化そうとしていたんだわ!本当に素直じゃないというか、可愛いところがあるというか……」
……そう。私はさきほどから延々と、ロザリアと殿下のダンスレッスンでの惚気話を聞かされ続けているのだ。
次期王妃の貫禄を見せつけていたお茶会の時の彼女とは打って変わって、ただの恋する乙女の顔になっている。
「ロザリアは本当に殿下のことが大好きなのね」
「も、もう!からかうのはやめて!」
顔を真っ赤にして怒る彼女を見つめながら、私は笑みをこぼした。
私自身も、今日彼と笑い合った温かい時間をこっそりと思い返し、穏やかで優しい夜の空気にそっと浸っていた。




