31 リングラッドへ(後編)
頬を撫でる乾いた風が、少しずつ湿り気を帯びていくのを感じながら、俺たちの馬車は密林じみたリングラッドの森へと分け入っていった。
きれいに整えられた道の頭上では、木々の枝がアーチを描き、葉の天井のあいだから、やわらかな緑色の光が降りそそいでいる。
さっきまでの殺風景な荒野が嘘のように、木々のあいだには、色とりどりの南国の花が咲き乱れていた。
ときおり、丸太で組まれた家がぽつりと見える。その屋根で羽を休める極彩色の鳥たちに、ティフォンはもう大興奮だ。
「うわぁ、どこもかしこも木がうっどーと茂ってる! 家まで木でできてるよ!」
「ああ。リングラッドは木の精霊の国がすぐ近くにあるおかげで、とにかく植物が豊かなんだ。建物だけじゃなく、何から何まで木でできている」
「たしか、お城まで木造なんだよね」
と、ガミメスが退屈そうに頬杖をつく。
「お花いっぱい! 鳥さんもいっぱい! きれい、きれーい! やっほーっ!」
とうとう我慢できなくなったのか、ティフォンは馬車の屋根から舞い上がった。あちこちを飛びまわっては、目に映るものすべてに声をかけていく。
と、道の向こうから、ゾウほどもある巨大なコガネムシの旅団が現れた。その背には御者席と荷台がしつらえられ、御者の手綱にしたがって、のんびりと歩を進めている。
「わあっ、なにあのでっかい虫!」
空中で、彼女がさらにぴょんと跳ねる。
「このリングラッドじゃ、昆虫も使役動物の一種なんだよ」
と、俺。
「へぇ、すっごーい! こんにちはーっ!」
出会ったばかりの御者たちと、さっそく手をあげて挨拶を交わす。旅団の子どもとは、手のひらをぱちんと打ち合わせるほどの仲良しぶりだ。
どんどん馬車から離れていくものだから、俺はさすがに見かねて声をかけた。
「おいティフォン、あんまりはしゃぐなよ! このあたりは森が深いから、危険なものだって……!」
「へーきへーき! って、うわぁ、でっかい鼻みたいな花!」
彼女が見つけたのは、その身体ほどもある、鼻の形をした花だった。穴のまわりにぐるりと花びらをめぐらせた、なんとも奇妙なやつだ。
ティフォンはさっそくそこへ飛んでいって挨拶する。
「やっほー! って、ハナだけに話してくれないかな」
次の瞬間、その穴がぱっくりと開き、ものすごい勢いで空気を吸いこんだ。ティフォンは頭からずぼっと呑み込まれてしまう。
「わぁーっ!? なになに!? どうなっちゃったの!? ハナが離してくれないよぉ! 助けてーっ!」
閉じた花から突き出た下半身をじたばたさせて、ティフォンはなんとか顔を引っこ抜いた。その顔は、ネバネバした液まみれだ。
「うう……なにこれ……ハナミズみたい……」
煙にいぶされたハエさながら、ティフォンはフラフラと戻ってくる。
「ざぁこ! キモいから近寄んないで!」
と言いつつ、ガミメスはどさくさまぎれに、俺のほうへぎゅっと抱きついてくる。
「い……イズミちゃん、ふきふきして……。あ、そっか……イズミちゃんは粋眠中だったんだ……」
しょんぼりと肩を落とすティフォン。その背後から、するすると蔓が伸びてきて、両腕ごと拘束するように腰へ巻きついた。
そこからは一瞬だった。「わあっ!?」と声をあげる間もなく、ティフォンはその蔓に、ずるずると花のほうへ引き寄せられていく。
花の奥からは、鼻毛のような触手がわさわさと大量に伸び、ティフォンへ迫る。イソギンチャクを思わせるその見た目に、ティフォンはゾワッと鳥肌を立てた。
「や……いやっ! た、助けて、ユニバスくんっ!」
だが、時すでに遅し。俺もガミメスも、いつのまにか蔓に絡めとられ、別の花の穴に上半身ごと突っこんで、両足をばたばたさせている始末だった。
しかも、気づけば俺のまわりでは、同じように捕まった地の精霊たちが、ワーキャーと大騒ぎしている。
「ゆ……ユニバスくん、ガミメスちゃん!? それに、地の精霊さんたちまで!?」
俺とガミメスは、なんとかふんばって花から抜け出した。ふたりとも、ティフォンと同じく粘液まみれだ。とりわけガミメスは、もうおかんむりである。
「うぷっ、なにこれっ!? キモいキモい、超キモい! クソザコ雑草のクセして、このあたしにチョッカイかけるなんて……生意気っ!」
背筋を反らして、大きく息を吸いこむガミメス。その気配を察して、俺はすかさず鋭い声で制した。
「やめろ、ガミメス! この花は『ナハーン草』といって、こんなふうに蜜まみれにするのは、彼らなりの愛情表現なんだ!」
「愛情表現!? そんなわけないじゃん! 風の精霊のティフォンならともかく、あたしは炎の精霊だよ!?」
たしかに、木の精霊の一種である植物は炎の精霊を苦手としている。この世界の常識でいえば、炎の精霊に対して愛情表現をするなんて、まず考えられない。
「おそらくこの森のナハーン草は、タンブルクイーンたちが撒いたタネから育ったものだ。木の精霊たちは地脈で通じ合っている。俺たちがタンブルクイーンに認められたと知って、こうして歓迎してくれてるんだよ」
「じゃ、じゃあ、どうするのがいいの!?」
と、ティフォン。
「こうすればいいんだ」
そう言う俺は、もうすっかり、ナハーン草のされるがままになっていた。
ナハーン草は俺の全身に鼻毛のような巻きひげを這わせ、さわさわとくすぐってくる。
「森のなかで木の精霊に嫌われたら、それこそ大変だ。ふたりともここは我慢して、歓迎を受け入れてやってくれ」
「うう……しょうがない……」
「うう……ひたすらキモい……」
泣きべそをかいたような顔で、精霊姫ふたりはしぶしぶナハーン草の愛を受け入れる。
するとどこからともなく、蜂と妖精を掛け合わせたような、手のひらサイズの小さな精霊たちが現れた。
「か……かわいい! この子たちは?」
ティフォンがきらきらと目を輝かせる。
「『ミツアツメ』といって、花の蜜を集める精霊虫だよ。俺たちが蜜まみれだから、寄ってきたんだろうな」
その子たちは俺たちの顔や身体に、チュッチュッと吸いついてくる。
「うふふ、くすぐったい!」
ティフォンは、すっかり嬉しそうだ。
「ユニバスくんって前に、泉の精霊さんたちに懐かれてたけど……こんな気分だったんだね」
気づけば俺の全身にも、ミツアツメがびっしりと貼りついていた。
いっぽうのガミメスは、まだブスッとしたまま。そんな彼女のそばでは、地の精霊たちが、かわいいミツアツメに抱きつかれて、すっかりデレデレになっていた。
















