第3話 侯爵家、高見えの格安ドレスで夜会に行きます
第3話 侯爵家、格安ドレスで夜会へ行きます
ローゼンベルク侯爵家へ嫁いで二週間が過ぎた頃、ヴァレンティナの自室には、普段とは少し違った光景が広がっていた。
窓から差し込む午後の光の中、絨毯の上には色鮮やかな紙面が何枚も広げられている。赤、青、緑、薄紫と、様々な色のドレスを着た女性たちの絵が並び、その横には商品番号や寸法、価格が細かな文字で記されていた。
ヴァレンティナはその中央に座り込み、頁をめくりながら真剣な顔で悩んでいる。
「赤はこの前着たでしょう。青も悪くないけど、アルベルトが黒だから、並ぶと少し暗いのよね」
彼女が読んでいるのは、月刊『ベル・モード通信』だった。
王都の若い女性なら、一度くらいは目にしたことがある通販雑誌である。
ベル商会という衣料商が毎月発行しており、巻末についている注文葉書へ商品番号、希望する色、寸法を書いて送れば、数日後には工房から商品が届く仕組みになっている。
店舗を持たず、注文をある程度まとめてから生産することで価格を抑えているため、一流の仕立屋へ頼むよりはるかに安い。
その代わり、細かな寸法調整はできず、生地や装飾も値段相応のものが多かった。
しかしヴァレンティナにとって、それは大した問題ではない。
寸法が合わなければ直せばいいし、気に入らない飾りは取り替えればいい。
何より、安い。
「これ、いいじゃない。新作で六リル」
ヴァレンティナは深紅のドレスが描かれた頁で手を止め、あとで分かるように端を小さく折った。
その瞬間、背後から恐ろしく低い声が聞こえた。
「奥様」
「ん?」
振り返ると、メイド長のエレノアが立っていた。
今日も濃茶色の髪は一分の隙もなくまとめられ、黒いドレスの襟元にも乱れ一つない。
ただし、その切れ長の目はヴァレンティナではなく、床一面に広げられた『ベル・モード通信』へ向けられていた。
床を見る。
ヴァレンティナを見る。
もう一度、床を見る。
いつも表情をほとんど崩さないエレノアにしては、かなり分かりやすい反応だった。
「……これは」
「ベル・モードよ」
「存じております」
「あら、エレノアも買うの?」
「買いません」
返事だけは驚くほど速かった。
「便利なのに」
「奥様」
「何?」
「明後日の晩餐会に、まさかとは思いますが……」
エレノアの視線が、ヴァレンティナが折り目をつけた頁へ落ちる。
「これをお召しになるおつもりで?」
「そのつもりだけど」
「なりません」
「なんでよ」
「奥様はローゼンベルク侯爵夫人でございます」
「知ってるわよ。もう嫁いで二週間経つのだから」
「王宮主催の晩餐会でございます」
「それも聞いた」
「ベル・モードは……」
エレノアは珍しく言葉に詰まった。
どう言えば主人の妻を怒らせずに済むのか考えているらしい。
「何?」
「……主に庶民向けの商品を扱う商会でございます」
「貴族だって買ってるわよ」
「下級貴族の若いご令嬢などは利用なさるでしょう。しかし、ローゼンベルク侯爵夫人ともあろう方が、王宮へそのような服をお召しになって行かれるのは――」
「服なんて着たら一緒でしょう?」
「一緒ではございません!」
普段ほとんど声を荒らげないエレノアが珍しく語気を強めたので、ヴァレンティナは目を丸くした。
「そう?」
「そうでございます」
「でも、これ可愛いわよ」
ヴァレンティナは問題の頁を持ち上げた。
描かれているのは、深紅のイブニングドレスである。
肩を大きく見せる華やかな形に、胸元には黒いレースが使われ、腰から広がるスカートには薔薇を模した装飾までついている。
「しかも六リル」
「値段を聞いているのではございません」
「送料無料よ」
「それも聞いておりません」
「今月だけなのよ?」
「奥様!」
エレノアの声が部屋に響いた。
ヴァレンティナは、なぜそこまで怒られるのか本気で分からなかった。
◇
「というわけで、エレノアが怒ってるの」
「怒るだろうな」
昼食の席で一連の出来事を話すと、アルベルトは特に驚きもせず答えた。
テーブルには温かなスープとパン、薄く切った肉料理が並び、以前より安い日常用のワインがグラスへ注がれている。
先日の試飲でアルベルト自身が選んだものなので、値段について文句を言われることもなくなった。
少なくともワイン問題については、ヴァレンティナの勝利である。
「あなたまでエレノアの味方なの?」
「王宮の晩餐会だからな」
「服なんて、そんなに誰も見てないでしょう」
「見る」
「そんなに?」
「見る」
「あなたも?」
「見る」
ヴァレンティナはパンをちぎっていた手を止めた。
「男なのに?」
「男だから何だ」
「女のドレスなんて興味ないと思ってた」
「興味があるかどうかではない。誰が何を着ているかは、社交の場では情報になる」
「またそれ?」
「またとは何だ」
「ワインのときも似たようなこと言ってたでしょう」
「事実だから仕方ない」
アルベルトはスープを一口飲んでから、少し面倒そうに説明を続けた。
「どこの仕立屋を使っているか、流行をどこまで追っているか、古いドレスを仕立て直しているか、宝石は何を身につけているか。本人にそのつもりがなくても、周囲は見ている」
「それで何が分かるの?」
「家の財政状態が推測できる場合もあるし、どの店や職人と付き合いがあるかも分かる。服装によっては、誰かへの敬意を示すこともある」
「面倒くさい世界ね」
「君も今日からその面倒くさい世界の住人だ」
「嫌なこと言うわね」
「事実だ」
ヴァレンティナは不満そうに唇を尖らせた。
ワインのときもそうだったが、アルベルトはこういう話になると意外によく喋る。
単に古い慣習をありがたがっているわけではなく、彼なりに一つ一つの意味を理解しているらしい。
「じゃあ、新しいドレスを仕立てる?」
ヴァレンティナが尋ねると、アルベルトの手が一瞬止まった。
「……それについてだが」
「何?」
「今回は、君が実家から持参したドレスを使えないか」
「使えるけど」
「そうしてほしい」
「別にいいわよ」
あまりにもあっさり答えたため、アルベルトがわずかに目を見開いた。
「いいのか?」
「なんで?」
「いや……新しいものが欲しいと言うかと思っていた」
まただ。
ヴァレンティナはじっと夫を見る。
「アルベルト」
「何だ」
「あなた、私のことものすごい浪費家だと思ってない?」
「ものすごい、とまでは思っていない」
「じゃあ、少しは思ってるのね」
「…………」
「正直に言いなさいよ」
「派手なものが好きなのは事実だろう」
「好きよ」
ヴァレンティナは迷わず答えた。
「宝石も好きだし、ドレスも靴も鞄も好き。綺麗なものは全部好きよ」
「ほら」
「でも、高いものが好きとは言ってないでしょう?」
アルベルトが黙った。
「可愛ければいいのよ」
「そういうものなのか?」
「そういうものよ」
ヴァレンティナはパンを一口食べてから、何でもないことのように続けた。
「それに、新しいドレスを着たいからベル・モードを見てたのよ」
「エレノアから聞いた」
「六リル」
「……安すぎないか?」
「でしょう?」
「褒めていない。六リルのイブニングドレスなど、まともな生地なのか?」
「まともよ。少し薄いけど」
「駄目じゃないか」
「裏地をつければいいでしょう」
「…………」
「胸元のレースも、実物を見て安っぽかったら交換するわ。ウエストも既製品だと少し太いでしょうから、たぶん詰めることになるし」
「待て」
「何?」
「誰がやるんだ?」
「私よ」
アルベルトの動きが止まった。
「……君が?」
「そうよ」
「誰かに指示するという意味ではなく?」
「自分で縫うって意味よ」
アルベルトはしばらくヴァレンティナを見た。
「裁縫ができるのか?」
「できるわよ」
「刺繍ではなく、服を直せるのか?」
「簡単なものなら作れるし、寸法直しくらいなら普通にできるわ」
「…………」
「何よ、その顔」
「君は一体どういう教育を受けてきたんだ」
「普通よ」
ヴァレンティナは首を傾げた。
「お母様が、女は服くらい直せないと駄目だってうるさかったもの。料理も裁縫も帳簿も、家のことは一通りできるようにしなさいって」
「ベルモンド夫人が?」
「そうよ。商売なんて、いつどうなるか分からないんだからって」
アルベルトはそれ以上何も言わなかった。
ただ、彼の中にあったベルモンド家への印象が、また一つ静かに崩れたことだけは、何となく表情から分かった。
◇
二日後の午後、ヴァレンティナの部屋には布と糸と裁縫道具が広がっていた。
注文していたドレスは前日の朝には届いている。
六リルという価格を考えれば十分な品だったが、やはりそのまま王宮へ着ていくには少々頼りない。
表地の深紅は発色がよく、遠目には美しい。
しかし裏地が薄く、動いたときにスカートの形が崩れやすかった。胸元についていた黒いレースも悪くはないが、近くで見れば値段相応である。
そこでヴァレンティナは、まず縫い目を傷めないよう丁寧にほどき、手持ちの黒いシルクを裏地として足した。
胸元のレースはすべて外し、実家から持たされた古いレースへ交換する。母が若い頃に使ったものらしく、流行から外れた形ではあったが、生地そのものは上質だった。
さらに自分の体に合わせて腰を詰め、肩から腕へ落ちる線が美しく見えるよう袖の形を少し変える。
付属していた軽い飾りボタンは取り外し、以前の服から外して保管していた黒蝶貝のボタンへ付け替えた。
最後に、余った深紅の生地を小さく折り重ねて薔薇を作り、腰の装飾として縫いつける。
すべて終えた頃には、窓の外が夕方の色に変わり始めていた。
「できた!」
ヴァレンティナは完成したドレスを両手で掲げた。
その場には、仕上がりを確認すると言ってやってきたエレノアと、たまたま書類を届けに来たセドリックがいた。
二人とも、しばらく何も言わなかった。
「何よ」
ヴァレンティナは不安になり、ドレスを自分の身体へ当てた。
「変?」
「……いえ」
エレノアがゆっくり近づいてきた。
まず表地を見る。
次に腰の縫い目へ目を移し、裏返して裏地の処理まで確認する。
「奥様が、これを?」
「そうよ」
「お一人で?」
「そうだけど」
「いつの間に?」
「昨日と今日。夜はちゃんと寝たわよ」
「それは聞いておりません」
エレノアはもう一度縫い目を見た。
その横からセドリックも覗き込み、感心したように頷く。
「見事なものですね」
「でしょう?」
「セドリック」
エレノアが睨む。
「事実だ」
「なぜあなたが得意そうなのです」
「私は何もしていないが」
ヴァレンティナは鏡の前へ立ち、完成したドレスを身体へ当てながら全体の印象を確認した。
「でも、まだ足りないのよね」
「何がでございますか?」
「華やかさ」
エレノアは完成したドレスを見た。
深紅。
黒いレース。
黒蝶貝。
腰には薔薇。
彼女には、これ以上何を足す必要があるのか理解できなかった。
「十分では?」
「足りないわ」
ヴァレンティナは迷いなく宝石箱を開けた。
中から取り出したのは、大粒の赤い石を連ねた首飾りだった。
燭台の光を受けると、鮮やかな赤がきらきらと輝く。
エレノアの目がわずかに見開かれた。
「ルビーでございますか?」
「ガラスよ」
「…………」
「こっちは本物」
今度は小さなダイヤモンドの耳飾りを取り出した。
「首元が派手だから、耳まで大きくするとくどいでしょう? だから耳は小さくするの」
「奥様」
「何?」
「なぜ偽物と本物を同時にお使いになるのです」
「綺麗ならいいじゃない」
「…………」
エレノアは額へ手を当てた。
その横で、セドリックが小さく笑う。
「エレノア」
「何です」
「諦めた方がいい」
「何をですか」
「奥様を理解することを」
「あなたは黙っていてください」
◇
その夜、玄関ホールでは正装を整えたアルベルトがヴァレンティナを待っていた。
黒を基調とした服装は彼の背の高さと端正な顔立ちによく似合っているが、装飾は必要最低限で、本人の性格そのままのような装いだった。
二階から足音が聞こえ、アルベルトが何気なく階段を見上げる。
そして、動きを止めた。
深紅のドレスをまとったヴァレンティナが、ゆっくりと階段を下りてくる。
手を加えたことで生地にはほどよい重みが生まれ、歩くたびにスカートが柔らかく揺れた。腰を絞った形が身体の線を美しく見せ、黒いレースと黒蝶貝が赤の強さを引き締めている。
豊かな金髪はいつもより少し高い位置でまとめ、巻いた髪を肩へ流していた。
首元には大粒の赤いガラス。
耳元には、小さな本物のダイヤモンド。
安価なものと高価なものが混在しているのに、不思議とちぐはぐには見えなかった。
むしろヴァレンティナ本人の華やかさに押されて、すべてが最初からそういう装いだったように見える。
「どう?」
最後の段まで下りたヴァレンティナは、その場で軽く一回転した。
スカートがふわりと広がる。
「……悪くない」
「それだけ?」
「似合っている」
「最初からそう言いなさいよ」
アルベルトはもう一度、ドレスを上から下まで眺めた。
「これが六リル?」
「正確には七リル八十セル」
「増えているじゃないか」
「裏地と糸とレースの分よ。ボタンは手持ちだから入れてないわ」
「それでも八リル以下か」
「でしょう?」
アルベルトは、どう見ても八リル以下には見えないドレスを眺めた。
「普通に仕立てたら、これくらいのドレスっていくらなの?」
「仕立屋にもよるが、百リル前後はするだろうな」
「百!?」
「有名な店ならもっとする」
ヴァレンティナは本気で驚いた顔をした。
「馬鹿じゃないの?」
「王宮へ向かう直前に、大声で貴族社会を否定するな」
「だって布でしょう?」
「聞かなかったことにする」
アルベルトは先に玄関へ向かった。
ただ、その口元がほんの少し緩んでいたことには、ヴァレンティナは気づかなかった。
◇
王宮の大広間には、すでに多くの貴族たちが集まっていた。
高い天井からいくつものシャンデリアが吊るされ、磨き上げられた床には無数の光が映り込んでいる。楽団の演奏が広間の隅から流れ、給仕たちは銀の盆を手に人々の間を静かに行き交っていた。
色とりどりのドレスと宝石が集まる光景は、まるで宝石箱をひっくり返したようだった。
王宮の晩餐会へ出席すること自体は、ヴァレンティナにとって初めてではない。
しかしローゼンベルク侯爵夫人として参加するのは初めてだった。
ベルモンド男爵令嬢だった頃よりも、明らかに周囲から向けられる視線が多い。
アルベルトが言っていたことは本当だった。
皆、見ている。
誰が誰と話しているのか。
どんな宝石をつけているのか。
どの家と親しそうなのか。
そして、何を着ているのか。
晩餐会が始まって一時間もしないうちに、ヴァレンティナは三人の令嬢に囲まれていた。
「ローゼンベルク侯爵夫人、そのドレスはどちらのものですの?」
「私も先ほどから気になっておりましたの。王都の新しい仕立屋でしょうか?」
「刺繍の入れ方が珍しいですわね」
「これ?」
ヴァレンティナは自分のスカートを軽く摘んだ。
「ベル・モードよ」
三人が揃って黙った。
「……ベル?」
「ベル・モード通信」
「通販の?」
「そう」
一人が冗談だと思ったのか、わずかに笑う。
「まさか」
「本当よ。六リルだったわ」
今度こそ、完全な沈黙が落ちた。
少し離れた場所でアルベルトが別の貴族と話しながらワインを飲んでいる。
こちらを見てはいない。
しかし、絶対に聞こえている距離だった。
「でも、そのようにはとても……」
「そのままじゃないもの。ちょっと直したのよ」
ヴァレンティナは楽しそうに説明を始めた。
薄かった生地には裏地を足し、胸元のレースを交換し、腰を自分の身体に合わせて詰めたこと。
袖の形を少し変え、安っぽかったボタンを黒蝶貝へ交換したこと。
余った布で腰の薔薇まで作ったこと。
最初は半信半疑だった令嬢たちも、実際の縫い目や装飾を見るうちに次第に興味を示し始めた。
「ご自分でなさったの?」
「そうよ」
「侯爵夫人が?」
「服を直すのに爵位は関係ないでしょう?」
「まあ……」
その発想自体が珍しいらしく、一人が感心したようにスカートを見る。
「次号、私も買ってみようかしら」
「私も気になりますわ」
「母に知られたら叱られそうだけれど……」
「安いんだから、失敗しても普段着か部屋着にすればいいのよ」
ヴァレンティナはあっけらかんと笑った。
その言葉を聞いて、令嬢たちもつられて笑う。
少し離れた場所から、アルベルトはその様子を眺めていた。
「随分と目立つ奥方だな」
隣にいた伯爵が、面白そうに笑った。
「……否定はしない」
「どこの仕立屋だ? うちの娘が気にしそうだ」
「ベル・モードらしい」
「は?」
「俺も詳しくは知らん」
アルベルトはそう答え、グラスへ口をつけた。
不思議な気分だった。
結婚の話が持ち上がった頃、ベルモンド男爵令嬢の肖像画を初めて見たとき、彼が真っ先に抱いた印象は単純だった。
金のかかりそうな女だ。
華やかなドレスに大ぶりな宝石を身につけ、明るい金髪を流行の形に結い上げた姿は、いかにも急速に財を築いた商人貴族の娘らしく見えた。
ローゼンベルク家の財政事情を考えれば、ベルモンド家との婚姻は必要だった。
だから受け入れた。
ただし、その娘と気が合うとは思っていなかった。
ところが実際に嫁いできた女は、三リルのドレスで馬車を降り、毎晩十二リルのワインを飲んでいることに腹を立て、六リルの通販ドレスを自分で縫い直して王宮へ現れた。
派手なのは間違いない。
金髪も、赤い唇も、大きな首飾りも、人目を引くことを少しも恐れていない態度も、アルベルトが最初に見た肖像画そのままだった。
けれど、その派手さと浪費はどうやら別物らしい。
「……分からんな」
アルベルトは小さく呟いた。
「何がだ?」
「いや、何でもない」
視線の先では、ヴァレンティナが令嬢たちに囲まれて楽しそうに笑っている。
少なくとも、自分が結婚前に想像していた種類の女ではなかった。
それだけは、ようやく分かり始めていた。
◇
三週間後、ローゼンベルク侯爵邸へ一通の手紙が届いた。
昼下がり、居間で刺繍をしていたヴァレンティナのところへ、セドリックが封書を持ってくる。
「奥様、お手紙でございます」
「誰から?」
「ベル商会からでございます」
ヴァレンティナはすぐに顔を上げた。
「ベル・モードの?」
「はい」
「何かしら」
封を切り、便箋を広げる。
数行読んだところで、ヴァレンティナの動きが止まった。
「…………」
「いかがなさいました?」
「私が買ったドレス」
「はい」
「完売したって」
セドリックが一度瞬きをした。
「……左様でございますか」
「それだけじゃないわ。追加で作った分もかなり売れてるみたい」
部屋の反対側でリネン類を確認していたエレノアまで振り返った。
「何と書かれているのです?」
「王宮の晩餐会のあと、商品番号を指定した注文が急に増えたんですって。それで、次号の広告に私の名前を載せていいかって」
エレノアの表情が変わった。
「お断りくださいませ」
「なんでよ!」
「ローゼンベルク侯爵夫人でございます!」
「名前が載るだけでしょう?」
「侯爵家の名を商品の宣伝に使用するなど、簡単に許可できることではございません」
「宣伝料くれるって!」
「金額の問題ではございません!」
「いくらか聞いてから決めましょうよ!」
「奥様!」
エレノアの声が居間へ響き、廊下へ出ようとしていたセドリックが静かに顔を背けた。
「セドリック」
「はい」
「今、笑った?」
「まさか」
「絶対笑ったでしょう」
「気のせいでございます」
ヴァレンティナは不満そうに手紙へ目を戻した。
ローゼンベルク侯爵家へ嫁いできて、まだ一か月にも満たない。
雨漏りする屋根は、いまだ修理できていない。
家計には調べるべき項目が山ほど残っているし、メイド長には相変わらず一日に何度も眉をひそめられている。
それなのに、六リルで買った通販ドレスだけは王都で売れ始めた。
どういうわけか。
屋根を直すより先に、通販会社から仕事の話が来てしまった。




