第27話 侯爵家、八十六リルのドレスを着ます
第27話 侯爵家、八十六リルのドレスを着ます
四月に入り、王都にも本格的な春が訪れていた。
ローゼンベルク侯爵邸の庭では、冬の間すっかり寂しくなっていた花壇に新しい花が植えられ、窓から差し込む日差しも日に日に暖かさを増している。以前は雨が降るたびに天井を見上げていた使用人たちも、今では天気の心配をせずに窓を開けられるようになっていた。
そんな穏やかな春の午後、侯爵夫人の寝室では、まったく穏やかではない会話が繰り広げられていた。
「八十六リル……」
大きな姿見の前に立ったヴァレンティナは、自分のドレスを見下ろしながら、もう何度目になるか分からないため息をついた。
深い薔薇色の生地に、控えめな金糸の刺繍が施されたドレスは、王宮の晩餐会にふさわしい華やかさと品格を備えている。胸元から腰にかけての仕立ては身体の線を美しく見せ、裾には歩くたびに柔らかな光が流れるような細工が施されていた。
メゾン・ラヴィエの女主人が自信を持って勧めただけあって、仕上がりに不満は一つもない。
問題は、その値段だった。
「八十六リルもしたんだから、最低でも十回は着ないとね」
背後で髪を整えていたエレノアの手が止まった。
「奥様、本日は王宮の晩餐会でございます」
「分かっているわよ。だから、今日は一回目ね」
「そういう意味ではございません」
エレノアは鏡越しに主人を見つめ、できるだけ穏やかな声で続けた。
「どうか今夜は、ドレスのお値段についてお話しにならないようお願いいたします」
「言わないわよ。アルベルトにも散々言われたもの」
「それなら安心いたしました」
「でも、十回着れば一回あたり八リル六十セルなのよ。二十回なら四リル三十セルでしょう? そう考えると、案外お買い得かもしれないわ」
「奥様」
「分かってるってば!」
エレノアは小さく息をつき、最後の髪飾りを留めた。
ヴァレンティナの金髪は、いつもの華やかな巻き髪を生かしながらも、今夜は少し高い位置でまとめられている。耳元には小粒のダイヤモンドが揺れ、首元には母親から贈られた真珠の首飾りが輝いていた。
化粧も普段より丁寧に施されているが、色を重ねすぎず、ドレスの深い薔薇色が引き立つように整えられている。
鏡の中の自分を眺めたヴァレンティナは、ようやく満足そうに微笑んだ。
「でも、やっぱり素敵ね。この刺繍を残して正解だったわ」
「はい。奥様によくお似合いです」
「十二リル分の刺繍だもの。似合ってもらわないと困るわ」
エレノアは返事を控えた。
金額さえ口にしなければ、申し分のない侯爵夫人なのに。
そう思ったが、口にしたところで改善する見込みは薄かった。
◇
階段を下りると、玄関広間ではアルベルトが待っていた。
今夜の彼は黒の礼装に身を包み、銀色の刺繍が入った上着を着ている。普段の落ち着いた服装と比べれば装飾は多いものの、華美になりすぎない仕立ては、古い名門侯爵家の当主らしい威厳を感じさせた。
ヴァレンティナが階段の途中で足を止めると、アルベルトは顔を上げた。
「お待たせ、アルベルト」
「ああ。時間にはまだ余裕がある」
そう答えたアルベルトは、しばらく妻を見上げたまま動かなかった。
深い薔薇色のドレスは、金髪のヴァレンティナによく似合っている。普段の彼女も十分に華やかだが、今夜はその華やかさが丁寧に整えられ、侯爵夫人としての落ち着きまで感じさせた。
もっとも、本人の性格まで落ち着いたわけではないことを、アルベルトは誰よりもよく知っている。
「どう? 変じゃない?」
「……いや。よく似合っている」
「本当? この前もそう言ってくれたけど、やっぱり王宮で着るとなると気になるのよね」
「仕立てにも問題はない。安心していい」
「よかった!」
ヴァレンティナは嬉しそうに階段を下り、アルベルトの前で軽く一回転してみせた。
裾が柔らかく広がり、金糸の刺繍が光を受けてきらめく。
アルベルトはその動きを目で追い、彼女がこちらへ向き直ったところで、ようやく視線を戻した。
「ところで、あなたの礼装はいくらだったの?」
「……なぜ聞く」
「参考までに」
「今から王宮へ行くというのに、君は本当に金の話ばかりだな」
「だって、私のドレスが八十六リルでしょう? あなたの方が高かったら、ちょっと安心するじゃない」
「何に安心するんだ」
「私だけ贅沢しているわけじゃないってことに」
「君のドレスは必要な支出だと、何度説明すれば分かる」
「分かってるわよ。でも、八十六リルは八十六リルなの!」
アルベルトは返事を諦め、差し出された妻の手を取った。
玄関の扉が開かれ、二人は春の夕暮れの中、王宮へ向かう馬車に乗り込んだ。
◇
王宮へ向かう道は、晩餐会に招かれた貴族たちの馬車でいつもより賑わっていた。
窓の外には石造りの街並みが続き、夕日に照らされた建物の壁が淡い金色に染まっている。春の暖かさに誘われた人々が通りを歩き、店先には花や薄手の衣服が並んでいた。
ヴァレンティナは窓の外を眺めながら、今夜のことを考えていた。
以前、王宮の晩餐会に出席したときは、ベル・モード通信で購入した六リルのドレスを着ていた。
自分では気に入っていたし、実際に多くの人から褒められた。しかし、その後になって、ローゼンベルク侯爵家は新しいドレスを買う金もないらしいという噂が流れていたことを知った。
当時は、そんな解釈をされるなど考えもしなかった。
「ねえ、アルベルト」
「何だ」
「今日のドレスを見た人たちは、ローゼンベルク家にお金があると思うかしら」
「少なくとも、君の衣装について余計な心配をする者は減るだろう」
「やっぱり服って大事なのね」
「服だけで判断されるわけではないが、第一印象には影響する」
「でも、六リルのドレスだって素敵だったでしょう?」
「それは否定していない」
「じゃあ、どうしてあのときは駄目だったの?」
アルベルトは少し考えてから答えた。
「駄目だったわけではない。君があのドレスを選んだ理由を、周囲が知らなかっただけだ」
「安くて可愛かったからよ」
「それを知らない人間は、別の理由を考える。特に、家計が苦しいという噂がある家ならな」
ヴァレンティナは腕を組み、しばらく黙って考え込んだ。
「つまり、同じ六リルでも、裕福な家の娘が着れば趣味がいいと言われて、貧乏な侯爵家の夫人が着ればお金がないと思われるのね」
「そういうこともある」
「理不尽だわ」
「社交界では珍しくない」
「だったら、いつかローゼンベルク家がすごく裕福になったら、また六リルのドレスを着てみたいわ」
「なぜそうなる」
「そのときは、誰も貧乏だからだなんて思わないでしょう?」
アルベルトは妻の顔を見つめ、それから小さく笑った。
「……君なら本当にやりそうだな」
「もちろんよ。安くて可愛い服を着るのに、理由なんて必要ないもの」
その言葉を聞きながら、アルベルトは窓の外へ視線を向けた。
結婚したばかりの頃なら、彼女の考え方を理解できなかったかもしれない。
しかし今では、こうした発言にも驚かなくなっていた。
ヴァレンティナは高価なものを嫌っているわけではないし、安価なものだけを好んでいるわけでもない。
彼女にとって重要なのは、その品物に支払うだけの価値があるかどうかだった。
そして、その判断基準に最近は新しく「信用」という項目が加わっている。
もっとも、それを理解した結果、毎月晩餐会を開こうと言い出したことについては、まだ納得していなかった。
◇
王宮の大広間には、すでに多くの貴族たちが集まっていた。
高い天井から吊るされた大きなシャンデリアには無数の蝋燭が灯され、磨き上げられた床にはその光が幾重にも映り込んでいる。壁には歴代の王族を描いた肖像画が並び、窓辺には春の花を使った大きな装飾が置かれていた。
招待客の衣装も華やかで、女性たちのドレスには絹やレース、宝石がふんだんに使われている。
ヴァレンティナは周囲を見渡し、思わず感心した。
「やっぱり王宮って綺麗ねえ」
「前にも来ただろう」
「何度見ても綺麗なものは綺麗よ。それに、今日は前と違うところが気になるの」
「どこだ?」
「花の飾り方とか、蝋燭の数とか」
「……まさか費用を計算しているのか」
「してないわよ! ちょっと参考にしているだけ!」
アルベルトは、妻が次に何を言い出すか予想できた。
「ローゼンベルク家で同じことをする必要はないぞ」
「まだ何も言ってないでしょう!」
「顔に書いてある」
ヴァレンティナは不満そうに唇を尖らせたが、すぐに表情を整えた。
今夜は侯爵夫人として振る舞う日である。
値段を聞かない。商売の話を持ち出さない。必要以上に騒がない。
エレノアとアルベルトから何度も言われた注意事項を思い出し、彼女は背筋を伸ばした。
その様子を横目で見たアルベルトは、少しだけ口元を緩めた。
「そんなに緊張する必要はない」
「緊張してないわよ」
「なら、普段通りにしていればいい。ただし、値段の話以外でな」
「最後の一言が余計なのよ」
二人が広間へ進むと、近くにいた貴族たちが次々と挨拶に訪れた。
ローゼンベルク侯爵家は古い名門であり、アルベルト自身も社交界ではよく知られた人物である。彼が妻を伴って王宮の晩餐会に出席すること自体は珍しくないが、最近は侯爵家の財政を巡る噂もあったため、夫妻へ向けられる視線には多少の好奇心が混じっていた。
ヴァレンティナは、その視線に気づかないふりをしながら、笑顔で挨拶を返していった。
「まあ、ローゼンベルク侯爵夫人。今夜のお召し物、とても素敵ですわね」
声をかけてきたのは、淡い灰色のドレスを着たモートン子爵夫人だった。
以前の夜会でも顔を合わせた女性で、ヴァレンティナの振る舞いについて遠回しに苦言を呈したことがある。
「ありがとうございます。とても気に入っておりますの」
「仕立てが素晴らしいわ。どちらのお店で?」
「メゾン・ラヴィエですわ」
「あら、ラヴィエの新作なのね。やはり侯爵夫人には、ああいうお店のお洋服がよくお似合いになりますわ」
子爵夫人は微笑みながら、ヴァレンティナのドレスへ視線を落とした。
「以前お召しになっていた、少し変わったお洋服も印象的でしたけれど」
その言い方には、微かな含みがあった。
ヴァレンティナは一瞬、六リルのドレスのことだと気づいたが、すぐに笑顔を返した。
「あちらも、とても気に入っておりますの」
「まあ、そうなのですか?」
「ええ。普段のお出かけには軽くて着やすいですし、色も綺麗でしょう? ただ、王宮の晩餐会となると、こちらの方がふさわしいと思いまして」
子爵夫人は少し意外そうな顔をした。
ヴァレンティナは、その反応を気にせず続けた。
「服は着る場所によって選ぶものですもの。どちらにも、それぞれ良いところがありますわ」
「……なるほど。確かに、そうですわね」
子爵夫人はそれ以上、以前のドレスについて触れなかった。
アルベルトは隣で静かに会話を聞いていたが、ヴァレンティナがこちらを見上げると、小さく頷いた。
それだけで、彼女は少し嬉しくなった。
以前なら、六リルのドレスを馬鹿にされたと思って、つい値段の話まで持ち出していたかもしれない。
しかし今夜は、そんな必要がないことを理解していた。
自分が気に入っているものを、他人にまで認めさせる必要はない。
それに、目の前の子爵夫人は、少なくとも今夜のドレスについては本当に褒めてくれているようだった。
◇
晩餐会が始まると、招待客たちは案内に従って席へ着いた。
王宮の食卓には白いクロスが掛けられ、銀器やグラスが整然と並べられている。料理は季節の食材を使ったものが中心で、前菜から主菜に至るまで、見た目の華やかさだけでなく味にも細かな工夫が施されていた。
ヴァレンティナは料理を口に運びながら、思わず感心した。
特に春野菜を使った温かな前菜は、素材の甘みを生かした優しい味付けで、厨房のマルセルにも食べさせてみたいと思うほどだった。
もっとも、王宮の料理人を侯爵邸へ呼ぶわけにはいかないし、同じ食材を使ったところで、まったく同じ料理ができるとも限らない。
それでも、良い料理を食べれば、自分の家でも試してみたくなる。
ヴァレンティナは、そんなことを考えながら食事を楽しんでいた。
「ローゼンベルク侯爵夫人」
向かい側に座っていた年配の伯爵夫人が、穏やかな声で話しかけてきた。
「最近、ローゼンベルク領では果物の加工を始められたそうですわね」
「はい。昨年から少しずつ取り組んでおります」
「王都のお店でも見かけましたわ。確か、杏の保存食でしたかしら」
「ええ。領地で採れた杏を使っております」
ヴァレンティナは思わず身を乗り出しかけた。
商品について尋ねられたのだから、味や保存方法、販売先まで詳しく説明したくなる。
しかし、その瞬間、隣に座るアルベルトの言葉が頭をよぎった。
王宮は商談の場所ではない。
ヴァレンティナは姿勢を整え、落ち着いた声で答えた。
「領地では、味に問題がなくても形や傷のために出荷できない果物がございましたので、加工して利用できないかと考えたのです」
「まあ、それは良いお考えですこと」
「まだ小さな取り組みですが、少しずつ続けていければと思っております」
伯爵夫人は興味深そうに頷いた。
「無駄になるものを減らすというのは、立派なことですわね」
「ありがとうございます」
ヴァレンティナは微笑みながら答えたが、内心では少しだけ物足りなかった。
本当は、王都のクライン商店で販売していることも伝えたかったし、最近は注文が増えていることも話したかった。
けれど、相手は商談を求めているわけではない。
今夜は、それを忘れないようにしなければならなかった。
すると、隣のアルベルトが自然な調子で会話に加わった。
「妻が領地の収支を調べているうちに、加工品の販売という案が出ましてね。まだ規模は小さいですが、領民たちも協力してくれています」
「侯爵も領地の経営に力を入れていらっしゃるのですね」
「ええ。妻のおかげで、以前より現場の話を聞く機会が増えました」
ヴァレンティナは思わずアルベルトを見た。
彼は特別なことを言ったつもりもない様子で、伯爵夫人との会話を続けている。
しかし、ヴァレンティナにはその言葉が少し嬉しかった。
領地の改革は、決して自分一人で進めたものではない。
アルベルトも領地へ足を運び、管理人や農民の話を聞き、商人との交渉にも協力してくれた。
それでも、彼が社交の場で自分の働きを認めてくれると、やはり嬉しいものだった。
「ご夫婦で協力していらっしゃるのね」
伯爵夫人が微笑むと、ヴァレンティナも自然に笑顔になった。
「はい。アルベルトには、いつも助けてもらっております」
「……こちらこそ」
アルベルトは短く答え、グラスを手に取った。
その表情は普段と変わらなかったが、ヴァレンティナには少しだけ照れているようにも見えた。
◇
晩餐会が終わる頃には、ヴァレンティナもすっかり場の雰囲気に慣れていた。
以前の彼女なら、商人の名前や商品の値段を聞きたくなる場面が何度もあっただろう。しかし今夜は、相手が何を話したいのかを考えながら会話を進めることができた。
もちろん、完璧だったわけではない。
ある伯爵が最近購入した馬車の話を始めたときには、思わず購入価格を尋ねそうになり、慌てて飲み物へ口をつけた。
また、隣に座った夫人が新しい宝石を披露した際にも、どこの商会から仕入れたものなのか気になったが、どうにか褒め言葉だけで会話を終えることができた。
本人としては、かなりの進歩である。
アルベルトも、そんな妻の様子を見ながら、内心では感心していた。
結婚したばかりの頃、ヴァレンティナは貴族社会の慣習に対して遠慮なく疑問を投げかけていた。
それは今でも変わらない。
ただ、最近は疑問を口にする前に、その場で何を話すべきかを考えるようになっていた。
彼女が自分らしさを失ったわけではない。
むしろ、自分の考え方を保ったまま、相手に伝える方法を少しずつ覚えているのだろう。
アルベルトは、そんな変化を悪くないと思っていた。
帰り際、何人かの貴族から次の茶会や晩餐会への誘いを受けた。
ヴァレンティナは嬉しそうに応じたが、すべてに出席すると約束することだけは避けた。
以前、毎月何か催しを開きたいと言い出してアルベルトに止められたことを、まだ覚えていたからである。
もっとも、招待される側なら費用がかからないのではないかという考えは、頭の片隅に残っていた。
◇
帰りの馬車に乗り込むと、ヴァレンティナはようやく肩の力を抜いた。
「疲れたわあ!」
背もたれに身体を預け、大きく息をつく。
アルベルトは向かい側に座りながら、少し呆れたように笑った。
「今夜は随分と大人しかったな」
「頑張ったのよ。何度も値段を聞きそうになったんだから」
「それは聞かなくて正解だった」
「分かってるわよ。でも、あの伯爵様の馬車、絶対に高かったと思うの。装飾も立派だったし、車輪の造りも良さそうだったもの」
「君は馬車まで値踏みするのか」
「値踏みじゃないわ。興味があるだけよ」
「同じことだろう」
ヴァレンティナは不満そうに頬を膨らませたが、すぐに笑顔へ戻った。
「でも、今日は楽しかったわ。いろんな方とお話しできたし、領地の加工品についても聞いてもらえたもの」
「ああ。悪くなかった」
「ねえ、アルベルト」
「何だ」
「八十六リル分の仕事はできたかしら?」
アルベルトは一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
「……何?」
「だから、このドレスよ。せっかく八十六リルも払ったんだから、それだけの価値があったか気になるじゃない」
「君はドレスに仕事をさせるつもりなのか」
「だって、信用のために必要だって言ったのはあなたでしょう?」
「必要だとは言ったが、着たその日に元を取れとは言っていない」
「でも、今日は皆さんに褒めてもらえたし、ローゼンベルク家が貧乏だって思われることも減ったんじゃない?」
「少なくとも、以前より良い印象を持ってもらえただろうな」
「じゃあ、買って正解だったのね!」
ヴァレンティナは満足そうに微笑んだ。
アルベルトは、その様子を見ながら静かに頷いた。
「それに、君自身も以前より落ち着いて話せていた」
「本当?」
「ああ。無理に大人しくする必要はないが、相手に合わせて話すことはできるようになったな」
「それ、褒めてるの?」
「褒めているつもりだ」
「だったら、もっと分かりやすく褒めてくれてもいいのに」
アルベルトは返事をしなかった。
ヴァレンティナはそんな夫を見つめ、ふと思いついたように言った。
「でも、やっぱり次は六リルのドレスでも同じことができるか試してみたいわ」
「やめろ」
「どうしてよ!」
「今夜の話を聞いて、なぜそうなるんだ」
「だって、八十六リルで信用が得られるなら、六リルで同じことができた方がお得でしょう?」
「君は何も分かっていないな」
「分かってるわよ! だからこそ、いつか試してみたいの!」
アルベルトは深いため息をついた。
ヴァレンティナはその様子を見て笑い、窓の外へ視線を向けた。
王都の夜道には街灯が並び、遠くにはまだ明かりの灯る店も見える。
結婚してから半年以上が過ぎた。
あの雨漏りだらけの屋敷へ初めて足を踏み入れた頃には、王宮の晩餐会で自分のドレスが侯爵家の信用に関わるなど、考えもしなかった。
けれど今では、服一着にも、食事一回にも、長年続いてきた付き合いにも、それぞれ違った価値があることを少しずつ理解し始めている。
それでも、安くて良いものを見つけたときの嬉しさまで失ったわけではない。
ヴァレンティナは膝の上に広がる薔薇色のドレスを眺め、満足そうに微笑んだ。
「ねえ、アルベルト」
「今度は何だ」
「このドレス、次はいつ着られるかしら?」
「……少なくとも、来週ではないな」
「じゃあ、来月?」
「予定を確認してからだ」
「十回着るまで、あと九回もあるのよねえ」
アルベルトは、もう何も言わなかった。
こうしてローゼンベルク侯爵家の王宮晩餐会は、無事に終わった。
侯爵夫人の評判も、以前より少しは良くなったらしい。
ただし、八十六リルのドレスが元を取るまでには、まだ相当な時間がかかりそうだった。




