34 精霊金術2
「うわあっ!?」
「ざぁこ、誰っ!?」
精霊姫たちが、そろってギョッとなる。
「も……もしかして、ユニバス、くん……?」
おそるおそる、といった調子でティフォンが尋ねてくる。
「ああ」
俺は、右の頬に浮かんだ大きな傷のようなものを指で示しながら、うなずいた。
「さっきの薬を、頬に塗ってみたんだ。この薬は粉末状だけど、肌に触れると粘液状になる。そうして少量を顔に塗ると、薬の効果で、別人のように見えるんだ」
「ああ、それで『目くらましの薬』なんだね」
合点がいったのか、ティフォンが浮かんだ傷を興味津々に凝視して、クンクンと匂いを嗅いでくる。
「ユニバスくん、いつも以上にいいニオイがする……」
どこかトロンとした表情になるティフォン。
「フェロモン草が原料だからな」
「でも、別人のように見えるっていうけど、そこまででもないような……? 最初に見たときは誰かと思ったけど、いまではユニバスくんに見えるよ?」
「俺のことを強く意識している相手には、効き目が薄いんだ。だけど、俺のことをあまり知らない相手や、知っていても興味を抱いていない相手には、別人に見えると思う」
「それにしてもキモっ。なんだか偽物……代理ユニバス様みたい!」
「なんだよそれ。代理勇者ならわかるけど……」
ガミメスの何気ない一言を、俺は冗談だと思っていた。
だが、ティフォンは「え、知らないの?」と、いたって大真面目だ。
彼女の話によると、精霊界では、俺に似た精霊を『代理ユニバス』と呼んで見立てているらしい。そして、その『代理ユニバス』になれるのは、精霊にとって大変な名誉なのだという。
当の俺はといえば、とうてい信じられない。これまで信じてきた常識が、足元で軽くぐらつくのを覚える。
「う……うそだろ?」
「ウソじゃないよ」
と、ティフォンが即答する。
「ざぁこ。代理ユニバス様っていったら、精霊界じゃ当たり前の存在だよ。っていうか、人間界の代理勇者のほうが、よっぽど信じらんないし」
「それ、わたしも思った! イドオンちゃんの村で初めて代理勇者を見たとき、ゾワゾワってしちゃった! ただでさえゴキブリみたいなヤツなのに、本当のゴキブリみたいに増えるなんて!」
ガミメスも想像してしまったのか、鳥肌が立ったように身体を震わせる。
「ざぁこっ! もう、ゴキブリの話なんてやめて! そんなことより、ユニバス様、なんでそんな薬を作ったの?」
「リングラッドに逃げ込んだ俺たちを、ポーキュパイン様が指名手配しているかもしれない。これを塗っておけば、少しは誤魔化せるんじゃないかと思ってな」
「なるほど!」
と、ティフォン。
「それに関連して、ちょっと欲しい素材があるんだ。ふたりとも、協力してくれるか?」
「「なに?」」
精霊姫たちの声がそろう。
「『目くらましの薬』は肌に塗ると、塗り伸ばすことはできても、簡単には落とせないんだ。だから、専用の落とし液を作りたいんだ。その素材として……」
俺は、テーブルに置いてあったふたつのシャーレを差し出した。
「唾液を、分けてくれるか?」
こちらは屈託のない笑顔のつもりだったのだが、精霊姫たちはふたりとも、髪の毛が逆立つくらいに仰天した。
「「だ……唾液っ!?」」
「ああ。この薬は塗り伸ばせば効果が薄れるんだけど、完全に落とすには、精霊の唾液が必要なんだ」
それから、小一時間後。
ふたりの精霊姫は、調合室の片隅で壁に向かって正座をして、真っ赤な顔でイヤイヤと首を振っていた。
「は……恥ずかしかったぁ……!」
「ざぁこ。この程度のことで恥ずかしがるなんて……キャッ!」
いつも斜に構えているガミメスまで、めずらしく興奮してはしゃいでいる。
「イズミちゃんがユニバスくんに、涙や水をあげてたけど……ユニバスくんに、身体から出たものをあげるのって、こんなにドキドキするものだったんだね!」
「えっ、イズミって、この感覚をいつも味わってたの? それって、ずるくない?」
「うひゃあっ! あげたときのこと思い出しちゃった! ああっ、またドキドキしてきた!」
「もう、言わないでティフォン! せっかく落ち着きかけてたのに!」
「うれしいね、ユニバスくんに初めての唾液をあげられて! ガミメスちゃん、ふたりでユニバスくんに、お礼を言おうよ!」
「む……無理無理無理! いまユニバス様の顔を見たら、どうにかなっちゃう!」
「ああっ、わたしも! 心臓がボーンって、爆発しちゃうかも!」
いつもはあまり仲の良くないふたりも、唾液をあげるという同じ緊張を味わったことで、すっかり意気投合しているようだった。
ヒソヒソと交わされるその声は、俺のところまでは届いていない。
俺は、小瓶のなかの虹色の液体ごしに、そんなふたりの背中を見つめていた。
「精霊たちのこの一滴一滴が、人間という存在を、ここまで大きくしてくれたんだ……」
精霊の身体にあるものは、どれも錬金術の素材となる。精霊たちは人間の役に立つことを喜びとしているが、なかでも素材を提供するのは、特別な行為なのだという。
例えるなら、我が子に母乳を与える母親のような気持ち。だとすれば、あのふたりにとっては、今のは一世一代の出来事だったのかもしれない。
「なのに俺は、簡単にくれなんて言ってしまった」
俺は立ち上がると、背後からふたりに歩み寄り、まとめて包み込むように抱きしめた。
「ありがとう。大切に使わせてもらうよ」
「「ひゃっ、ひゃぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」」
爆発したような悲鳴が耳元で響きわたり、俺はそのまま、ひっくり返ってしまった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
それから俺が馬車の外に出ると、ティフォンとガミメスもついてくる。
外はすっかり暗くなっていて、月明かりがさんさんと降りそそいでいる。
森を吹き抜けるそよ風。運ばれてくる緑の香りが心地よく、ティフォンは気持ちよさそうに伸びをする。
「んーっ! とっても気持ちいいーっ!」
馬車は、整地された道のはずれにある草地に停めてある。俺はその馬車に向かって、粉末状の『目くらましの薬』を振りかけていく。
すると、馬車はちょっとした迷彩のようになって、夜の森へ溶け込んでいった。
「わぁ!」
ティフォンが、ぱっと顔をほころばせる。
「馬車も目立たなくできるんだね!」
「ああ。粉末として使えば、迷彩の効果が得られる。姿が消えるわけじゃないから、よく見るとバレるんだが、夜ならまず見つからないだろう」
「すごーいっ!」
「いつもは宿を取ってたけど、次の街まではまだ遠いからな。今夜はここで一泊しよう」
「さんせーっ! 道端で、ばたーっと寝よーっ!」
ティフォンは風のような速さで馬車に戻ると、ハンモックを抱えて飛び出してきた。そして嬉々として、木と木のあいだに張りはじめる。
「外で寝るつもりか?」
と、俺。
「ざぁこ、それじゃ目くらましした意味ないじゃん」
ガミメスが、あきれ顔で鼻を鳴らす。
「あ、そっか……」
肩を落とすティフォン。
「気持ちの良い夜だから、外で寝てみたいなと思ったのに……」
「そういえばウインウイーンでは、外で寝るのは普通のことなんだよな」
「うん。星空の下に、大きな蜘蛛の巣みたいなハンモックを掛けて、みんなで寝るんだよ。わたしはお姫様だったから、いちども外で寝たことないけど……」
寂しそうにするティフォンに、俺は「よし」とうなずく。
「なら今日は、みんなで外で寝るか。これがあるからな」
「あっ……『目くらましの薬』!?」
「身体に振りかければ、目立たなくなる。粉末だから風で飛ばされることがあるけど、今日くらいの夜風なら大丈夫だろう。あとは、虫よけの薬も付ければいい」
「ほんと!? やった! ユニバスくん、大好き!」
「うわっ、外で寝るなんてビンボくさ」
「嫌なら、ガミメスは馬車の中で寝るといい。俺とティフォンは……」
「ざぁこ! 誰も嫌だなんて言ってないじゃん!」
「そうか。じゃあ、目くらましの薬と虫よけの薬を、ひと瓶ずつ渡しておくよ。俺のぶんは自分で作ってくるから、ふたりは先に寝ててくれ」
「「はーい」」
俺は馬車の調合室にこもると、自分のぶんの薬を作りはじめた。少しのつもりだったのだが、もともとモノづくりが好きな性分だ。つい興が乗って、精霊金術に夢中になってしまった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
いっぽう、外。
精霊姫たちは、それぞれのハンモックに、真ん中をひとつ空けた川の字で横になっている。ユニバスが来るまで待つつもりだったのだろう。
だが、森から流れこむ夜の匂いが、心も身体もやわらかくほぐしていく。ふたりはやがて、そろって夢の世界へ落ちていく。
「はっ……くしゅん!」
その静かな寝息のなか、ふいにティフォンがクシャミをする。
とたん、その口先から、ちいさな竜巻が巻き起こる。それはふたりの身体を覆っていた目くらましの薬を、きれいさっぱり吹き飛ばしてしまった。
これでふたりを隠すものは、もう何もない。
けれど寝ぼけたティフォンは、そのことにまるで気づかず、コテンと寝入ってしまうのだった。
















