第55話 すずらんの想い(後編)
夕暮れの丘にたどり着いた私の目の前には、息を呑むような絶景が広がっていた。
茜色から深い紫へとグラデーションを描く空の下、王都の街並みが夕日を浴びて黄金色に輝いている。五年に一度の祭りの熱気を帯びた街は、飾られた数え切れないほどの花々と、ぽつぽつと灯り始めた街灯の光が相まって、まるで光り輝く宝石箱をひっくり返したかのように美しかった。
私はふうっと息を吐き、風に揺れる柔らかな芝生に腰を下ろした。
膝の上で、ハンカチに包んだ一輪のすずらんをそっと両手で包み込み、胸に抱く。幼い頃の思い出とは違う、今の私と彼を繋ぐ、特別な意味が詰まった花だ。
この丘には、私と彼が初めて出会った日から、泣いていた彼を引きずり回した日や無茶する私を叱ってくれた日、何気ない時間を重ねた日々と温かい記憶がたくさん詰まっている。
そんな特別な場所から、特別な花を手に、愛で溢れた美しい王都の景色を見たかった。
そして、心のどこかで、ほんの少しだけ、この丘なら彼に会えるのではないか、という淡い期待を抱いていたのだ。もし奇跡的に会えたなら、勇気を出してこの花を贈ろう。そんな私だけの小さな決意と一緒に。
「ふふ……でも結局、会えなかったな」
誰に言うでもなく、私は小さく笑ってつぶやいた。
不思議と悲しくはなかった。彼が今もどこかで、この美しい国と民を守るために汗を流しているのだと思えば、ただひたすらに誇らしく、愛おしい気持ちで胸がいっぱいになったから。
――サクッ。
静寂に包まれた空間に背後の草を踏む小さな音が聞こえ、私は驚きに振り返った。
そこに立っていたのは、珍しく息を乱した彼。
「……ルーカス?」
夕日に照らされた彼は、芝生に座り込んで目を丸くしている私を見つけると、ふっと安堵したように柔らかく笑った。
「やっぱり、ここにいたんだね」
「どうして……っ、警備のお手伝いは?」
「思ったより早く終わったんだ。急いで広場に行ったんだけど、もうリリアの姿がなかったから……君なら絶対にここにいると思って、走ってきた」
呼吸を整えながら私のもとへ歩み寄ってきた彼は、「ねえ、リリア」と甘く低い声で私の名前を呼んだ。
その瞳は、いつもの親しい幼なじみに向けるものではない。心から愛おしいと想う人を見つめる、真っ直ぐで熱を帯びた眼差しだった。
ルーカスは私の目の前で静かに片膝を立てて座ると、後ろ手に隠していた何かを、そっと私の前に差し出した。
それは、小さな鈴のようにコロンとした、可愛らしい白い花。一輪の『すずらん』だった。
「好きです」
夕風が吹き抜け、すずらんの甘い香りがふわりと二人の間を通り過ぎる。
ルーカスは私の目を真っ直ぐに見つめ返し、この上なく優しく、そして切実な声で紡いだ。
「人のために無茶をして、人のために一生懸命に努力できる。いつも僕のことを優しく引っ張ってくれる……そんなリリアのことが、この世界で一番、大好きだよ」
彼の心からの言葉が、じんわりと私の胸の奥に染み込んでいく。
私がつい他人を優先してしまうことも、少しずつ変わろうと努力していたことも、彼はちゃんと見ていてくれた。そして認めて、愛してくれていたのだ。
嬉しさで視界がぼやけ、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。私は涙目で微笑みながら、胸に抱えていた一輪のすずらんを差し出した。
「……っ!」
思いがけない私の行動に、ルーカスが驚きに目を丸くする。私は震える声で、ずっと胸の奥に秘めていた、あふれる想いを言葉に乗せた。
「好きですっ……!いつも優しく見守ってくれて、私が困っている時は必ず助けてくれて……自分の目標のために、辛い訓練だってひたむきに努力する。そんなルーカスが、世界で一番大好きです!」
黄金色に染まる丘の上。
互いに差し出された、同じ『すずらん』の花。
少しの沈黙の後、私たちは目の前にあるお揃いの花と互いの顔を交互に見つめ、やがて、どちらからともなく吹き出した。
「あははっ、まさか同じ花を用意して待っていたなんて」
「ふふっ、本当にね。私たち、似たもの同士だね」
五年に一度、大切な人に花を贈るこの美しい記念祭の日に。
私たちは互いの想いと同じ花を交換し合い、丘の上に幸せな笑い声を響かせたのだった。




