41 鼻毛の錬金術師4(前編)
泣きじゃくる子を脅かす祭りの獣のように、倒れたガミメスの上へ覆いかぶさるワッサー。
「立場を理解したお前にできることは、ただひとつ……! 泣き喚いて、後悔することだけだ! さぁ、さぁ、さぁ! 仲間を裏切った、己の卑怯さを懺悔しろ! 自分だけ助かろうとした、己の醜さを呪え! すべてを捨てても逃げ切れなかった、己の愚鈍さに……絶望しろぉぉっ!」
ガミメスの瞳は潤みきっている。それでも、懸命に落涙をこらえている。泣くもんかと意地を張る、子供のように。
「ざ……ざぁこっ! あたしはアンタみたいなザコに、絶望なんかしない! あたしの感情には、指一本触れられないんだから! 希望も絶望も、喜びも悲しみも、怒りも、なにもかも……! 涙のひとつぶだって流してやるもんか! あたしは決めたんだ、すべて蔑むって……! 人間も精霊も、王様も奴隷も、神様も家畜も、なにもかも……!」
ガミメスはすぅ、と深く息を吸い込むと、堰を切ったように一気にまくしたてた。
「ざぁこっ! ざぁこ、ざぁこ、ざぁこ、ざぁこっ……! 弱っちい、クソざぁこーーーっ!!」
ワッサーは己を偉大だと信じて疑わず、これまで生きてきた。しかし、ここまで敬わず、恐れず……それどころか、バカにしてくる精霊に会ったのは初めてのことだ。
そしてついにガミメスは、彼の禁断の領域に踏み込んでしまう。
「クソザコ変態オヤジ! その縄みたいな服、超ダサい! もしかして、カッコいいとか思ってる? あたしだったら、凍え死ぬ時でも着たくない! ってかそれ以前に、その顔がもうムリっ! ムリムリムリっ! なにそのケツアゴ!? 目が付いたお尻のほうが、よほどイケメンだし! そしてなにより……!」
ガミメスはトドメとばかりに、大きく口を開けて吠えた。
「そのヒゲ……超キモぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーっ!!」
刹那、ワッサーは、まるで聖なるしるしをつきつけられた悪魔のような、世にも恐ろしい怒り顔に変貌した。
「キェェェェェェェェェェーーーーーーーーーーーーッ!!」
そして、怒りに半裸の身体を真っ赤にし、プルプルと震えながら笑った。
「ふ……ふふ……! ふふふふふ! こ……この私の偉大さの象徴が、キモいとは……。初めてだよ……家畜に怒りを感じたのは……!」
ワッサーは、早撃ちの名手が腰の得物を同時に抜くかのような手つきで、両手をコートの裏へあてる。
……バッ! と、両手を顔の前でクロスさせる。その十本の指には、超純水の試験管が八本、まるで獣の鉤爪のように挟まれていた。
夜空の月が隠れ、不気味な影が舞い降りる。
「クソとションベンを漏らす、準備はできたか……!? 正気を失い、涙と鼻水にまみれる覚悟は……!? すべての愛する者たちに、別れを告げよ……! 貴様はこれから、バケモノのような見目になるのだからな……!」
炎の精霊が超純水を全身に浴びせられれば、その苦痛は、常人の堪えられるものではない。身体は溶けたように焼けただれ、二度と見られぬものとなるだろう。
ここまで脅せば、ガミメスは泣き叫ぶであろう。ワッサーは、そう思っていた。しかし、
「この……クソザコ変態ヒゲ男っ! ヒゲが詰まって死ねっ!」
「き……キェェェェェェェェェェーーーーーーーーーーーーッ!!」
ワッサーは天を仰ぐようにして、両手をバッと開く。指の間にあった試験管が、ガミメスめがけて降り注ぐ。
時が引き伸ばされたように、くるくると回転しながら落ちてくる試験管を、ガミメスは瞬きもせずに見つめていた。
ああ、うまくいくと思ってたんだけどなぁ。心の中で、あんなに一生懸命、呼んでたのに。それなのに、ダメだったかぁ。
でも、あたし、一生懸命やったよ。最後まで、泣かなかったよ。
あたしの感情は、誰にもあげない。喜びも、怒りも、悲しみも、ぜんぶ。ユニバス様にあげるって、決めてたから。
もう、それも、できなくなっちゃうけど。
ガミメスは、静かに瞼を閉じる。
さようなら……ユニバス、様……。
瞼の端から涙の粒があふれ、垂れ落ちる、その寸前。
パシャンッ!
ガミメスの身体のあちこちに試験管が着弾し、次々と割れる。中の水が弾け、飛び散って広がった。
ガミメスの顔は水浸しになり、流れかけた涙をも巻き込んでいく。
「……あ、あれ?」
ガミメスは瞼を開き、顔をあげる。全身はびっしょりと濡れているのに、なんともない。
「……な、なんで?」
ガミメスは目をぱちくりさせる。だが、それ以上に驚いていたのは、ワッサーのほうだった。目をバチバチと、しばたたかせている。
「き……キェッ!? な、なぜだ!? なぜ『アルティメット・ピュア・ウォーター』を浴びても、平然としていられる!? そ、そうか! 不純物が混ざってしまったのだな!? こ……こうなったら……!」
ワッサーはガミメスに馬乗りになると、がばっ! と拳を振り上げる。
「鉄・拳・制・裁・だ……!」
しかし、その拳が振り下ろされることはなかった。
……ガシッ!
暗闇から伸びた手が、ワッサーの手首を掴む。それは万力のような力で、手首をギリギリと締め上げた。
「い……いだだだだだ!? だ、誰だっ……!?」
振り返ったワッサー、その鼻っ柱に、暗闇から飛び出してきた拳がめりこんだ。
……ゴシャッ! 打ちこまれた、その瞬間。卵が潰れるような音がした。
「ぶぎゃぁぁぁぁっ!?」
ワッサーは鼻血を撒き散らしながら、数メートル吹っ飛び、岩に叩きつけられる。
歪んだ鼻から、壊れた樋のように、鼻血が噴き出す。
「は、はにゃが……はにゃがぁぁぁ……!」
ワッサーの前に、仁王立ちの人影があった。
「にゃ……にゃにもの(何者)だ、貴様っ!?」
影は答えない。かわりに、空を覆っていた暗雲が晴れ、差し込んだ月明かりが、一条の光となって人影を照らし出す。
そこに立っていたのは、彼だった。うつむいて、表情はわからない。ただ拳を握りしめ、静かに佇んでいる。
「く……くそっ! もう、誰でもかまわん! この私を邪魔するものは、ぶちのめすまでだ!」
ワッサーは震える手つきで、コートから『アルケミスト・バスター』の試験管を取り出す。コルク栓を抜き、これ見よがしに、男の前で飲もうとする。
その前に、ワッサーはチラリと、横目で男を見た。
「そうやって英雄気取りでいられるのも、いまのうちだ! この薬があれば貴様など、ケチョンケチョンに……!」
















