第37話 完璧な仮面
週明け、教室へと続く廊下を歩いていた私は、学園内の空気がいつもと違うことに気がついた。
すれ違う令嬢たちがチラチラと私の方を見ては、ヒソヒソと囁き合っているのだ。
「ねえ、聞いた?アシュトン様と……」
「休日に王都で二人きりで……」
「道の真ん中で抱き合っていたそうよ。あの完璧な側近様が……」
首を傾げながら教室に入ると、すでに登校していたロザリアが、待ち構えていたように私を手招きした。
その顔には、どこか呆れたような笑みが浮かんでいる。
「おはよう、リリア。ずいぶんと派手な噂を流してくれたわね」
「う、噂?私、何かしたかな……?」
「とぼけないの。テオ様と王都で『甘いデート』をしていたそうじゃない」
「……え?」
私は持っていた鞄を落としそうになった。
「ち、違うわ!あれはただ、テオ様の胃痛に効く茶葉を一緒に買いに行っただけで……」
「分かってるわよ。あなたたちのことだもの、どうせ実用性しかないお出掛けなんでしょう。でも、端から見れば『休日に仲睦まじくデートをする令嬢と令息』よ」
「休日のお出掛けってテオ様だったのね」とため息をつくロザリアの指摘に、私はサァッと青ざめた。
完全に油断していた。テオ様は殿下の隣にいるから目立たないだけで、単体で見れば成績優秀で眉目秀麗な侯爵令息だ。そんな彼と二人で出歩き、更に馬車から庇って貰った場面を目撃されたとなれば、噂にならないはずがなかった。
「どうしよう……!テオ様は殿下の側近なのに、私なんかが変な噂の相手になったらご迷惑が……っ」
「……テオ様の心配より、問題は別にあるんじゃないかしら?」
ロザリアはそこで言葉を区切り、目を細めた。
「この噂を『彼』がどう受け取っているか、よ」
「っ!」
心臓が嫌な音を立てて跳ね上がった。
学園中に知れ渡るほどの噂になっているのなら、騎士科にいる彼の耳にも入っているはず。
自分の気持ちを自覚したばかりなのに、他の男の人(しかもテオ様)と休日に甘いデートをしていたなんて誤解されたら――。
その日の授業は、全くと言っていいほど頭に入ってこなかった。
♢♢♢
そして、放課後。
重い足取りでサロンへと向かう渡り廊下を歩いていると、前方にひどく見慣れた後ろ姿を見つけた。
「テオ様……っ」
「リ、リリア嬢……」
振り返ったテオ様は、見事にげっそりとやつれ、いつもの三倍は強く胃を押さえていた。その隣には、なぜかとてもご機嫌なリュシアン殿下の姿もある。
「テオ様、本当にごめんなさい!私の不注意で、こんな噂に……!」
「……朝から、すれ違う生徒たちに『おめでとうございます』と言われ続け、殿下には『テオに抜け駆けされるとはね』と面白おかしくいじられ……私の胃はもう限界です。買ったばかりのハーブティーを携帯瓶に入れてきて本当に良かった……」
「ふふっ。テオも隅に置けない男だからね。リリア嬢、僕の側近をよろしく頼むよ」
「で、殿下まで揶揄わないでください!これは大いなる誤解で……!」
心底疲弊した様子のテオ様に全力で謝罪し、殿下の誤解を解こうと必死になっていた時。
「――お話し中、失礼いたします。殿下、アシュトン様、それにウィンザー様とシェイン様」
鼓膜を撫でるような、よく通る爽やかな声。
すれ違う令嬢たちがぱっと頬を染める中、彼は完璧な微笑みを浮かべ、優雅に一礼する。
「ルーカス、今日の鍛錬もお疲れ様」
「ありがとうございます、殿下。……そういえば、アシュトン様、ずいぶんと充実した休日を過ごされたようですね。朝から学園中がその話題で持ちきりですよ」
ルーカスは、いつも通りの全く隙のない美しい笑顔でテオ様に言葉をかけた。声のトーンも表情も、その佇まいは完璧な騎士そのものだった。
三人は生徒会室に行くようで、一緒に並んで歩き出す。
私はこのタイミングを逃すまいとルーカスに一歩近づき、殿下たちに聞こえないよう小さな声で囁いた。
「ルーカス、あのね。テオ様との噂だけど、これは本当にただの誤解で……」
私の弁解を聞いたルーカスは、いつものように少し意地悪な顔で揶揄ってくる、そう思っていた。
しかし、彼はほんの一瞬だけ伏し目がちに視線を揺らした後、すぐに完璧な笑顔を作った。
「そんな、ご謙遜を。お似合いですよ、シェイン様」
「え……?」
サーッと、顔から血の気が引いていくのが分かった。
幼馴染ではない、よそよそしい話し方と態度。まるで私から距離をとるように、説明する隙も与えず、ルーカスは静かに背を向けて進んでいってしまった。
学園では幼馴染であることを秘密にする。私が彼に押し付けたその身勝手なルールが、今、彼を遠ざける分厚い壁となって私の前に立ちはだかっていた。
泣きそうな顔で俯いている私を見て、ロザリアが小さく息を吐き出す。
「……はぁ。本当に、厄介ね」
呆れたように呟かれた親友の言葉の意味に気づく余裕は、今の私にはなかった。




