第22話 レーネ
「くそっ、また人を捕まえてきたのか。それも亜人……。連中は城主に手紙を書いたのか? 私はクッケン城主と友人なんだ。彼は絶対に私を助けに来てくれるはずだ」
ラファエルたち竜娘は、 コリリという名の脳魔に捕まり、大広間にある簡素な牢屋に放り込まれた。
中には人間が三人、男二人と女一人が閉じ込められていた。
脳魔がいるおかげで、ラファエルはこれらの人間の言葉を理解することができた。彼女は顔をしかめてそちらを見た。
「静かにしろ。あと十日猶予があるんだ。それまでに身代金を持ってこなければ、お前たちをバラバラにしてやる」
巨大な蜘蛛シアが外から脅し文句を吐き捨てた。牢屋の中の人間たちはひどく怯えていた。
「待ってくれ、殺さないでくれ……。わ、私は……」
牢屋の中から聞こえてくる人間の声など無視して、シアは傍らの岩壁をよじ登り、上の方にある小さな洞穴に寝そべった。隣の洞穴には脳魔が座っていた。
「ファーマシは? まだ穴掘りしてるのか?」
「お風呂に行ったみたい」
コリリは手にしていた宝石箱を閉じた。
そしてシアの方を向いた。彼女の顔には白い物質が塗りたくられていたが、どうやら慣れていないようで、顔色は真っ白になり、幽体のような姿と相まって、まるで悪鬼のようだった。
シアは先ほどから座っていたのだが、相手の奇妙な姿を見て笑い出した。彼女を指差して言った。
「なんだその化け物みたいな顔は? 醜いな、ギャハハハ!」
「……」 コリリは口を開きかけ、鏡を見て、無表情で言った。「人間の街で買ってきたものよ。あちらの女性たちはこういうのを塗るのが好きみたい。見たことがあるけど、綺麗だったわ。でも、私のは塗りすぎたみたいね……」
シアは横になった。巨大な蜘蛛の脚を自分の体の下で何度か動かし、体の中から少しずつ蜘蛛の糸を引き出した。
蜘蛛人の糸は非常に貴重で、巣を作る際には、日頃から貯めておいた糸を使う必要がある。たくさん食べれば食べるほど、糸は多く、白く、良質なものになる。
シアの手の中の蜘蛛の糸は、まるで白玉のように美しかった。
彼女はそれを愛おしそうにしばらく眺め、少しずつ、まるで餅を捏ねるように、今日体内で生成された糸から不純物を取り除いていった。
「あんた、一体どれだけ糸を貯め込んでいるの?」
コリリは彼女の体躯の下にある巨大な蜘蛛の体を見て、尋ねた。
シアは彼女を見ようともせずに言った。
「あんたに何が分かるのさ。この糸はもう何年も貯めてきたものなんだ。毎日食べるもの全てを糸を貯めるために使ってるんだから。巣を作る時は、きっと一番綺麗で、一番快適な巣にしてやるんだ……」
「ふっ、巣作り、ね……」
コリリは手元の化粧箱を置いた。鏡に映る彼女の幽体のような表情は、徐々に薄れていった。「このままじゃ、どうにもならないわ。人間はいつまでも城壁の中に引きこもっているわけじゃない。北のゴブリンの部族は、もうたくさん人間によって滅ぼされた。あの大きな部族が人間によって滅ぼされたら、そのうち荒野全体が人間のものになる。私たちは……」
「チェッ、そうなったら山にでも隠れて暮らせばいいさ。仕方ないから、あんたも私の巣に住まわせてやってもいいよ」
シアはあまり賢くないようで、 コリリの言葉に含まれる危機感に全く気づいていない。むしろ楽観的な様子で、再び貴重な蜘蛛の糸を全て巨大な蜘蛛の体内に戻した。
コリリは口を開きかけたが、やがて呟いた。
「そうだといいけど……。人間との接触は私が行くわ。後で出発するわ。ちょうど、人間がどうやってこれを使うのか、もう一度見てくるわ」
彼女は手元の化粧箱を洞穴の脇に置いた。そしてシアを一瞥した。
「あなたたちは、もう寝なさい。また連絡するわ」
「分かった分かった。早く行ってきてくれ。ファーマシって奴が何してるか見てくるよ。まさか、風呂に入りに行ったまま、また穴掘りを始めたんじゃないだろうな……」
コリリの姿が徐々に消えていくのを見届けると、シアも洞穴の上から飛び降り、洞穴の別の方向へ歩き出した。火の光が微かに揺らめき、彼女の巨大な蜘蛛の影は徐々に伸びていき、やがて完全に見えなくなった。
「もうだめだ、もうおしまいだ、殺される……」
数人の人間は、顔面蒼白で力なく呟いていた。
しかし今のラファエルには、もう彼らの言葉は理解できなかった。あの脳魔種の亜人はもういなくなっていた。
ラファエルは無理をしてでも牢屋の傍まで行って、肉体だけで牢屋の扉を破壊できないか試そうとしたが、そこまで歩くだけで体がだるく、鱗が酷く痛んだ。
ミールはそれを見て、彼女を支えながら座らせ、低い声で言った。
「大丈夫ですよ。ヴィクトル様はきっと来てくれます……」
ラファエルは彼女を一瞥した。ミールは何かを思い出したのか、顔を赤らめ、慌てて手を振って言った。
「そ、そうじゃなくて、ヴィクトル様は他の人間とは少し違うから……」
「ミール姉様、どうしてあの人間を信じるのよ!」
「そうよ、そうよ」
ファシルとコシルがミールを指差して言った。
ミールの顔はますます赤くなった。
「ち、違うのよ。ただ、ヴィクトル様は他の人間とは少し違う気がするの……」
「お兄様に言ってやる!」
「ちょ、ちょっと、変なこと言わないでよ、コシル!」
ブールはミールの伴侶であり、コシルとファシルの兄でもある。
部屋は再び騒がしくなったが、あくまで小声の範囲内だった。彼女たちは大声で話す勇気はなかった。あの蜘蛛人がまたやってきて、火銃を胸に突きつけてくるのが怖かったからだ。
しかし次の瞬間、ミールの隣にいたラルが叫んだ。
「ヴィクトル!」
「シーッ、ラル、静かにしな……。え……、ヴィクトル」
ラファエルは何かの名前を聞いた気がして、ハッと顔を上げた。すると牢屋の扉口に、黒い背広を着た人間男が彼女たちを見下ろしていた。
ラルが叫んだのを見て、ヴィクトルは人差し指をラルの口元に当て、静かにするように促した。
「ヴィクトル、どうやって入ってきたの?」
「先生、先生!私共はナリーの者でございます。どうかお救いくださいませ!。外のクッケン城主に私たちの居場所を伝えていただければ、必ずや厚く御礼をいたします!」
ヴィクトルは目を輝かせている人間たちや、騒がしいラルを無視し、ただ竜人の数を指で数えた。
誰一人欠けていないことを確認すると、牢屋の扉を開けることなく、自分の馬車の行方を探し始めた。
洞窟の脇に停まっている馬車を見つけると、彼は杖を手に牢屋の扉口から離れていった。
「おいおい、先生、行かないでくれ、頼むよ!」
振り返りもせずに去っていくヴィクトルを見て、人間の囚人たちは顔をしかめた。
ラファエルは牢屋の扉口に寄りかかり、そっと目を閉じた。なぜか分からないが、彼が先に扉を開けなかったことに、少しばかり不快感を覚えた。しかし、考えてみればもっともなことかもしれない。彼にとって、自分や仲間たちの重みは、彼の馬車の万分の一にも満たないのだろう。
彼女は胸の内の不快感と悲しみを押し殺し、何も言わなかった。
ヴィクトルは馬車の扉を開け、荒らされた部屋に入った。
引き出しを開けると、自分の革財布がなくなっていることに気づいた。
彼の平静な表情に暗雲が立ち込め、杖を握る手に力がこもった。
自分の部屋から出ると、彼は地面に落ちている濃い紫色のドレスにふと気づいた。
一瞬、動きを止めた彼は、その服を手に取った。紫色の光輪が再び現れ始めたが、ヴィクトルが触れた瞬間、完全に消え去った。
魔法はすでに発動していたようだ……。
ヴィクトルは小さくため息をついた。脳裏に、あの魔女の姿がふと浮かんだ。
彼は再びドレスを更衣室の奥に掛け直した。ドレスが翻ると、その襟元に、ナリーの花文字で小さな文字が現れた。
レーネ。




