第36話 茶葉の香り
澄み渡るような青空が広がる休日の朝。
私は王都の中心部にある、大広場の噴水に向かっていた。
『いいこと、リリア?休日といっても、いつどこで誰が見ているか分からないのよ!令嬢として恥ずかしくないように、きちんとお洒落をして行きなさい!』
昨晩、自室のクローゼットをひっくり返してまで私をコーディネートしてくれたロザリアの言葉を思い出し、少しだけそわそわと自分の服装を見下ろした。
私が着ているのは、ワインレッドの厚手のワンピースに、上品なファーをあしらった白いハーフコートという普段なら絶対に選ばない少し大人っぽい装いだ。防寒対策もバッチリでとても暖かい。
噴水が視界に入ったところで、仕立てのよいコートを羽織り片手で本を開きながら佇む令息を見つけ、早足で駆け寄った。
「テオ様、お待たせしてしまい、すみません!」
「おはようございます、リリア嬢。私もいま来たところですよ。……おや、今日は一段と可愛らしい装いですね。殿下が見たら、ロザリア様の次に素晴らしいと褒め称えそうです」
「ふふっ、実はロザリアのコーディネートなんです。さあ、行きましょうか。テオ様の胃を救う、魔法の茶葉を探しに!」
私たちは大通りを抜け、裏路地にひっそりと佇む老舗の茶葉専門店へと足を踏み入れた。
カラン、とアンティークのベルが鳴る。店内はハーブと紅茶の芳醇な香りに包まれており、壁一面の棚にはガラス瓶に入った色とりどりの茶葉がずらりと並んでいた。
「これは……壮観ですね」
テオ様は眼鏡の奥で目を輝かせ、さっそく茶葉のリストと効能が書かれたプレートを真剣に読み始めた。
「テオ様、こちらのカモミールとレモングラスのブレンドはいかがですか?リラックス効果が高くて、ストレス性の胃痛にはぴったりですよ」
「なるほど、素晴らしい。ではこれをベースにして、ペパーミントを少し足せば、深夜の書類仕事でも頭がすっきりしそうですね」
「さすがテオ様、完璧な配合です!」
二人で小瓶を手に取り、あーでもないこーでもないと真剣に胃薬の調合を議論する。
和やかで、とても実用的な時間だった。
「今日は本当に助かりました。私一人では、到底あのような素晴らしい茶葉には巡り会えなかったでしょう」
「いえいえ、私も久しぶりに色々な茶葉を見られて楽しかったです!」
無事に大満足の買い物を終えた後、テオ様は「お礼に」と、王都でも有名なカフェへと私をエスコートしてくれた。
落ち着いた店内で、テオ様はごく自然な動作で私の椅子を引き、着席を促してくれる。洗練されたその身のこなしに、周囲の席にいる女性客たちがチラチラとこちらへ熱い視線を送ってきていた。
(端から見たら、テオ様って完璧なエスコートができる素敵な紳士なのよね)
運ばれてきた香り高いアールグレイと美しいお茶菓子を前にして、私たちが交わす会話といえば――。
「……それで、殿下がまた建国記念祭の計画に、ロザリア様のためのサプライズ花火を組み込もうとしていましてね。おかげで予算案を三度も書き直す羽目になりました」
「三度もですか……!それは、胃薬の消費量も跳ね上がりますね。本当に、お疲れ様です」
「リリア嬢も、ロザリア様の恋バナ……もとい、惚気に夜遅くまで付き合われて大変でしょう」
「ええ、まあ……」
激務に耐える同志の慰労会である。しかし。
「でも、ロザリアが本当に嬉しそうにしているのを見ると、可愛くてつい最後まで付き合っちゃうんですよね」
「……分かります。殿下も呆れるほど自由ですが、ロザリア様やこの国の未来を想う気持ちは本物ですからね。……ただ、もう少しだけ周囲の胃にも配慮していただきたいところです」
なんだかんだと文句を言い合いながらも、私たちの口元には自然と温かい笑みがこぼれていた。
「すっかりご馳走になってしまって、ありがとうございました!」
「とんでもない。こちらこそ、素晴らしい買い物ができましたよ」
カフェを出て、学園の寮に帰ろうと大通りを歩き始めた時のことだった。
通りを駆け抜けていく大型の荷馬車が、前日の雨でできた水たまりを大きく跳ね上げたのだ。
「あっ――」
私が反射的に目を閉じた瞬間。
「危ないっ」
ぐっ、と力強く肩を引き寄せられた。
鼻先を掠めるのは、パリッと糊付けされた衣服の清潔な香りと、微かな石鹸の匂い。そっと目を開けると、私の目の前にはテオ様の広い胸板があり、彼は自身のコートで私をすっぽりと庇ってくれていた。
「テ、テオ様……!すみません、私のせいでコートが……!」
周囲の通行人や、偶然通りかかった令嬢たちが「まあ、なんて素敵……!」と頬を染めてこちらを見ている。誰がどう見ても、恋人を身を挺して守る騎士のような、胸キュン必至のシチュエーションだ。
しかし、当の本人はすっと私から離れると、何よりも大切そうに抱えていた紙袋を掲げてみせた。
「いえ、お気になさらず。それよりも危なかったですね。せっかく買った特効薬が、泥水で台無しになるところでした」
テオ様はホッとしたように息を吐く。
「本当ですね……!大事な胃薬が無事で何よりです」
私たちは顔を見合わせ、深く頷き合った。
そこに甘い雰囲気など一切なく、ただ戦友としての固い絆があるだけだった。
――しかし、この日の出来事が、あの大噂の火種となることを、私はまだ知る由もなかった。




