第19話 追憶の花火
公爵領の交易市から帰ってきて数日。
夏休みも残りわずかとなった頃、我が家ではちょっとしたお出掛けの予定が持ち上がっていた。
「ねぇあなた、リリア。郊外で『納涼の祭典』が開催されるそうよ。久しぶりに家族みんなで行きましょう!」
「おお、それはいいな。さっそく特等席を手配させよう」
お母様の鶴の一声で決まったその予定は、あっという間に実行に移された。
当日の夜、お父様の手配で案内されたのは、祭典の喧騒を見下ろせる見晴らしの良い高台。なんと空調が効いた快適な天幕の中に、ふかふかのソファ席と豪華な軽食まで用意された、至れり尽くせりの特等席だった。
お父様とお母様も今日は堅苦しい正装ではなく、涼しげな装いでお酒を楽しんでいる。
私も夜風に揺れるような淡い水色のサマードレスに身を包み、冷たい果実水を堪能していた。
「ニーナ、私、花火が上がる前に少しお手洗いに行ってくるわ」
「かしこまりました。お供いたします」
席を立ち、ニーナと共に人の波が押し寄せるメイン通りへと降りた。
祭典の熱気は凄まじく、色とりどりの屋台とすれ違う人々の熱気で溢れかえっている。
(すごい人……でも、なんだかワクワクするわね)
無事にお手洗いを済ませ、席へ戻ろうと歩き出した時のことだ。
「あっ……」
ふと、通りから少し外れた暗がりに、ぼんやりと青白く発光している不思議な花が咲いているのを見つけた。
夜にしか咲かない希少な『夜星花』だ。図鑑でしか見たことがなかった美しい姿に、私は植物好きの血が騒ぎ、思わず足を止めて見入ってしまった。
「綺麗……本当に星屑みたいに光るのね」
ほんの数秒、花を眺めて満足し、再び歩き出そうと前を向いた瞬間。
「……あれ?ニーナ?」
隣にいるはずのニーナの姿がなかった。
わずかな間に、人の波に分断されてしまったらしい。
「ど、どうしよう。とりあえず席の方向へ戻らなきゃ……っ」
私は焦って歩き出したが、次々と押し寄せる人混みに阻まれ、思うように前に進めない。
その時、ドンッとすれ違った大柄な男の人の肩がぶつかり、私は大きく体勢を崩した。
「きゃっ……!」
冷たい地面に倒れ込む――そう覚悟して目を瞑った瞬間。
背後から力強く、けれど羽毛のように優しい腕が、私の身体をふわりと抱きとめた。
「――怪我はないかい、リリア」
耳元で、甘く心地よい、けれどどこか切迫した低い声が響いた。
ハッとして振り返ると、そこには見慣れた、けれど誰よりも会いたかった人の顔があった。
「ルーカス……!?」
「すまない。遠くから君に似た姿が見えたものだから……勝手な行動をしてしまったね。驚かせてごめん」
少し困ったように、けれど安堵したように微笑むルーカス。彼は見慣れた制服姿に腕章を付けており、どうやらこの祭典の警備の手伝いをしているらしかった。
彼自身の美しさと、この数日間ずっと頭の片隅に居座っていた本人が目の前に現れたことに、私の心臓は一気に脈打ち始めた。
「ううん、助けてくれてありがとう。ニーナとはぐれちゃって……」
「そうだったんだね。君の席は特等席だよね?送っていくよ。……ほら、またはぐれないように」
ルーカスはごく自然な動作で、私の小さな手を、彼の大きな手でスッと包み込んだ。
至近距離で繋がれた手。剣の訓練でできた少し硬い手のひらの感触と、そこから伝わってくる心地よい熱に、私はもう緊張と嬉しさで頭が真っ白になりそうだった。
「表通りは人が多すぎるから、裏から回ろう。少し暗いけれど、歩きやすいはずだから」
そう言って、ルーカスは私の手を引き、喧騒から離れた静かな裏道へと入っていった。
ガヤガヤとした祭典の音は遠のき、明かりもまばらな静寂の空間。まるで、この世界に二人きりになってしまったかのような錯覚に陥る。その時——
ドォォンッ……!
不意に、夜空に大きな音が響き渡った。
ハッと空を見上げると、頭上に燃えるような大輪の花火が咲き誇っていた。
「わぁ……綺麗……」
夜空を彩る光の粒に、私は思わず感嘆の声を漏らした。
そして、前を歩くルーカスの広い背中と繋がれた右手を見て……ふと、遠い昔の記憶が蘇り、私はフフッと可笑しくなって微笑んだ。
「ねえルーカス。……前とは、逆だね」
「逆?」
「うん。ほら、昔家を抜け出して……」
――あれはまだ、私たちが幼かった頃。
王都で大きなお祭りが催されていた夕暮れ時。私はどうしてもお祭りに行きたくて、屋敷をこっそり抜け出した。
その道中、大きな木の下で隠れるように泣いている小さな男の子を見つけたのだ。
厳しい訓練に耐えきれず、一人で泣いていたルーカス。
私は彼に駆け寄り、「また泣いてるの?今日はお祭りだよ!一緒に楽しいことしよ!」と無理やり彼の手を引っ張って、会場まで駆け出した。
息を切らして到着した瞬間、夜空に大きな花火が上がり、泣いていた彼がパッと笑顔になって、顔を見合わせて笑い合ったのを今でも鮮明に覚えている。
「あの時は、私がルーカスの手を引っ張って走ったのに。今はルーカスに引っ張ってもらってる」
私が可笑しそうにそう言うと、ルーカスはピタリと足を止めた。
振り返った彼の瞳には、色とりどりの花火の光が反射している。
彼はまるで、愛おしいものを見るような眼差しで私を見つめ、繋いだ手にギュッと力を込めた。
「……違うよ、リリア」
「え?」
「僕はずっと……今も君に、引っ張られているんだよ」
ひどく優しくて、どこか切実な響きを持った声だった。
その言葉の本当の意味を測りかねて私が瞬きをしていると、彼はいつもの完璧で優しい微笑みへと表情を戻した。
「さあ、着いたよ。特等席への入り口はここだ」
無事に席の側まで送り届けてもらい、私たちはそっと手を離した。
手のひらに残る彼の熱が、急に名残惜しく感じる。
「休み中も……リリアに会えてよかった」
「えっ……」
不意に落とされた甘い言葉に、心臓が大きく跳ねた。
「それじゃあ、僕は警備に戻るから。残りの花火も楽しんでね」
「う、うん。ありがとう……!また、学校で」
ひらひらと手を振って夜の闇へと戻っていくルーカスを見送りながら、私は自分の顔が花火の光よりも赤く染まっているのを自覚していた。
(もう、心臓がもたないわ……っ)
火照る頬を両手で押さえながら、私はフワフワした足取りで家族の待つ天幕へと足を踏み入れた。
「お嬢様ッッ!!!」
その瞬間、鬼の形相をしたニーナが立ち塞がった。
「ヒッ!?」
「またどこかに行って!一体どれだけ心配したと思っているんですか!昔の迷子癖が治っていないんじゃないですか!?」
「ご、ごめんなさいニーナ!これには海よりも深い訳が……っ!」
甘い余韻は一瞬にして吹き飛び、私は花火の音が掻き消えるほど、ニーナからたっぷりとお小言を頂戴することになったのだった。




