50 スキユニ
寝室では、イズミがひとりきり。静寂だけを友にして、ぽつんとうずくまっている。
「えっほ、えっほ」
不意に、間の抜けた掛け声が割り込んでくる。うつむいたイズミの視界を、大きな紙を担いだ地の精霊たちが横切っていく。
イズミが目で追う先で、地の精霊たちが壁をよじ登り、天井近くから縄を垂らす。床の仲間がその縄を紙の両端へ巻きつけ、「せーの」の合図ひとつ。
紙は壁に沿ってほどけ落ち、ぴたりと貼りついた。
現れたのは、夕暮れの校舎の窓を描いた一枚の描き割りだった。
「……?」
不思議そうに首をかしげるイズミ。地の精霊たちが出ていくのと入れ替わりに、今度はティフォンとガミメスが入ってくる。
ふたりはなぜか精霊女学院、通称『精女』の制服に身を包んでいた。その手には同じ制服が。
「イズミちゃん、これに着替えて!」
「えっ……?」
「ざぁこ、いいから早く!」
イズミはもともと流されやすい性質だが、湿り気の増したいまはいっそうなすがままだった。
ティフォンとガミメスは二手に分かれ、着物をぐいぐい引っ張って脱がせにかかる。
着せ替え人形さながら、イズミはあっという間に制服へと着替えさせられてしまう。
生きる気力さえ失いかけていたイズミも、これにはさすがに尋ねずにいられない。
「あの……いったい……なにを……?」
「なにをって、イズミちゃんを励まそうとしてるんだよ!」
「ざぁこ、そんなふうにジメジメされちゃ、こっちが迷惑だっての!」
「す……すみません……。でも、それなら……わたくしのことは、捨ててください……雑巾掛けをしたあとの、水のように……。わたくしの不始末に……皆様を巻き込みたくはありません……」
「なに言ってるの! これはわたしがやりたいからやってるの!」
「えっ……?」
「イズミちゃんが巻き込みたくないって言っても、それもわたしは巻き込まれたい!」
「ど……どうして……? わたくしのような者に、そこまで……?」
「だって、お友達でしょ!? それに……」
ティフォンはこれが言いたかったとばかりに、ニカッと歯を見せて笑う。
「わたしは風の精霊だよ!? 巻き込むのも巻き込まれるのも、大好きなんだから!」
「ティフォンさま……!」
ふたりのあいだに、しんみりとやわらかい空気が流れかける。……だが、その空気は長くはもたなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
その少し前から、俺は廊下で出番を待っていた。
わざと着崩した学ラン。髪も手でぐしゃぐしゃに乱して、柄の悪い不良を気取る。柄でもないが、これもイズミのためだ。
頃合いを見はからい、俺は寝室へずかずかと踏み込んだ。
「……なにが巻き込みたくない、だよ。ったく……」
我ながら芝居がかった、低くすごんだ声。イズミが、聞き間違いかという顔で顔をあげた。
「ゆ……ユニバス……さま……?」
黒子のように、ティフォンとガミメスがそそくさと壁際へはけていく。舞台に残されたのは、俺とイズミだけ。
俺は一匹狼の不良よろしく、触れるものすべてを傷つけそうなとがった目でイズミを見下ろした。
「こっちは迷惑してんだよ、ばーか」
「す……すみません……」
「ったく……お前ってホント、二文字が似合うよな」
「二文字……ですか……?」
「ばか、あほ、どじ」
「!!」
言葉のナイフに刺されたように、イズミがありありとショックを受ける。俺はその反応を楽しむかのように振る舞う。
……が、内心は気が気でない。
少女漫画の悪役ってのは、こんな台詞で女心を掴むのか? 冷や汗をかきながら、それでも役を崩さず、言葉の刃をえぐり込ませる。
「ぐず、かす、ぼけ」
「ううっ……! す……すみませんっ……! わたくしは、本当に……!」
耐えきれず、イズミが顔を伏せようとする。その両頬を俺はガッとつかんで包み込んだ。そのまま、ぐいっと上を向かせる。
まっすぐ向き合ったイズミの目に映るのは、嗜虐的な笑みを浮かべた俺だ。
「ごみ、くそ、しね……!」
逃げ場を奪われ、罵倒を浴びせられ、イズミは迷子の幼子のように瞳をさまよわせ、今にも泣きそうに潤ませる。
「あ……あああああっ!」
いまにも、次のひと言で儚く消えてしまいそうな顔だった。
だが、俺はここで、不良の仮面にとっておきの一枚を重ねる。歯の浮くようなキメ顔を作り、少女漫画の二枚目きどりで、ぼそりと囁いた。
「……すき」
……キュンっ……!
どこからか、イズミの心臓が撃ち抜かれる音がした。
「え……?」
思考が追いつかないのか、イズミが目を丸くする。俺はかまわず我が物顔でその長い前髪をかきあげた。
「お前やっぱ、花みたいに綺麗な顔してるな。もっと、よく見せろよ」
すっかり露わになったイズミの顔へ、とどめの一言を放つ。
「決めた。今日からお前は、俺の花な。俺のそばで、大人しく咲いてろ」
そして、ウインクをひとつ。
「……これ、命令な」
……ズキュゥゥゥゥゥゥゥゥーーーーーーーーーーーーンッ!!
イズミが砂糖でできた弾丸にでも撃ち抜かれたように、がくんとよろめいた。やがて、震える声を絞り出す。
「い……いけません……! こ……ここっ……こんな……しおれた花のような女を……おそばに置いては……!」
潤んだ瞳が俺を映している。……もう、芝居の顔ではいられなかった。
――少女漫画に頼ってばかりじゃ、ダメだ……。
ちゃんと俺の言葉で、俺の気持ちを伝えないと……!
俺は不良の仮面をかなぐり捨てて、まっすぐイズミに向き合った。
「花はどんなときでも花だと、俺は思う。つぼみでも、咲いていても、満開のときも。しおれたら花じゃないなんて、俺は思わない。それと同じで、どんなときでもキミはキミだ。起きていても、寝ていても、落ち込んでいても……。俺は、キミのすべてが好きなんだ……!」
その言葉に、イズミが小さく息をのんだ。
……ズガァァァァァァァァァァーーーーーーーーーーーーンッ!!
イズミの胸に、ハート型の大穴がぽっかり空いたように見えた。開きっぱなしになった瞳孔の中心には、小さなハートが浮かんでいる。
「は……はははは……はひっ! かっ……かしまり……ました……! わっ……わらくひ……は……ユニバスしゃま……らけのもの……れすっ……!」
もう、まったく呂律が回っていない。瞳の端からは、お漏らしでもするように、真珠みたいな涙がぼろぼろとこぼれ、床に転がっていく。
やがて、しゅるしゅると髪が縮み、元のイズミの髪型に戻っていく。あれだけ立ち込めていた湿気も、いつのまにか消えていた。
「はふぅぅ……」
絶頂のあとみたいな声をもらして、イズミが俺の胸にしなだれかかる。とっさに抱きとめた、その瞬間だった。
「「い……いいなぁぁぁぁーーーーっ!!」」
もう我慢できないとばかりに、ティフォンとガミメスが部屋へ飛び込んできた。
ふたりが手にしているのは、布の覆いの掛かっていない少女漫画。それを俺のほうへずいっと突き出してくる。
「次、わたしの番! これ、これやって!」
「ざぁこ、次はあたしに決まってるじゃん!」
どうやら、イズミの読んでいた少女漫画の続きらしい。……が、覆いが外れているせいで、表紙の題がまともに目に入ってしまった。
『スキ♥スキ♥ユニバス様』
表紙のど真ん中で決めている、超絶美形の主人公。それを俺は思わず二度見した。
「……これ、俺っ!? なんで俺が、漫画に!?」
いや、待てよ。表紙で気取っているこの不良、さっき俺がイズミにやってみせた、あのなりきりと、まるっきり同じじゃないか……。
「えっ、知らなかったの? 精女でいちばん流行ってる漫画だよ」
「精女どころか、精霊界の殿堂入り『スキユニ』を知らないなんて、ざぁこ!」
「そんなことより、やろうよ! 壁ドン、壁ドン!」
「あたしなんか、顎クイしてもらうんだから!」
「ふにゃ、ユニバスしゃまぁ……」
精霊姫たちにわいわい、きゃあきゃあ、ふにゃふにゃと抱きしめられて。俺はもう、たまらず叫んでいた。
「も……もう、か……勘弁してくれーーーーっ!」
















