第17話 泥だらけの出会い(中編)
国境付近で開催されている『交易市』は、領地の人々や遠方からの観光客で足の踏み場もないほど賑わっていた。
今日はたくさん歩くからと動きやすい若草色のサマードレスに身を包んだ私は、ロザリアと共に様々な国の名産品を見て回っていた。
「まあ、リリア見て!あの細工、西地方の技術がつかわれていて素晴らしいわ」
「本当……!さすがロザリア、詳しいのね」
メイン通りには美しい宝石や装飾品の店が並び、ロザリアは目をキラキラさせている。彼女の豊富な知識に、店主たちも嬉しそうに語り合っていた。
「リリア、私、あちらの店主とも少しお話してくるわね」
「ええ、いってらっしゃい。私はこの辺りを少し見て回っているわ」
ロザリアが商談のような会話に熱中し始めたのを見て、私は一人でゆっくりと見て回ることにした。
人混みを避けるようにメインの通りから少し外れると、ひっそりと異国の植物や種を並べた露店がいくつか立っていた。図鑑でしか見たことのない不思議な形をした葉や、鮮やかな色彩の珍しい花々。
ロザリアが見ていたような煌びやかな宝石ももちろん素敵だけれど、土の匂いと瑞々しい生命力を感じるこちらのほうが、私にはずっと魅力的に思える。
「やっぱり、私は宝石よりこういう方が落ち着くな……」
さらに珍しい植物を探して、裏道の奥へと足を進めた時のことだった。
「――っ!たすけてっ!!」
茂みの奥の方から鋭い悲鳴が聞こえた。
ただ事ではない気配を感じ、私はスカートの裾を握りしめて茂みの中へと駆け込んだ。
「どうかしましたか!?」
木や草が絡み合っている奥の奥。人目につかない開けた場所で、数人の子どもたちがパニックになって泣き叫んでいた。
そして、子どもたちの視線の先を見て、私は息を呑んだ。
「うわあああんっ!足が抜けないよぉっ!」
一人の小さな男の子が、深い泥沼に落ちて身動きが取れなくなっていたのだ。
「待ってて!今行くから!」
私は迷わず沼へと飛び込んだ。
ズブッという嫌な音とともに、泥水が私のお腹あたりまで容赦なく飲み込んでいく。小さな男の子からすれば、ちょうど肩の下あたりまですっぽり埋まってしまうほどの恐ろしい深さだ。
「大丈夫、怖くないわよ。しっかり私に掴まって!」
「おねぇちゃん……っ、ぐすっ」
私は泥だらけになりながら男の子を抱き寄せ、渾身の力を込めて彼を岸へと押し上げた。
よし、これで一安心!私もすぐに岸へ上がらなきゃ!と足に力を込めた時。
「えっ……?」
泥の底で、私の片足が木の根か何かに挟まり、ズブッと深く沈み込んでしまった。
引っ張っても全く抜けない……。どうしよう、と私も焦りはじめる。
「――おい!手を伸ばせ!!」
その時、岸から力強い声が響き、太い腕が私の手をグッと掴んだ。
ものすごい力で引き上げられ、スポンッと足が抜ける。勢い余った私は、引き上げてくれたその人の胸の中にスッポリと抱きとめられた。
「大丈夫か?」
「は、はい……!」
顔を上げると、そこには昨日公爵家の庭園で出会った、あの金髪の青年がいた。
私が驚いていると、助けた男の子が泣きながらしがみついてくる。
「おねぇちゃん、ありがどう……っ」
私は自分の服が泥だらけなのも構わず、男の子をきつく抱きしめた。
「怖かったね。もう大丈夫だよ。……でも、もうこんな危険なところで遊んじゃだめ。わかった?」
「うん……っ」
反省して頷く子どもたちを見て私は心からホッとし、フフッと笑みをこぼした。
――この時、私を抱きとめた青年が、私の笑顔を食い入るように見つめていたことに、私は全く気づいていなかった。
「リリア、無事!?……って、ゼイン殿下!?」
騒ぎを聞きつけて人だかりができ始めた頃、遠くから血相を変えてロザリアが走ってきた。
「えっ?殿下……?」
私はロザリアの言葉にポカンと口を開けた。
ロザリアは泥だらけの私と青年を交互に見て驚きの声を上げる。
「……って、今はそんなことより!大変、泥だらけじゃない!怪我とかしてない?とりあえず別荘に戻りましょう!」
ロザリアは、子どもたちを大人の元へ送り届けるよう素早く執事に指示を出し、私を急いで馬車に押し込んだ。
♢♢♢
「お嬢様!?一体何をどうしたらそんな泥だらけになるんですか!」
屋敷に戻るなり、ニーナは私の姿を見て悲鳴を上げた。
「ご、ごめんニーナ!ちょっと色々あって……っ」
「言い訳は後です!さあ、急いでお風呂へ!」
呆れ顔のニーナによって光の速さで浴室へと放り込まれ、全身をピカピカに磨き上げられる。そして綺麗なドレスに着替えさせられた。
その後、応接室で私は改めて彼――隣国アルカディアの第三王子、ゼイン殿下と向かい合っていた。
「それにしても、お前かっこいいな。他人のために躊躇なく沼に飛び込む勇気、なかなかできるやつはいないぞ」
「い、いえ、私はただ必死だっただけで……」
照れて俯く私を見て、ゼイン殿下はニカッとあの太陽のような笑みを浮かべ、とんでもないことを言い放った。
「よし、決めた!お前、俺の妃になれ!」
「ええええええ!?」
「ええっ!?……って、あら?でも……いいじゃない、それ!」
悲鳴を上げる私と、最初は驚いていたが何故かノリノリになっているロザリア。
「明日の交易市、俺と一緒に回ろう。アルカディア国の名産品をお前に紹介してやる」
「で、ですが……」
「明日はリュシアン殿下もいらっしゃるから、私はそちらと一緒に回ることにするわ。せっかくだし、ゼイン殿下と一緒に行ってきなさいよ!」
ロザリアからの後押しもあり、私は断りきれないまま、ゼイン殿下と翌日の交易市を回る約束をしてしまったのだった。
♢♢♢
その日の夜。
大きなベッドでロザリアと並んで寝転びながら、私たちは静かに話をしていた。
「昼間はああ言ったけどね。リリアの気持ちが一番大事だから、無理はしなくていいのよ」
「気持ち、かぁ……。妃って言われても、ゼイン殿下が私のどこを気に入ってくれたのか、正直よく分からないの」
「恋愛ってそういうものじゃない?気づいたら好きになっているものよ」
ロザリアは優しく微笑んで、私の髪を撫でた。
「……恋するって、どういう感じなの?」
「そうね。……気づいたらその人のことを考えていて、その人と一緒にいるだけで胸が高揚して。その人が笑顔だと、自分も自然と笑顔になれる。……そんな感じかな」
愛する殿下を想っているのだろう。少しハニカミながら語るロザリアの笑顔は、息を呑むほど美しかった。
『気づいたらその人のことを考えていて』
『その人と一緒にいるだけで胸が高揚する』
ロザリアの紡いだ言葉が、私の心にストンと落ちる。
私の脳裏に真っ先に浮かんだのは、今日出会ったばかりの眩しい王子様ではなく――、表向きは爽やかで完璧だけれど、私の前だと少し意地悪で純粋なあの幼馴染の顔だった。
「私は……」
自分の胸の奥で、トクリと大きく心臓が跳ねた音がした。




