第38話 夕日に溶ける距離(前編)
私に向けられたルーカスのよそよそしい態度が、いつまでも頭から離れなかった。
完璧な同級生としての、冷たい笑顔。
このまま彼との距離が、決定的に離れてしまうのだろうか。
(……そんなの、絶対に嫌だ)
胸を刺すような恐怖に突き動かされ、今すぐにでも彼の元へ行って誤解を解きたかった。
でも——。ふと、足がすくむ。
(誤解を解いて、それからどうするの?)
冷や水でも浴びせられたかのように、思考が急冷していく。
ルーカスにとって、私はただの幼馴染だ。私が誰と出歩こうが、誰と恋に落ちようが、彼には関係のないこと。
それなのに、血相を変えて『あれはデートじゃないの!』なんて必死に弁解したところで、呆れられて終わりかもしれない。
(変に勘ぐられたり、重たいと思われたりしたら……)
ルーカスに嫌われてしまう未来を想像すると、身がすくんだ。いっそこのまま何も言わず、時間が通り過ぎるのを待つ方が、傷つかずに済むのだろうか。
行きたい気持ちと、踏み出すのが怖い気持ち。相反する感情に挟まれて、ぐるぐると迷う私の脳裏に、これまでの彼との思い出がふわりと蘇る。
不器用な私をエスコートしてくれたダンスレッスンの授業でのこと。優しく手を引いてくれた納涼の祭典でのこと。誘拐未遂事件で、震える私を力強く抱きしめてくれたこと。そして、あの丘で過ごしてきた、穏やかで他愛のない日々のこと——。
振り返ればいつだって、ルーカスは優しく笑って私の側にいてくれたのだ。
(今となっては『学園では幼馴染であることを秘密にして』だなんて距離をとった自分が本当に馬鹿らしい……)
ルーカスに、何と思われたっていい。
呆れられても、変に思われても構わない。このまま保身のために何もしないで、彼との距離がこれ以上離れてしまうことの方が、何百倍も嫌だ。
授業なんてろくに頭に入らないまま、一日中そんなことを考え続け、そわそわと時計の針ばかりを気にして過ごした。
そうして待ち焦がれた放課後。私は騎士科の訓練場へと足を運んでいた。
見学スペースでは、すでに多くの令嬢たちが黄色い歓声を上げている。その熱気と場違いな空気に、一瞬だけ足がすくんで後退りそうになる。
(ううん、ここで引き返したら絶対にダメ……!)
弱気になりかける自分に喝を入れ、私は群がる令嬢たちの後ろから、背伸びをして訓練場を覗き込んだ。
(あれ、ルーカスが……いない?)
騎士科の生徒たちが剣を振るう中、あのひときわ目を引く彼の姿だけが見当たらない。
休憩中だろうかと少し待ってみたが、ルーカスが現れる気配はなく、私は焦りながら訓練場の周辺をウロウロと歩き回った。
しかし、訓練場は広く、生徒の数も多い。むやみやたらに探しても見つかる気配はなかった。
「……あれ、もしかして。リリア・シェイン様か?」
途方に暮れていた時、背後から声をかけられた。
振り返ると、そこには見知らぬ男子生徒が立っていた。制服の上からでもはっきりと分かる、よく鍛え上げられた分厚い胸板と大きな体。短く刈り込まれた髪に、少し日に焼けた肌。その逞しい出立ちは、間違いなく騎士科の生徒だろう。
「は、はい。そうですが……。あの、どちら様ですか?」
「いきなり悪かったな。俺はアラン・ダグラス。ルーカスと同室の者だ。……いつもアイツから話は聞いてるよ。こんなところで、どうかしたか?」
「ダグラス様……!あ、いえ、私はその、ガランド様を探していまして……」
気さくで話しやすい雰囲気にホッとしつつ、私は正直に用件を口にした。
ダグラス様は「あー」と短く声を漏らし、私と訓練場の方を交互に見た後、太い首をポリポリと掻いた。
「……アイツなら、今日は早めに鍛錬を切り上げたから、ここにはいない。多分、旧棟の裏庭に向かったと思うぞ」
「旧棟の裏庭……」
「ああ。古いガゼボがあるんだけど、アイツ、一人で頭を冷やしたい時はいつもあそこにいるんだ」
ダグラス様は親指で旧棟の方向を指し示してくれた。
多くを語らず、詮索もせず、ただ必要なことだけを教えてくれる。その硬派な優しさに、私は深く頭を下げた。
「ありがとうございます!向かってみます……っ!」
「おう。気をつけて行けよ」
頼もしい声に力強く背中を押され、私は旧棟へと走り出した。




