第49話 手荒れの理由(後編)
畑の一角に駆除液を散布し始めてから、数日後の朝のことだった。
「お、お嬢様……っ!これを見てください!!」
朝靄の残る畑へ向かった私のもとへ、領民たちが目を丸くして駆け寄ってきた。
彼らが震える指で指し示す先——私が駆除液を撒いた区画だけ、あんなにびっしりとたかっていた害虫が綺麗に姿を消し、萎れかけていた作物が青々と元気を取り戻していたのだ。
「すごい……!本当に、ただの草の汁で虫が逃げていったぞ!」
「これなら、今年の春の収穫も間に合うかもしれねぇ……っ!」
信じられないといった様子で作物に触れ、歓声を上げる彼ら。やがて、ハッとした様子で私に向き直ると、深く深く頭を下げた。
「お嬢様、俺たちが間違ってました!王都のお嬢様に土の何が分かるなんて、ひねくれた見方をして……本当に申し訳ありませんでした!」
「どうか、俺たちにもその液の作り方と撒き方を教えてください!」
彼らの目に宿る、確かな信頼と希望の光。
手のひらにできたマメの痛みも、泥だらけになった苦労も、一瞬でどこかへ吹き飛んでしまう。
「ええ、喜んで!まだまだ広い畑がたくさんありますから、みんなで一緒に大切な作物を守りましょう!」
朝日を浴びた彼らの弾けるような笑顔に、私の胸に今までにない温かく誇らしいものがじんわりと広がっていった。
作業が一段落した頃、畑の木陰で休息を取る領民たちに、私は自家製のハーブティーを振る舞った。
「おおっ、こりゃあ身体の芯からスッと疲れが抜けていくようだ……美味しいです、お嬢様!」
「本当ですね。なんだかホッとします」
「みんなの畑が元気になって、本当に良かったわ」
私が微笑むと、彼らは「来年もまた虫が出たらと思うと、少し怖いですがね」と苦笑交じりに漏らした。
「ふふ、心配いりません。来年からは、作物の隣にコンパニオンプランツと呼ばれる、虫が嫌う特定のハーブを一緒に植えておくんです。そうすれば、わざわざ液を作らなくても、最初から虫が寄り付かなくなりますよ」
「作物の隣に、ハーブを……?」
「ええ。土の栄養を整え、互いの成長を助け合う効果もあるので、一石二鳥なんです」
私の言葉に、領民たちは顔を見合わせて「お嬢様の知識は、まるで魔法のようだ!」と手を叩いて喜んでくれた。
その日の夕暮れ。
茜色に染まる屋敷のテラスで涼んでいると、隣へ静かにお母様が並び立った。
「いい顔つきになったわね」
「……お母様」
爪の間に残る泥の痕と、ほんのり日焼けした私の頬を見つめ、お母様は優しく目元を緩めた。
「リリア。貴族の淑女に必要なのは、夜会で美しくドレスを纏い、お茶会で微笑んでいることだけではないのよ」
「え……」
「自分の持つ力で、誰かを笑顔にできる女性になりなさい。あなたの持つ知識や優しさは、きっと多くの人を豊かにするわ」
その言葉は、じんわりと私の胸の深くに染み込んでいった。
これまでの私は、目の前で困っている人がいれば、自分を犠牲にしてでも、ただ夢中で手を差し伸べることしかできなかった。もちろん、その行動を間違いだったとは思わない。
でも、これからは違う。目の前の誰かだけではなく、もっと多くの人を笑顔にできる力を身につけたい。
ルーカスが『素敵だ』と言ってくれた私の優しさを、もっと強くて、確かなものにするために。
「はい、お母様……!」
暮れゆく空を見上げながら、私は新学期に向けて、一つの決意を胸に刻んでいた。




