30 リングラッドへ(前編)
乾いた荒野のなかを、俺たちの馬車がひた走っていた。
御者席にいるのは、俺とティフォン、それにガミメス。イズミは粋眠のさなかで、いまは馬車内の寝室で、すやすやと眠っている。
「なんだか、ユニバスくんの……ふぁ」
その声にふと隣を見ると、ティフォンがくしゃみの寸前の、なんとも間の抜けた変顔をしていた。
次の瞬間、「はっ……くしゅん!」と、盛大なくしゃみをひとつ。
とたんに、ビュオッと小さな竜巻が巻き起こる。よりにもよって俺のほうを向いてくしゃみをしたものだから、俺と、その奥のガミメスの髪がそろって逆立った。
「おいおい」
俺が肩をすくめると、ティフォンは鼻をこすった。
「ごめんごめん。なんだか、ユニバスくんのことを噂している人がいるみたい」
「それって、普通は自分の噂が立ってるときに出るものじゃないのか」
と、続けざまにガミメスも、
「はっ……くしゅーんっ!」
その拍子に、鼻と口から炎がゴッと噴き出して、俺とティフォンの鼻先をあぶった。ふたりして、同時にのけぞる。
「うわぁ!? ちょっと危ないよ、ガミメスちゃん!」
「しょーがないじゃん。このあたり、ホコリっぽいんだし」
俺は前髪を少し焦がしてしまったが、別に腹も立たない。ただ、苦笑いするだけだ。
「もうじき、この荒野も終わりだ。ほら、次の国が見えてきたぞ」
俺が指さした前方は、荒野の果て。そこを境にするように、見わたすかぎりの緑の森が、左右にどこまでも広がっていた。
ずっと殺風景な荒野ばかりだったから、目の前に現れた新しい景色に、ティフォンは興奮ぎみに立ち上がる。
「うわぁ! すっごくでっかい森! もりもり木が生えてるよ!」
「ざぁこ。ティフォンってば、はしゃぎすぎ。まるでガキじゃん」
ティフォンにとっては、苦手な炎の精霊の国からようやく離れられるとあって、なおさら嬉しいのだろう。ガミメスのからかいなんて、どこ吹く風といった様子だ。
「だって、わたしにとって木の精霊さんはお友達だもん! あんなにたくさんお友達がいるんだから、はしゃぎたくもなるよ!」
そう言って、ティフォンは森に向かって、両手をぶんぶんと振りまわす。
「やっほーっ、木の精霊さーん! わたしはティフォンだよーっ!」
すると風が吹き、森がざわめいた。まるで木々が手を振り返すみたいに、いっせいに枝を揺らす。
ティフォンが振り向いて、俺に尋ねてきた。
「ねぇねぇユニバスくん、あそこはなんて国なの?」
「あの森に入ると、リングラッド王国だ。近くに炎の精霊の国と木の精霊の国があるおかげで、亜熱帯気候の国なんだよ」
「ということは……次の目的地は、木の精霊の国『ユグドラララ』だね!」
「そうだ。天気がいい日なら、ここからでも世界樹が見えるんだが……」
馬車がさらにリングラッドへ近づくと、遥か遠方にかかっていた霧が、すうっと晴れていく。そうして、ユグドラララの象徴たる巨大な樹木、『世界樹』が姿を現した。
空を覆うほどに広がった樹冠は、いくら見上げても先端が見えないほど高い。天を衝く威容でありながら、それでいて不思議と、俺たちを圧するところがない。
眺めていると、なぜか腹の底がゆるんで、ほっとさせられる。まさに『母なる大樹』と呼ぶにふさわしい、やさしくも偉大な存在だった。
「でっ……でっかぁぁぁぁーーーーっ!? すごいすごいすごいすごい、すごーーーーいっ!!」
ティフォンは馬車の屋根の上によじ登り、大喜びでぴょんぴょんと跳ねている。
「そこまで喜んでくれるなら、連れてきた甲斐があったよ」
ティフォンは屋根の上でしゃがみこみ、ひさしからひょいと顔をのぞかせた。ポニーテールをぶらりと垂らしながら、俺に尋ねてくる。
「もしかして、わたしのために!?」
目を輝かせるティフォン。だがガミメスはそんな彼女に、バカにするような上目づかいを向けた。
「ざぁこ。そんなわけないじゃん。ユニバス様がユグドラララを選んだ理由は、そのほうが逃げるのがカンタンだったからに決まってるし」
「それもあるかな」
口ではそう軽く返しつつ、俺は胸の内で、これからのことを算段していた。
いま俺たちを追っているのは、トコナッツの王女ポーキュパイン様。あの人のことだから、近隣の国の国境にはすでに非常線を張らせているかもしれない。
だが幸いなことに、トコナッツとリングラッドは建国以来の友好国で、両国のあいだには国境というものがない。おかげで俺たちは、誰に咎められることもなくリングラッドへ入れる。
そのうえポーキュパイン様は軍隊を引きつれているはずだ。いくら友好国とはいえ、他国のなかで軍隊を派手に動かすわけにはいかない。
リングラッドまでは、あと数キロ。後ろに追っ手の姿もない。あの森にさえ入ってしまえば、当分は安全だ。
けれど、このときの俺は、それがどれほど甘い見通しだったか、まだ知る由もなかった。
















