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第26話 侯爵家、夜会を開けばいいというものでもなさそうです

第26話 侯爵家、夜会を開けばいいというものでもなさそうです


 三月も終わりに近づき、ローゼンベルク侯爵邸の庭にも、ようやく春らしい色が戻り始めていた。


 冬のあいだ固く閉じていた木々の芽が膨らみ、日当たりのよい場所では小さな花が咲いている。朝晩にはまだ暖炉が欲しくなるものの、昼間の陽射しには明らかに冬とは違う柔らかさがあった。


 屋敷の中も、五か月前とはずいぶん変わっている。


 屋根から雨は降らない。


 西側の壁も直った。


 使用人の数も増え、エレノアが一人で屋敷中を走り回る必要はなくなった。


 領地の年間収支は、少額ながら黒字になる見込みが立っている。


 東の倉庫からは賃貸料が入り、果物の加工品も無理のない範囲で売れ続けていた。


 そして先日の夕食会を経て、グラント商会との取引条件も元へ戻った。


 支払いは工事完了後。


 前金は不要。


 たった一社ではある。


 しかし、ローゼンベルク家が失いかけていた信用を、一つ取り戻したことに違いはない。


 だからヴァレンティナは思った。


 これは使える。


「できた!」


 三月最後の月曜日。


 朝食を終えたヴァレンティナは、そのまま書斎へ駆け込むと、一枚の大きな紙を机いっぱいに広げた。


 中央上部には、彼女自身の字で大きく、


 《ローゼンベルク侯爵家 信用回復年間計画》


 と書かれている。


 ちょうど領地から届いた書簡を読んでいたアルベルトが、嫌な予感でもしたように顔を上げた。


「何だ、それは」


「見れば分かるでしょう?」


「見ても分からないから聞いている」


「信用回復の計画よ」


「それは文字で分かる」


 アルベルトは書簡を机へ置いた。


「なぜ年間計画になっている」


「信用は一回じゃ戻らないって、あなたが言ったんでしょう?」


「言った」


「だから年間で考えたの」


 理屈だけ聞けば、間違ってはいない。


 そこが余計に不安だった。


「見て」


 ヴァレンティナが得意げに紙を指した。


「まず四月」


 《王宮晩餐会》


「これは決まっている」


「ええ。八十六リルのドレスもある」


「ドレスの値段を予定表へ書くな」


「書いてないでしょう」


「今、口で言った」


「次、五月」


 《庭園昼食会》


 アルベルトの眉が僅かに動いた。


「六月」


 《初夏の音楽会》


 眉間に皺が寄る。


「七月」


 《夕涼み会》


「待て」


「八月」


「待て」


 《避暑地で交流会》


「待てと言っている」


「九月は結婚一周年だから――」


「待て!」


 とうとうアルベルトが紙を取り上げた。


「あっ!」


「何だ、これは」


「だから年間計画!」


「四月から毎月何かあるぞ!」


「信用は積み重ねでしょう?」


「そういう積み重ね方ではない!」


 アルベルトは紙を上から下まで確認した。


 四月、王宮晩餐会。


 五月、庭園昼食会。


 六月、音楽会。


 七月、夕涼み会。


 八月、避暑地で交流会。


 九月、結婚一周年記念晩餐会。


 十月には秋の収穫を祝う会まで書かれている。


「十月まであるじゃないか」


「まだ途中よ」


「一年埋めるつもりだったのか?」


「年間計画だもの」


「誰が毎月宴会を開けと言った!」


「宴会じゃないわよ。五月は昼食会」


「同じだ」


「六月は音楽会」


「もっと金がかかる」


「七月は夕涼み会」


「名前を変えても駄目だ」


「八月は――」


「聞きたくない」


 アルベルトは額を押さえた。


 五か月前。


 この女は嫁いできた翌日に屋根から雨が降っているのを見つけ、十二リルのワインを毎晩開けていると知れば年間費用を計算し、厨房へ行けば捨てられている食材を数え、請求書を見れば仕入れ値を疑った。


 それからずっと、削る、見直す、無駄をなくす、と騒ぎ続けてきた。


 その女が今、侯爵家の一年を催しで埋めようとしている。


「ヴァレンティナ」


「何よ」


「君は減らす側の人間じゃなかったのか」


「……何を?」


「金だ」


「失礼ね!」


 ヴァレンティナは椅子から立ち上がった。


「私は何でも減らしてるわけじゃないでしょう! 必要なところには使うって、最初から言ってるじゃない!」


「必要なところが急に増えすぎだ!」


「信用は必要でしょう?」


「必要だ!」


「じゃあいいじゃない!」


「毎月宴会を開く必要はない!」


「だから宴会じゃないってば!」


 書斎の外を通りかかったエレノアが足を止めた。


 中から聞こえてくるのは、


「音楽会!」


「いらない!」


「夕涼み会!」


「いらない!」


「庭園昼食会!」


「それもいらない!」


 という侯爵夫妻の声である。


 エレノアは数秒考えた。


 夫婦喧嘩ではない。


 少なくとも、たぶん違う。


 そう判断し、静かにその場を離れた。


「そもそも」


 アルベルトは紙を机へ戻した。


「四月には王宮晩餐会がある」


「あるわね」


「なら四月はそれで十分だ」


「え?」


「何だ」


「うちで何かしないの?」


「しない」


 ヴァレンティナは信じられないものを見る顔をした。


「一か月、何も?」


「王宮晩餐会があると言っただろう」


「でも、それは王宮が開くんでしょう?」


「そうだ」


「うちは招待される側よ?」


「そうだ」


「信用回復にならなくない?」


「なる」


「どうして?」


 アルベルトは椅子へ座り直した。


「ローゼンベルク侯爵夫妻が例年通り王宮晩餐会へ出席し、ほかの貴族と話し、普通に帰る。それで十分だ」


「普通に帰るだけ?」


「ああ」


「何も売らない?」


「売るな」


「領地の加工品を――」


「持っていくな」


「ベル・モードの――」


「商談会ではない」


「じゃあ何するのよ!」


「晩餐会だ!」


 今度はアルベルトの声が大きくなった。


 ちょうど廊下を戻ってきたエレノアが、再び足を止めた。


 今度も夫婦喧嘩ではなさそうだった。


 たぶん。


「食事して、話して、それだけ?」


 ヴァレンティナが確認する。


「それだけだ」


「八十六リルのドレス着て?」


「そうだ」


「八十六リルなのに?」


「二回言うな」


「何か成果を出したくならない?」


「ドレスに営業目標を持たせるな」


 ヴァレンティナは納得できない顔をした。


 アルベルトは机を指で軽く叩く。


「先月、うちで夕食会を開いただろう」


「ええ」


「そこでグラント商会との関係も確認できた。今月はそれで十分だ」


「でも、効果あったでしょう?」


「あった」


「じゃあ、もう一回やればもっと効果あるんじゃない?」


「ない」


「どうして?」


「信用を取り戻したいからと毎月人を集める家を見て、君ならどう思う」


「……社交好き?」


「ほかには」


「お金持ち?」


「ほかには」


 ヴァレンティナは考えた。


 先月夕食会を開いた家が、翌月にも大勢の人間を呼び、その翌月にも何か催している。


 しかも、その家には最近、金に困っているという噂がある。


「……必死なのかなって思う」


「そういうことだ」


「でも私たちは本当に困ってるわけじゃない」


「世間は君の頭の中を見ない」


「またそれ!」


 第三章に入ってから、何度この言葉を聞いただろう。


 事実だけでは足りない。


 どう見えるかも考える。


 ようやく理解してきたと思ったら、今度は「見せようとしすぎるな」と言われる。


「難しすぎない?」


「何が」


「侯爵夫人」


「今さらか」


「帳簿の方が簡単だった」


「それは君だけだ」


 アルベルトは計画表をもう一度見た。


「それに、催しを開けば金がかかる」


「必要経費でしょう?」


「全部を必要経費にするな」


「でも信用が――」


「六月の音楽会はいくらかかる」


 ヴァレンティナが止まった。


「……まだ計算してない」


「そこから始めろ」


「百リルくらい?」


「演奏家にも規模にもよる」


「百五十?」


「知らん」


「二百?」


「俺に聞くな」


「……やっぱり音楽会いらないかも」


 アルベルトが黙った。


「何よ」


「安心した」


「何が?」


「金額を考えた途端、いつもの君に戻った」


「失礼ね!」


「本当に安心した」


 笑っている。


「私だって無駄遣いするつもりはないわよ」


「年間予定を催しで埋めた女が言うな」


「まだ予算組んでないでしょう?」


「組む前に止めているんだ」


 アルベルトは六月の音楽会へ一本線を引いた。


「あっ!」


 七月の夕涼み会にも線を引く。


「ああっ!」


 八月の交流会。


「ちょっと!」


 そして五月の庭園昼食会にも線を引いた。


「待って!」


「何だ」


「五月は?」


「何もしない」


「何もしない!?」


「普通に暮らす」


「一か月丸々?」


「当たり前だ」


 ヴァレンティナは心底驚いていた。


「信用回復、止まらない?」


「止まらない」


「積立なのに?」


「その積立という例えから一度離れろ」


「毎月積まないと」


「信用は定期預金ではない!」


 アルベルトはとうとう計画表を畳んだ。


「五月も、こちらから催しを開く必要はない。招待された夜会があれば行く。昼食会へ呼ばれれば行く。手紙には返事をする。商人への支払いは期限を守る。救貧院への支援も続ける。領地の仕事も予定通り進める」


「それだけ?」


「それを続ける」


「……地味」


「信用とはそういうものだ」


「もっと一気に上がる方法ないの?」


「ない」


「お金払っても?」


「ない」


「百リル」


「ない」


「二百」


「ない」


「三百」


「競りではない!」


 ヴァレンティナは口を尖らせた。


「せっかくイベント考えるの楽しくなってきたのに」


「そっちか」


「だって、前の夕食会楽しかったでしょう?」


「俺に聞くな」


「みんな来てくれて、料理も美味しくて、杏のお菓子も評判よくて」


「それはそうだが」


「準備も楽しかった」


「君は当日より準備を楽しんでいたな」


「予算組んだり、料理決めたり、席順考えたり」


「席順はほとんど俺とエレノアが決めた」


「見てるのが楽しかったの!」


 アルベルトは呆れた。


 どうやら信用回復を口実にしているだけで、この女は単純に催しを企画することにハマったらしい。


「ヴァレンティナ」


「何?」


「趣味にするなら、自分の金でやれ」


「ひどい!」


「侯爵家の信用を趣味の予算に使うな」


「ちゃんと役にも立つでしょう?」


「必要なときだけな」


 正論だった。


 腹立たしい。


「じゃあ九月は?」


「何が」


「結婚一周年」


 アルベルトの動きが一瞬止まった。


 計画表には確かに、


 《九月 結婚一周年記念晩餐会》


 と書かれている。


「それも消す?」


「……人を呼ぶ必要はないだろう」


「じゃあ二人?」


「普通はそうじゃないのか」


「何食べる?」


「まだ半年先だ」


「ワインは?」


「知らん」


「十二リル?」


「戻すな」


「でも記念日よ?」


「だからといって一本十二リルに戻す理由にはならない」


「アルベルトがそんなこと言うなんて!」


「君に毒されてしまった」


「じゃあ六リル」


「なぜ今決める」


「楽しみになってきた」


「気が早い」


 ヴァレンティナは笑った。


 アルベルトは畳んだ計画表を机の端へ置いた。


「とにかく、四月は王宮晩餐会。それ以外にこちらから催しを開く必要はない」


「分かった」


「五月は?」


「何もしない」


「六月は?」


「何もしない」


「七月は?」


「……小さいお茶会くらいなら」


「ヴァレンティナ」


「冗談よ!」


 アルベルトが疑わしそうに見る。


「半分くらい」


「やめろ」


「分かったってば」


 ヴァレンティナは『信用』の帳面を開いた。


 最初の頃は数行しかなかったページも、今ではかなり文字が増えている。


 《信用は、一回で作れない》


 《高い服にも、必要なときは意味がある》


 《社交=情報が流れる場所》


 《寄付=利益が出なくても必要な支出》


 《信用は、お金を使った額ではなく、何にどう使ったかでも変わる》


 《何も問題がないことを証明するには、何も問題がないように普通に振る舞う》


 ヴァレンティナはその下へ、新しく書いた。


 《信用回復のために毎月イベントを開く必要はない》


 少し考え、


 《むしろ必死に見える》


 と続ける。


「なるほど……」


「理解したか」


「した」


「ならいい」


 ヴァレンティナはさらに一行書いた。


 《でもイベントは楽しい》


「今、余計なことを書いただろう」


「なんで分かるのよ!」


「顔だ」


「最近みんなそればっかり!」


 帳面を閉じたところで、扉が叩かれた。


「失礼いたします」


 入ってきたのはミレイユだった。


 手には数通の書状を持っている。


「本日届いたお手紙でございます」


「ありがとう」


 ヴァレンティナが受け取る。


 商会から一通。


 領地から一通。


 王都の知人から二通。


 そして一番下に、見覚えのある店名が入った封筒があった。


「メゾン・ラヴィエ」


 ヴァレンティナの目が輝いた。


 封を開く。


 中には簡潔な知らせが入っている。


 春の王宮晩餐会に向けて注文していたドレスが、最終仕上げの段階に入った。


 三日後には仮縫いの最終確認ができるという。


「できる!」


「何がですか」


「ドレス!」


 ヴァレンティナは手紙をアルベルトへ見せた。


「八十六リルの!」


「値段から離れろ」


「無理よ。八十六リルよ?」


「知っている。俺も店にいた」


「絶対いっぱい着る」


「王宮晩餐会用だぞ」


「一回で終わらせるわけないでしょう」


「別の正式な場でも着ればいい」


「何回着たら元取れるかな」


「そういう考え方をする服ではない」


「十回着たら一回八リル六十セル」


「計算するな」


「二十回なら四リル三十セル!」


「やめろ」


「ベル・モードより安くなる!」


「ならない!」


 ミレイユが無表情のまま視線を下げた。


 肩がほんの少し動いている。


「ミレイユ」


「はい」


「今笑ったでしょう」


「いいえ」


「絶対笑った」


「奥様、三日後の予定へメゾン・ラヴィエを追加しておきます」


「誤魔化した!」


 ミレイユは何も答えず、一礼して書斎を出ていった。


 三日後。


 ヴァレンティナはアルベルトとエレノアを伴い、メゾン・ラヴィエを訪れた。


 以前と同じく、店内には商品がほとんど並んでいない。


 壁際に数着の見本。


 生地の束。


 大きな鏡。


 そして奥の試着室。


 マダム・ラヴィエは、今日も隙のない濃紺のドレスを着ていた。


「お待ちしておりました、ローゼンベルク侯爵夫人」


「できた?」


「ほぼ完成しております」


 案内された試着室には、深い薔薇色のドレスが用意されていた。


 ヴァレンティナが一瞬、黙った。


 前回は生地を身体へ当てただけだった。


 形になったものを見るのは初めてである。


 深い薔薇色を基調とした生地は、光の角度によって僅かに金色を帯びる。胸元は開きすぎず、それでも首から肩にかけての線が綺麗に見えるよう仕立てられ、腰から下にはたっぷりと生地が使われていた。


 裾と袖には、ヴァレンティナが最後まで削ろうとしていた手刺繍が入っている。


 細い金糸。


 近くで見れば控えめなのに、少し離れると光を拾って輪郭が浮かぶ。


「……綺麗」


 思わず本音が出た。


「お召しになりますか?」


「もちろん!」


 エレノアと店の女性たちに手伝われ、ドレスを身につける。


 最後に髪を簡単に整え、鏡の前へ立った。


「……」


 ヴァレンティナは珍しく黙った。


 自分で言うのも何だが、似合っている。


 普段好んで着る鮮やかな赤や桃色より深みがあり、華やかではあるものの、幼く見えない。


 派手さを抑えたわけではない。


 むしろ、ヴァレンティナの金髪と顔立ちが一番目立つように作られている。


「どう?」


 鏡越しにアルベルトを見る。


 彼は少し離れたところに立っていた。


「アルベルト?」


「ああ」


「どう?」


「……似合っている」


「それだけ?」


「何を言えばいい」


「八十六リルに見える?」


「台無しだ」


 マダム・ラヴィエが僅かに笑った。


「侯爵夫人」


「はい?」


「ドレスの価値は、必ずしも使った金額だけで決まるものではございませんよ」


「最近みんな同じようなこと言うのよね」


「皆様、正しいのでしょう」


「味方がいない」


 ヴァレンティナは鏡の前で一度回った。


 裾が大きく広がり、金糸が午後の光を拾った。


 なるほど。


 前回、アルベルトが言っていた意味が分かる。


 広い王宮の大広間なら、近くで見たときより、この刺繍が効く。


「刺繍、残してよかった」


 ヴァレンティナが言った。


「十二リルだったがな」


 アルベルトが返す。


「今それ言う!?」


「君が散々言っていたから覚えた」


「嫌なところだけ覚えてる!」


 ヴァレンティナは頬を膨らませた。


 その姿を見ながら、アルベルトはほんの少しだけ目を細めた。


 彼女は普段から派手な服を好む。


 化粧もはっきりしている。


 黙って立っていれば、いかにも華やかな侯爵夫人に見える。


 口を開けば、大抵何かの値段を聞くのだが。


 それでも。


 似合っている。


 かなり。


「何?」


 ヴァレンティナがこちらを見た。


「見すぎじゃない?」


「見ていない」


「今ずっと見てたでしょう」


「ドレスを確認していただけだ」


「本当?」


「ああ」


「じゃあいいけど」


 ヴァレンティナはあっさり鏡へ向き直った。


 アルベルトは何となく視線を逸らした。


 帰りの馬車。


 ヴァレンティナは上機嫌だった。


「楽しみになってきた」


「何が」


「王宮晩餐会」


「イベントを開けない代わりか」


「それもある」


「やっぱりハマっているじゃないか」


「いいでしょう、楽しいんだから」


「家計を壊さない範囲ならな」


「壊さないわよ」


 ヴァレンティナは窓の外を眺めながら笑った。


「でも、ちょっと分かったかも」


「何がだ」


「私、信用を戻すことばっかり考えてたでしょう?」


「ああ」


「だから何かしなきゃって思ってた」


 アルベルトは黙って聞いている。


「でも、何もしない月があってもいいのね」


「何もしないわけではない」


「普通に暮らす?」


「そうだ」


「約束守って、お金払って、呼ばれたところには行って」


「ああ」


「領地の仕事も続ける」


「ああ」


「それで少しずつ戻る」


「そういうものだ」


 ヴァレンティナは考え込んだ。


「……やっぱり地味」


「諦めろ」


「でも、前よりは分かった」


「なら十分だ」


「じゃあ五月は本当に何もしない?」


「まだ言うか」


「一回くらい――」


「しない」


「お茶会」


「しない」


「小さいの」


「しない」


「十人」


「人数の問題ではない」


「五人」


「値切るな」


 ヴァレンティナは笑った。


 アルベルトも、呆れたように息を吐きながら、少しだけ笑っていた。


 その夜。


 ヴァレンティナは『信用』の帳面を開いた。


 今日書いた、


 《信用回復のために毎月イベントを開く必要はない》


 という一文を見る。


 その下の、


 《でもイベントは楽しい》


 は消さなかった。


 さらに、新しく一行だけ付け足した。


 《四月は王宮晩餐会。普通に楽しむ》


 少し考える。


 その横に、


 《八十六リル分》


 と小さく書いた。


「何を書いている」


 背後から声がした。


「きゃっ!」


 ヴァレンティナが振り返る。


「びっくりした!」


「なぜだ。ここは俺の書斎だ」


「分かってるけど急に後ろに立たないでよ!」


「何を書いた」


「見ないで」


「また余計なことだろう」


「違うわよ」


「見せろ」


「嫌」


 ヴァレンティナは帳面を胸へ抱えた。


「私の帳面」


「俺の家の信用について書いてある」


「私の家でもあるでしょう?」


「最近そればかりだな」


「便利だから」


 アルベルトは呆れた顔をした。


「それより」


 ヴァレンティナは彼を見た。


「何だ」


「今日、本当に似合ってた?」


「ああ」


 今度はすぐに答えた。


「よかった」


 ヴァレンティナは満足そうに笑った。


「八十六リル払って似合わなかったら泣くところだった」


「結局そこか」


「大事でしょう?」


「君は本当に変わらないな」


「何よ」


「いや」


 アルベルトは少し笑った。


「その方がいい」


「……何が?」


「何でもない」


「何よ、気になる」


「寝るぞ」


「誤魔化した!」


 先に書斎を出ていくアルベルトを、ヴァレンティナが追いかける。


 廊下には二人分の足音が響いた。


 五か月前、ローゼンベルク侯爵家に嫁いできたヴァレンティナは、金を使いすぎるこの家に驚いた。


 そして今。


 その本人が、毎月催しを開こうとして夫に止められている。


 人間というものは、随分勝手に変わるらしい。


 もっとも、ヴァレンティナの場合は金遣いが荒くなったわけではない。


 必要なものには使う。


 無駄なものには使わない。


 その基準に、新しく「信用」という項目が加わっただけだった。


 ただし。


 イベントが楽しいという理由まで必要経費に含めてよいかについては、アルベルトから永久に許可が下りそうになかった。

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