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『正史審問 青銅仮面―簒奪された史実(青銅器文明/三星堆遺跡)と失われた技術』  作者: 東曌


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2/20

第一話 青銅の眼は、何を見ていたか 大改訂版

【登場人物・主な存在】


◾️蚕叢(さんそう)

古蜀の伝承に登場する君主。


東晋時代に編まれた『華陽国志』には、蚕叢の目が「縱」であったと記されている。その言葉は、三星堆の巨大な青銅仮面を連想させる。


ただし、蚕叢が三星堆の王であったと証明する史料はない。本作では、古い文献と考古遺物を結ぶ謎の入口として登場する。



◾️青銅の仮面

三星堆を象徴する、巨大な目を持つ青銅の顔。


人間の顔に似ているが、現実の人間を写したものなのか、神や祖先を表したものなのか、あるいは別の存在を表現したものなのかは、断定できない。


文字を残さず、ただ土の中から現れたその眼は、物語全体を貫く謎の象徴である。



◾️青銅の立像

大きな手と独特の姿勢を持つ、三星堆の巨大な青銅像。


誰を表していたのか。王なのか、祭祀を担う人物なのか、神格化された存在なのか。現在の知識だけでは決められない。


仮面とともに、三星堆の人々がどのような世界を思い描いていたのかを考える手がかりとなる。



◾️青銅の神樹

枝を広げ、鳥などの造形を備えた巨大な青銅製の樹。


天と地、人間と神々、生者と祖先。そのどこかを結ぶ象徴だったのだろうか。


その意味はまだ確定していない。本作では、三星堆の人々の信仰と世界観を探る重要な手がかりとなる。



◾️商王朝の王たち

黄河流域を中心に栄えた商王朝の王たち。


亀甲や獣骨に刻まれた甲骨文字には、雨や収穫、戦争、祭祀などについて王が占った記録が残されている。


文字による記録が残る世界と、巨大な青銅器を残しながら、その歴史を直接語る文書が見つかっていない三星堆。この対比から、古代中国に存在した複数の文化と政治の姿を考える。



◾️発掘に携わった人々

一九二九年、三星堆で玉器や石器を見つけた燕道誠。そして一九八六年、レンガを作るための土を掘っていた作業員たち。さらに、発見された遺物を調査し、記録し、復元してきた考古学者たち。


彼らの発見と研究がなければ、三星堆の王国は、今も土の下に眠り続けていたかもしれない。



◾️そして、名を残さなかった人々

王の名も、戦いの記録も、彼ら自身が語った歴史も、私たちには十分に伝わっていない。


それでも彼らは青銅を鋳造し、玉を磨き、巨大な仮面を作り、何らかの理由で品々を壊し、焼き、埋めた。


本作の真の主役は、名を残さなかった三星堆の人々である。

彼らは何を信じ、何を恐れ、何を後世に残そうとしたのか。

その答えは、まだ土の中にあるのかもしれない。


————————————————————————


【遺跡発見の経緯: 土の下から現れた青銅の眼】


一九二九年、春。


中国四川省、広漢。


成都平原の一角で、地元の農民が水路を掘っていた。


男の名は、燕道誠。


土を掘り進めていた彼は、地中から奇妙な玉器や石器を見つけた。


それは、ありふれた農具ではなかった。


何に使われたものなのか。

誰が作ったものなのか。

なぜ、この土地に埋まっていたのか。


その時点では、誰にも分からなかった。


発見された品々は、後に考古学者たちの関心を集めることになる。しかし、そこに眠っていた文明の全貌が明らかになるまでには、さらに長い年月が必要だった。


一九三四年、華西協合大学博物館のデイヴィッド・グラハムらが、この地域で初期の考古学的な発掘調査を行った。


玉器や石器などが調査され、古代の遺跡が存在することは、少しずつ確かめられていった。


だが、後世の人々を驚かせることになる、あの巨大な青銅の仮面は、まだ地中に眠っていた。


時は流れた。


一九八六年。


この年の春にも、三星堆では発掘調査が行われていた。研究者たちは遺跡の範囲を調べ、建物の跡や陶器、玉石器などを確認していた。


しかし、大型の坑は、その発掘区からわずか二十数メートルほど離れた場所にあった。


そして、夏。


七月十八日。


近くのレンガ工場で、作業員たちがレンガを作るための土を掘っていた。


地表からおよそ一・五メートル。


その土の中から、玉器や石器が現れた。


作業員から知らせを受けた考古学者たちが現場へ向かい、調査を始めた。


土の層を慎重に取り除いていくと、やがて長方形の坑が姿を現した。


長さ約四・五メートル、幅約三・三メートル。


坑の中には、焼けた灰や土、青銅器、玉器、象牙などがあった。


青銅の人頭像。


青銅の器。


金の権杖。


そして、焼けた痕跡を持つ遺物の数々。


それらは、日常生活で使われた品々を、誰かが何気なく捨てたようには見えなかった。


遺物は、一定のまとまりを持って埋められていた。


しかも、破損したものや、焼かれたと考えられるものが含まれていた。


なぜなのか。


七月に見つかった坑の発掘が進められるなか、八月十六日には、近くからもう一つの大きな坑が発見された。


こちらからも、数多くの青銅器、金器、玉器、象牙などが出土した。


そして、その中に、見る者の目を釘づけにする青銅の仮面があった。


大きく突き出した眼。


左右に広がる耳。


人間の顔を思わせながら、人間とは異なる、異様な存在感。


さらに、巨大な青銅の人物像や、枝を広げる青銅の神樹も姿を現した。


何千年ものあいだ、地中にあったものが、次々と現代の光を浴びたのである。


それは、単に珍しい古美術品が見つかったという話ではなかった。


中国の古代文明について、それまでの知識だけでは説明しきれない世界が、目の前に現れたのだ。


その遺跡は、三星堆と呼ばれる。


三星堆の発見によって、古代中国の歴史を考える際、黄河流域だけではなく、四川盆地にも高度な青銅器文化を持つ社会が存在していたことが、改めて明らかになった。


もちろん、発掘されたものを見ただけで、その社会のすべてが分かるわけではない。


青銅器を作った人々は、何を信じていたのか。


誰が彼らを統治していたのか。


彼らは、黄河流域の殷王朝と、どのような関係を持っていたのか。


そして、なぜ、これほど手間をかけて作った青銅器を壊し、焼き、地中に埋めたのか。


それらの問いに、簡単な答えはない。


遺物の年代や材質、製作技術、出土状況から分かることはある。しかし、彼ら自身が何を語っていたのかを直接伝える記録は、今のところ十分には見つかっていない。


ここで、私は一冊の古い書物を開く。


『華陽国志』。


そこには、古蜀の王について、こう記されている。


「有蜀侯蚕叢,其目縱,始稱王。」


蜀の君主に蚕叢がいた。その目は縱であり、初めて王を称した。


蚕叢の「縱目」。


そして、三星堆から現れた、突き出した眼を持つ青銅仮面。


二つは、関係しているのだろうか。


今のところ、それを証明する確実な証拠はない。


『華陽国志』は三星堆の遺物が発見されるよりはるか後の時代に編まれた書物であり、蚕叢を三星堆の王と断定することもできない。


だが、文献に残された一行と、地中から現れた青銅の眼。


この二つを並べてみると、私たちは、ある問いを避けられなくなる。


私たちが知っている古代中国の歴史は、どこまで全体を映しているのだろう。


黄河流域には、甲骨に刻まれた王の問いが残った。


四川盆地には、巨大な青銅の眼が残った。


そして三星堆の坑には、壊され、焼かれ、埋められた遺物が残った。


彼らは何を伝えようとしたのか。


何を終わらせようとしたのか。


あるいは、私たちが「破壊」と呼んでいる行為そのものが、彼らにとっては何かを完成させるための儀礼だったのだろうか。


まだ、答えはない。


だからこそ、調べる意味がある。


土の下から現れた青銅の眼は、何も語らない。


それでも私は、その眼が見つめていた世界を知りたいと思った。

第一話 青銅の眼は、何を見ていたか


◾️土の下から現れた、語らない王国


その目は、あまりにも大きかった。


人間の顔にあるはずの目より、ずっと大きい。


しかも、ただ大きいだけではない。眼球は顔の前方へ突き出し、まるで遠い彼方を見つめているかのようだった。


何を見ていたのだろう。


神か。

王か。

それとも、現代に生きる私たちには想像もつかない、別の世界か。


その顔は、青銅でできていた。


そして、数千年ものあいだ、土の下に眠っていた。


中国四川省、広漢市。


ここに、三星堆(さんせいたい)と呼ばれる遺跡がある。


発掘によって姿を現したのは、巨大な青銅仮面だけではなかった。奇妙な顔を持つ青銅像、黄金の杖、巨大な青銅の立像、そして、枝を天に伸ばすような青銅の神樹。


その造形は、私たちが学校の教科書で見慣れた古代中国の青銅器とは、ずいぶん印象が違う。


同じ中国の大地で、同じ青銅器時代に、いったい何が起きていたのか。


そして、なぜ、これほどの品々が土の中に埋められていたのか。


ここから先は、少しだけ推理をしていただきたい。


ただし、最初にお断りしておこう。


この謎には、まだ誰も確かな答えを出していない。


だからこそ、面白いのである。


### 一 農民が掘り当てた、別の世界


三星堆が現代の人々に知られるようになったきっかけは、王の命令でも、学者の壮大な探検でもなかった。


一九二九年、地元の農民、燕道誠(えん・どうせい)が、灌漑用の溝を掘っていたとき、玉や石でできた品々を見つけた。


畑を耕し、水を通すために土を掘る。


農村では珍しくもない作業だ。


ところが、その土の下には、普通の農地とは違う過去が眠っていた。


発見は、すぐに巨大な古代文明の全貌を明らかにしたわけではない。一九三四年には、華西協合大学博物館のデイヴィッド・クロケット・グラハムらによる初期の発掘調査が行われたものの、三星堆の全貌が見えてくるのは、もっと後のことだった。


決定的な発見が訪れたのは、一九八六年である。


七月十八日、レンガ工場の作業員たちが、レンガを作るための土を掘っていた。


そのとき、またしても土の中から、古代の品々が姿を現した。


発掘調査が進むと、第一号祭祀坑と呼ばれる遺構が確認された。そして八月十六日には、第二号坑が発見される。


そこから現れたのは、千点を超える遺物だった。


青銅の仮面。

青銅の人物像。

黄金の杖。

玉器。

象牙。

そして、巨大な青銅の神樹。


まるで、誰かが大切な宝物を一か所に集めたかのようだった。


いや、待ってほしい。


本当に、大切な宝物を集めただけなのだろうか。


発見された品々の中には、壊されたものや、焼かれた痕跡を持つものもあった。


なぜ、そんなことをしたのか。


敵に奪われないように隠したのか。

古い神々を葬る儀式だったのか。

王国の政治や信仰に、大きな変化が起きたのか。


どれも可能性として考えられる。


しかし、いずれも決定的な答えではない。


ここで、第一の謎が生まれる。


**これほどの品々を作った人々が、なぜ、それらを壊し、焼き、土の中へ埋めたのか。**


### 二 その王国は、どこにあったのか


三星堆がある四川盆地は、山々に囲まれた広大な地域だ。


中国の地図を思い浮かべてほしい。


黄河流域には、殷や周といった王朝の歴史があり、甲骨文や青銅器など、文字と遺物の両方から古代社会を知る手がかりが残されている。


一方、四川盆地にも、独自の文化を育てた人々がいた。


三星堆文化が栄えたのは、およそ三千六百年から三千百年前。殷王朝が栄えた時代と、おおむね重なっている。


つまり、黄河流域で殷の王たちが亀甲や獣骨に問いを刻んでいたころ、四川盆地では、あの巨大な目を持つ青銅仮面が作られていた可能性があるのだ。


同じ時代。

同じ大陸。

しかし、そこに残されたものは、ずいぶん違う。


殷の遺跡からは、王が何を占い、何を恐れ、何を願ったのかを記した文字が見つかっている。


三星堆からは、何を考えていたのかを直接教えてくれる、同じような文字記録が、今のところ確認されていない。


だからといって、三星堆の人々に文字がなかったと断定することはできない。


文字が残らなかったのかもしれない。

別の素材に記録していたのかもしれない。

あるいは、私たちがまだ読み解けていない何かが、どこかに残されているのかもしれない。


分からないことを、分からないままにしておく。


それは、歴史を考えるうえで、案外難しいことなのだ。


私たちは、空白を見つけると、つい物語で埋めたくなる。


しかし、空白には空白のまま残しておくべき部分もある。


三星堆の人々が何を信じ、どのように政治を行い、どんな言葉を話していたのか。


その答えは、まだ十分には分かっていない。


それでも、青銅の仮面は残っている。


彼らが、驚くほど高度な鋳造技術を持ち、巨大な像や複雑な器物を作る力を備えていたことは、出土品そのものが物語っている。


少なくとも、彼らは、ただの小さな村の住人ではなかった。


### 三 歴史書に名前がないから、存在しなかったのか


ここで、もう一つの問いを考えてみよう。


歴史書に詳しく書かれていない王国は、歴史の中で、どれほどの存在だったのだろうか。


中国の古い歴史書『史記』には、古代の蜀に関する伝承も記されている。


ただし、三星堆で発見された巨大な青銅仮面や祭祀坑について、具体的に説明しているわけではない。


書物の中の蜀と、土の中から現れた三星堆。


両者を結びつけることはできるのだろうか。


四川の古代史を伝える後世の書物には、蚕叢(さんそう)という王の名が登場する。


東晋時代に成立した『華陽国志』には、蚕叢について、こんな記述がある。


「有蜀侯蚕叢,其目縱,始稱王。」


蜀の侯に蚕叢という人物がいた。その目は「縱」であり、初めて王を称した――おおよそ、そういう意味である。


「縱目」とは、いったいどんな目だったのだろう。


縦に長い目か。

普通とは異なる形の目か。

あるいは、伝説の中で誇張された表現なのか。


ここで、あの青銅仮面を思い出してほしい。


顔から大きく突き出した目。


後世の書物に記された、普通とは異なる目を持つ王。


偶然だろうか。


それとも、何かの記憶が、伝説という形で残ったのだろうか。


残念ながら、今のところ、それを証明する決定的な証拠はない。


蚕叢が三星堆の王だったと断定することはできないし、「縱目」が、出土した青銅仮面の形を正確に描写しているとも限らない。


それでも、二つの手がかりを並べてみると、想像が広がる。


数千年前に作られた青銅の顔。

それより後の時代に書き残された、目に特徴のある王の伝承。


人々の記憶は、どこまで過去を伝えられるのだろうか。


そして、どこからが伝説になるのだろうか。


### 四 青銅の眼が、私たちに問いかける


三星堆の青銅仮面は、何も語らない。


その顔が神を表したのか、祖先を表したのか、それとも別の存在を表したのか、確かなことは分からない。


しかし、分かっていることもある。


この地には、独自の青銅器文化を育てた人々がいた。


彼らは巨大な像を作り、金や玉を加工し、複雑な形をした青銅器を生み出した。


そして、ある時点で、それらの品々は壊されたり、焼かれたりした状態で、土の中に埋められた。


その理由は、まだ確定していない。


王国が戦争に敗れたのか。

信仰が変わったのか。

政治体制が崩れたのか。

あるいは、私たちがまだ思いついていない理由があったのか。


どれか一つを選び、確かな答えのように語ることは簡単だ。


だが、歴史の謎を解くというのは、もっと慎重な作業なのだろう。


証拠を集める。

仮説を立てる。

別の可能性を考える。

そして、証拠が足りなければ、結論を急がない。


青銅の眼は、私たちを見つめているように見える。


けれど、本当に見つめられているのは、私たちの側なのかもしれない。


私たちは、古代の人々を理解しようとしている。


しかし、知らないことを、知っているつもりになってはいないだろうか。


歴史書に書かれていないから、重要ではなかった。

文字が見つからないから、文化がなかった。

青銅器が壊されているから、戦争があった。


そんなふうに、証拠の隙間を、いつの間にか自分の思い込みで埋めてはいないだろうか。


三星堆は、私たちに一つのことを教えてくれる。


**人類の過去は、残された記録よりも、ずっと広い。**


そして、その広さを知るためには、まず、自分が知らないことを認めなければならない。


さて。


ここで、次の手がかりを見てみよう。


三星堆とほぼ同じ時代、遠く離れた黄河流域では、王たちが亀の甲羅や獣の骨に問いを刻んでいた。


雨は降るのか。

戦争に勝てるのか。

祖先は、この決断を認めるのか。


その問いと答えは、数千年の時を越えて、今も私たちに読まれている。


一方、四川盆地の青銅の眼は、何を問い、何を見つめていたのか。


次の話では、文字を残した王たちと、青銅の謎を残した王国を比べてみよう。


**第二話 亀甲に問う王、遠国を治める王。**


謎を解くための手がかりは、まだ土の下に眠っているのかもしれない。


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