62 カレーライス5
その香りはナナホシの奥底に眠っていた、もうひとつの記憶を呼び覚ました。
いまよりも幼い頃、ナナホシはこのパイススの村を訪れていた。
父の腕に抱かれ、母に寄り添われながら、このハーブ畑を眺めていた。
「おはなばたけ! おはなばたけ!」
と、はしゃぐナナホシ。
その小さな手が、風に揺れるスパイスの葉をつかもうと、宙へ伸びる。
「きれいだろう? これは、ナナホシのための花畑……スパイスの畑だ」と、父。
「すぱいす?」
「そう、あなたの大好物のカレーは、このスパイスからできるのよ」
母は慈しむように、ナナホシの頭を撫でていた。
「あなたは小さい頃、普通の食事を食べてくれなくて、困っていたの」
母の記憶の片隅に、ぼんやりと、ひとりの人物のシルエットが浮かぶ。
「ある日、勇者様のパーティがお城を訪ねてきて……荷物持ちの人が、遠い国で手に入れたというスパイスと、カレーのレシピを教えてくれたの。スパイスは身体によくて、偏食を治す効果があるから、って……。口下手な人だったけど、とってもやさしそうな人だったわ」
キョトンとするナナホシの頬を、母は撫でる。
「それから教えられたとおりにカレーを作ってみたら、あなたは食べてくれた……。あんなに食の細かったあなたが、おかわりまでしてくれて……。あのときは、涙が出るくらい嬉しかったわ……」
ナナホシの反対側の頬に、今度は父が手のひらを添えていた。
「その時から、私たちは決めたんだ。ナナホシのために、ここに村を作ろうと。木の精霊たちにスパイスを育ててもらって、ナナホシが大好きなカレーを、いつでも食べられるようにしよう、と……」
ふと、「国王様! 王妃様!」と声がかかる。
見るとそこには、収穫したスパイスの入ったカゴを持った村人たちがいた。
「ご覧下さい! 畑も大きくなって、こんなにスパイスが採れるようになりました! これも、国王様と王妃様のおかげです!」
「いいや、これは私たちの手柄ではない」と、父。
「そうね、すべて、あなたたちが一生懸命畑を耕し、雨の日も風の日もスパイスの世話をしてくれたおかげです」
国王と王妃と呼ばれたナナホシの両親は、村人たちに最大級の感謝の言葉を述べる。
「スパイスを根付かせるには、長い年月と労力を必要とするが、それでいて失敗も多いという。お前たち木の精霊がいてくれたからこそ、なし得たことだ……!」
「ありがとう……! あなたたちのおかげで、ナナホシはこんなに大きくなれました……!」
「そ、そんな、めっそうもない!」と、慌てる村人たち。
「で、でも、おふたりからそう言っていただけると……がんばった甲斐がありました!」
母は「そうだ」と、顔を明るくする。
「今日はこの村で、カレーパーティをしましょう。私が腕を振るったカレーを、みんなにごちそうするわ」
「そ、そんな、王妃様に料理を作っていただくなんて……とんでもない!」
「遠慮しなくていいわ。スパイスはいまは高級品だけど、いずれこの村の収穫量を増やして、誰もがカレーを食べられるようにするのが、次の目標なのだから」
「そうだな」と、父。
「せっかくだから、『カレー祭』をしようではないか。スパイスの収穫を祝い、スパイスの普及を願い、村のみんなでカレーを食べる日にするのだ」
村人たちは、とうとう嬉し泣きした。
「ああっ……! なんという、ありがたいお言葉……! ワシらは本当に、幸せ者です……!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「な……ナナホシ様?」
ユニバスに声を掛けられ、ハッと我に返るナナホシ。
大きな目をパチクリさせてユニバスを見たあと、キッパリと言った。
「そなたの言うとおりなのだ!」
「えっ?」
ユニバスに抱っこされたまま、ナナホシは少し離れたところで見守っている村人たちに向かって言う。
「すばらしいスパイス畑、しかと見届けたのだ! そなたたちの働き、ほめてつかわす! そして……」
笑みを浮かべたナナホシに、回想の中の王妃の笑顔がだぶる。
「ありがとうなのだ!」
これには言われた村人たちだけでなく、大臣たちまでもが「なにっ!?」と我が目を疑う。
「ば……ばかな……」
「な……ナナホシ様が、笑った……!?」
「二度と笑えぬ……いや、笑わぬはずなのに……!?」
「それに、民に感謝するだと……!? 民を虐げるのを、なによりもの喜びにしていたはずなのに……!?」
彼らの驚きをよそに、ナナホシはテーブルのすぐ下にいたワルメシアンに向かって命じる。
「この料理人の言うとおり、この村のハーブ畑は我が国にとっての宝! 魔導セイラーパネルの計画は取り止めにするのだ!」
「なんと!?」と、ワルメシアン。
「畑を潰すなんてとんでもない! そんなことをしたら、虫さんが走るのだ! むしろ補助金を出して、畑をさらに拡大するのだ!」
これには二種類の声があがる。
「わあっ!」と喜ぶパイススの村人たち、「げげっ!?」と驚く大臣たち。
ワルメシアンは食い下がった。
「そんな、なりません。そんなどこの馬の骨ともわからぬ下男の言うことに、耳を貸しては……」
しかし「くどい!」と一喝される。
ナナホシは勢いに任せて、ふたたびユニバスを見た。
「そなたのカレーは絶品であった! わらわは決めたぞ! スパイスの生産を拡大し、ゆくゆくはそなたの『ユニバスカレー』を国民食とすることを!」
「ええっ!?」とユニバス。「さんせーっ!」とティフォン。「名裁きでございます!」とイズミ。
「天・網・恢・々……! わらわの目は、七つの星のように悪を見逃さないのだ……!」
ナナホシは例のメガネ芸を披露する。
「これにて、一・件・落・着っ……!」
「ざぁこ」と、ガミメスは小馬鹿にしたように笑う。
「なんかその目、虫みたい」
ガミメスの言葉に、ナナホシは脊髄反射のように言い返した。
「わらわは、虫さんは大っ嫌いなのだ!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ナナホシは嵐のようにやってきて、嵐のように去っていく。
「まずはこの村から『ユニバスカレー』の普及をはじめるのだーっ!」
馬車の窓から顔を出し、広場のユニバスや村人たちにそう叫びながら、ナナホシは走り去っていった。
しかしそこに残されたのは、静けさなどではない。
木の精霊たちが、村長らしき年老いた木の精霊を筆頭に、ユニバスへ頭を下げていた。
「ありがとうございます……! 二度も助けていただくなんて……! あなた様は本当に、この村の救世主です……!」
「頭を上げてくれ。それよりも、カレーのレシピを教えるよ」と、ユニバス。
「本当に、よろしいのですか……? カレーのレシピはこの国では、先代の王妃からもたらされた秘伝とされています。貴族以上の人間にしか……」
「それはたぶん、一部の上流階級の人間たちが、利益を独り占めしたいがために作ったでまかせだと思う」
そもそもカレーのレシピは、ユニバスが勇者パーティにいた頃、精霊たちから教わったものだった。
それを遠方の国で手に入れたスパイスとともにこの国へ持ち込み、先代の王妃に託したのが、そのはじまりである。
誰もがカレーを食べられるように。それが、かつて王妃の抱いた夢だった。
その夢が、いま巡り巡って、村人たちの手に渡ろうとしている。
「教えるカレーのレシピは、俺がカレー祭の時に作ったカレーから、手に入りにくい調味料をひとつだけ抜いたレシピだ。味は少し落ちるかもしれないけど、じゅうぶん美味しいと思う」
すると横から、ハムのような腕が伸びてくる。
それは、まるで当然の権利であるような顔をしたカレーキングだった。
「苦しゅうない……! そのレシピは、このカレーの王、カレーキングが責任を持って広めてあげましょう……! この村の者たちを率いて……!」
「ちょい待ち」
すかさず、精霊姫たちから突っ込みが入る。
「あなたはもう関係ないでしょ、この村の人を自由にするって約束したんだから」とティフォン。
「そうそう、おつカレー」とガミメス。
「またのお越しをお待ちしております」とイズミ。
それっきり無視されるカレーキング。
ユニバスと村人たちは、レシピについてワイワイと盛り上がる。
ふと、村長が言った。
「しかし……よろしいのですかな?」
「なにが?」と、ユニバス。
「もしこのカレーが国民食になれば、大変名誉なことだと思います。それなのに『ユニバスカレー』という名前で、本当によろしいのですかな? ご自身の名前になさったほうが……」
一瞬の沈黙。ユニバスと精霊姫たちは、顔を見合わせる。
しばらくして、ティフォンが言った。
「あ……そういうことだったのか……。どうりで精霊さんたちの反応が、なんかいつもと違うなって思ってたんだ……」
ティフォンが「ユニバスくん」と促すと、ユニバスは作業着のポケットをまさぐりはじめた。
「あれ? ここに『落とし液』を入れておいたはずなのに……おかしいな?」
「もう、まどろっこしい!」
ティフォンは、ユニバスに飛びついた。
そして村人たちに向かって「このお顔が、目に、はいらぬかーーーーっ!」と大見得を切ったあと、
……チュッ!
と、ユニバスの頬にキス。正確には、頬にある『目くらましの薬』で作った傷跡にキスをした。
すると傷跡は、唇に吸い込まれるように消えていき、次の瞬間。
「えっ……ええええええええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
まわりにいた村人たちが、爆風に吹っ飛ばされたかのように、一斉にひっくり返った。
















