第54話 すずらんの想い(中編)
お昼を過ぎると、大広場はさらに多くの人々で溢れ返っていた。私たちのテントの前には、クッキーを楽しみに待つ子供たちの長い列ができている。
「はい、どうぞ。お腹に優しいカモミールのクッキーよ」
「わあ、いい匂い!ありがと、お姉ちゃん!」
「このお花はね、あなたの大切な人にあげてね」
「うん!」
男の子は嬉しそうにクッキーの袋を抱え、少し離れたところで見守っていた母親の元へ走っていく。
「お母さん、これ、あげる!」
「まあ……可愛いお花ね。ありがとう」
思いがけない贈り物を受け取った母親の顔に、驚きと、そして花がほころぶような温かい笑顔が広がった。その様子を遠くから見つめながら、私は胸が熱くなるのを感じていた。
あのとき、勇気を出して言葉にした私の小さな提案。それが今、誰かの笑顔を生み、さらに別の誰かへと幸せが繋がっていく。自分の行動が形となり人を喜ばせることができたという実感が、じんわりと心を満たしていった。
「おお……っ。なんて純真な光景なんだ。クッキーの焼き加減も完璧だし、僕たちの班は最高だ……っ!」
「もう、グレイ様ったらまた泣いてるんですか?ほら、次のお子さんが待っていますよ!」
「シェイン様、クッキーの補充をお持ちしました!」
涙腺が崩壊しているグレイ様をルフナ様が明るくたしなめ、セイロン様がテキパキと裏から箱を運んでくる。四人で息を合わせ、私たちは休む間もなく笑顔でクッキーを配り続けた。
やがて、広場の一角からひときわ大きな歓声とどよめきが沸き起こり始めた。誰かの「王太子殿下がいらっしゃったぞ!」という声とともに、群衆がサッと道をあけていく。
視線を向けると、広場の視察に訪れたリュシアン殿下と、その腕にそっと手を添えるロザリアの姿があった。
華やかなドレスを見事に着こなした彼女は、息を呑むほど美しく気品に溢れている。民衆に優雅に手を振る姿は、すでに立派な王妃のようだった。
その姿に見惚れていると、ロザリアが私たちのテントに気づき、私とバッチリ目が合った。
彼女は広げた美しい扇子で口元をそっと隠すと、私に向けてふわりと、それでいて力強い特別な微笑みを向けてくれた。
(ありがとう、ロザリア)
彼女の想いをしっかりと胸で受け止め、私も小さく、けれど深く微笑み返した。
そして、殿下一行を少し離れた位置から護衛している騎士たちの中に、ひときわ目を引く長身の姿を見つけた。
(あ……ルーカス!)
学園の制服に腕章をつけているルーカスは、列の端で鋭い眼差しを向け、周囲を警戒している。普段の親しみやすい笑顔を完全に封印した凛々しい横顔に、一瞬で心を奪われてしまう。
すると、群衆に目を配っていた彼がこちらを向き、私と視線が交差した。
ほんの一瞬。けれども彼は私を見つけた途端、その険しい表情をふっと和らげ、周囲には気づかれないほどのわずかな動きで、優しく微笑んでくれたのだ。
ドクンと心臓が大きく跳ねる。言葉は交わせなくても、「頑張ってね」という声が聞こえたような気がして、私は胸元のリボンをきゅっと握りしめた。
♢♢♢
やがて、広場の賑やかな歓声と熱気を包み込むように、夕刻が近づいてくる。
「シェイン様、お疲れ様でした!用意していたクッキー、すべて配り終えましたよ!」
空になったカゴを抱えたセイロン様の弾んだ声がテントに響いた。
「皆様、本当にお疲れ様でした。大成功でしたね!」
私たちが満面の笑みで拍手を交わし合っていると、「うっ、ううぅ……っ」と隣から咽び泣く声が聞こえてきた。
見れば、広場でクッキーを食べながら楽しそうにくつろぐ親子たちの姿を見つめたグレイ様が、両手でハンカチを握りしめて大号泣していた。
「グ、グレイ様!?」
「だって……!シェイン様、見てください。あの笑顔で溢れる美しい広場を……っ! ズズッ。この素晴らしい景色を作ったのは、あなたの勇気ある提案があったからですよぉ……っ!」
「もう、グレイ様ったら最後まで泣きっぱなしなんだから!ふふっ、でも本当にその通りですわ。シェイン様がリーダーで本当に良かったです!」
「私も!皆様と一緒に委員を務めることができて、とても楽しかったです!」
鼻をすするグレイ様をルフナ様が明るく笑い飛ばし、セイロン様も心からの笑顔で頷いてくれる。
三人の温かい言葉と絆に、私の目頭も熱くなり視界が滲んだ。
「……皆様のおかげです。私一人では、やり遂げられませんでした。今日まで一緒に、この素晴らしい日を作り上げてくださって、本当にありがとうございました」
互いの労をねぎらい、深く感謝を伝え合う。私の初めての大仕事は、これ以上ないほどの温かい達成感とともに幕を下ろしたのだった。
西の空が深みのあるオレンジ色に染まり始め、広場はこれから夜の宴に向けて装いを変えていく。
片付けを終えて仲間たちに別れを告げた後、私はテント裏の涼しい日陰に置いておいた、小さな鉢植えのもとへ向かった。
そこには、私が今日のために愛情を込めて育てた『すずらん』が、夕日を浴びて静かに揺れている。
一番白く美しく咲いているすずらんの茎をそっと切り取り、私はそれを大切にハンカチで包み込んだ。
そして、私は彼との思い出の場所——王都を見下ろせるあの丘へと歩みを進めた。




