第20話 新学期
賑やかだった夏休みが終わり、学園に新学期がやってきた。
久しぶりに袖を通した制服の感触に少し背筋を伸ばしながら、私は放課後のサロンでロザリアと紅茶を飲んでいた。
「――もう、殿下ったら本当に過保護すぎるのよ。私が少し歩いただけで『疲れていないか』『足は痛くないか』って……子ども扱いしないでって言っているのに!まぁ……あんなに人が多い場所だったのに、エスコートの腕だけは完璧だったけれど」
「ふふっ、本当に楽しかったのね」
公爵領での一件を振り返りながら、ロザリアは頬をほんのりピンク色に染めて嬉しそうに語っている。
「……リリアにとっても、すごく濃い夏休みだったでしょう?」
「うっ……それは……」
ロザリアが悪戯っぽく目を細めた時、私たちのテーブルに親しみのある穏やかな声が降ってきた。
「おや、楽しそうですね。お二人とも、良い夏休みを過ごされたようですね」
「あらテオ様。ご機嫌よう」
ふわりと柔らかな笑みを浮かべて現れたのは、休み明けですっきりとした顔をされているテオ様だった。殿下は生徒会の執務でお忙しいようで、今日は彼一人らしい。
彼は礼儀正しく一礼すると、私たちの向かいの席に腰を下ろした。
「ええ、お陰様で。……そうだわ、テオ様。聞いてくださいませ!この夏、リリアったら本当に凄かったのですよ」
「えっ、ちょ、ちょっとロザリア!?」
嫌な予感がして止めようとしたが、時すでに遅し。
声に楽しげな色を乗せて、ロザリアは語り始めた。
「うちの領地で開催した交易市でのことなのですけど。リリアったら、泥沼に落ちた子どもを助けるために、ドレスのまま躊躇いもなく飛び込んだのですよ!騒ぎを聞いて駆けつけた時、リリアの泥だらけの姿を見て、もう、わたくし心臓が止まるかと思いましたわ」
「……泥沼に、ですか」
テオ様は少し目を丸くして、それから呆れたような目を私に向けた。
「相変わらず、リリア嬢の度胸と行動力には驚かされますね。……怪我がなくて何よりです」
「ありがとうございます……」
恥ずかしさで顔から火が出そうになり、私はティーカップで顔を隠すようにして俯いた。
しかし、ロザリアの暴露はこれだけでは終わらなかった。
「それだけではありませんの。なんとリリア、その勇姿をアルカディア国の第三王子様に見初められて、求婚されたのですよ」
「ぶふっ!?」
「……はい?」
思わず紅茶を吹き出しそうになった私と、いつもの冷静な彼らしからぬ、素っ頓狂な声を出して固まるテオ様。
「そ、それはロザリアの誤解です!ただの王子様のからかいで……!」
「からかいでわざわざ、あんなに高価な宝石のブローチを贈ったりしませんわ。それに、ご自身の髪や瞳と同じ黄金色だなんて、本当にロマンチックですこと!」
「ブローチ……!?」
(あ、あのブローチは帰ってすぐ、実家のクローゼットの一番奥底の箱に厳重に封印したのに……っ!)
私の必死の否定も虚しく、テオ様にはしっかりと情報が伝わってしまったらしい。
思いがけない『他国の王子からの求婚』というパワーワードに、テオ様は「なるほど……」と小さく呟いて額を押さえた。
「そ、それより、ロザリアの夏休みの方がよっぽど規格外でしたよ!テオ様、聞いてください!」
たまらず話題を逸らそうと、私は勢いよく身を乗り出した。
「殿下が視察に来られた日、市場を回っている時にふと思い立ったようで、自ら店先に立ったんです!」
「えっ……ロザリア様が、自ら店先に……?」
テオ様が信じられないというように目を見開く。当の本人は、どこ吹く風と優雅に紅茶を傾けた。
「あら。将来の物品の買い付けや流通を見据えて、現場での知見を広げておきたかっただけですわ。それに、殿下や商人の方に許可をいただいた上で行ったことです。我が領地で採れる名産品の鉱石でしたから、その魅力を少し言葉を尽くしてご説明させていただきましたわ」
「少し、じゃありません!洗練された振る舞いと見事な話術で、瞬く間に商品は完売。その上、その様子を偶然見ていた東方の商人がロザリアの並外れた商才に惚れ込んで、希少な宝石の取引を持ちかけてきたのですよ!」
「……はい?」
私がゼイン殿下と一緒にいた時に裏で起こっていたロザリアの規格外の偉業を熱弁すると、テオ様は先ほどと同じく、呆然とした声を漏らした。
そして、何かを理解されたように「なるほど……」と呟き、深く、深く額を押さえた。
その時、不意にロザリアが私の背後を見て、優雅に声をかけた。
「――あら、ガランド様。ご機嫌よう」
ビクッと肩を跳ねさせて振り返ると、そこには数人の騎士科の生徒たちと、見慣れた彼、ルーカスが立っていた。
「ご機嫌よう、ウィンザー様、シェイン様。それにアシュトン様も。……皆様、楽しそうですね」
ルーカスは爽やかな微笑みを浮かべて、優雅に一礼した。いつからそこにいたのだろう。話に夢中で足音なんて全く聞こえなかった。
(ま、まさか……今の話、聞かれてた……!?)
もし今の『泥沼への飛び込み』や『他国の王子からの求婚』の話を聞かれていたらと思うと、一気に血の気が引いていく。
「ええ、夏休みの思い出話をしていたところですわ。ガランド様たちも、これから訓練ですか?」
「はい。これから訓練場に向かうところです。それでは、私はこれで失礼します。皆様も良い午後を」
ルーカスはロザリアとテオ様に柔らかな笑みを向け、私と一瞬だけ視線を交わすと、何事もなかったかのように爽やかな足取りで去っていった。
(……よかった。普通の態度だったし、きっと聞かれていなかったんだわ)
私はホッと密かに胸を撫で下ろした。
「……それにしても、交易市での殿下のエスコートには参りましたわ。少しはわたくしを一人で歩かせてほしかったです」
ルーカスの背中が見えなくなった後、ロザリアは再びフンッとそっぽを向いて、殿下への可愛い不満を口にする。
すると、ロザリアの話を聞いたテオ様が、どこか遠い目をして深くため息を吐いた。
「……殿下の完璧なエスコートの裏には、事前に交易市の危険箇所をすべて洗い出し、ロザリア様が歩きやすいルートを徹夜で策定した、我々生徒会の血の滲むような努力があったのですよ……」
「べ、別にわたくしはそこまで頼んでいませんわ!?」
顔を真っ赤にするロザリアと、疲労困憊の笑みを浮かべるテオ様。
私は二人のやり取りを見ながら、ティーカップをそっと口に運んだ。
ああ、いつもの騒がしくて楽しい日常が、また始まった——。




