第39話 夕日に溶ける距離(後編)
西日に赤く染まる旧棟の裏庭。
ダグラス様が教えてくれた通り、蔦の絡まる古いガゼボのベンチに、うなだれるように座っている見慣れた背中を見つけた。
走ってきたせいで荒くなっていた呼吸を整え、私はゆっくりと近づいていく。そして、静かに声をかけた。
「……静かで心地のいい場所だね」
ふいに落とされた私の声に、彼は驚きでビクッと肩を震わせ、ゆっくりと振り返った。
西日に照らされた彼の瞳が、信じられないものを見るように大きく見開かれる。しかし、次の瞬間には、昨日私に向けたのと同じ、同級生としての完璧な笑顔が顔にスッと貼り付いた。
「……シェイン様?どうして、こんなところに。アシュトン様はご一緒ではないのですか?」
「っ……」
胸の奥をギュッと掴まれたような痛みが走る。
でも、ここで引き下がったら、もう二度と元の二人に戻れなくなってしまう。
「……まだ、そんなこと言っているの?」
「えっ……」
彼がつけている分厚い仮面を叩き割るように、私は勢いのままガゼボに踏み込み、彼の目の前に立った。
「聞いて、ルーカス。あの噂は、本当にデートなんかじゃないの!テオ様の胃に効く茶葉を一緒に探しに行っただけ。抱き合っていたって話も、馬車で跳ねた泥水から濡れないように庇ってくれただけ。私とテオ様はただの友人で、恋愛感情なんてお互いに微塵もないの!」
息継ぎも忘れて、一気にまくし立てた。
呆気にとられたように私を見つめていたルーカスは、パチパチと何度か瞬きを繰り返し、やがて、強張っていた広い肩からフッと力を抜いて小さく息を吐いた。
「……ふふっ」
静かなガゼボの中に、こらえきれずに吹き出すような、柔らかな笑い声が響いた。
「な、なによ……!」
一生懸命、自分でも驚くくらい必死に弁解したのに笑われて、私はカッと頬を熱くした。
「いや……、リリアがそんなに必死になってくれるんだなって」
そう言って微笑んだ彼の顔は、毒気を抜かれたような、心の底からホッとしたような、彼本来の笑顔だった。
その優しげで温かい眼差しに見つめられ、私はさらに顔を赤くして言い返す。
「当たり前でしょ!……だって、ルーカスに勘違いされたまま距離が離れるの、嫌だもん!……っ、幼馴染として!!」
ドクンドクンと耳元までうるさく跳ねる心臓の音を誤魔化すように、私はギュッと両手を握りしめ、声のボリュームを上げて叫ぶように言った。
ほんの少しの隙でも見せれば、彼を失いたくないというこの特大の感情がすべて溢れ出してしまいそうで。今の私にとっては、この不器用な予防線が精一杯だった。
私の言葉を聞いたルーカスは、一瞬きょとんと目を丸くした。
それから、私が真っ赤になって肩で息をしているのを見て、再び肩を震わせてクスクスと笑い始めた。
「……っ、ふふっ。分かった、分かった」
ルーカスは笑いをおさめながら、ベンチから少し身を乗り出してくる。
夕日に染まる黒髪。まっすぐに私を捕らえる綺麗な瞳。そして彼は、とても優しく、私の心臓を射抜くような声で囁いた。
「僕もだよ」
たったその一言だけで、私の顔は限界まで沸騰してしまった。
恥ずかしくて思わず顔を背ける私を、ルーカスはいつまでも微笑みながら見つめていた。
♢♢♢
ルーカスの誤解が解けてから、数日後。
多くの生徒で賑わう昼休みのサロンで、思いがけない出来事は起きた。
「テオ、リリア嬢。先日は僕の個人的なお遣い、ご苦労だったね」
サロンの中心で、リュシアン殿下がよく通る声で高らかに話し始めた。
一瞬にして、サロン中が静まり返る。
「私がロザに贈るためのプレゼントを、内緒で二人に選んできてもらったんだが……二人に恋人のふりをさせたばかりに、変な噂が立ってしまったね。申し訳ないことをしたよ。……ロザ、このネックレスを君に」
殿下が美しい宝石のついたネックレスを取り出すと、隣にいたロザリアが「ま、まあ……!殿下ったら!」と見事な赤面を披露した。
サロン中から、「なんだ、殿下からの頼み事だったのか」「ウィンザー様への計らいなら仕方ない」という安堵と納得の声が広がり、私とテオ様を悩ませていた噂は、見事に泡と消えたのだった。
「……殿下のあの大芝居、一体どこまでが計算なんでしょうね」
「分かりません。ですが、私の胃に平穏が戻ったことだけは確かです……」
遠くから主君の茶番を見守りながら、私とテオ様は温かい紅茶で乾杯したのだった。




