73 座敷精霊1
リングラッドのとある山あいの町、『オソレヤマの町』。
ここは元々、イドオンの村のような和風の寒村だったのだが、いまでは栄えて町のようになっている。
大通りの向こうには、この町の呼び名となった霊峰『オソレヤマ』がそびえていた。
頂上付近は白い岩山、中腹は深い緑に覆われている。
その麓に、町長の家があった。
『豪農』と呼ばれていそうな大きな家屋で、学校の校庭くらいある広い庭を持っている。
手入れの行き届いた木々が美しい裏庭に、ひとりの精霊少女がいた。
年の頃と身長は井戸の精霊イドオンと同じくらい。
イドオンは水の精霊だが、少女は木の精霊だった。
ストレートの長い黒髪は前髪が目を隠すほどで、後ろはヒザ裏あたりまで伸びている。
とても長いのにボサボサではなく、艶やかでよく手入れされていた。
服装は上質な着物。楽しげな柄の真っ赤な一着で、最上級の正絹でできている。
この家の子供で、たいそう愛されているのだと、ひと目でわかる見た目だった。
そんな少女の目の前には、サモエドのような真っ白いもふもふの大型犬。
お座りすると少女と同じくらいの背丈になる犬が、いまもお行儀よく座っている。
少女は犬の前で、鞠をついて遊んでいた。
「♪オソレヤマには精霊がおってさ 怒って勇者を食おうとしてさ」
誰もいない庭に、少女の歌声と鞠をつく音だけが響く。
鞠の動きにあわせて、犬の首も上下に揺れていた。
「♪煮てさ 焼いてさ しかしマズそで 木の葉をちょいとかーぶせ……あっ」
我慢できなくなった犬が「わうっ!」と鞠に飛びつき、鞠は少女の手を離れて、てんてんと転がっていった。
転がった先は井戸。この家の井戸には東屋のような屋根がついていて、井戸まで大切にされているのがわかる。
鞠は井戸の中へ落ちかけたが、その中からもみじのような小さな手が伸びてきて鞠をキャッチした。
そして井戸の中から、鞠を抱いたイドオンが現れる。
鞠を追いかけてきた少女はイドオンを見て、口元に華やいだ表情を浮かべた。
「イドオンちゃん!」
「おおん、テマリ、お久しぶりなのです」
再会の喜びに、両手を広げて駆け寄るふたり。
あと少しで抱擁、というそのとき、
「わうっ!」
犬が割り込んできて、イドオンに飛びかかった。
イドオンは犬にべろりと頬を舐められ、心底いやそうな顔をしている。
そのままベロベロと舐められながら、イドオンは屋敷を見上げた。
「おおん、またいちだんと大きくなりましたね」
「まり」
と、独特な返事で頷いたテマリは、春の訪れを思わせる日差しのような、控えめであたたかな微笑みを浮かべていた。
「これも、ユニバス様のおかげまり……!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それからふたりは屋敷へ移り、美しく色づく裏庭を一望できる縁側にいた。
三枚重ねの分厚いじゅうたんの上に、ふたりともちょこんと正座。
まるで将棋の対局のように向かいあっている。
イドオンが「おおん」と、咳払いをひとつ。
「それでは『ユニバス様エピソード対決』を始めましょう」
対局前の挨拶のように、ぺこり、と頭を下げあうふたり。
「いちおうルールの確認なのですが、これはお互いにユニバス様にまつわるエピソードを披露し、相手をうらやましがらせたほうの勝ちです」
「まり」と頷くテマリ。
ふたりはしばし見つめ合い、やがて真剣な表情になって、「ユニ!」とイドオン、テマリは「バス!」と応じる。
「おおん、それではイドが先攻ですね。これはとれたてピチピチの新鮮なエピソードですから、せいぜいうらやましがるといいのです」
イドオンは、とくとくと語りはじめた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
おおん、これはイドがカレキットの村を訪れたときのことです。
村には井戸を掘るための人夫たちが大勢来ていたのですが、それは名ばかり。
人夫たちはツルハシやスコップを武器に、村人を襲いはじめたのです。
「た、たすけて!」
「わぁぁーーーんっ!」
逃げ惑う村人、泣き叫ぶ子供たち。
イドも見つかってしまい、あっという間に人夫たちに取り囲まれてしまったのです。
「げへへ、いい女じゃねぇか……!」
「ああ、千年にひとりの美少女だな……!」
「まだガキだが、将来は絶世の美女になるにちがいねぇ……!」
「そうだ、誰もが振り返る、傾国級の美女になるだろう……!」
おおん、人夫たちはイドの将来性を見抜いて、野獣と化していたのです。
まさに絶体絶命。澄み切った水のごとき美貌のイドは、野獣たちに穢されてしまうのか……!?
「水は低きに流れるというが……その精霊は、高嶺の石清水だ」
どこからともなく声がして、「誰だっ!?」と人夫たちが振り返りました。
するとそこには白い魔導馬にまたがった……おおん、ユニバス様が……!
魔導馬の両脇には、精霊姫のティフォンとイズミが従者のように寄り添っておりました。
ユニバス様は、人夫たちに向かって言います。
「その精霊は、誰にも穢すことなどできはしない」
「な、なんだと!?」
ユニバス様は四つん這いのティフォンを踏み台がわりにして魔導馬から降りると、おおん、人夫たちと対峙したのです。
「水清ければ魚棲まずというように、美しすぎるその精霊に釣り合う者はいない。貴様らなど、なおのことだ。こい、まとめてドブ川に送り帰してやろう」
「や……やっちまぇぇぇぇーーーっ!!」
おおん、襲い来る人夫たち。
ユニバス様は腰のイドオンソードを抜刀し、水飛沫の剣閃をまとって、踊るように人夫たちをばったばったとなぎ払っていきました。
「俺は、ここに誓う! 井戸よりも深くイドオンを愛し!」ズバッ!「ぐはっ!」
「井の中の蛙のように、イドオンから離れず!」ズバッ!「ぎゃっ!」
「千の井戸を建て、イドオンへの永遠の愛を示す!」ズバッ!「うわーっ!」
ユニバス様はイドをダンスに誘うように近づいて片腕で抱きあげると、イドオンソードを高く掲げました。
すると背後の井戸から水龍が現れ、人夫たちを襲ったのです。
「た、助けてくれーっ!」「つ、強い、強すぎる……!」「こ、これが、愛の力か……!」
戻ってきた水龍の頭上に飛び乗ってユニバス様とイドは天高く舞い上がりました。
倒れた人夫たちやティフォン、イズミ、村人たちを見下ろしながら、ユニバス様はおおんおおんと高らかに告げたのです。
「いま、ここに誓おう……! イドオンは、俺の嫁っ!!」
ユニバス様がイドオンソードを掲げると、空に十字の光芒が生まれました。
……カッ! と。
閃光が降り注いだあと、雨が降り出し、ヒビ割れたカレキットの村を優しく覆ったのです。
村人はひれ伏し、龍神のようにユニバス様を崇めていました。
おおん、それからイドはユニバス様に導かれ、雨雲の上で愛のダンスを踊ったのです。
いつまでも、いつまでも……。
めでたし、めでたし……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
イドオンの、脚色全開のエピソードが終わった。
話を聞いていたテマリは、最初こそ正座していたのだが、すぐに前のめりになり、続きが待ちきれない子供のように四つん這いになっていた。
「ふ……ふわぁぁぁ……! そんなことがあったなんて……! ユニバス様、すごいまり……! イドオンちゃん、うらやましいまり……!」
テマリはほっぺたをリンゴのように真っ赤にして大興奮。
憧れのアイドルを見るような尊敬のまなざしをイドオンに向けている。
対するイドオンは「この程度、たいしたことはない」と言わんばかりの態度だった。
「おおん、これでも控えめにしたつもりなのです。テマリのエピソードと大差がついてはつまらないですからね。それでは後攻、テマリの番なのです」
するとテマリは座りなおし、居住まいを正す。
「まり……イドオンちゃんの話に比べたら、ぜんぜんたいしたことないけど……話すまり……」
テマリは、蚊の鳴くようなちいさな声で語りはじめた。
















