162話:迷いを超えて、帰る場所へ
リオンがノアの頭を撫でていると、ノアが小さく身じろぎしながら目を覚ました。
「ん……起きた。どうだった、ちゃんとできた?」
リオンが淡々と問いかける。ヒナとの譲渡のことだった。
「できた。魔力譲渡して、おれの発情期の緩和と、ヒナちゃんのデメリット中和もできたと思う。」
ノアは体を起こしながら、続ける。
「それと……ヒナちゃんの精液も一滴残らず舐めてきたよ。知らなかった、天使の精液って媚薬?みたいな感じなんだね。
身体の欲求が強くなったけど……ヒナちゃんの魔力がおれの体内にあるうちは感情感知はできるかもしれない。ちょっと量とか回数的に不安だけど。」
その言葉を聞いて、リオンは満足そうにノアの頭をくしゃっと撫でた。
「言わなくても理解するのは利口だね。」
ノアは嬉しそうに尻尾を揺らしながら、甘えるような上目遣いでリオンを見上げる。
「何? もしかしてご褒美欲しい? 散歩でもおやつでも付き合ってあげるよ。」
その冗談にノアは頬をぷくっと膨らませた。
「ペット扱いだ〜! それも嬉しいけど〜、デートがいいの〜!」
リオンは肩をすくめながら、ふっと笑う。
「ヒナの面倒見てくれる? オレはしばらくヒナとは深く関わるつもりない。治癒魔法 教えてやって。ノアもできるでしょ。」
「できるけどぉ……大きい治癒魔法使ったらヒナちゃんの魔力、いっぱい減っちゃうよ〜。またおれの魔力注げばいいの? ヒナちゃんの心が壊れちゃいそうで心配だよぉ……。」
「それをノアが感知して、報告してよ。必要だったらヒナとエリンを会わせる。」
「うーん……またリオくん、エリンさんの家に出かけちゃうの?」
「オレはエリンのとこに居座るつもりないよ、やることないし。治癒も譲渡も、全部エリンがやればいい。
あいつ強情だし、ヒナもエリンには何も言わないから、苦労するけどね。
あの二人が変わるの待ってたらエルフが寿命で死ぬ方が早い。」
ノアは驚いたような顔をした後、思わず、ふっと吹き出すように笑った。
「そんなことないよぉ。言い過ぎだよ〜! 何百年も意思が変わらない人なんていないよ〜!
ヒナちゃんとエリンさんなら大丈夫だよ、時間がかかってもきっとゆっくり信頼関係を結び直すと思うな〜。」
リオンはノアの言葉に少しだけ目を細めた。
「……そう? 早く行動してくれればオレも楽なんだけどね。命っていつまでも保証されてるもんでもないし。」
その言葉には、リオン自身の過去の経験が滲んでいた。今、彼が何よりも気にかけているのはミアの命だ。
「暇だから、オレはしばらくお利口なわんこの世話でもするかな。」
その言葉にノアの目がキラキラと輝き、嬉しそうにしっぽが大きく揺れた。
リオンはベッドから立ち上がり、窓の外を一瞥する。
「……ヒナ、まだ戻ってないな。エリン迎えに行ってくる。
ノアはヒナ探して、様子見といて。見失ったら鼻で追跡、できるでしょ?」
「もちろんっ! おれ、リオくんの役に立つの大好きだもん!」
ノアは耳をぴんと立て、尻尾を勢いよく振った。
「はいはい、お利口さん。」
リオンは薄く笑いながら、ノアの頭をぽんと叩き、そのまま静かに部屋を出た。
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夜の冷たい風が頬を撫でる。ノアの家を出たヒナは、何をするでもなく足を進めていた。目的地はない。
ただ、胸の奥にくすぶる何かから逃げるように、静かな街をさまよっていた。
──何をしてるんだろう、ボク。
頭の中では、ノアの言葉やリオンの素っ気ない態度がぐるぐると回り続ける。
『いいな……ヒナちゃん。おれも“また”リオくんに抱かれたい……。』
あの切なげな声が耳にこびりついて離れない。ノアはリオンを信頼しているだけじゃない。本気で、心の底から愛しているのだと痛いほど伝わってきた。
「……ノアさん、すごいな……。」
呟いた言葉は夜の空気に溶けていく。自分には、あそこまでの覚悟も信念もなかったことに気づいてしまう。
リオンへの気持ちは決して無かったわけじゃない。でも──
(ボク、リオンさんにとってはただの“手段”だったんだ。)
その事実が胸をえぐる。ノアのように、リオンを支えたい、役に立ちたいと心から願ったことがあっただろうか。
「……ボク、何をしてたんだろう……。」
魔力譲渡を受けながら、ただ安心感に甘えていただけだったのではないか。リオンに頼ることで、ご主人様への寂しさを埋めようとしていたことを、今更ながら痛感する。
道端のベンチに腰を下ろし、ぼんやりと空を見上げる。夜空には、ぽつりぽつりと星が瞬いていた。
──ご主人様。
ふと、エリンの優しい微笑みが脳裏に浮かぶ。温かな手で頭を撫でられ、穏やかな声で励まされた日々。
『ヒナ、僕たちのために無理させてばかりでごめん。君が一番つらい立場なのに、何もしてあげられてなくて……。』
『僕は君のことが好きだよ。家族として大切な気持ちは変わらないけど、君の気持ちに寄り添えるように、真剣に考えてみたくて。』
あの言葉が胸を締め付ける。エリンはいつだってヒナを家族として見守ってくれた。リオンに甘えて、迷い続けた自分を知ったら、きっと悲しむだろう。
しかし、それすらもご主人様は赦してくれてしまうような包み込んでくれる優しさと思いやり、家族としての深い愛がある──
『どんなことがあっても、僕はヒナのことを軽蔑したりしないよ。今もね。』
「……戻りたい、な……。」
どれだけリオンに触れられても、ノアに優しくされても、心の奥にぽっかり空いた穴は埋まらなかった。
ボクが本当に求めていたのは──
「ご主人様……。」
ぽつりと涙が零れ落ちる。もう一度、あの穏やかな微笑みに触れたい。抱きしめられて、温かな胸に顔を埋めたい。ただそれだけを願う。
その瞬間だった。
「ヒナ?」
懐かしい声が、夜の静寂を破った。
「……え?」
信じられないものを見るように顔を上げると、そこにはエリンが立っていた。息を切らし、少しだけ困ったような微笑みを浮かべて──
「探したよ。大丈夫?」
その言葉に、ヒナはこらえきれず、涙をこぼしながらエリンに飛びついた。
「ご主人様……! ごめんなさい……っ!」
強く抱きしめ返すエリンの腕は、何よりも温かかった。
(──やっぱり、ボクの帰る場所はここなんだ。)
夜空の星が、静かに二人を見守っていた。




