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時雨の焼印【通常盤】  作者: 太幽


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終章「安堵の光、そして永遠の時」


それから幾年かの月日が流れた。


戦乱の世は遠く昔の話となり、国には平和が訪れていた。しかし、その平和は決して永遠ではなく、時代は絶えず形を変えながら流れていく。


ある春の日、吉備の山奥の高台で、一人の若い女性が静かに座っていた。風が吹き、桜の花びらが舞い落ちる。彼女の隣には、同じように花びらを受け止める若い男性の姿があった。


時雨——そう、彼女こそ、この物語の真の主人公だった。


桃太郎は、時雨の手をそっと握った。


「時雨、何を考えている?」


時雨は静かに微笑んだ。


「下を見てごらんなさい」


二人の視線の先には、城下町が広がっていた。その一角にある団子屋の前で、一人の老人が若者に連行されていく姿が見える。老人——かつての宇喜多秀家は、団子を一口もかじれぬまま、今日も護衛に連行されていた。


「次こそは!次こそは!」

「おのれ貴様ら!食べる直前を狙って来やがって!」


その叫び声が、風に乗ってかすかに聞こえてくる。店先では、喜備丸がくすくすと笑いながら見送っていた。


桃太郎が声を上げて笑った。


「秀家殿は、あいかわらずだな」


時雨も、優しい眼差しでその光景を見つめていた。


---



しばらくの沈黙の後、時雨が静かに口を開いた。


「桃太郎……覚えていますか?私たちが出会った日のことを」


桃太郎は、時雨の横顔を見つめた。


「ああ。あの時、お前は突然現れて、『鬼ヶ島に連れて行け』と言ったな」


時雨は、遠い目をした。


「ええ。あの頃の私は、復讐だけを生きがいにしていました。八歳の夜、両親を目の前で殺されてから、ただただ復讐だけを考えて生きてきた。あなたを利用しようと思っていたんです」


桃太郎は優しい笑みを浮かべていた。


「お前にきび団子を食べさせたとき、目を見開いて感動してたろ?あの瞬間だよ、俺が惚れたのは」


時雨は驚いた顔で桃太郎を見た。


「今それ言うのずるい!生前の、挙式の時言って欲しかった!」


「でも…そうですね。あの団子を食べた時、冷え切っていた私の心が初めて温かくなりました。そして、私が失敗した団子を、あなたが美味しいと言って食べてくれた時——その瞬間、私は何かが崩れるのを感じた」


「あの団子、本当に美味しかったぞ」


桃太郎がいたずらっぽく言うと、時雨は笑って彼の肩を軽く叩いた。


「嘘つき。あれは、土みたいな味だったのに」


「いや、あれはあれで、お前の想いが詰まっていた。それが、何よりの味だった」


時雨の目に、涙が浮かんだ。


「その時に私は初めて恋をした」


顔を少し赤くしながら、かすかな声でつぶやいた。


---



「それから、鬼ヶ島で真実を知った時のことは、今でも忘れられません」


時雨は、言葉を続けた。


「私たちが斬り捨ててきた『鬼』たちは、ただ生きるのに必死な貧しい人々だった。そして、私の一族こそが、彼らを鬼に変えた元凶だった——その真実を知った時、私の復讐は虚しく崩れ去りました」


桃太郎は、時雨の手を握りしめた。


「あの時、私も同じだった。正義だと信じて剣を振るっていたが、その手は罪のない人々の血で染まっていた。私もまた、鬼だったんだ」


「でも、それでも私たちは前に進むことを選びました」


時雨の声は、しっかりとしていた。


「弥助の言葉が今でも忘れられません。『過ぎたことを悔やんでも、死んだ人は戻らない。ならば、この屍を乗り越えて、これから先どうするかが大事なんじゃないか』って」


桃太郎は笑みを浮かべた。


「あいつは、いつもああだ。あの場で一番落ち込んでいたはずなのに、一番先に立ち上がった。自慢の親友だ」


桃太郎が懐かしそうに笑った。


時雨も微笑んだ。


「衛門も、あなたに出会って変わった。娘を探し続けていたあの人が、あなたに忠誠を誓い、最後には圓と再会できた。あの人の最期の言葉、『お前は、私の誇りだ』——今でも、あの言葉を思い出すと胸が熱くなります」


---



風が吹き、桜の花びらが二人の上に舞い落ちる。


「喜備丸が生まれた時は、本当に幸せでした」


時雨の声が、優しく響く。


「あの子を抱いた時、私は思ったんです。母さん、私も母になったよって。あなたが私を抱いた時も、こんな気持ちだったのかなって」


桃太郎は、時雨の肩を抱き寄せた。


「お前は、立派な母さんだ。喜備丸は、お前の優しさを受け継いでいる」


「でも、あの子に剣を取らせなかったのは、正しかったんでしょうか」


時雨の声に、わずかな迷いが混じる。


桃太郎は、静かに答えた。


「正しかったさ。俺たちは、武力で人を従わせる世の中ではなく、心でつながる世の中を作りたかった。喜備丸は、団子という形で、その夢を叶えているじゃないか」


時雨は、下の団子屋を見つめた。喜備丸が、笑顔で団子を握っている。


「そうですね。あの子の団子を食べた人たちが、みんな幸せそうな顔をしている。それこそが、私たちの願った『安堵の光』なのかもしれません」


---



桃太郎は、ふと遠くを見つめた。その目には、見えない未来が映っているかのようだった。


「時雨、膝を借りていいか?」


「はい」


時雨が正座をして、桃太郎がその膝に頭を乗せた。


「時雨……俺には見えるんだ。この先の時代が」


時雨は、桃太郎の顔を見て、頭を撫でながら応えた。


「どういうことです?」


「言葉にできることではない。ただ、感じるんだ。この国の平和は、永遠には続かない。いや、この国だけではない。世界中で、何度も何度も、大きな争いが繰り返されるだろう」


時雨は、黙って彼の言葉に耳を傾けた。


「刀剣よりも恐ろしい武器が生まれ、空から炎が降り注ぎ、海を越えて国同士が殺し合う時代が来る。無数の命が、一瞬で消え去るだろう」


「桃太郎……」


「それでも——」


桃太郎は、時雨の手を強く握った。


「それでも、人は過ちを繰り返しながらも、必ず前に進む。私たちが鬼ヶ島で学んだように、憎しみの連鎖を断ち切る者が、必ず現れる。何度でも、立ち上がるんだ」


時雨はにっこりと微笑んだ。


---



「私は、この丘から見える景色を、ずっと見守り続けるつもりだ」


桃太郎は、言葉を続けた。


「戦乱の世が終わり、人々が笑い合う日々が来る。そしてまた争いが起き、悲しみが広がる。それでも、その先に——」


彼は、遠くの空を見上げた。


「いつか、本当の平和が訪れる。国境など意味をなくし、人が人を思いやる世界が。それは、私たちの生きていた時代からは想像もつかないほど遠い未来かもしれない。けれど、必ず来る」


時雨は、桃太郎の顔をじっと見つめていた。


「あなたは、そんな未来が見えるのですか?」


「見えるわけじゃない。ただ、信じているんだ。弥助が信じたように、衛門が信じたように、お前が信じたように——人は変われると」


---



日が傾き、空が夕焼けに染まり始めた。


「さあ、そろそろ行こう」


桃太郎が立ち上がり、時雨に手を差し伸べた。


時雨は、その手を取って立ち上がった。そして、もう一度だけ下の町を見下ろした。


その視線の先には、喜備丸がこちらを見て笑っていた。


「あいつ、ひょっとして見えてるのか?」


桃太郎が不思議そうに言った。


「辛い時、苦しい時は吉備の村の高台を見上げなさいと最期に伝えたのよ。あの子頻繁に見上げてるそうよ」


「この姿であの子って、外見では俺達の方が今じゃ幼いぞ」


二人の笑い声が、風に溶けて空へと消えていった。


二人は手をつないで、丘を下り始めた。


その後ろ姿は、まるで永遠の時を生きる精霊のように、静かで、そして優しかった。


そして、喜備丸は高台に向かって深々と頭を下げていた。


---



その夜、城下町の団子屋では、今日も灯りがともっていた。


店内には、笑い声が響いている。


「父上、母上、見ていてください。私は、これからもこの味を守り続けます」


喜備丸は、心の中でそう誓った。


そして、彼の手元には、焼印が押された団子が並んでいる。


「時雨」——その文字は、永遠に受け継がれていく。


---



丘の上に戻ると、月明かりの下、時雨が一人で立っていた。


桃太郎が近づくと、彼女は静かに口を開いた。


「桃太郎……もし、本当にあなたの言うような未来が来るなら」


「うん?」


「その未来で、誰かがまた過ちを犯し、争いが起きたとしても——」


時雨は、優しく微笑んだ。


「私たちのように、許しと贖罪を選ぶ人が必ずいるはずです。憎しみの連鎖を断ち切る勇気を持つ人が、どこかにいるはずです」


桃太郎は、黙って頷いた。


「そして、その人たちが、少しずつ、本当の平和を紡いでいく——」


時雨は、月を見上げた。


「この物語を読んだ人が、たとえ一人でも、そんなふうに思ってくれたら。それだけで、私たちが生きた意味があるのかもしれませんね」


風が吹き抜けた。


その風は、遠い未来へと向かっていく。戦争の絶えない時代も、平和が訪れる時代も、すべてを見届けながら——。


そして、いつか誰かが、この物語を語り継ぐ。

時雨の焼印が押された団子の味と共に——。


---


【終章・完結】


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