76 座敷精霊3(前編)
勇者パーティ全員がしこたまハチに刺されたことで、探索はしばらく中断となった。
その日の夜、ユニバスは新メニューの乗ったおぼんを押し入れの前に置くと、部屋の明かりは消さずに眠りについた。
しばらくして、音もなくふすまが開く。
「この匂いは……なんなのまり……?」
押し入れの暗闇から、暗幕を頭から被ったような長い黒髪の生き物が出てきた。
なんとも形容しがたい匂いに、我慢できなくなって出てきてしまったのだ。
おぼんの上には、皿と大きな湯飲みのような器。
皿には海苔を巻いた三角おにぎりがふたつと、ウインナー、卵焼き。
匂いの正体は湯飲みのほうからしていた。
それはラーメンで、ほこほこと湯気をたてるできたてのそれは、いままで嗅いだことのない匂いがしていたのだ。
怨霊はゴクリと喉を鳴らす。長い髪の間からもみじのような小さな手を出して箸を取り、湯飲みを持つ。
箸でラーメンをすくってフーフーしてから、黒髪の間からズルズルとすすった。
瞬間、黒髪がしゅるしゅると短くなっていき、木の枝のような耳が露出する。
前髪は目が隠れる程度のところで止まり、後ろ髪はヒザ裏あたりの長さで止まった。
その口は逆さ三日月のようになって、「ふわぁ……!」と感嘆のため息を漏らしている。
そこからはもう、食べる手が止まらない。
両手でおにぎりを持ってもぐもぐ、箸でウインナーや卵焼きを切ってはぐはぐ。
ずるずるずるっ! と勢いよくラーメンをすすり、はふはふする。
すると、青白かった頬がリンゴの血色を取り戻していった。
その頬にはごはんつぶが付いていたのだが、気づかないほど一心不乱に食べている。
ユニバスは押し入れに背を向けて寝ていたのだが、じつは眠っておらず、ついに食べてくれた喜びを噛みしめていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ユニバスが朝起きると、ふすまの所には、カラになった皿があった。ラーメンはスープまで、すっかり飲み干されている。
「よかった」
と、安堵のため息を漏らすユニバス。
怨霊、いや、もはや精霊となった少女へのメニューは固定化された。
ユニバスはそれを『ユニバス定食』と名付けたのだが、『ユニバス定食』になってからは、精霊少女は毎回完食してくれるようになった。
それからユニバスは夜だけでなく朝にも同じメニューを置いて出かけるようにしたのだが、少しずつ、おぼんの位置を押し入れから遠ざけていった。
帰ってみるとおぼんの位置はそのままで、皿だけがカラになっている。押し入れから出て食べたことがうかがえた。
ユニバスは思い切って、押し入れから遠く離れた縁側におぼんを置き、出かけたフリをしてみることにした。
ユニバスの気配がなくなったところで、そーっと押し入れが開く。
精霊少女がひょっこり顔を出し、あたりをきょろきょろ。
「あんなところにあるまり」
押し入れから這いだして縁側へ向かう。
すると、
……ざぁ……!
涼風が吹いた。
「わぁ……!」
精霊少女が外に出たのは何年ぶりだろうか。
これまでずっと、小屋のまわりは彼女の心の中のように鬱蒼とした茂みに覆われていたのに、いまでは明るく開けている。
目の前の庭では季節の木々が色づき、花が咲き、気持ちのよい風が吹き抜けていた。
精霊少女は緑と花の香りを胸いっぱいに吸い込む。
それからしばらくして、ユニバスが小屋に帰ってみると……口のまわりにごはんつぶを付けた、かわいらしい精霊少女が、縁側ですやすやと寝息をたてていた。
どうやらお腹いっぱいになって、縁側の気持ち良さに眠ってしまったようだ。
「キミは……座敷精霊だったのか」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ガタゴトと物音がして、精霊少女は目を覚ました。
「まり……?」
外はすっかり日が暮れて、涼しい夜風が吹いている。
身体には布団がわりのタオルケット。精霊少女は置かれた状況に気づくと、髪の毛を逆立てるほど驚いた。
「まりっ!? こ、こんな所で寝ちゃったまりっ! 人間が、帰ってきちゃうまりっ!」
慌てて押し入れに戻ろうとしたのだが、目の前に広がる光景に絶叫してしまう。
「まりぃぃぃぃぃーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
なんと押し入れのふすまは外され、中はピカピカに掃除されていた。
「あわ、あわ、あわわ……!」
腰を抜かしたままアワアワする精霊少女。
台所のほうから、三角巾をしたユニバスが顔を出した。
「おっ、起きたか。腹が減っただろ? ごはんにしようか」
そして、押し入れのある居間には2つの膳が用意される。メニューはもちろん、例の『ユニバス定食』。
逃げ場のない精霊少女はその膳の前にちょこんと正座し、まるで自分がこれから食べられるかのように、プルプル震えていた。
「そんなに怖がらなくていい。それよりも食べよう、いただきまーす」
ユニバスが食べはじめると、精霊少女もおそるおそる後に続く。
最初は怯えていたのだが、食べ始めると美味しくて、ぱくぱくと食べだした。
子供らしい食べっぷりに、ユニバスは微笑む。
「うまいか?」
話しかけられて精霊少女はピクッとなるが、「おいしい……まり……」と答える。
そして、おずおずしだした。
気になってたまらないことを思い出してしまったように。
「なんだ? なにか気になることでもあるのか?」
「こ……これは……なんていう食べものまり……?」
「ああ、そんなことか。ラーメンだよ」
「まりの知ってるラーメンとは……違うまり……」
「うん、正しくは『インスタントラーメン』だな。お湯を注ぐだけで食べられるラーメンだよ」
「いんすたんと……らーめん……?」
「うん。俺は勇者パーティの荷物持ちをやっていて、いろんな地に冒険にいくことがあるんだ。過酷な地だと食事の準備も大変で、まともな料理が作れないことがある。でも食事は安らぎの時間でもあるから、あったかいものがあったほうがいいかなと思って、精霊に教えてもらったレシピで作ってみたんだ」
言い終えてから、ユニバスは苦笑した。
「まぁこのインスタントラーメンは、勇者パーティには一度もまともに食べてもらえてないんだけどな。でも今回、いいヒントをもらったから改良してみたんだ」
ユニバスの脳裏に、「くさっ!」と鼻を押さえるオンザビーチの姿が浮かびあがる。
「スープをカレー風味にして、粉末のチーズをトッピングしてみたんだ。『チーズカレーヌードル』ってやつだな。カレースープだと食欲がわくし、チーズが入ってるとちょっぴり豪華な感じがするだろう?」
精霊少女は箸を置いて尋ねた。
「どうして……どうして、まりに良くしてくれるまり……? ここまで良くしてくれる人間なんて、初めてまり……」
「それは、キミが精霊だからだよ。俺にとって精霊は家族なんだ。家族が引きこもってたら、心配するのは当然だろう?」
ユニバスがあまりにも無欲で屈託のない笑顔で答えるので、精霊少女の頬はポッと赤くなる。
「キミは座敷精霊だろう? 座敷精霊というのは家につき、住んでいる人を笑顔にするのを喜びとしているはずだ。教えてほしいんだ、なぜキミがこんな小屋で引きこもらざるを得なくなったのかを」
精霊少女はしばらく考えるような素振りを見せたあと、「……わかったまり……」と承諾した。
それから食事を終え、膳を片付けてから、正座で対峙するふたり。
「じゃあ、まずは名前から教えてくれないか? おっと、俺の名前はユニバスだ」
「まりは、座敷精霊……テマリ、まり……」
うん、と頷くユニバス。
テマリと名乗った精霊少女は居住まいを正しつつ、静かに話しはじめた。
テマリは最初、先代の村長の屋敷についていた。しかし新しい村長、いまの村長がやってきてからというもの、状況は一変した。
テマリがいくら福や富を呼び込んでも村長は満足せず、次から次へと要求してきたという。
『今年も豊作か! これならもっと下郎どもから税金を取り立てられるな! よし、次は庭だ! 大きい庭がほしい! なんじゃ、その顔は!? お前がここにいられるのは誰のおかげだと思っている!? この恩知らずめが、さっさと恩返しをせんか!』
「それでも、よかったまり……幸せに……なってくれるのなら……」
















