61 カレーライス4(後編)
「どうしたの、ナナホシちゃん?」
ティフォンから気づかうような声を掛けられ、ナナホシはハッと我に返る。
「ユニバス様のカレー、お口に合いませんでしたか?」
イズミがハンカチで、ナナホシの涙を拭う。
「い……いや! 美味しいのだ! とっても美味しいのだ!」
ナナホシは止まっていた手を動かし、ぱくぱくとカレーを食べはじめた。
「よかった! わたしも一緒にたべよーっと!」
人懐こいティフォンは、ナナホシの隣に座り、まるで姉妹のようにカレーをパクつく。
かいがいしく世話をしていたイズミが、ふと気づいた。
「あっ、ナナホシ様、頬にごはんつぶが付いておりますよ。お拭きさせていただきますね」
しかしナナホシは、頬に伸びてきたハンカチを押しとどめる。
「いや、待つのだ」
そして、おもむろにあたりを見回したあと、ユニバスに向かって言った。
「そこの料理人、わらわのほっぺたのごはんつぶを取るのだ」
「えっ?」
ユニバスは当然困惑したが、「さっさとするのだ!」と急かされ、ナナホシの頬におそるおそる手を伸ばす。
しかし寸前で、その手をナナホシにガッと掴まれてしまった。
「違う、唇で取るのだ!」
これには真っ先に、精霊姫たちから異論が上がった。
「ええっ!?」「このクソザコ、なに言ってんの!?」「なぜそのような、うらやま……はしたないことを!?」
「この中では、この料理人がいちばんイメージに近いのだ! つべこべ言わずにやるのだ!」
イメージとはナナホシが回想の中で体験した、口でごはんつぶを取ってもらうことである。
「うっ……!」
ユニバスは逡巡した。
なぜ自分が、そんなことをしなければならないのか。胸中でそう叫びたい気分だった。
疑問の余地は多々あった。
しかしナナホシは女王であり、いったん言いだしたら聞かなさそうな子供でもある。
ユニバスはごくりと喉を鳴らすと、ナナホシのそばで覚悟を決めてしゃがみこみ、顔を寄せる。
震える唇で、その頬のごはんつぶをキスで取った。
「うーん」
と唸るナナホシ。
「なんか違うのだ」
これには精霊姫たちも、たまらず立ち上がる。
「こ……こんのぉーっ!」「あたしだってまだなのに!」「いくら女王様といえ、うらやまはしたないです!」
その声のさざめきに、場違いなほど硬い足音が割り込んできた。
ワルメシアンである。彼女はテーブルに歩み寄り、ナナホシに告げた。
「ナナホシ女王、そろそろ参りましょう。魔導セイラーパネルの工事が始まりますゆえ」
あぜ道の向こう、村の出口の方角から、馬車に積まれた魔導セイラーパネルがやってくるのが見えた。
その様子を見た村人たちは、絶望に満ちた表情でへなへなとへたりこんでいた。
「もう工事が始まるなんて……!」
「きっと最初からそのつもりで、村の外に待機させてたんだ……!」
「お……終わりだ……! この村は、終わりだぁぁぁ……!」
その決定を下したナナホシはどこ吹く風であった。
「料理人よ、わらわが完食したことを誇りに思うのだ。あとで褒美を取らせよう」
椅子から降りて去ろうとするナナホシ。
その背中をユニバスは呼び止めた。
「だ……ダメだっ……!」
「なに?」
振り返るナナホシ。ユニバスは、全身を強張らせながら声をしぼり出した。
「あっ……あの魔導セイラーパネルは、ダメだっ……!」
「ふん、たかが料理人が、知ったようなことを」と、鼻で笑うワルメシアン。
「そんな男の言うことに、耳を貸してはなりません、ナナホシ女王」
ナナホシはワルメシアンを見る。
そして、ふたたびユニバスを見上げる。
判決を考えているような、重苦しい沈黙。
しかしワルメシアンは内心、小馬鹿にしていた。
――ふん、答えはもうわかっているめしあ。
アパーレ殿の『精神支配の環』がある限り、このクソガキは操り人形。
死ぬまで、私のいいように……。
しかし、ナナホシの口から放たれたのは……。
「料理人よ、なにがダメなのだ? 詳しく話してみるのだ」
「なっ……!?」
意表を突かれたような声をあげるワルメシアン。
ユニバスは、つっかかりながらも一気にまくしたてた。
「あっ……あの魔導セイラーパネルは、しゅっ、周囲の精霊力を根こそぎ集め、精霊のいない不毛の地にしてしまいます……! そうなったら、元に戻すのに何十年も掛かります……!」
ワルメシアンは慌てて言い返した。
「それがどうしたというのです! 集めた精霊力があれば、国の産業は百年は発展するめしあ!」
ユニバスは、いじめっこに必死に抵抗するいじめられっこのように、怯えを含んだ目付きでワルメシアンを見据えた。
「あ……あなたの言う、国とは……、どっ……どこの国ですかっ……!?」
「!!」
ユニバスの視線と言葉は震えていたが、効果は抜群。
鋭いナイフのようにワルメシアンの心臓へと突き刺さっていた。
「こ……答えてくださいっ! あっ……あの魔導セイラーパネルを設置したら、どっ、どこの国が発展するのですか……!?」
「そ……それは……!」
言葉に詰まるワルメシアン。
あの魔導セイラーパネルを作ったのは、ほかならぬユニバス自身であった。
造った者だからこそ知っている事実の重みが、震える声を裏打ちしていた。
ユニバスはさらに声を大にして訴える。
「あっ、あの魔導セイラーパネルで集めた精霊力は、ちっ、地脈を通じて、フーリッシュ王国に送られる……!」
衝撃の告発に、周囲は度肝を抜かれた。
「えっ……ええええええええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
ワルメシアンは「なっ、なぜそれを!?」と、悪事がバレた悪代官のようにうろたえる。
口をついて出た言葉を手で押さえていた。
そして、ついに逆ギレした。
「え……ええい、さっきから聞いていれば、デタラメをっ! 国家反逆罪として、この者を処刑するめしあ! ナナホシ女王、こちらに……!」
しかしユニバスはワルメシアンより早く、ナナホシの身体をかっさらう。
周囲が「あっ!?」となっている間に、椅子を踏み台にしてテーブルにのぼった。
この行為にいちばん驚いていたのは、他ならぬ精霊姫たちである。
――ゆ……ユニバスくんが……人間の女の子を抱っこした!?
人間の赤ちゃんですら爆弾みたいに避ける、あのユニバスくんが……!?
それだけ必死だったのだ。この村を守るために。
ユニバスは生きた心地がしなかったが、残った勇気を振り絞るようにして、広がるハーブ畑をナナホシに見せた。
「ごっ……ごごごっ……! ご覧、ください……! この見事な、ハーブ畑を……! こっ、この畑は、多くの木の精霊たちが、長い年月を掛けて作り上げたもの……! い……いわばこの国の、宝です……!」
……ざぁ、と風が吹いた。
ハーブ畑から吹き上げた風が土手を駆け上がり、ナナホシの頬をやさしく撫でる。
その風は、どこかざらりと、それでいてやさしかった。
ふくよかな香りが、鼻腔を満たしていく。
それは……亡き父の感触、亡き母の香りであった。
















