第10話 幻のデザート
学園の広大な食堂は、いつも以上の熱気と喧騒に包まれていた。
普段、私とロザリアは静かなサロンで昼食をとるか、テイクアウトして中庭のテラスで食べることが多い。だが、今日に限ってこの人混みの中にいるのには理由があった。
「リリア、急がないと!限定の『妖精の雫タルト』、絶対に食べたいわ!」
「ロ、ロザリア、走ったら危ないわよ!」
事の発端は、今朝の教室での噂話だ。食堂の厨房に新しく入ったパティシエが作る特製タルトが、涙が出るほど美味しいらしい。しかも一日限定二十食。
それを聞いたロザリアが「行くしかないわ!」と目を輝かせたため、私たちは授業が終わるや否や食堂へと急行したのだ。
しかし、甘いものに目がないのは他の生徒たちも同じだった。
デザートコーナーにはすでに長蛇の列ができており、ショーケースの中の美しいタルトは、私たちの数人前で無情にも最後の一つが売れてしまった。
「あああ……そんな……」
肩を落とし、絶望の表情を浮かべるロザリア。慰めようと私が口を開きかけた時、背後から声を掛けられた。
「おや、愛しの我が婚約者は、随分と悲しい顔をしているね」
「えっ……リュ、リュシアン殿下!?」
振り返ると、そこには爽やかな笑みを浮かべた殿下が立っていた。食堂では見慣れないその姿に、周囲の生徒たちが慌てて道を譲る。そんな中、殿下は優雅な手つきで二つの美しい小皿を私たちに差し出した。
そこに乗っていたのは、紛れもなく幻の『妖精の雫タルト』だった。
「殿下、これ……!」
「君たちが今日、これを狙って食堂へ行くと風の噂で聞いてね。王太子たるもの、婚約者の願いを叶えるのは当然の義務だろう?さあ、リリア嬢の分もあるよ」
「きゃあっ!殿下、ありがとうございます!」
ロザリアは、ぱぁっと顔を輝かせた。
やり取りを眺めていた周囲の令嬢たちからは「さすが殿下……!」「なんてお優しいの!」と感嘆の溜息が漏れている。
だが、私は見逃さなかった。
スマートに微笑む殿下の斜め後ろの柱の陰で、髪を振り乱し、ネクタイを緩め、今にも倒れそうな顔で壁に手をついて肩で息をしているテオ様の姿を。
(……絶対に、テオ様が全力疾走で並んで確保させられたんだわ)
目が合った瞬間、テオ様が「お気になさらず……」とばかりに力なく微笑んで親指を立てたのを見て、私の胸には彼に対する深い敬意と哀れみがこみ上げた。
ありがとう、テオ様。胃薬同盟の絆は永遠です。
その後、無事に席を確保した私たちは、テオ様の血と汗の結晶であるタルトを美味しくいただいていた。
「ん〜っ!ほっぺたが落ちそう!殿下に感謝ね!」
「ええ、本当に。(……色々な意味で)」
甘酸っぱいフルーツの味を堪能しながら、ふとロザリアが思い出したように顔を上げた。
「そういえば、リリア。今度の休日なんだけど、王都の大きな図書館に行く予定はあるかしら?」
「ええ、ちょうど借りていた本を返しに行こうと思っていたけれど」
「本当!?実は私、その日王宮で妃教育があるのよ。王宮と図書館はすぐ近くだから、もしよかったら私の馬車に一緒に乗っていかない?」
王家専用の馬車に相乗りさせてもらえるなら、治安の面でもこれほど心強いことはない。
「いいの?もちろん、助かるわ」
「決まりね!」
ロザリアの屈託のない笑顔に、つられて私も頷いた。




