158話:繋がれた命の先へ
静かな午後、窓から差し込む陽光が部屋の中を優しく包んでいた。ヒナはベッドの端にちょこんと腰掛け、ノアの言葉を待っていた。譲渡を受ける前に、と切り出された言葉に、不安と期待が入り混じる。
ノアは窓の外を一瞥し、小さく息を吐いた。
「……ヒナちゃん。譲渡する前に、話しておきたいことがあるんだ。」
「……話しておきたいこと?」
ヒナは首を傾げる。ノアは軽く微笑んだが、その表情はどこか陰りを帯びていた。
「リオくんとおれが初めて出会った時の話。」
ノアはふっと遠くを見るような目をして、静かに語り始めた。
「おれは、元々魔王城で生まれた奴隷だったんだ。希少な混血種だったから、血液を、つまり魔力を搾取され続けてた。将来的には……悪魔たちの“繁殖用の種馬”として役割を押し付けられる予定だったよ。」
ヒナは目を丸くした。「繁殖用……? そんな……。」
「価値を外部から決められる存在。それが、当時のおれのすべてだったんだ。」
ノアは自嘲気味に笑い、ヒナを見つめる。
「でも、おれは搾取されるだけの存在にはなりたくなかった。『奪われるくらいなら、自分で終わらせる方がマシ』……そんな歪んだ自尊心だけが、おれを支えてたんだよ。」
ヒナは息を呑んだ。ノアの表情には苦しさと誇りが入り混じっている。
「そんなある日、限界まで悪魔に抵抗して血液を吸われて魔力を搾り取られたおれは、廊下でぶっ倒れてた。……動けなくなったら、ただ捨てられる。
それだけの存在だって、わかってた。」
ノアは眉を寄せ、記憶を掘り起こすように言葉を紡ぐ。
「その時、銀髪の少年が現れたんだ。……リオくんがね。」
ヒナの瞳が驚きに揺れた。
「『お前、まだ生きてるんだ。』
赤い瞳で見下ろすその少年は、まるで興味のない玩具を眺めるみたいな目をしてた。でも……その奥には、微かな苛立ちと迷いが見えたんだ。」
ノアは苦笑する。
「リオくんは言ったよ。『無駄な抵抗に命を賭けるくらいなら、自分のために悪魔に従うフリして生きればいいのに』って。」
「……リオンさんが、そんなことを……。」
ヒナは信じられないという顔をした。ノアは肩を竦める。
「今じゃ想像つかないよね。でも、あの頃のリオくんは……支配や価値に抗う存在に、無自覚に共感してたんだと思う。
リオくん自身が父親の支配に反発しながら、まだ父親に抵抗できるだけの強さがなかったからね。」
「おれはリオくんの手を拒絶した。…悪魔なんかに従わない…あんたに助けられるくらいなら、死んだ方がマシだってね。」
ノアは目を伏せる。
「おれにとって、リオくんは諸悪の根源である魔王の息子でしかなかった。そんな相手に救われるなんて……屈辱だったから。」
ヒナは思わず息を呑んだ。ノアは皮肉気に笑う。
「でもさ、リオくんは肩をすくめて、こう言ったんだ。
『従えなんて言ってない。ただ、生かすだけ。オレの興味があるうちはね。』
そう言って、おれを押し倒して、魔力譲渡を始めた…生きることを手放そうとしてたおれに、無理やり、ね。」
ヒナは顔を赤くして俯いた。
「……そんな……。ノアさんは、無理やり……?」
ノアは頷いた。「ああうん…。あのときの感覚は、陵辱そのものだった。嫌悪する悪魔に命を繋ぎ止められるなんて……最悪の屈辱だったよ。でも、身体に満ちる温かな魔力は、確かにおれの命を繋いだ。」
沈黙が流れた。ノアはゆっくりと、ヒナに目を向ける。
『もう、お前は死ねないよ。オレが生かすから。』
……リオくんが瀕死のおれに譲渡する時に言ったその言葉は、おれにとって当時は呪いで、今は救いになってるの」
「結局、当時のおれは生きることを選んだ。……否応なく、だったけどね。」
ノアは深く息を吸い込み、話を続ける。
「父親に天使・アリアを優秀な子供を作る為に押し付けられて、そのことにもリオくんは反発してて、何もせずただ彼女から天使の話を聞きだしてたみたい。
最終的には信念が折れて愛を与えられない天使の彼女が堕天しかけた
彼女を救うために……リオくんは彼女の望み通り、噛み殺したんだ。」
「その後リオくんは天使の血液を過剰摂取して暴走したんだ。高位悪魔たちを次々と殺して、魔王である父親を殺して…魔王城は崩壊した。」
ノアは険しい表情を浮かべた。
「リオくんは魔王城の支配を終わらせるために、城ごと崩壊させることを選んだ。」
「終わらせる……?」
「『この城ごと終わらせたかった。もう二度と苦しまないように。』
それが、天使の血液で正気を失い強い力を得たリオくんが本能的に選んだ解放だったんだ。
クソみたいな支配で気分が悪いって口悪く吐き捨てるように言ってたけどね」
ノアは窓の外を見つめる。
「おれは魔王が殺されたその時、泣き叫ぶエリンさんと、冷たい無表情のリオくんを見た。
魔王の最期は気味悪く嗤ってたんだって。
魔王は奴隷を使って強い魔力の子供を作って従えようとしてたから、稀少な混血種の息子の出来に満足したんだろって。」
ノアはそっとヒナの肩に手を置いた。
「その後、悪魔城でおれは自分の母親に会うことができて、一緒にこの家で暮らしてた。寿命でもう亡くなってるけどね…。
リオくんもエリンさんとミアちゃんと暮らしてたみたい。でもミアちゃんは攫われた。
エリンさんの目の前で…。
その時から自分の無力さを嘆いて魔法の習得や強化に日々努力を惜しまなくなって、家族に対する執着が強くなったってリオくんが言ってた。
リオくんはその頃からおれの混血種としての強い魔力に期待してくれてて、獣人としての能力を覚醒させる為に定期的におれに魔力譲渡を続けたよ。
『お前を飼うつもりはないけど、オレのために能力を覚醒させて欲しい、役に立つならそれなりの報酬はやる。』……そう言いながらね。」
ヒナは眉を下げた。「それって……支配じゃないんですか?」
「支配とは違う。……信頼に基づく役割分担だったんだ。」
ノアは優しく微笑んだ。
「おれは初めて思ったんだ。リオくんの役に立てるなら、生きる価値があるって。
奴隷生活からの解放も、母親と過ごした短い時間も、その後ひとりぼっちになったおれに役割と繋がりを与えてくれたのも全部リオくん。」
「おれにとって、リオくんは“好き”を超えた存在。命を捧げてもいいって思える唯一の人だよ。」
ノアはヒナの目を真っ直ぐ見つめた。
「リオくんは愛を与えることは知らない。でも、誰かを生かすことはできる。おれはその力で命を繋がれた。
あのとき……リオくんはおれにこう頼んできたんだ。
『お前の嗅覚と聴覚、身体能力を貸せ』って。」
ノアは微笑む。
「その使命が新たにおれの生きるための理由になった。」
ヒナは静かに頷いた。ノアは手を握り締める。
「リオくんからおれに、おれからヒナちゃんに、ヒナちゃんからミアちゃんに……。
そうやって、誰かから魔力を受け取り、信頼を繋げて誰かを救う。
それが『愛』の意味だとおれは思ってるんだ。」
ノアはヒナに微笑みかけた。
「……ヒナちゃんにとって会ったばかりのおれに心を開く事は怖いかもしれない。でも、信頼して。」
ヒナは不安げに震える唇を引き締め、真剣な表情で頷いた。
「……お願いします。ノアさん。」
ノアは頷き、二人は静かに魔力譲渡のための心の準備を始めた。




