49 祭りの精霊2
祭りの灯りの向こう、細く開いた寝室の扉の暗がりから、濡れ髪のイズミがぬうっとこちらを覗いている。
「こ……これは……?」
戸惑いがにじんだ声だった。イズミが濡れた顔だけをのぞかせるのを見て、さっそくティフォンがそちらへ飛んでいった。
「イズミちゃん、お祭りだよ! いっしょに遊ぼうよ! あっ、せっかくだから浴衣に着替えよっ! ユニバスくんと、お祭りをまわろっ!」
「い……いえ……わたくしには……そんな資格は……」
イズミは寝室へ引っ込もうとする。だがそれより早く、ガミメスが扉の隙間から手を突っ込み、イズミの手をむんずと掴んだ。
「ああもう、アンタが来ないと始まんないの!」
「そうそう! お祭り! お祭り! みんなでお祭り!」
ティフォンとガミメスは困惑しっぱなしのイズミを寝室から引っ張り出すと、そのままクローゼットへと引きずっていった。
それからしばらくして、部屋の扉が開いた。最初に出てきたのはティフォンだ。
編んだ髪に、緑を基調として朝顔をあしらった裾の短い浴衣。俺と目が合うと、「えへへ」とはにかんでその場でくるりと一回転してみせた。
つむじ風が起こり、浴衣の裾がふわりと広がる。まばゆい太ももとうなじがちらりとのぞいて、俺は少しどきりとした。
あとで知ったことだが、これはティフォンが自分で見立て、俺に見せるためだけにめかし込んだ、初めての一着だったらしい。
宿ではこれまでも浴衣姿になっていたが、そんなふうに装ってみせるのは、これが初めてだったという。
「かわいいよ、ティフォン」
素直に誉めると、「よかった!」と顔を輝かせ、俺の腕に抱きついてくるティフォン。
次に出てきたのはガミメスだ。
「お祭りなんてガキっぽくてダサいけど、たまにはいっか」
いつもは左右に高く結っている髪を、ふたつのお団子にまとめている。赤を基調に金魚をあしらった、これも裾の短い浴衣だ。
「どぉ? ユニバス様」
ウインクをするガミメス。
「ガミメスもかわいいよ」
ティフォンと同じように誉めると、たちまちふくれっ面になった。
「『も』ってなに。あたしがいちばんかわいいでしょ!? もう!」
文句を言いながらも、空いているほうの俺の腕にちゃっかり抱きついてくる。
そして最後はイズミ。俺たち三人が見守るなか、のそり……と、それは現れた。
「え……えええっ!?」
なんとイズミは、白い天冠に白装束という、完全なる死装束すがた。
しかも全身が濡れていて、歩くたびに雫をぽたぽたと落とし、ずるずると水の跡を引きずっている。
イズミは唖然とする俺たちをよそに、柳の木が描かれた壁の前へ音もなく立つ。
「わたくしのような者に……お祭りを楽しむ資格は……ありません……。ここでひと足お先に永眠し……みなさまが楽しんでおられるお姿を……あの世から見つめております……」
両手を前へだらりと垂らしたその立ち姿は、どこからどう見ても幽霊だった。長い髪の隙間から、恨めしげな瞳がじーっと俺たちを見ている。
もはや手に負えないと、精霊姫たちはそろって俺へ丸投げしてきた。
「ゆ……ユニバスくん! なんとかして!」
「あんなクソガチオバケ、あたしたちじゃ手に負えないよ!」
俺はごくりと喉を鳴らすと、両脇の精霊姫をそっと下ろし、単身でイズミへ歩み寄った。
そして、まっすぐに手を差し出す。
「そんなこと言ってないで、いっしょに行こう! 俺は、イズミと祭りを楽しみたいんだ!」
手を引くと、イズミは抵抗もせず、されるがままについてくる。
こうして、四人での祭りが始まった。
屋台はどれも地の精霊たちが切り盛りしていて、俺たちの歩みにあわせ、彼らも運営する屋台を切り換えてくれた。
俺たちはイズミを真ん中に、金魚すくいや射的を楽しんだ。俺の目には映らないが、きっと祭りの精霊たちもまわりに集まって、いっしょに声援を送ってくれているだろう。
だが、イズミは金魚がまるですくえず、いっそう気落ちしてしまう。
続けて射的に挑ませれば、事態はもっとひどかった。イズミはおもむろに銃口を、的ではなく自分のこめかみへ向けたのだ。
「ちょっ、イズミちゃんそっちじゃない!」
「撃たない撃たない!」
ティフォンとガミメスが左右から銃口を押し下げ、どうにか事なきを得る。この世を去ろうとするのだけは、なんとか思いとどまらせた。
こうなったら食べ物だと、俺たちはタコ焼きやチョコバナナを勧める。祭りの精霊たちにも、豆粒ほどの同じものが振る舞われているらしかった。
「イズミの好きな綿菓子もあるぞ!」
「おじさん、イズミちゃんにわたがしひとつ!」
「特大にしてよね!」
地の精霊たちは張り切って、イズミの顔より大きな綿菓子をこしらえてくれた。
ところがイズミが手にした途端、綿菓子はまとわりつく湿気に負け、みるみる溶けて消えてしまった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それから小一時間ののち、寝室のベッドの上にはポツンとイズミの姿があった。
変わったところといえば、頭にはいくつものお面が張りつき、リンゴ飴やチョコバナナ、焼鳥の串を両手いっぱいに抱え、手首には水風船のヨーヨーや、袋に入った金魚をぶら下げている。
さんざん祭りを堪能したあとのような格好だ。それでいて、まとう空気はいっそう淀んでいた。
その姿を寝室の外の廊下から、俺たちはそっとのぞき込んでいる。
俺にティフォンとガミメス、それに地の精霊と木の精霊、そしてきっと祭りの精霊たちも。
「ダメだったか……」
俺が肩を落とすと、ガミメスがぼそりと言う。
「綿菓子が溶けちゃったのが、決定的だったね……」
「うん、あれからさらに落ち込んじゃった……」
ティフォンもしゅんとしている。
「しょうがない。次の手を考えるか」
「ええっ、まだやるのぉ!?」
露骨に嫌がるガミメス。
「わかった、溶けない綿菓子を作るんだね!」
ポン! と手を打つティフォン。
「それもいいけど、いったん祭りからは離れよう。別の切り口を考えてみよう」
「別の切り口かぁ……」
ティフォンが、ふたたび考え込みはじめる。
その頭のまわりでは、目には見えないが、きっと祭りの精霊たちが木魚をぽくぽくと鳴らして、考えごとに付き合ってくれているのだろう。
やがて、チーン。頭のなかで鉦でも鳴ったみたいに、ティフォンがぱっと顔をあげた。
「そうだ! いいこと思いついた! 来て来て!」
ティフォンは俺とガミメスの手を引っ張り、廊下を駆けていく。
向かった先は、『図書館』と記された札の下がる部屋だった。この馬車には小さな図書館もあって、本を読んでくつろげるようになっているのだ。
そこでティフォンは、一冊の本を俺に手渡してきた。
それは、俺も何度か見かけたことのある本だった。
着物のような布地で表紙をくるみ、イズミの着物とお揃いの柄をあしらった、実に風雅なしつらえの一冊。どこかイズミの私物めいた気配があって、俺は少し気後れした。
「……見てもいいのか?」
「うん。これ、わたしが勧めた本だし」
ティフォンがうなずくので、そっと表紙をめくってみる。
中身はバリバリの少女漫画だった。
「なんだ」
俺は少し拍子抜けする。
てっきり深窓の令嬢がひもとくような、うやうやしくも学のありそうな書物を思い描いていたのに。
「イズミがこの表紙の本を読んでるのは、よく見かけたけど……中身は漫画だったのか」
「わたしが勧めてから、イズミちゃんすっかりハマっちゃったんだよ。特にこの場面がお気に入りみたいで、何度も繰り返し読んでるみたい」
ティフォンが開いてくれた場面を、「どれどれ」とのぞき込む。
見開きには、少女がうっとりと頬を染める、甘い恋物語のひと幕が広がっていた。隣では、ガミメスもいっしょになって覗いている。
「……こういうのが、イズミは好きなのか?」
俺はどうにも理解の追いつかない顔になっていたと思う。
「うん、憧れの場面みたい」
「ざぁこ、そんなの当然じゃん」
理解の追いつかない俺をよそに、何にでもケチをつけるガミメスまでもが深くうなずいている。
そういうものなのか、と俺はひとまず納得しかけた。
だが、続くティフォンの言葉に、俺は耳を疑った。
「だからユニバスくん、これをやってあげて!」
「ええっ、俺が!?」
















