第31話 模範回答(前編)
二学期の期末試験を目前に控えた放課後。私たちは、図書室の奥にある大きな机を囲んで勉強会を開いていた。
高い天井の空間には、静寂とインクの香り、そして時折ページをめくる音だけが心地よく響いている。
「そういえば、ルーカスはいつもどれくらいの成績を収めているんだ?」
ペンを置いたリュシアン殿下が、日常会話の延長のような口調で尋ねた。
「剣の鍛錬にばかり力を入れてきたので、座学の方はあまり誇れるようなものでは……」
「それは困るな。将来、近衛騎士団を引っ張っていくには、体力面だけでなく知識面も必ず必要になる。その辺りはテオが優秀だから、彼に教えてもらうといい」
「……殿下も、他人事のように言わず、しっかりと勉強してください」
呆れたように溜め息をつくテオ様と、楽しげに笑う殿下。
そんな和やかなやり取りがすぐ横で行われているというのに、私の頭には彼らの会話が全く入ってこなかった。
(生涯を懸けて、守り抜きたいと誓った人……)
ほとんど白紙のノートを眺めながら、数日前に見てしまった、あのオレンジ色に染まった廊下の光景ばかりがフラッシュバックする。
彼には心に決めた人がいる。その事実が重く居座り続け、どうやっても勉強に集中できなかった。
「……シェイン様。先ほどから手が止まっておられますが、何か分からないところでも?」
不意に、隣の席から静かな声が降ってきた。
ビクッと肩を揺らして顔を上げると、ルーカスが心配そうにこちらを覗き込んでいる。
「シェイン様?」
「……え、あ、何ですか?」
「先ほどから手が止まっておられますが、具合でも悪いですか?」
「い、いえ!少し不明点がありまして……。私、参考書を探してきます!」
(あなたのことを考えていたなんて、絶対に言えない!)
私は焦りと気まずさから、逃げるように勢いよく立ち上がり、本棚の方へと歩き出した。
向かいの席に座るロザリアからの『やれやれ』と言わんばかりの呆れ顔が背中に刺さった気がしたが、振り返る余裕などなかった。
「……はぁ、ダメだなぁ」
高くそびえる本棚の陰に隠れ、私は誰にも聞こえない声で小さく呟いた。
参考書の背表紙を指でなぞるふりをしながら、つい先ほどの自分の態度を振り返って自己嫌悪に陥る。
ルーカスの顔を見るたびにあの日のことを思い出してしまって、どうしても不自然な行動をとってしまう。
自分の気持ちを自覚する前は、一体どんな風に彼と接していたのか思い出せない。
そんなことを考えながら本棚を眺めて歩いていると、一冊の分厚い本が目に留まった。
(あ、あの植物図鑑、面白そう……)
無意識のうちに手を伸ばし、ぱらりとページをめくる。
図鑑に描かれた美しいハーブの細密画に、少しだけ心が安らいだ。
「植物に関する知識は、期末試験の範囲外ですよ?」
背後から、クスッと小さく笑う声がした。
「……っ!?」
驚いて振り返ると、いつの間に近付いていたのか、ルーカスがすぐ後ろに立っていた。
私は咄嗟に図鑑を胸に抱き込み、サッと一歩後ずさる。
「そっ、そうですね。ちょっと面白そうでしたので……」
バクバクと跳ねる心臓を悟られないよう、私は不自然に彼から目を逸らした。
すると、どこか縋るような声が私の耳に届いた。
「……ねぇ、リリア。最近ちょっと、僕のこと避けてる?」
「……え?」
「勘違いだったらいいんだけど……何か嫌われるようなこと、しちゃったかな」
恐る恐る視線を上げると、ルーカスは酷く悲しそうな瞳で私を見つめていた。まるで雨に濡れた大型犬のようなその表情に、私の心はキュッと締め付けられる。
(違うの。私が勝手にあなたに失恋して、勝手に落ち込んで、距離を取っているだけなの……)
でも、そんな本当のこと、言えるわけがない。
私はギュッと図鑑を抱きしめ直すと、俯きながらポツリと答えた。
「……そんなことないよ」
「それならいいんだけど。……なんだかリリア、すごく悲しそうな顔をしているから」
その言葉に、ハッとした。
自分が悲しい顔をしていることにも、彼がそれを正確に見抜いていることにも気付かされて、ひどく居たたまれない気持ちになる。
これ以上ここにいたら色々な感情が限界を迎えてしまいそうで、私はルーカスの顔を見ないまま「さ、席に戻ろう」と声をかけ、早足で歩き出した。




