第21話 秋風のベンチ
私は図書室で借りた植物学の本を胸に抱え、学園にある庭園の奥へと足を向けていた。
綺麗に整備されたメインの庭園から外れ、滅多に人が通らない細い道を抜けると、その先には大きな古木とひっそりと佇む古いベンチがある。
中等部の頃に見つけて以来、たまに訪れては読書や昼寝を楽しむ、私だけのお気に入りの場所だ。
心地よい秋風に吹かれながら、ベンチに腰を下ろした私は本を開いた。ちょうどその時——。
「リリアは、こういう自然に囲まれた静かで心地よい場所が好きだよね」
「っ、ルーカス!?」
不意に頭上から降ってきた声に、私はビクッと肩を震わせる。
振り返ると、そこには木漏れ日を浴びて柔らかく微笑むルーカスが立っていた。
先日サロンで背後を通り過ぎていった時の完璧な笑顔とは違い、少しだけ温度の高い眼差しだった。
急な彼の登場に心臓がドキリと跳ねる。
「ごめん、また驚かせちゃったね。ちょっと、隣いいかい?」
「う、うん。もちろん。……でも、騎士の訓練はいいの?」
「今日は教官が休みの日でね。少し遅れていっても大丈夫なんだよ」
ルーカスはそう言うと、私の隣にそっと腰を下ろした。
静かな空間に彼の香水がふわりと香る。
二人きりの近すぎる距離にドギマギしていると、ルーカスは口元の笑みはそのままにスッと目を細めた。
「……そういえば小耳に挟んだんだけど、君はまた無茶をしたんだって?」
「ひっ!」
背筋がゾクッとするような、有無を言わさない黒い笑顔。ルーカスから漂うオーラに、サロンでの会話が完全に筒抜けだったことを悟った。
「こ、子どもが泥沼に落ちていて、緊急事態だったから……っ」
「子どもを助けるためだからといって、無闇に泥沼に飛び込んだらだめ。こうして無事だからいいものの、もし底なし沼だったり、そのまま沈んでしまったり……リリアにもしものことがあったら、どうするつもりだったの?」
静かで、とても重たい声だった。
深い心配が揺らめいている彼の瞳に真っ直ぐに見つめられ、私は言葉に詰まった。
「君は昔からそうだ。迷子の猫を助けるために高い木に登って降りられなくなったり、誰かの落とし物を探すために大雨の中で風邪を引いたり……」
「ゔ……はい……」
過去の数々の無茶(すべてルーカスが助けてくれた)を掘り返され、私はぐうの音も出ずにシュンと俯いた。
「自分のことも、少しは優先して。……君のことを大切に思っている人もいるってこと、ちゃんと自覚してほしい」
「はい……。心配かけて、ごめんなさい」
私が素直に反省してしょんぼりしていると、ルーカスはふっと息を吐き、私の頭にポンと優しく手を乗せた。
「よろしい。……でも、そうやって自分のことより人のために何かできるのは、君の凄く素敵なところだよ」
「ルーカス……」
「ただし!無茶をするのは僕の前だけにすること」
少しだけむくれたように、けれど切実にそう言うルーカスを見て、私は温かい気持ちになった。
「……うん。それって、私が無茶してもルーカスが絶対に助けてくれるってこと?」
「えっ?」
振り返ってみれば、昔からずっとそうだ。私がピンチの時、彼はいつだって必ず私を見つけて助けに来てくれた。
私が安心しきったように微笑んで首をかしげると、ルーカスは一瞬だけ目を丸くして、ほんのりと耳の先を赤く染めた。
「も、もう!君って人は……!」
顔を背けて照れ隠しをする彼の姿が珍しくて、私は思わずフフッと笑い声をこぼした。
(お説教も終わって、穏やかな空気が戻ってきてよかった。これで一件落着だわ)
そうホッと胸を撫で下ろした時。
「さて。君の無茶については、これでいいとして」
「えっ?」
ルーカスはスッと表情を戻すと、いつもの完璧で優しげな微笑みを浮かべた。
しかし、なぜかその笑顔に、先ほどのお説教の時とは違う種類の冷や汗が背中を伝う。
「……もう一つ。他国の王子様から求婚されたという話だけれど」
「――ッ!!!」
「他国の王族がどういう意図で君に求婚し、高価なものを贈ったのか。……今後の参考に、少しだけ詳しく聞かせてもらえるかい?」
さっきまでの照れた顔はどこへやら。
絶対に逃がさないという静かな圧を感じる。
(ひ、ひぃぃぃぃぃっ!!)
私の本当の試練はこれから始まるのだった。




