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第九話 竜人の尻尾



「カタカタ……」


突風が吹き荒れ、ヴィクトルの馬車は、道路を修繕中のケケンの街の入り口に、よろめきながら到着した。


ここは、城壁を築き終えたばかりで、入り口の地面はまだ凸凹の土道で、馬車の轍や蹄の跡が至る所に刻まれていた。


銃を携えた城壁守備兵が、入り口を巡回しており、外から何かを採取してきたらしい農民たちが、農作物を手に、門をくぐるために列を作っていた。


城門の脇には、無数のポスターが貼られていた。


この街の紹介や、地元の商店の広告などだ。油絵で描かれた露出度の高い金髪の女性と、店の住所がセットで宣伝されていた。


城の上空には、風になびくグリフォンの旗が掲げられ、ヴィクトルの帽子の鍔越しに、その姿が目に飛び込んできた。


運が良いことに、ここはナリの都市だった。


もし、シュヴァーリやカドゥーの都市であれば、ナリの市民である彼は、入城税を支払わなければならないだろうし、税金も徴収されるかもしれない。


ヴィクトルは、軽く馬の尻を叩き、前進を促した。


「そちらの紳士、身分証のご提示をお願いします。」


門の前で、顎鬚をたくわえ、火銃を背負った兵士が、咳払いを一つし、恭しくヴィクトルに身分証の提示を求めた。背後の若い兵士たちは、ヴィクトルの馬車の車体を興味津々に見つめており、今にも中を検めたいとでもいうような様子だった。


しかし、ヴィクトルがナリ政府特発の「南大陸通行許可証」と「市民証」を提示すると、先頭の士官は、後ろの兵士たちに目配せをした。彼らは、露骨に失望した表情を浮かべ、そそくさと持ち場に戻って談笑を始めた。


「聖ナリからのお客様でしたか。ご入城を歓迎します。ケケンの街を、おゆっくりお楽しみください……。次の方、どうぞ!」


ヴィクトルは、表情を変えずに彼をちらりと一瞥し、身分証を受け取った。


馬車は、城壁の門をくぐり抜けた。


その後ろには、深紅色の馬車が続いていた。その車体の色から、馬車の主がシュヴァーリの人間であることがすぐに分かった。シュヴァーリでは、深紅が好まれ、結婚式の礼服までもが、けばけばしい深紅色なのだ。


同様に、身分証の確認が行われたが、今度は後ろに控えていた若い兵士たちが、忙しそうに動き回っていた。


彼は、視線を戻し、帽子の鍔を深く被り、背後の騒ぎには構わなかった。


城内の道路は、まだ整備が行き届いておらず、至る所に汚れた泥土や、店舗から排出された汚水が溜まっていた。南大陸の都市にとって、最も重要なことは、城壁と商店街を建設することであり、それ以外のことは後回しにされがちだった。


そのため、ほとんどの都市で、衛生環境や居住条件は、お世辞にも良いとは言えなかった。


しかし、耐えられないほどではない。


ヴィクトルも、ここに長く滞在するつもりはなかった。


「旦那様、こちらへどうぞ!」


「夜の宿には、当ホテルをぜひご利用ください。馬と馬車の無料お預かりサービス付き。朝には、温かいお水とタオルもお届けします。一泊たったの50ユーロから。長期滞在割引もございます!」


「聖ナリ、本場の味!」


「南大陸の土着娘! 聖ナリの淑女! シュヴァーリのお姉様! 旦那様、今夜はお一人ですか?」


馬車の速度は遅く、沿道では、宿の小僧たちが馬車に並走しながら、ヴィクトルに自分の店を売り込んできた。


もちろん、その他にも、レストランや売春宿の客引きもいた。どの店も、必死に自店の特徴をアピールしていた。


ヴィクトルは、彼らを相手にせず、ステッキで背後の車室のドアを軽く叩いた。


しばらく待つと、ドアが開かれようとしたが、ヴィクトルは咄嗟にドアに手を添え、完全に開くのを制止した。


「ここは人間の街だ。しばらく中で待機していろ。」


「ドアを叩いて、私を呼んだのはあなたでしょうに。」


ヴィクトルが竜語で話しかけると、背後からドアを押す力が、ゆっくりと弱まった。ドアの隙間から、一対の碧眼が彼を見つめているのが見えた。


「……後で、食料をいくつか買いに行く。食料を彼女たちに渡したら、左側の二番目の部屋で服に着替えて、それから私と一緒に補給物資を買いに行くぞ。」


その一対の瞳は、彼をじっと見つめ、やがて無言で車室の中に引っ込んだ。仲間たちに知らせに行ったのだろう。


空間魔法が刻まれた馬車がある彼には、もはや安宿に泊まる必要などなかった。それでも、馬車を停めておく場所は必要だった。そこで、彼は馬車だけを停めさせてくれる宿の小僧を呼び止め、案内させた。


馬車が、簡素な「駐車場」の隅に押し込まれるように停められた後、彼は背後の車室のドアを開けた。


ここには、休憩中の旅人たちの馬車が何台も停まっていた。もちろん、ここに寝泊まりしている者もいたが、そのほとんどは、馬車の御者を務める馭者たちだった。


ヴィクトルは、意図的に最も奥まった場所を選んだ。車室の状況を、彼らに悟られないようにするためだった。


彼は、ホテルの料理人に、五人分のローストチキンと、一人分のパンのセットを注文した。


竜人娘たちの食事代だけで、あっという間に100ユーロ近くが消えていった。


会計を済ませる際、ヴィクトルの眉がピクリと跳ね上がった。


彼女たちを買い取った金は、あの間抜けな男、オーンから巻き上げたものだ。


もともとは、赤い竜人の手がかりを探すためだけに接触したのだが、まさか情報屋兼バイヤーが、自分に目を付けてくるとは思わなかった。ヴィクトルは、泣く泣く彼の全財産を受け取るしかなかった。


南大陸での出費は嵩むだろうと予想していたヴィクトルは、文字通り、全財産を携えてやってきていた。


それでも、金銭を支払うたびに、彼の表情はますます硬直し、まるで血を吸われているかのように苦痛に歪んだ。


このご時世、金儲けの手段はいくらでもある。


しかし、どうやらどれも彼とは縁遠いようだ。母なる女神は、今年は彼に金運を授けるつもりはないらしい。現在の彼の収支状況は、人生最悪の部類に属すると言っても過言ではなかった。


ヴィクトルは、山盛りのローストチキンの皿を受け取った。


ホテルの従業員が、目を丸くして見守る中、彼は七枚もの皿を両手に抱え、よろめきもせずに、自分の馬車へと戻っていった。


まだ、車室のドアを開けたばかりだというのに、中からは甲高い嬌声がひっきりなしに聞こえてきた。まるで、聖ナリ近郊の綿工場にでも迷い込んでしまったかのようだった。


「これは、絶対にこう着るんじゃないわ。ほら、反対よ、反対……」


「あ、分かった! 人間の服って、尻尾を通す隙間がないのね! 道理で、前後が分からなかったわけだわ!」


ファシルは、ラファエルを除けば、一番賢い竜人だろう。


子供っぽい無邪気さは残っているものの、彼女はしばしば、他の仲間たちが見落としがちな盲点に気づくことができた。例えば、今のように。


室内の会話を聞いているだけで、ヴィクトルは中でどんな「惨劇」が繰り広げられているのか、おおよそ想像がついた。


彼は、ローストチキンの皿を抱えて階段を降りた。


案の定、目の前に飛び込んできたのは、予想通り、酷い有様になった着替え室だった。


彼は、思わず眉間を揉みほぐしたい衝動に駆られたが、残念ながら、彼には三本目の腕はなかった。


騒がしい竜人たちの嬌声はさておき、次にヴィクトルの目に飛び込んできたのは、一本の長い赤い尻尾だった。尻尾と脊椎の接合部から上へ視線を移すと、わずかに滑らかな赤い鱗が露出し、その上には、広大な面積を誇る、まるでクリームのように白い背中の肌が広がっていた。そこには、薄紅色の傷跡が点在していた。


同時に、背後からではあるものの、前方の豊満で柔らかそうな輪郭が、ヴィクトルの目にちらりと映った。


ラファエルは、慌てて振り返り、ヴィクトルを見た。尻尾を少し持ち上げたが、何かを思い出したのか、すぐに尻尾を下ろし、自分の下半身を隠した。


「人間の服は、私にはあまり合わない。」


ヴィクトルは、そんな光景を内心で堪能しつつも、平静を装い、彼女が身につけている、まるでボロ布のような白いシャツとズボンに視線を落とした。


来る前に、これらの竜人たちのために、適切な衣類を準備しておいたはずだ。竜語で封印して、着替え室の中に保管しておいたはずなのだが、なぜ彼女は気づかなかったのだろうか。


「お前たち、まずはこちらへ来て、昼食を受け取れ。一人一部ずつだ。おかわりはなしだぞ。」


「わーい、ご馳走だ!」


「ラール!」


「ほらごらんなさい、ミール、やっぱりあなたがラールを甘やかすから、こうなるのよ。」


「ええっ?」


ラールは、一番元気だった。さっきまで、床に落ちている服で遊んでいたのに、食べ物を見ると、我先にと駆け寄ってきた。一番にありつきたいのだろう。


後ろの仲間たちは、彼女を制止しようとしたが、手がつけられず、仕方なく服を置いて食事にありつくことにした。


彼女たちに鶏肉を配り終え、ラファエルと自分の分を確保すると、ヴィクトルはようやく着替え室に入り、ラファエルの着替えを手伝うことにした。


案の定、彼女は白いシャツの袖の穴に両足を通してしまっており、本来であればぴったりのはずの白いシャツは、無理やり引っ張られたせいで、縫い目がほつれていた。体には、上半身用の長い衣を羽織っているものの、前身頃だけを覆っているだけで、しかも何かに引っかかってしまったのか、両腕の動きが制限されていた。そのため、広範囲にわたって赤い竜の鱗が、ヴィクトルの目に晒されていたのだ。


「お前が着るべき服は、ここに竜語で書いておいたはずだが、なぜ勝手に漁ったんだ?」


ラファエルには、ヴィクトルの姿が見えない。ただ、彼の声がすぐ近くで聞こえるだけだった。まるで、自分の背後に立っているかのようだ。彼の吐息さえも、自分の鱗で感じ取ることができた。不思議なことに、竜人の鱗は体温が高いはずなのに、今この瞬間、彼の吐息が肌に触れると、異常なほど熱く感じられた。


「ら……ラールが、先にここに入ってきたから……」


彼女は、きまり悪そうに言った。特に、周囲の散乱した着替え室の惨状を見ると、なおさらそう感じた。


ヴィクトルは、それには答えず、床に散乱した衣類の山の中から、竜語で文字が書かれた箱を見つけ出した。刃のようであり、鱗のようでもある文字で、こう書かれていた。


「竜人女性用衣類」


幸い、中身はまだ、あのいたずらっ子のラールに荒らされてはいないようだ。もし、ここで壊してしまったら、南大陸では修理は不可能だろう。


「お前は、シャツの袖に頭を突っ込んでしまったから、抜けなくなったんだ……。私が服を抑えるから、ゆっくり頭を出しなさい。」


ヴィクトルは、彼女の首筋と赤い髪の間で、もつれてしまった上着を掴んだ。指が彼女の首筋に触れた瞬間、彼女の体がビクリと震えた。直後、太く逞しい竜の尻尾が、無意識のうちにヴィクトルの腰に絡みついた。彼は、一瞬驚き、尻尾に目を落とした。


「う……」


ラファエルの鱗がわずかに開き、中から熱い蒸気が滲み出した。ただし、ヴィクトルが感じたのは、あの夜のような熱湯ではなく、温かい湯気のようなものだった。そのため、彼は指を引っ込めることはなかった。


次の瞬間、部屋全体が、一瞬の静寂に包まれた。何の動きもなく、何の言葉も発せられないまま、ヴィクトルはただ、長い尻尾が自分の体に優しく巻き付いているのを感じていた。彼女の赤い髪が、自分の胸元にさらさらと落ちてくる。しかし、彼女の表情は、窺い知ることはできなかった。


生まれて初めてのことだった。彼は、一瞬、呆然自失となった。そして、ようやく我に返ると、平静を装い、淡々とした口調で注意を促した。


「……お前の尻尾が。」


「!!」


しかし、その一言が、まるで工場の機械の蒸気弁を全開にしたかのように、事態は急転した。あの聞き慣れた灼熱の蒸気が、ラファエルの体から制御不能なほど噴き出し、彼女は、先ほどまで優しく自分の腰に巻き付いていた尻尾で、勢いよくヴィクトルを突き飛ばした。ヴィクトルは、咄嗟に後退した。


だが、彼の指はまだ、彼女の首元に絡みついた衣類を掴んだままだった。


「ビリッ!」


「ドスン!」


必然的に、衣類が破れ裂ける音と、ヴィクトルの体が床に叩きつけられる音が、ほぼ同時に室内に響き渡った。着替え室は、たちまち騒然となった。


「あ……あ……あ、あなたは……」


赤い尻尾が、目の前でゆらゆらと揺れ、彼女が倒れた際に露わになった体を隠した。ラファエルは、体勢を立て直し、着替え室の隅に凭れかかった。赤い長い尻尾は、まるで意思を持っているかのように、彼女の体を守るように庇っていた。


一方、ヴィクトルは、虚ろな目で天井を見つめたまま、彼女の方に視線を向けようともしなかった。


その直後、あの口の周りが油でテカテカのラールが、騒ぎを聞きつけて、隣の部屋から跳ねるように駆け込んできた。


そして、彼の視界に飛び込んできた光景に、目を丸くした。


「うわぁ! ラファエル様が転んだ。ヴィクトル様も転んでる! ミール、早く来て! きっとラファエル様の尻尾が大きすぎるから、服が入らないんだわ! ほら、やっぱりそうだったじゃない、だから言ったのに、誰も信じてくれないんだもん!」


研究時間外でも、竜人に関する新たな情報を得られるとは。


彼は、上半身を起こし、無言で顔を背け、手にしていた衣類を、まだ床に座り込んでいるラファエルに投げ渡した。


「中に説明書が入っている。今度こそ、ちゃんと着られるはずだ。ラールたちに知恵を借りるのは、もうやめておけ。」


我ながら滑稽な話だが、彼は、ラファエルが自分を暗殺しようとし、そして失敗して罰を受ける、そんな状況を、ほんの少しだけ期待している自分に気がついた。


彼は、隣でその言葉を聞いて、信じられないものを見るような目で自分を見つめ、今にも泣き出しそうなラールを一瞥すると、手を伸ばして彼女の頭を撫で、パンを一切れ手に取ると、再び馬車から外へと出て行った。





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