60 カレーライス4(中編)
それは、ナナホシがまだ幼かった頃の、遠い記憶だった。
場所は、リングラッド王城にある、王家の庭園。
木の精霊の国が近くにあるリングラッドは王城も木造でできており、庭園の東屋や橋もすべて木製だった。
王家の庭園は、他の国では豪華さや優雅さを表現する場所であったが、この国の庭園は自然とともにあるような作りになっていた。
その一角で、ナナホシはシルクミナスたちと戯れていた。蚕のような、白くふわふわの虫である。
「やっぱり、ここにいたのね」
と声がする。その声をよく知っているナナホシは、返事とともに振り返った。
「わあっ、ママ上!」
視線の先にいたのは、リングラッド王妃。
まわりにお付きの者はおらず、ひとりでこの庭に来たようだった。
嬉しそうに駆け寄り、抱きつくナナホシ。王妃は、その頭を撫でながら微笑んだ。ナナホシの髪をすくその指は、いつのまにか少し細くなっていた。
「あなたは本当に、シルクミナスさんが大好きなのね」
「はいなのだ! ふわふわでもふもふで、いっしょにいると幸せな気分になれるのだ!」
ふと表情を曇らせ、ナナホシは気づかうように言った。
「それよりも……お身体のほうは大丈夫なのだ?」
「ええ、今日はとっても調子がいいの」
「なりませんよ」
と、王妃の背後からまた声がした。
そこには、ワルメシアンと、付き従うようなワッサーが立っていた。
「診察を抜け出して外に出るなんて、お身体にさわりますめしあ」
「大丈夫よ、ワルメシアン」と王妃。
「ではせめて、お薬だけでもお飲みください」
「そのお薬は、ちょっと……」
「ママ上も、苦いお薬は苦手なのだ!」と、からかうようなナナホシ。
ワルメシアンは厳しく言った。
「お薬を飲まないのは、王妃様のお身体にも、ナナホシ様の教育上にもよろしくありません」
「それは、わかっているのだけれど……」と王妃。
「それに、このお薬は普通のお薬ではないめしあ。フーリッシュ王が王妃のお身体を心配してよこしてくださった、フーリッシュ王国随一の国家錬金術師が作ったお薬なのです。なんとしても、お飲みになっていただくめしあ」
ワルメシアンは有無を言わせぬ調子でそう言って、後ろに控えていたワッサーに合図をする。
すると、銀のお盆にひと口サイズの小さなワイングラスを乗せたワッサーが、王妃の前でヒザを折り、それを差し出した。
受け取った王妃は、ほんの一瞬だけ、なにかをこらえるように瞳を伏せた。それから顔をしかめて、ぐいっとひと飲みした。
「これでいいでしょう? さぁ、ふたりだけにさせて」
王妃がそう言うと、ワルメシアンとワッサーは去っていく。
まるで苦手なふたりがいなくなったのを見計らったかのように、王妃のまわりにはシルクミナスが寄ってくる。
小鳥のように王妃の頭や肩に乗っている様を見て、ナナホシはニコッと笑った。
「ママ上は、人間にも虫さんにも大人気なのだ!」
王妃は、ナナホシの頬に手を当てて微笑んだ。
「人間と虫さんは、同じものなのよ。だって人間も虫さんも、同じ木のおうちに住んでいるでしょう?」
「そうなのだ……!?」
らんらんと見開いた瞳で、興味津々に王妃の話に聞き入るナナホシ。
「この国の人間はね、死ぬとふたつの道を選べるといわれているの。ひとつは、ユグドラララにあるといわれている『桃源郷』に行くこと。そこは飢えや争いのない土地で、人間も虫さんも仲良く暮らしているのよ」
「そうなのだ!? なら、ナナホシも死んだら桃源郷に行きたいのだ!」
「もうひとつの道は、虫さんになって生まれ変わること」
「虫さんに……?」
「そう。人間が望めば、虫さんになれる。虫さんになれば、大好きな人をいつまでも見守っていられるでしょう? だから虫さんは家族であり、幸せの象徴なの。家族といっしょにいると、幸せな気持ちになれるでしょう?」
「そっか、だからわらわは幸せなのだ!」
「ママも、死んだらシルクミナスさんになろうかしら? そしたら、ナナホシのそばにずっといられるものね」
なんでもないことのように言う母の横顔を、ナナホシはただ嬉しそうに見上げていた。
ぐぅ~っ、とそのお腹が鳴る。王妃はクスリと笑った。
「もうお昼ね。今日はカレーにしましょうか」
やがて昼どき。リングラッド城の中にある、王族専用の食堂。
大食堂のような大きなテーブル、その子供用の椅子に座って、もりもりとカレーライスを食べるナナホシ。両隣には、国王と王妃の姿があった。ふたりともやさしげに、カレーを食べるナナホシを見つめている。
「うふふ、ナナホシはお城のごちそうよりも、ママのカレーのほうが好きなのね」と、王妃が言った。
「ママ上のカレーはとってもおいしいのだ! 虫さんも走るほどの美味しさなのだ!」
「ナナホシは虫さんも大好きだったな。いっぱい食べて、大きくなるのだぞ。お前はいずれ、この国の女王になるのだから」と、国王が言った。
「はいなのだ、パパ上! 大きくなったら虫さんといっしょに、パパ上とママ上を守ってあげるのだ!」
「ありがとう。……あら、ほっぺたに、ごはんつぶが付いてるわ」と、王妃が言った。
「今日はパパの番だな、どれどれ……」
ナナホシの頬に唇を寄せる国王。ヒゲが当たって、ナナホシはくすぐったそうにする。
「えへへ……くすぐったいのだ!」
ヒゲの感触と、頬に触れる唇のあたたかさ。
それはあたりまえの、いつもの幸せ。
ナナホシは、心から嬉しそうに笑う。
この幸せが、いつまでも続くと信じていた。
















