第40話 土の匂い
学園に穏やかな日常が戻ってきた、ある日の放課後。
私は専門科目である植物学の用事で、学園の奥にある大温室へと向かっていた。
「うぅ……っ、お、重い……」
私の手には、希少な南方の植物を育てるためにブレンドされた土がたっぷり入った麻袋。その重い袋を引きずるようにしながら、必死に前へ進んでいた。
普段なら学園職員や庭師に任せる力仕事だが、「温度と湿度が変わらないうちに、早く温室の鉢に移し替えたい」という教師の想いに植物好きの血が騒いだ私は、自分で運ぶことを買って出てしまったのだ。
(ニーナに見つかったら「令嬢が泥臭い土袋を持つなんて!」って絶対怒られるわね……)
人目を避けながら進むが、腕はプルプルと震え、額にはじんわりと汗が滲んでくる。
温室まであと少しの距離が、永遠のように感じられた。
「おいおい、何やってんだシェイン嬢」
「え?」
誰かから声をかけられたかと思うと、ズシリと重かった土袋が、フワリと宙に浮いた。
声の先へ目を向けると、そこには大柄な男子生徒——アラン・ダグラス様が、土袋を片手で軽々と持ち上げて立っていた。
「ダグラス様……!」
「よお、シェイン嬢。こんな泥臭い袋、ご令嬢が引きずって歩くもんじゃないだろ。どこまで行くんだ?俺が運んでやるよ」
「そ、それは……植物学関連で、急いで温室に運ばないといけなくて。しかし、申し訳ないです!先日も助けていただいたのに、ダグラス様にお手間を……」
「気にすんなって!それと、ダグラス様はやめてくれ。騎士科はそういう堅苦しいのが苦手なんだ。アランでいいよ。俺も、リリア嬢って呼んでいいか?」
「ふふっ、はい!それなら、私のことも、どうかお気遣いなく。アラン様、ではお言葉に甘えさせていただきますね」
「ああ、任せろ。体力と筋肉だけは有り余ってるからな」
アラン様は米俵のように土袋を肩に担ぎ、私の歩幅に合わせてゆっくりと歩き出した。
彼の分厚い胸板と逞しい腕を見上げながら、私は先日のガゼボでの一件を思い出し、少し照れくさく思いながら口を開いた。
「あの……アラン様。先日は、本当にありがとうございました。アラン様がガランド様の居場所を教えてくださったおかげで、無事に会話することができました」
「ああ、よかったな!」
アラン様はニカッと太陽のように笑ってくれて、なんだか嬉しい気持ちになった。
「アラン様は、いつからガランド様とご友人なのですか?」
「ん?ああ、俺とアイツは中等部の途中から同じクラスになってな。高等部では寮も同室なんだが……アイツって何をするにも完璧だろ?弱音も全然吐かねぇし」
アラン様は少しだけ真面目な顔になって、私のほうを向いた。
「だからさ、これからもリリア嬢が、時々アイツの息抜きになってやってよ」
「えっ、息抜きって……私は、別にその……」
「ははっ、アイツから直接何か聞いてるわけじゃないが、リリア嬢とアイツが仲良いのは見てれば分かるよ」
「えっ!?」
「だから、アイツのことよろしくな」
中等部からの付き合いである彼が、いかにルーカスと距離が近く、大切に思っているのかが伝わってきて、私は照れ臭くなりながらも「はい」と頷いた。
そんな和やかな雰囲気で歩いていた時。
「——アラン?」
温室の入り口付近から、ひどく驚いたような呼びかけが聞こえた。
声のした方を見ると、ルーカスが目を丸くしてこちらに歩いてくるところだった。
「よう、ルーカス」
「……どうして、アランとシェイン様が一緒にいるんだい?それに、そんな親しげに……」
ルーカスは私とアラン様を交互に見比べながら、明らかに困惑した顔をしている。無理もない。ルーカスの中で、私とアラン様は、全く接点のない二人のはずなのだから。
「リリア嬢が重そうな土袋を運んでたから、手伝ってたんだよ。なあ?」
「はい!アラン様には、先日も助けていただきましたし、今も本当に助かっています」
「……アラン様?」
ピクリ、と。
ルーカスの綺麗な眉がわずかに動いたのを、私は見逃さなかった。
彼はすかさずアラン様の横に並び立つと、その逞しい肩に担がれていた重い土袋を強引に自分の腕の中へと移し替えた。
「ちょっ、お前なにして……制服が汚れるぞ!」
「問題ないよ。アラン、手伝ってくれてありがとう。でも、ここからは僕が運ぶから大丈夫だ。君はこれから、教官に頼まれた書類の提出があるんじゃなかったかい?」
「あ!そういやそうだったわ。悪い、リリア嬢。俺はここで失礼するよ。またな!」
「はい、ありがとうございました!」
手を振って走り去っていくアラン様の大きな背中を見送った後、私は隣に立つルーカスを見上げた。
あんなに重かった土袋を抱えているのに、涼しい顔で微塵も重さを感じさせない。
ただ、なぜか少しだけむくれたような顔でそっぽを向いていた。
「ルーカス?どうしたの?」
「……別に。リリアが僕の知らない間に、アランとあんなに仲良くなっていたなんて知らなくて、少し驚いただけだよ」
「あはは。アラン様、すごく優しくて話しやすい方だね」
「……アランはああ見えて筋肉馬鹿だから、あんまり近づきすぎない方がいいよ」
どこか拗ねたような物言い。
もしかして、私とアラン様が親しげにしていたから、機嫌を損ねてしまったのだろうか。少しだけ不安になって、恐る恐る彼の顔を覗き込む。
「え……ルーカス、もしかして怒ってる?」
「っ……!違うよ!僕はただ、心配しているだけで……幼馴染として!」
先日、私がガゼボで放った『幼馴染として!』という言い訳をそっくりそのまま返されて、私は思わずパチクリと目を丸くした。
彼も言ってから自分の言葉に気づいたのか、ハッとして口をつぐみ、耳の先をほんのりと赤くしてそっぽを向いてしまう。
先日までの、私たちの間にあった壁はもうどこにもない。こんな風に少し子供っぽくむくれた顔を見せてくれるのも、不器用な言い訳をしてくれるのも、いつものルーカスだ。
(よかった。……本当に、元の二人に戻れたんだ)
安堵と嬉しさがじんわりと込み上げてきて、私は思わずフフッと吹き出してしまった。
「もう!行くよ、リリア」
「あ、待ってよルーカス!」
照れ隠しのように早足で歩き出す彼の背中を、私はフワフワと幸せな気持ちで追いかけたのだった。




