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第8話 侯爵家、奥様のドレスが売れています

第8話 侯爵家、奥様のドレスが売れています


 ローゼンベルク侯爵家には、毎朝たくさんの手紙が届く。


 領地からの報告。


 商会からの請求書。


 晩餐会や観劇への招待状。


 付き合いのある貴族からの近況報告。


 それから、どこでローゼンベルク家の名を調べたのか分からない慈善団体からの寄付依頼。


 古い侯爵家というものは、金がなくても手紙だけはよく届く。


 そして最近。


 そこに妙なものが加わった。


「奥様。またです」


「何が?」


「《ベル・モード通信》についてのお問い合わせです」


 朝食室へ入ってきた執事長セドリックが、銀の盆から三通の封筒を取り、ヴァレンティナの前へ並べた。


 ちょうど焼きたてのパンへ林檎のジャムを塗っていたヴァレンティナは、片手で一通目を取る。


『先日の晩餐会でお召しになっていたドレスについて――』


 二通目。


『《ベル・モード通信》のどの商品か、ご教示いただければ――』


 三通目。


『娘がどうしても同じものを欲しがっておりまして――』


「……まだ来るの?」


「今週だけで十一通です」


「みんな暇ねえ」


「奥様も先日、三リルのカーテンを探すために《ベル・モード通信》を二時間ほど眺めておられましたが」


「それとこれは別よ」


「どう違うのでしょう」


「私のは生活」


「左様でございますか」


 セドリックはそれ以上追及しなかった。


 この家へ嫁いできた当初、ヴァレンティナとセドリックの会話はもっとよそよそしかった。


 最近では、彼も随分と扱いを心得てきたらしい。


 余計なことは一言だけ言う。


 そして反撃される前に引く。


 優秀な執事は学習も速い。


「でも、あのドレスって売り切れたんでしょう?」


「そのようですね」


「じゃあ聞かれても困るわよ。私だって持ってるの一着だけだもの」


「その件なのですが」


 セドリックが、もう一通の封筒を盆から取った。


 今度のものは明らかに違った。


 厚手の生成り色の紙。


 深紅の封蝋。


 そこに押された意匠を見て、ヴァレンティナは首を傾げる。


「ベル・モード?」


「代表者が、本日お目にかかりたいとのことです」


「今日!?」


「先方からは数日前にお手紙が」


「聞いてない!」


「奥様が厨房でジャムを煮ておられた日です」


「ああ」


 心当たりがあった。


 その日は林檎が大量に余りそうだと聞いて、朝から厨房へ入り浸っていた。


 侯爵夫人が自ら鍋の前に立ち、木杓子で林檎をかき混ぜている光景も、最初こそ料理人たちを怯えさせた。


 今では誰も止めない。


 マルセルなど、「奥様、そちら焦げます」と普通に指示してくる。


「お渡ししました」


「……見てないかも」


「机の上へ置かれました」


「じゃあ机にあるわ」


「でしょうね」


 ヴァレンティナはパンをかじった。


 ベル・モードから直接。


 一体、何の用だろう。


 ◇


 午後。


 応接室へ現れたのは、三十代半ばほどの女性だった。


「お初にお目にかかります。ベル・モード商会のクララ・ミルズと申します」


 すらりとした中背。


 蜂蜜色の髪を首の後ろで端正にまとめ、深い青のドレスを着ている。商人としては上質だが、貴族女性のような過剰な装飾はない。


 淡い茶色の瞳は穏やかだった。


 けれど笑顔の奥では、相手の表情を細かく観察している。


 柔らかな物腰に反して、いかにも商売人らしい目をした女性だった。


 ヴァレンティナはそういう目をよく知っている。


 実家で散々見てきた。


「ヴァレンティナ・ローゼンベルクよ」


「存じ上げております」


 クララは丁寧に頭を下げた。


 ヴァレンティナの隣には、いつも通り背筋を伸ばしたエレノア。


 少し後ろにはセドリック。


 そして今日は、なぜかアルベルトまでいる。


 黒髪をきっちり撫でつけ、濃い色の上着を着た夫は、ヴァレンティナの隣の長椅子に当然のような顔で座っていた。


「あなた、仕事は?」


「屋敷も俺の職場だ」


「そうだけど」


「侯爵家の名に関わる話なら同席する」


「まだ何の話か分からないでしょう?」


「分からないから同席している」


「暇なの?」


「帰るぞ」


「ごめんって!」


 クララがわずかに顔を伏せた。


 肩が少し揺れている。


 笑いを堪えているらしい。


 エレノアは無表情だった。


 ただし、口元がいつもより固い。


 たぶん彼女も耐えている。


「それで、ご用件は?」


 ヴァレンティナが尋ねると、クララは仕事の顔に戻った。


「こちらをご覧ください」


 革鞄から一冊の冊子を取り出す。


 《ベル・モード通信》。


 ヴァレンティナには見慣れた表紙だ。


「こちらの商品番号三七二一」


「あ」


 前回の晩餐会で着た、あの深紅のドレスだった。


 六リルで買い。


 安っぽかったレースを外し。


 裏地を足し。


 腰を詰め。


 袖の形を変え。


 自作の薔薇飾りを加えた。


「完売いたしました」


「知ってる」


「再生産分も完売しました」


「え?」


「現在、二度目の追加生産に入っております」


「そんなに?」


「はい」


 クララが一枚の資料をテーブルへ置いた。


 細かな数字が並んでいる。


「奥様が晩餐会でお召しになられて以降、注文数が通常の約六倍になりました」


「六倍!?」


 ヴァレンティナは身を乗り出した。


「現在、同系統の商品にも注文が波及しております」


 赤。


 深紅。


 葡萄色。


 似た袖。


 似た襟。


 腰を細く見せる型。


 売上の伸びを示す数字が並んでいる。


「……みんな、私が着たから買ったの?」


「少なくとも、きっかけになったことは間違いないかと」


 クララの笑みが少し深くなった。


「そこで、お願いがございます」


「何?」


「奥様に、弊社の商品を着ていただきたいのです」


「いいわよ」


「ヴァレンティナ」


 即座にアルベルトの声が飛んできた。


「何よ」


「話を最後まで聞け」


「あ」


 クララがまた少し笑った。


「もちろん、無償でとは申しません」


 その一言で。


 ヴァレンティナの背筋が伸びた。


「いくら?」


「奥様」


 今度はエレノアだった。


「何よ」


「目が」


「目?」


「商人の目になっております」


「だって、お金の話よ?」


「侯爵夫人でございます」


「侯爵夫人にもお金は必要よ」


「それは……」


 エレノアが黙った。


 この家では特に反論しづらい。


「契約内容によりますが」


 クララが続ける。


「弊社から月に数着、新商品をお送りします。奥様がお気に召したものだけお召しください」


「全部着なくていいの?」


「もちろんです。また、奥様のお名前を《ベル・モード通信》へ掲載する許可をいただければ、別途謝礼をお支払いいたします」


「名前?」


「はい。たとえば――」


 クララは少し間を置いた。


「『ローゼンベルク侯爵夫人ご愛用』と」


「駄目だ」


 今度は。


 ヴァレンティナより先にアルベルトが答えた。


「なんでよ!」


「侯爵家の名を、商品の宣伝に使わせるつもりか?」


「お金もらえるのよ?」


「そういう問題ではない」


「またそれ!」


 ヴァレンティナは頬を膨らませた。


 この夫は時々、金銭では測れないものを持ち出してくる。


 以前なら、ただ面倒だと思っていた。


 けれど最近は、それが全部、無意味な見栄というわけではないことも分かり始めていた。


 ◇


 クララには一度、別室で待ってもらうことになった。


 応接室には四人が残った。


「何が駄目なの?」


「侯爵家の名は商標ではない」


 アルベルトは淡々と答える。


「商標にしたら売れそうじゃない?」


「そういう話をしているんじゃない」


「じゃあ何?」


「貴族が、特定の商会の商品を金銭と引き換えに宣伝する。それがどう見えるか考えろ」


「便利なものを紹介して何が悪いの?」


「悪いとは言っていない」


「じゃあいいじゃない」


「ヴァレンティナ」


 アルベルトが軽く息を吐いた。


「君はもうベルモンド男爵令嬢ではない。ローゼンベルク侯爵夫人だ」


 ヴァレンティナの表情が変わった。


「それ、どういう意味?」


「そのままの意味だ」


「商人の娘みたいなことをするなって?」


「そこまでは言っていない」


「同じでしょう」


「違う」


「何が違うのよ」


 少しだけ。


 空気が張った。


 ヴァレンティナは自分が商人の娘であることを恥じたことはない。


 父が商売で財産を築いたことも。


 母から家計や帳簿を教えられたことも。


 安いドレスを自分の手で仕立て直すことも。


 全部、自分の一部だ。


「奥様」


 その空気を割ったのはセドリックだった。


「旦那様がおっしゃっているのは、商売そのものではなく、侯爵家の信用を直接売る形になることへの懸念かと」


「信用を売る?」


「はい」


 セドリックはいつもの穏やかな声で説明する。


「『ローゼンベルク侯爵夫人ご愛用』と書けば、商品そのものではなく、ローゼンベルク家の名が品質を保証しているようにも受け取れます」


「……ああ」


 それなら分かる。


 実家でも同じだった。


 父は自分が良いと思っていない商品に、決してベルモンドの名を貸さなかった。


 商人にとって名前は信用だ。


 貴族なら。


 なおさらなのかもしれない。


「じゃあ、私の名前を出さなければいい?」


「それなら話は違う」


 アルベルトが答える。


「でも向こうは名前を使いたいんでしょう?」


「だから条件を変える」


「どうやって?」


 そこで全員が黙った。


 アルベルトも腕を組む。


 ヴァレンティナも考える。


 名前は出さない。


 けれどベル・モード側にも利益がある。


 そんな方法。


 そのとき。


 廊下が騒がしくなった。


「お待ちください!」


 使用人の声。


「娘はどこだ!」


 聞き覚えがありすぎる声だった。


 ヴァレンティナは目を閉じた。


「……来た」


「誰だ?」


「お父様」


「なぜ?」


「知らない」


 直後。


 扉が勢いよく開いた。


「ヴァレンティナ!」


「お父様! 侯爵家の扉を勝手に開けないで!」


 現れたのは、オスカー・ベルモンド男爵。


 四十代後半。


 背はそれほど高くないが、商売で成功した男らしく堂々とした体格をしている。腹回りには年相応の貫禄がつき始めていた。


 濃い金茶色の髪には、ところどころ白いものが混じっている。


 口髭はきれいに整えられ。


 深緑色の上着は明らかに上等。


 胸元には金の飾り。


 右手には大粒の赤い宝石がついた指輪。


 悪趣味になる一歩手前。


 いや。


 半歩くらい踏み込んでいる。


 そして何より。


 声が大きい。


「聞いたぞ!」


「何を!」


「お前のドレスが売れまくっているそうじゃないか!」


「情報早すぎない!?」


「商売の話だぞ!」


「理由になってない!」


 父はそこでアルベルトに気づいた。


 途端に満面の笑みになる。


「侯爵殿!」


「……男爵」


「娘が着れば売れるんです!」


「お父様!」


「素晴らしい!」


「座って!」


 ◇


 五分後。


 なぜかベルモンド男爵まで会議に加わっていた。


 先ほどまで四人だった応接室が、一気に狭く感じる。


 原因は人数ではない。


 主にベルモンド男爵の存在感である。


「つまり」


 一通り事情を聞いた父は、太い指を組んだ。


「侯爵殿は、ローゼンベルク家の名前を広告に出したくない」


「そうです」


「ヴァレンティナは金が欲しい」


「言い方!」


「違うのか?」


「違わないけど!」


「なら簡単でしょう」


 父はあっさりと言った。


「名前を売らず、流行を売ればいい」


 アルベルトが眉を上げる。


「どういう意味です?」


「娘がベル・モードの服を着る。夜会や観劇や茶会で」


「はい」


「だが広告には名前を載せない」


「それでは先方に利益が少ないのでは?」


「娘が着た商品に、別の文句を付ければいい」


「たとえば?」


「《今季の王都で話題の一着》」


 ヴァレンティナが父を見る。


「私の名前を出さずに?」


「そうだ」


「でも、それが私だって分からないでしょう?」


「分かる人間だけ分かればいい」


 父の口元が、にやりと上がった。


 ヴァレンティナはこの顔を知っている。


 父が金儲けの方法を思いついたときの顔だ。


「上流階級の女たちは、誰が何を着ていたか驚くほど覚えている。翌週には友人へ話す。その友人がまた別の友人へ話す」


「口コミね」


「そうだ」


 アルベルトも黙って考えている。


 貴族社会の噂の速さについては、彼の方がよく知っている。


「さらに」


 父が続ける。


「娘が手直ししたデザインを商品化するなら、そちらは別契約にする」


「え?」


「お前、あの六リルのドレスを自分で直したんだろう?」


「そうだけど」


「袖と襟と腰回り」


「うん」


「売れたのは、元の商品そのままなのか?」


 ヴァレンティナは止まった。


 クララが見せた売上表を思い出す。


 似た袖。


 似た腰。


 似た色。


「……違うかも」


「なら、お前が売ったのは服だけじゃない」


 父が言う。


「着方だ」


 ヴァレンティナは瞬きをした。


「私が?」


「正確には、お前の感覚がだ」


 父は商人らしい笑みを浮かべた。


「だったら、それにも値段を付けろ」


 部屋が静かになった。


 ヴァレンティナは、自分の手を見る。


 裁縫は昔からできた。


 母に教えられた。


 安い服を買って直すのも、別に特別なことだと思ったことはない。


 自分が着たい形にしているだけ。


 それがお金になる。


 そんなふうには考えたことがなかった。


「できるかな」


「できるかどうかは先方が決める」


 父は即答した。


「売れるかどうかは客が決める」


「お父様は?」


「儲かると思う」


「聞く相手間違えた」


「商人に儲かるか聞いて何が悪い!」


 ◇


 クララを呼び戻した。


 父の案を説明すると。


「ぜひ」


 即答だった。


「早っ」


「実は弊社でも、似た提案を検討しておりました」


「そうなの?」


「はい」


 クララは別の資料を取り出した。


「奥様がお直しになった商品番号三七二一について、問い合わせが非常に多いのです。特に袖と腰の形について」


 父が。


 得意げにアルベルトを見る。


「侯爵殿」


「何でしょう」


「売れます」


「……あなた方親子は、本当によく似ていますね」


「そう?」


「どこが?」


 父娘が同時に答えた。


 アルベルトは額を押さえた。


「そこだ」


 ◇


 そこからの話は早かった。


 ただし。


 アルベルトとベルモンド男爵が揃ったことで、契約内容については妙に細かくなった。


 ローゼンベルク侯爵家の名は、広告には使わない。


 ヴァレンティナがベル・モードの商品を着る義務もない。


 送られてきた中から、気に入ったものだけを選ぶ。


 ヴァレンティナが手直しやデザインを提案し、それが商品化された場合は監修料を受け取る。


 さらに。


「売上に応じて?」


 アルベルトが契約書へ目を落とした。


「歩合です」


 ベルモンド男爵が答える。


「固定額だけでは駄目です。売れたときに娘にも利益がある形にする」


「なるほど」


「売れなければ商会側の負担も少ない」


「合理的ですね」


「でしょう!」


 父が嬉しそうに笑った。


 先ほどまで価値観の違いでぶつかっていたはずのアルベルトと、いつの間にか契約書を挟んで話し込んでいる。


 片や古い侯爵家の当主。


 片や商売で爵位まで買った成金男爵。


 どう考えても相性が悪そうなのに。


 意外と会話が成立している。


「……私の契約なんだけど」


「分かっている」


「父親は娘の契約書を見るものだ!」


「二人とも楽しそうね」


 ヴァレンティナが頬を膨らませる。


 その横でエレノアが、小さくため息をついた。


 ◇


 その夜。


 寝室。


 ヴァレンティナは寝台の上で《ベル・モード通信》を眺めていた。


 向かいではアルベルトが本を読んでいる。


「ねえ」


「何だ?」


「怒ってる?」


「何に」


「ベル・モード」


「いや」


「最初、すごく嫌そうだったじゃない」


 アルベルトは本から目を上げた。


「侯爵家の名前を安売りするなら反対した」


「今は?」


「君自身の技術に対して報酬を受け取るなら、俺が反対する理由はない」


 ヴァレンティナの指が止まった。


「……私の技術?」


「違うのか?」


「いや」


 何となく。


 その言い方が嬉しかった。


 商人の娘だから。


 成金だから。


 安物が好きだから。


 そうではなく。


 技術。


 自分が昔から当たり前にやってきたことを、アルベルトはそう呼んだ。


「あなた、意外といいこと言うわね」


「最近それをよく言われる」


「誰に?」


「セドリックが同じことを言われたと愚痴っていた」


「褒めてるのに」


「褒め方を考えろ」


 ヴァレンティナは笑いながら冊子のページをめくった。


「あ」


「何だ」


「これ可愛い」


「買えばいい」


「十二リル」


「やめろ」


「高いわよね!」


「基準が分からなくなってきた」


 ◇


 三週間後。


 ローゼンベルク侯爵家へ、一通の手紙が届いた。


「奥様」


 朝。


 セドリックが封筒を持ってくる。


「ベル・モード商会からです」


「売れた!?」


「まだ何も申し上げておりません」


「開けて!」


「奥様宛です」


「じゃあ貸して!」


 封を切る。


 読む。


 途中で、ヴァレンティナの大きな目が、さらに大きくなった。


「……二百三十七着」


「何がです?」


「私が袖を直したワンピース」


「ほう」


「二週間で二百三十七着売れたって」


 さらに読む。


「監修料と歩合で……」


 止まる。


「いくらです?」


「十八リル六十セル」


 数字そのものは、侯爵家全体の財政から見れば、決して巨額ではない。


 屋根を直すには到底足りない。


 だが、ヴァレンティナにとっては違った。


「稼いだ」


 椅子から立ち上がる。


「私、十八リル六十セル稼いだ!」


 声を聞きつけたエレノアが、廊下から顔を出した。


「どうなさいました?」


「ベル・モード!」


「またですか」


「十八リル六十セル!」


「……それは、おめでとうございます」


「屋根!」


「はい?」


「屋根の修理代に入れる!」


 セドリックが思わず笑った。


「奥様。初めてのお稼ぎを、屋根に使われるのですか?」


「だって雨漏りするじゃない!」


「宝石などは?」


「いらない」


「新しいドレスは?」


「安いの買って自分で直す」


「旅行など」


「屋根!」


「左様でございますか」


 エレノアが何とも言えない顔でヴァレンティナを見た。


「奥様」


「何?」


「嫁いでこられた当初」


「うん」


「私は奥様のことを、贅沢がお好きな方だと思っておりました」


「よく言われる」


「……訂正いたします」


 ヴァレンティナが笑った。


「今さら?」


「今さらです」


 それだけ言って。


 エレノアは仕事へ戻っていった。


 ヴァレンティナはその後ろ姿を見送る。


 最初は。


 何をしても眉をひそめられていた。


 安いドレスを着ても。


 厨房へ入っても。


 帳簿を見ても。


 侯爵夫人らしくない。


 そう思われていた。


 今の言葉は。


 たぶん。


 エレノアなりの謝罪であり。


 評価なのだろう。


「セドリック」


「はい」


「今の、かなり褒められた?」


「エレノアにしては」


「よね!」


「明日は雪かもしれません」


「そこまで!?」


 ◇


 夜。


 アルベルトが帰宅すると。


 玄関ホールでヴァレンティナが待っていた。


「アルベルト!」


「何だ」


「十八リル六十セル!」


「……何が?」


「稼いだ!」


 勢いよく手紙を突き出す。


 アルベルトは手袋を外しながら受け取り、目を通した。


「ベル・モードか」


「そう!」


「そうか」


「反応薄くない?」


「いや」


 アルベルトはもう一度手紙を見る。


 そして。


「おめでとう」


 ヴァレンティナが止まった。


「……それだけ?」


「何を期待していた?」


「もっと驚くとか」


「驚いている」


「顔に出して」


「無理だ」


「つまんない男!」


 アルベルトが小さく笑った。


「それで、何に使うんだ?」


「屋根」


「…………」


「何よ」


「君の金だろう」


「そうよ」


「好きなものを買えばいい」


「だから屋根が欲しいの」


「屋根は買うものなのか?」


「直すの!」


「分かっている」


「じゃあ聞かないでよ!」


 アルベルトは少しだけ黙った。


 それから。


「ヴァレンティナ」


「何?」


「その金は取っておけ」


「なんで?」


「屋根は家の金で直す」


「でも」


「君が稼いだ金まで、この家の穴埋めに使う必要はない」


 ヴァレンティナは瞬きをした。


「夫婦でしょう?」


「ああ」


「じゃあ一緒じゃない」


「それでもだ」


「変なの」


 アルベルトは手紙を彼女へ返した。


「君にだけ、この家を背負わせるつもりはない」


 ヴァレンティナは何も言わなかった。


 アルベルトもそれ以上は言わなかった。


 ただ、その日の夜。


 ヴァレンティナは十八リル六十セルを、屋根修理用の箱ではなく、自分の机の引き出しへしまった。


 ◇


 翌朝。


「奥様」


 エレノアがやってきた。


「何?」


「ベル・モード商会から荷物が届いております」


「新作?」


「十二箱です」


「十二!?」


「玄関を塞いでおります」


「そんなに頼んでない!」


「試作品だそうです」


「全部!?」


 ヴァレンティナは玄関へ走った。


 そこには。


 箱。


 箱。


 箱。


 箱。


 さらに箱。


 歴史あるローゼンベルク侯爵家の玄関ホールが、完全に商会の倉庫と化している。


「……多い」


「返品なさいますか?」


 エレノアが尋ねる。


 ヴァレンティナは一番上の箱を開けた。


 深緑色のドレス。


 薄桃色のブラウス。


 刺繍入りのスカート。


 リボン。


 手袋。


 次から次へと出てくる。


 ヴァレンティナの目が輝いた。


「…………」


「奥様?」


「仕事だから」


「はい」


「これは仕事だから」


「はい」


「全部見る」


「そうおっしゃると思いました」


 エレノアの声は呆れていたが、以前のような棘はもう、ほとんどなかった。


 ローゼンベルク侯爵家。


 節約だけでは、家は立て直せない。


 ならば、稼げばいい。


 そして現在。


 その第一歩となる商品が、玄関を完全に塞いでいる。

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