42 鼻毛の錬金術師4(後編)
しかしその薬液が、ワッサーの舌に触れた途端。
……ジュウゥゥゥゥーーーーッ!!
まるで灼熱の酸のごとく、白煙とともにワッサーの舌を焼き溶かした。
「うぎゃぁっ!? なっ、なんでぇぇぇっ!?」
口を押さえて悶絶するワッサー。
まさかの出来事の連続に、ガミメスは唖然となっていた。
なぜ……? 超純水はただの水になり、逆にアルケミスト・バスターは人間を傷つける薬に変わっている。
精霊が、ワッサーに対して怒っているとでもいうのか。いや、違う。あのお方の怒りに、共鳴しているんだ。
怒りの感情だけで、精霊たちの本来の性質すらも変えてしまうなんて……。
すごい……ガミメスは、畏敬に胸を震わせた。
男はゆっくりと歩いて迫る。ワッサーは慌てて、試験管を投げつけた。
「べ……ベノメノン・クラッシュ!」
本来は触れると大爆発を起こす試験管。だがいまは、なにも起こらない。
男に命中しても、パリンと音をたてて、ただ服を濡らすだけだった。
「ふ……不発!? な……なぜっ!?」
ワッサーはようやく気づく。この男が現れてからというもの、試験管の効果はすべておかしくなっている。
悪夢を見ているかのような表情で、ワッサーはじりじりと迫ってくる彼に問うた。
「ま……まさか……お前のせいか……!? お前のせいで、精霊たちが……!? お、お前はいったい、何者なんだ……!?」
男がゆっくりと顔をあげると、影のさした横顔が、月光の下に晒される。
「だ……だから、誰なんだ……!?」
依然として気づかないワッサーに、ガミメスは疑問に思う。
ワッサーは勇者パーティにポーションを提供していたはず。ならば、その一員であったあのお方を、知らないはずがないのに。
……そうか。
『目くらましの薬』が効いているから、わからないんだ……!
彼は自分自身に言い聞かせるように、低く声を落として言った。
「いままでの俺は、動物だった……。大切な精霊を奪われても、傷つけられても……人間から狩られる動物のように、縮こまり、逃げ回ってばかりだった……」
男はワッサーを睨み据えたまま、頬の傷に左手を当てる。
「俺は、人間になるっ……。声をあげ、叫び、怒り……。立ち向かい、戦い、大切な精霊たちを守れる、人間に……」
男の左手は震えていた。その手が、頬の傷を伸ばすように反対側の頬へと滑ると、傷跡は崩れ、まるで戦化粧のように、筋となって顔じゅうに走った。
かけられていた『目くらましの薬』が剥がれ落ち、月光が、隠されていた素顔をあらわにする。
「……!!」
途端、死んだはずの人間が目の前に現れたかのような、明らかな動揺を見せるワッサー。
「お……お前は……ゆ……ユニバスっ……!?」
ユニバスは、なにも言わない。無言でワッサーへ歩みを進める。
ワッサーは、その迫力におされて逃げ出した。
「う……うわぁぁぁぁぁっ!?」
しかし、逃げた先は崖っぷち。背後からは、怨霊のようなユニバスが迫ってくる。
ワッサーはすっかり取り乱し、手当たり次第に試験管を投げつけた。
「く……来るな来るな来るなっ! 来るなぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーっ!!」
しかし、すべてが不発に終わる。
ユニバスは手が届く距離まで来ると、ガッ! と片手でワッサーの襟首を掴んだ。
「ひ……ひいっ!?」
そのすさまじい力に、なすすべもなくワッサーは吊り上げられ、足をジタバタさせる。すっかり縮みあがっていた。
「あ……謝る! これまでのことは、ぜんぶ謝るから! 本当は、勇者パーティへのポーションを作っていたのはお前……! いや、キミなのに、口下手なのをいいことに、私は……!」
ワッサーは、これまでの悪事を、ペラペラと話しはじめる。
「あっ! それとも、せっ……精霊金術を横取りしたことを怒っているのか!? 『次世代錬金術の父』などともてはやされているのが、気に入らなかったのだな!? は……白状する! みんなに、すべてを白状するから!」
しかしその胸の内は、口とはまるで裏腹だった。
白状はする。ただし、本当のことを言うとはかぎらない。それにしても、まさかユニバスがこんな所にいるとは。しかも、怒らせるとこんなに恐ろしいとは。
だが、いまだけだ。この窮地さえ乗り切ればいい。白状すると言って人前に出れば、こっちのもの。あとは衛兵に捕まえてもらうだけだ。
口下手なこの男の言い分と、国家錬金術師という肩書きを持つ自分の言い分。どちらの証言が信じられるかは、火を見るより明らか。
そうやって、この男からすべてを奪ってきたのだ。
「ま、まだ足りないというのか!? なら、私が稼いできたものは、すべてやる!! 金も宝石も屋敷も、なんだったら妻と子供もくれてやる! だから、許してくれっ!」
ユニバスは片手でワッサーを吊り上げたまま、そのコートから試験管を一本取り出す。
「べ……ベノメノン・クラッシュの試験管!? それが欲しいのか!? ど、どうぞどうぞ! 好きなだけあげよう! 一本といわず、何本でも……! だからこれまでのことは、すべて水に流して……!」
ワッサーは、売れ残った子犬が最後に抱き上げられているかのような、つぶらな瞳を向けていた。
「ゆ……許して、くれるね……?」
ユニバスは、答えない。
……ズドォォォォォォォォォォォォォーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!!!
試験管がユニバスの手のなかで爆ぜた。
手のひらから解き放たれた爆炎が、ワッサーを呑み込んで噴き上がる。
一瞬、夜が昼に裏返った。
全身が火だるまになったワッサーは、隕石のような炎の尾を引きながら、天の彼方へと吹き飛んでいく。
「うぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
ワッサーはそのまま遥か遠方の地に墜落し、そこでまた爆発した。
かすかな悲鳴が山びこのように届く頃には、ユニバスは倒れたガミメスを助け起こしていた。
「しっかりしろ、ガミメス」
「も……もう……。遅いよ、ユニバス様……」
「遅れてすまなかった。もう、大丈夫だから……」
ユニバスに横抱きに抱えられたガミメスは、緊張の糸が切れたように、カクンと意識を失った。
















